18.暁の計画(1)
夜斗兄ちゃんをユズルさんに診せることと、トーマさんの意図を探ること。
一応、二つの目的は達成できた。
後は……。
「そうだ……シャロットからも一度手紙を貰ったぞ。日本語で書いてあって驚いた」
トーマさんはそう言うと、一番端に置いてあった紙飛行機を手に取った。
「うん。オレも時々もらう。朝日が漢字ドリルあげたから……それで頑張ってるみたい」
「そうか。……シャロットらしいな」
そして紙飛行機をゆっくりと開くと、オレに見せてくれた。
『トーマ兄ちゃん、元気? フェルポッドのことは聞いてる? ウルスラに来る予定がなくても、使えるって思ったら必ずためておいてね。いざというときに来れるように』
用件だけの、ぶっきらぼうな手紙だった。
「これ……いつ来たの?」
「6月ぐらいかな。3月に溜めて……再び使えるようになったところで、見透かしたように送って来たよ」
さすが、シャロット……。
「でも助かったよ。ウルスラの水祭りに行くときに使ってたら、今回ヤトさんを送るのに使えなかっただろ」
「ふうん……フェルポッドって、どんなの?」
さてと……今日の三つ目の目的を果たすか。
どうやってフェルポッドの話に持っていくか悩んでたんだけど、シャロットの手紙のおかげでスムーズにいってよかった。
「えっと……」
トーマさんはちょっと身体を伸ばすと、押入れを開けて袋を取り出した。
「これだよ。じいちゃんの看病のために、朝日さんがくれたんだ。大事なものだろうし、ずっとしまってあったんだけど……失くしてなくてよかった」
「……4個あるね」
「そうだな」
「全部使うの?」
「いや……1年に1回はウルスラに行こうと思ってるから……せいぜい3個もあれば十分かな。暁、これ、かなり貴重なものなんだよな?」
「うん。朝日が女王さまに頼み込んで貰ったやつ」
オレは答えながら、トーマさんをちらりと見た。
トーマさんが
「じゃあ、やっぱり朝日さんに返した方が……」
と呟いたので
「その使わないやつだけ返せばいいんじゃない? オレから朝日に返しておこうか?」
と言ってみた。
トーマさんは
「じゃあ、頼むよ」
と言ってオレにフェルポッドを1個渡してくれた。
手の平大のサイズの円筒で、黒っぽい色をしている。
オレは心の中でガッツポーズをした。
これで……もし、オレの予想通りなら……自由にパラリュスに行けるようになるはずなんだよな。
……まぁ、水那さんを助けるまでは、やらないけどさ。
「これ……どうやって使うの?」
「今は全部空のはずだから、蓋を開けていいぞ」
オレはフェルポッドの蓋を開けた。中は……何て言うか、別に普通だ。
「これに向けて普通に使えばいいらしい。で、籠めたらすぐに蓋を閉める……と」
「ふうん……」
オレは元通り蓋を閉めると、自分のバッグの中にしまい込んだ。
そのとき……ピンポーンという音が聞こえた。
「あ……ユズかな」
どうやら玄関のチャイムの音だったらしい。トーマさんは立ち上がると、部屋を出て行った。
しばらくすると、ユズルさんが少し疲れた様子で部屋に入って来た。
「ユズルさん、終わったの? 夜斗兄ちゃんは?」
ひょっとして、あまりよくなかったんだろうか。
心配になってオレが聞くと、ユズルさんは「大丈夫だよ」と言って少し微笑んだ。
「ヤトさんは今、眠ってる。……5分も経てば目覚めると思うけど」
「……どうだったの?」
不安な気持ちのまま、おそるおそる聞いてみる。
「えっと……急に穴に引っ張られて異次元に跳ばされたから、その弾みで記憶が零れ落ちてしまったって感じかな。失くした訳ではないんだ」
「そうなんだ……」
「例えると……そうだね。本棚にきちんと並んでいた本が、地震の影響で床に落ちて散らかってしまった。……そんな感じ」
「ふうん……」
ユズルさんは僕を見るとにっこり笑って「大丈夫だよ」ともう一度言った。
「多分、元々かなり生真面目な人なんだろうね。今は時系列順に、きちんと並べ直している途中、といったところだと思う」
「ふうん……」
(でも……ひょっとしたら、その時点からやり直したい、という思いもあったのかもしれないな……)
不意にユズルさんの声が聞こえてきて、オレは思わずギョッとしてしまった。
慌てて思考を断ち切る。
……これ以上、聞かないようにしなきゃ。ユズルさんの前で力を使ったら、何だかバレそうだし。
「穴を通っても大丈夫そう?」
「そうだね。少し整頓の手助けはしておいたから……精神的には安定したと思う。ちゃんと気持ちの準備をしてから通る分には問題ないと思うよ」
「そっか……。夜斗兄ちゃんの記憶、テスラに行ったら戻るかな?」
「本人がきちんと順番に記憶を取り戻そうとする意思があるから、大丈夫」
「……そっか」
あれ……? でも、さっきの「やり直したい」って何だろう……。
夜斗兄ちゃんの記憶は、任務でミュービュリに来たところで失われてたって……朝日が言ってた。
それって、朝日とユウに出会う直前で……。
まさか、夜斗兄ちゃんは……二人に会いたくなかったんだろうか。
やり直したいって、そういうこと?
