14.ヨハネの苦悩(3)
次の日の修業は、アキラと一緒だった。昨日のことは気になったけど、僕はアキラに何も言わなかった。
アキラはいつも以上に真面目に取り組んでいたけど……何だか元気がなかった。
「アキラ、何かあった?」
修業がすべて終わってから、僕は我慢できなくなって聞いてみた。
ひょっとして……あの人たちを、どうにかしてしまったんだろうか。
それで、自己嫌悪に陥っているんだろうか。
「んー……」
アキラは唸ったまま、答えようとしなかった。
「何か落ち込んでる? ……修業は、すごく真剣だったけどさ」
「オレ、修業をちゃんと頑張ろうと思って。……今までちょっとナメてたかもしれない」
「え?」
力強い言葉に驚く。
見ると、アキラは真っ直ぐ空を見上げていた。
「オレのフェルティガは中途半端だった。このままじゃ制御なんてできない。修業をちゃんとして……誰にも迷惑かけないようにしなくちゃ」
中途半端って……あれで!?
声にならず、まじまじとアキラを見つめる。アキラは僕の方を見ると、ちょっと恥ずかしそうに笑った。
「昨日さ、オレ怒っちゃって、暴走して、あやうく人にケガをさせるところだったんだ。理央姉ちゃんが止めてくれたから、よかったけど」
「そうだったんだ……」
あの後、リオネールさんが止めに入ったのか。……よかった。
もしアキラが何かしてしまっていたら――僕は一生、自分のことを許せなかったに違いない。
「ヨハネは凄いよね。全然怒ったりしないもんね。いつも冷静で、穏やかでさ……」
「いや……それは……」
幼い頃から真面目に修業を取り組んできて、その大切さを知ってるだけで、そんなに凄いことじゃない。
……アキラに比べれば。
昨日だって、土壇場で逃げてしまって……。
「夜斗兄ちゃんみたいになりたいって言ってたもんね。きっとなれるよ。俺もヨハネを見習って、もっとキッてならないと」
そう言うと、暁は自分の両手で自分の頬を押さえて引っ張った。
その顔が可笑しくて、僕は思わず吹き出した。
「僕……そんな感じ?」
「んー、違うけど、イメージ?」
「でも……僕みたいにって言ったら、アキラの良さがなくなると思うな」
「オレの良さ?」
アキラがきょとんとした顔をする。
「アキラ、冷静になるのと感情をなくすのは違うよ。まぁ、ちょっとしたことで怒らないってのは正しいけど……」
話しているうちに、僕の澱みも少しずつ消えて行く気がした。
自分がやれることを最大限努力すればいい。
そうすれば……きっと、テスラに必要な人間になれるはずなんだ。
次の年の夏も、アキラはエルトラにやってきた。
僕は、ヤンルバで飛龍の世話をしているところだった。
ヤトゥーイさんの仕事をするためには飛龍を乗りこなせなくてはならない。
だから、まず飛龍との相性をよくするために、飼育師のところで修業していた。
幸い、僕は飛龍には向いていたようで……飛龍の世話は順調だった。
僕が育てた飛龍ではないけど、何となく気持ちが分かる。
僕が飛龍小屋の掃除を終えて外に出ると、ヤトゥーイさんとアキラの他に、茶色い髪のすらっとした男の人と、少し小柄な男の人がいた。
アキラは、特に背の高い方の人とは親しいようだった。
「あ、ヨハネ!」
僕に気づいたアキラが手を振っている。
一応仕事中だったし、アキラ達に近付いていいかわからなかったので、僕は手を振って応えた後、次の小屋に入って作業を続けていた。
すると、アキラの方が僕のところにやってきた。
「夜斗兄ちゃんに聞いた。ヨハネ、今は飛龍の世話をしてるんだって?」
「うん。仕事をするなら、まず飛龍に乗れるようにならないといけないからね。まずは心を通わせて、仲良くなるところからなんだ」
「そうなんだ……大変だな。オレも修業を頑張る。ヨハネがいないからちょっと淋しいけどさ。小さい子たちもさ、オレだと言うこと聞かないことも多くてさ……」
可愛いことを言うなあと思いながら、僕は少し笑った。
