17.暁の不安(3)
バスと電車、新幹線を乗り継いでT駅に着いたのは、12時頃だった。
改札を出ると、トーマさんとユズルさんが迎えに来てくれていた。
オレは二人と会うのは2年振りだったけど、シャロットの手紙に書いてあったし、朝日からも話を聞いていたから、あんまり久し振りな感じはしなかった。
でもこの2年で20センチ近く身長が伸びたので、二人はかなりびっくりしていた。
夜斗兄ちゃんは本当に初対面なので、三人は律義に挨拶をしていた。
ユズルさんはかなりの人見知りだと聞いていたけど、やっぱりパラリュスの人だと安心なのか、普通に会話をしていた。
トーマさんが運転する車で、オレ達は二人の住むアパートに向かった。
「そうだ。オレ、ユズルさんに聞きたかったことがあるんだ」
「ん……何?」
助手席のユズルさんが前を見たまま返事をする。
「ユズルさんも、ミュービュリの人は苦手? パラリュスの方が居心地がいい?」
「あー……そうだね」
ユズルさんはちょっと笑った。
「ずっと駄目だったね。どうしてそう感じてしまうのか、どこをどう治せばいいのか悩んでいた時期もあるけど……トーマに出会って、大丈夫な人もいるってわかって……。そしてシィナ達に出会って、朝日さんからも話を聞いて……。それで理由がわかったからちょっと安心した。安心したら逆に気にならなくなって……前よりは大丈夫かな」
「そうだよな。中学や高校のときは、本当に駄目だったもんな」
トーマさんがちょっと笑って言った。
「まぁ、自分が異世界人だったことすら知らなかったんだから、仕方ないだろ」
「……そうだね」
そう呟くと、ユズルさんはそのまま黙り込んでしまった。
ユズルさんはウルスラの女王の子供だって聞いた。
だからパラリュスの民として、より血は濃いだろうし、辛かったのかも。
でも、そのお母さんも、もう亡くなったって聞いてる。
なのにどうして、居心地の悪いミュービュリに居続けているんだろう……?
「さ、着いたぞ」
車が止まる。トーマさんに促されて、オレ達は車を降りた。
見ると、二階建てのアパートだった。二人は同じアパートの隣同士らしい。
ひとまず、二階のユズルさんの部屋に案内された。
何となく無駄なモノがなさそうな部屋を想像していたけど、全然違っていた。
壁一面本棚で埋めつくされていて、ぎっしり本が並んでいる。
ベッドと机、部屋の真ん中のテーブル周辺はきちんと片づけられていたが、周りには本棚に入りきらない本が高く積み上げられていた。
「すごー……」
そう言えば朝日と同じ医学部だって言ってた。
お医者さんになるために、たくさん勉強してるのかな。
「狭くてごめんね」
ユズルさんが申し訳なさそうに言う。トーマさんが部屋を見回しながら
「ユズ、やっぱり広い部屋に引っ越した方がいいんじゃないか? 勤務先が決まったら、俺、新しいところを探すつもりだったし……一緒に住めばいいじゃん」
と言った。
ユズルさんはちょっと笑うと
「それは、ちょっと……」
と言って困った顔をしていた。
「何でだよ」
「トーマ、そのうち変な噂を立てられるかもしれないよ」
「言わせとけ、そんなの」
「まぁ、トーマはそのぐらいじゃ動じないだろうけどね……」
幼馴染みというだけあって、仲良いんだなあ。
オレにとって幼馴染というと……ヨハネとかシャロットってことになるのかな。
ミュービュリのヤツらはあんまりピンとこないし。
……ヨハネよりも、付き合いが長い奴もいるけどさ。
とりあえず座って、と言われたのでオレはベッドの脇に座った。
夜斗兄ちゃんはベッドに座るように言われたので、ちょっと不安そうにしながら黙って腰かけた。
「それで……ヤトさん」
ユズルさんが夜斗兄ちゃんをまっすぐに見つめた。
「迷いがあるように感じるんですけど……視ても大丈夫ですか?」
「…………ああ、頼む」
少し考え込んだあと、夜斗兄ちゃんは小さく頷いた。
「迷いというか……ずっと夢の中にいるようで、勘違いしそうになるんだ。早いとこ思い出したい」
(だいぶん……思い出してはいるようだ。整頓されていないだけで)
ユズルさんの……声。
(中途半端に思い出したせいで、余計な感情に揺さぶられている感じがする。早く終わらせたい。気持ちが悪い……。)
――そして、夜斗兄ちゃんの声。
そうか……ユズルさんが夜斗兄ちゃんの心を読んで……うっかりオレが真似してしまったんだな。
でも、これは好都合かも。トーマさんの心が読めるし。
「あの……オレ、いない方がいいよね? 結構デリケートな術だもんね」
ユズルさんに気づかれる前に動こう。
ちょっと慌ててそう言うと、ユズルさんがハッとしたようにオレの顔を見た。