「それはあくまで僕の予想だよ。気にし過ぎ」
オレの心を読んだユズルさんが困ったように微笑んだ。
「やり直したい、というより考え直したかったのかもしれないよ。まあ、とにかく……ヤトさん本人にしかわからないことだけど」
「……」
オレが黙って頷くと、ユズルさんはすっくと立ち上がった。
「もうすぐ目覚めると思うから、僕の部屋に行こうか」
「……うん」
オレも立ち上がると、ユズルさんの後についてトーマさんの部屋を出た。オレの後ろにいるトーマさんが玄関の鍵をかける音が聞こえた。
(……ということは、暁くんはトーマの記憶が戻ってることも気づいたんだね)
聞かないようにしていたはずなのに、急にユズルさんの心の声が聞こえてきた。オレはびっくりして顔を上げたけど……ユズルさんは僕に背を向けたままだった。
(……ごめんなさい)
(僕が迂闊に力を使ったせいだからね。……でも……)
ユズルさんの困ったような気配を感じる。シルヴァーナ女王にはまだ知らせたくない、というトーマさんの意思を尊重したいから、かな。
(シャロットはとっくに気がついてる。でも……オレが説得するから。口出ししちゃ駄目だって……オレがちゃんと言うから)
オレが慌てて伝えると、ユズルさんの安心したような思念が伝わって来た。
(……わかった。任せるね)
ユズルさんは相変わらず背を向けたままで、表情は分からない。
だけど……その心の声はどこか暖かくて、オレをちゃんと信じてくれたのがわかって、オレはもう一度力強く頷いた。
……ユズルさんには、見えてなかったと思うけど。
ユズルさんの部屋に入ると、夜斗兄ちゃんはベッドに横たわったままだった。
枕元に行って顔を覗きこむと……夜斗兄ちゃんはうっすらと目を開けた。
「ヤトさん……気分はどうですか?」
ユズルさんが声をかける。
「何か……頭の靄がちょっと無くなった……気がする……」
そう呟くと、夜斗兄ちゃんはゆっくりと身体を起こした。
「ヤトさんは、記憶が乱れただけで、失ってはいないです」
ユズルさんはにっこりと笑った。
「僕の方で記憶を戻すこともできそうだったんですけど……どうやら自分で整理したかったみたいなんで、敢えてしませんでした。テスラに帰って、きちんと取り戻したらいいと思います。……自分の手で」
ユズルさんがそう言うと、夜斗兄ちゃんは「ああ」とだけ答えた。
「夜斗兄ちゃん、大丈夫そう?」
少し心配になって聞くと、夜斗兄ちゃんはオレの髪をぐしゃぐしゃっとして
「大丈夫。視てもらったら、結構すっきりしたから。意識ははっきりしてる」
と言って笑ってくれた。
オレはホッとすると、ユズルさんとトーマさんの方に振り返った。
「あの……ありがとうございました」
「じゃ……すぐにウルスラに行く? 実はさっきシャロットから手紙が来て……」
ユズルさんはそう言うと、テーブルの上の紙を見せてくれた。
殴り書きで『アキラ達はまだ?』とだけ書いてある。
「随分楽しみにしてるみたいだな。暁……シャロットに会ってないんだっけ?」
手紙を覗きこんだトーマさんが聞いた。
「うん。結局あれ以来会ってないから……2年振りぐらい?」
「そっか。先月会ったけど……シャロット、大人になってたよ。暁くん、びっくりするかもね」
ユズルさんはそう言ったけど、この手紙といい、大人になったシャロットなんてオレには想像もつかなかった。
「まあ、暁もかなり変わったから、お互い様かな。……じゃ、早速やるか」
トーマさんがぎゅっと拳を握りしめた。
「あ……ちょっと待ってくれ」
夜斗兄ちゃんはトーマさんを制止すると、二人に向かって深々と頭を下げた。
「本当にありがとう。今度いつ会えるかは分からないけど……もしテスラに来ることがあれば、俺を頼ってくれ」
「はい」
「こちらこそ、父さんをよろしくお願いします」
トーマさんはそう言ったあと「あ、今は覚えてないからわからないか」と残念そうに呟いた。
夜斗兄ちゃんはちょっと笑うと
「いや、何か……ぼんやりとは。確か、ソータさんだったよな。わかった」
と言って力強く頷いた。
「じゃ……穴を開けるから」
トーマさんはそう言うと、右手の拳を握りしめて目を閉じた。
さっきまで全然感じなかった……フェルティガの気配がする。
そうか……トーマさんはあまり強くないって話だから……普段は完全に眠らせてるんだ。
トーマさんは目を見開くと、空間を叩きつけた。
その途端……拳から真っ黒な穴が、徐々に広がっていく。
「すぐに閉じてしまうから、急いで」
ユズルさんに急かされて、オレと夜斗兄ちゃんは二人に会釈だけしてすぐに穴に飛び込んだ。