「アキラは夏しかいないからね。仕方ないよ」
「んー、まあ……」
「ほら、もう行きなよ。ヤトゥーイさんたちが待ってるんじゃない?」
「あ、そうだった」
アキラは「またな!」と言って手を振ると、外に駆け出して行った。
それからしばらくして小屋の掃除を終え、外に出ると、ヤトゥーイさんが飼育師の中でも一番古株のおじいさんと話をしていた。
辺りを見回したけど、サンがいない。
あの見知らぬ二人の男の人とアキラが乗って行ったんだろうか。
サンはてっきり、ヤトゥーイさんの飛龍だと思ってたんだけどな……。
「あれは……ユウディエン様ですな。……お元気になられましたか」
「そうだな。ホッとしたよ」
「昨日帰って来たときから、サンが妙にはしゃいでいたので……これは何かあったかと逆に心配だったのですが……本当によかった」
「あの……」
不思議に思って話しかけようとすると、おじいさんがハッとしたような顔で僕を見た。
そして続けて気まずそうにヤトゥーイさんを見る。
「ヤトゥーイ様……わし……」
ヤトゥーイさんは軽く手を振ると、「大丈夫」と言って笑った。
「ユウはこれからテスラにいるから……ヨハネには一応説明しようと思っていた」
「そうですか……それなら……」
そう言うと、おじいさんはそそくさとその場を離れてしまった。
「……あの……ユウディエン様って?」
聞いていいことのようなので、まっすぐ聞いてみる。
「アキラと親しそうだった、背の高い方の人ですか?」
「そうだ。――アキラの父親で……ファルヴィケンの直系だよ」
「えっ……」
僕はさっきの男の人を思い浮かべた。
……まだ20歳ぐらいに見えたけど……。父親にしては、若くないか?
「キエラとの戦争で大怪我をして、長い間王宮の奥で療養していた。その際に身体の時を止めていたから……若い姿のままなんだ」
「どうやって……」
「それは話せないが」
またか……。でも、まぁいいか。
「サンは、ユウが育てたユウの飛龍なんだ。俺はユウがいない間、代わりに預かってただけ。だから、エルトラの飛龍とは扱いが違うんだよ。これからユウがサンのところに来ることもあると思うから、よろしく頼むな」
ヤトゥーイさんはそう言うと、飛龍が戯れている少し遠くの広場の方に行ってしまった。
どうやら、サンをユウディエンさんに返すから……どの飛龍となら相性がいいか、探しにきたらしい。
……あ、もう一人の男の人について聞くのを、忘れてしまった。
あの人……誰だったんだろう?
……でも、話してくれないということは……聞いても「話せない」と言われて終わりかもしれない。
僕の気持ちは晴れなかった。
忘れようとしていたあの感情が、またぶり返す気がした。
ヤンルバで1年以上修業して、やっと飛龍にも乗せてもらえるようになった。
相性はあるものの、僕はどの飛龍にも乗ることができたから結構重宝がられた。
ヤトゥーイさんの代わりに、フィラと行き来することもある。
修業の方も順調で、無事に障壁を身につけることができた。
エルトラの神官と共にキエラ要塞に向かい、障壁をかけ直すという作業にも参加した。
僕はキエラ要塞の近くに行くのは初めてだったけど、確かに何か禍々しい気配は感じた。
フェルティガエによっては、中で蠢く闇が視えるそうだ。
僕の仕事も忙しくなり、アキラとはだいぶん長い間――2年ぐらい、話していなかった。
去年、ちょっと姿を見かけて軽く挨拶したぐらいかな。
成長期のアキラは背も伸びて――遠目で見ても、その存在感は凄かった。
僕も修業を続けているから分かるのかもしれないけど……もう、弟みたいだとは言えなくなった。
そしてそんなある日――ヤトゥーイさんがいなくなってしまった。
「ヨハネー! いるか!」
僕がヤンルバで作業をしていると、サンに乗ったユウディエンさんがひどく慌てた様子で舞い降りた。
「います……けど……」