「……そうだね。かなり深いところまで記憶を探ることになるから……確かに、二人にしてくれた方がいいかも」
オレは立ち上がると、ユズルさんの後ろにいたトーマさんに近づいた。
「トーマさん、トーマさんの部屋で待っててもいい?」
「いいぞ。……じゃ、行くか」
「うん。……夜斗兄ちゃん、頑張ってね」
オレが声をかけると、夜斗兄ちゃんはちょっと頷いて
「ありがとな、暁」
とだけ言った。
(ごめんな、暁。……ちゃんと思い出してやれなくて)
夜斗兄ちゃんの心の声が聞こえた。
何も言わなくても……オレの不安は分かってくれてるんだと思うと、ちょっと胸が熱くなった。
記憶がなくても、夜斗兄ちゃんはやっぱりオレが好きな夜斗兄ちゃんだったから……少し、心が軽くなった。
トーマさんの部屋に行くと、今度はうって変わって物が少ない部屋だった。
「トーマさん……あんまり、本……モノがないね……」
思わず言うと、トーマさんがちょっと笑って
「お前、ユズと違って俺が不真面目だと思ってるだろ!」
と言った。
「そんなことはないけど……」
「もう卒論しかないから……片づけたんだよ。使わない本は実家に持ってったんだ」
「実家……あの、山奥の家?」
「そう。……そうか、一度来たんだったよな」
そう言うと、トーマさんはちょっと溜息をついた。
(もう……二年になるのか……)
トーマさんの声と共に、中平のおじいちゃんの顔が流れてきた。
オレは一度会ったきりだったけど……その時の顔よりも、もう少しふっくらとした、元気そうな顔だった。
「トーマさん、小学校の先生になるんだよね。試験受かったって」
悲しいことを思い出させてしまった気がして、オレはちょっと慌てて言った。
トーマさんは「まあな」と答えると、少し嬉しそうに笑った。
そうか……トーマさんがミュービュリでやりたいこと、これなんだ。
「何か、トーマさんが担任の先生だと楽しそう」
「そうか? でも、これでやっと社会に出れて……一人前ってところだな」
「社会に出て一人前?」
「そりゃそうだろ」
ふうん……ミュービュリだと、そうなるのか。
朝日も、長い間大学生をしていたから、ずっとばめちゃんに甘えてばかりで申し訳ないってよく言ってたっけ。
トーマさんが今いちはっきりしないのって、自分の夢をまだ叶えてないことと自分の立場が中途半端だってこと……この二つも関係しているのかな。
「暁くんは……」
「暁でいいよ。ねぇ、シルヴァーナ女王と暮らしてたのってこの部屋?」
不意打ち気味に聞く。
するとトーマさんはちょっとギクッとしたあと
「ああ……そう、らしい」
と言ってあさっての方向を見た。
(あ、あぶなー……。急に何なんだ)
トーマさんの台詞と一緒に、黒い長い髪の可愛い女の子が無邪気に笑っている映像が流れ込んできた。
そっか……これが、ミュービュリに来た時のシルヴァーナ女王なんだな。
やっぱり……バリバリ憶えてるじゃんか。シャロットの読み、大当たりだよ。
「そっか……憶えてないんだったよね」
「……まぁな」
トーマさんはそう答えたけど、どうやらいろいろ思い出しているようだった。
次々に流れてくる映像は、すべて、黒い髪だった頃のシルヴァーナ女王のものだった。
小学生から……中学生ぐらいになって、大人になっていく。
もう3年前の話のはずなのに、その映像はとても鮮明で――トーマさんの言葉は聞こえて来なかったけど、気持ちは十分に伝わって来た。
トーマさんにとって……シルヴァーナ女王は、守りたい、大事な人なんだ。
「……あ」
ふと、トーマさんの後ろにある棚に並んでいる、いくつかの紙飛行機が目に入った。
「あれ、シルヴァーナ女王からの手紙?」
「……ああ」
(まだ……本当のことを言う訳にはいかない。シィナが女王として頑張ろうとしているときに……水を差す訳にはいかない)
「でも、何も書いてないぞ。声が届くだけだから」
そう言うと、トーマさんはその一つにそっと手を触れた。
(シィナが女王として使命を果たして、俺も将来のことが見えてきたら……そんな時が来たら、いつか……――)
「ふうん……」
言葉と一緒に聞こえてくるトーマさんの声は……何だかとても温かくて包み込むようで……オレは、なぜか記憶を失う前の夜斗兄ちゃんのことを思い出した。
……何でかは分からないけど。
とにかく……トーマさんはシルヴァーナ女王のことはちゃんと憶えていて、好きなんだけど、今は言える状況にないって考えてるってことなんだ。
シャロットには悪いけど……やっぱり、オレ達みたいなガキが立ち入る問題じゃない気がする。
ウルスラに行ったら、ちゃんとシャロットを説得しよう。
とりあえずそれが、オレが一番にやらないといけないことみたいだから。