そのあまりの慌てぶりにちょっと驚く。
ユウディエンさんは呼吸を整えると
「夜斗が怪我をして……テスラに戻れなくなった」
とだけ言った。
「えっ! いったい何が……」
「しばらくは俺が夜斗の代わりをするけど、ヨハネも手伝って欲しいんだ」
僕の質問は、頭から無視された。
……どうやら、詳しい事情はまた聞かせてもらえないらしい。……もう慣れたけど。
すると、サンの背中から一人の男の人が降りてきた。
よく見ると……2年前、アキラやユウディエンさんと一緒にいた人だった。
あれ以来、全く姿を見たことはなかったのに……。
「この人に隠蔽をかけて、飛龍に乗せてくれ。そのあとはこの人の指示に従ってくれればいいから」
「ソータっていうんだ。よろしくな」
小柄な、ヤトゥーイさんより少し年下に見える男の人は、そう言ってちょっとだけ手を上げた。
「俺はエルトラ王宮に行って報告するから……それだけ、頼む! それじゃ!」
ユウディエンさんはそう大声で言うと、瞬く間に飛び立っていった。
僕は溜息をつくと、ソータさんに隠蔽をかけて、一番近くにいた飛龍に乗った。
「キエラ要塞の東にある湖で下ろしてくれ」
「わかりました……けど……何で……」
「……」
ソータさんは何も答えなかった。
仕方なく、僕は言われるまま東に進路を取った。
「あの……ヤトゥーイさんは、今どこに……」
「今は朝日と暁のところで療養しているらしい」
じゃあ……アキラは、知ってるんだ。みんなが僕に話せない事情も……全部。
「あの……確か、2年前もテスラにいましたよね? アキラと一緒に……」
「あー、うん……そうだな」
「ヤトゥーイさんやユウディエンさんとどういう関係なんですか?」
僕だって知りたい。
そう思って聞くと、ソータさんはちょっと溜息をついた。
「夜斗やユウからは何も聞いてないんだな?」
「はい。でも……それは……」
「じゃあ、話す時期じゃないってことだな。……まだ若そうだしな」
「――14歳です。……アキラの2つ上です」
ちょっと憮然として答えると、ソータさんの「言い方が悪かったかな」というすまなそうな声が背中から聞こえた。
「エルトラの神官に隠蔽をかけさせることもできるのに、お前を選んだんだ。余計なことは言わないし聞かないって信頼してるんだろ」
「……」
まあ……それはそうかもしれないけど……。
――でも、僕より2つも若いアキラは、知ってるんでしょう?
そう言いたかったけど、声にはならなかった。
ずっと忘れていた――あの嫌な感情が湧き上がる。
結局……目的地に着くまで、僕はずっと黙ったままだった。
こんな気持ちで口を開いたら、後で後悔しそうなことを口走りそうだったからだ。
「――お前の隠蔽はどれぐらいもつんだ?」
湖に着くと、ソータさんが飛龍の背中から飛び下りながらそう聞いた。
「一週間ぐらいは大丈夫だと思いますが、そんなに長い時間かけたことがないので……」
答えながら、僕は自分の胸を押さえた。
そうだ、僕は信頼されているはずなんだ。
子供みたいに、拗ねてる場合じゃない。
「じゃあ、それまでは放っておいてくれていいぞ。ユウを手伝ってやってくれ」
ソータさんはそう言うと……ちょっと笑った。
「わかりました」
僕はぺこりと頭を下げると、殆ど視線も合わせずに、飛び立った。
「――ヨハネ!」
不意に、ソータさんが叫んだ。
「アキラは当事者だから、知ってて当たり前なんだ。お前が知らないのは、お前のせいじゃないからな。絶対、気にするなよ!」
「……!」
僕は驚いてソータさんの方に振り返った。
目が合うと、ソータさんは右手を上げて大きく手を振ったあと、拳を高々と突き上げていた。
……多分、励まそうとしてくれたんだと思う。
僕は何だか胸がいっぱいになって、もう一度頭を下げた。
だいぶん後になって――気づいた。
僕は、このときのソータさんの言葉を――もっとちゃんと、心に留めておくべきだったんだ。




