13.ヨハネの苦悩(2)
昼に変わってすぐ、ヤトゥーイさんが飛龍で僕をフィラまで送ってくれた。
だけど僕を下ろすと、忙しいらしくすぐに帰ってしまった。
僕は渡された地図を見ながら、リオネールさんの家に向かった。
途中で、若い二人の女の人が真剣な顔で話し込んでいるのが見えた。
「ねぇ、あの二人……アサヒとアキラだっけ」
すれ違ったとき、こんな台詞が聞こえてきた。
僕はドキッとしたけど……そのまま何食わぬ顔で通り過ぎた。
今、アサヒとアキラって言った気がする。……何の話をしてるんだろう?
少し悩んだけど、誘惑には勝てなかった。
僕は自分に隠蔽をかけると、そっと二人に近づいた。
「あの二人にアレ、本当に教えるの?」
「教えるわよ。……教えるだけじゃないけど」
「怒られるんじゃない?」
「バレやしないわよ。ちょっと脅しをかけるだけよ」
「……そうよね。三家の直系っていっても、全然力は感じないし、片方は子供だしね」
「我が物顔でフィラを歩かれたくないわよ」
二人はそう言いながら、村の外れの方に向かって歩いていった。慰霊碑がある所だ。
僕は呆然としたまま、二人を見送った。
今……何て言った? 三家の……直系?
それって……アサヒさんとアキラが、ってこと?
でも……チェルヴィケンの直系は50年以上前に行方不明になり、そのまま絶えたって聞いた。
そして、ファルヴィケンの直系は30年ぐらい前のフィラ侵攻のときに亡くなったって話だったはず。
でも、それは事実じゃなくて……ひょっとして、身を隠すために遠くの島に住んでいたってことなのか?
特別って、そういうことなのか?
三家だから?
ヤトゥーイさんやリオネールさんと対等な立場だから?
「……」
僕は首を横に振った。
エルトラの神官たちはそうかもしれないけど、ヤトゥーイさんは違う。
僕たち――フィラの子達の一人一人をちゃんと見てくれて、相談に乗ってくれて……いつも、的確なアドバイスをしてくれた。
力の強い子も弱い子も、強情な子も気弱な子も、その子たちそれぞれに合わせて話をしてくれた。
血筋で区別するような人じゃない。
僕は雑念を追い払うように、もう一度力強く首を横に振った。
そして自分にかけた隠蔽を解くと、リオネールさんの家に向かった。
「ヨハネだったわね。いらっしゃい」
家に着くと、リオネールさんがにっこり笑って僕を出迎えてくれた。
「ヤトから聞いたわ。ヤトの仕事を手伝いたいんですって?」
「はい」
リオネールさんはちょっと笑うと、僕にお茶を出してくれた。
「子供たちの面倒もよく見てくれてるし、とても助かってるって……エルトラの神官にも聞いたわ。修業が終了してヨハネがフィラに戻ったら困るな、って話してたところだったらしいの。だからこちらとしても、ヨハネがエルトラにいてくれるのは助かるわ」
「そう……ですか……」
やっぱり僕はひどい思い違いをしていたようだ。
エルトラの神官だって、血筋だけで判断している訳じゃない。
ずっと頑張ってきた僕のこと、ちゃんと見てくれてたんだ。
「だから……そうね……エルトラで修業をしつつ、子供たちの世話もしつつ、ヤトから少しずつ仕事を教わる形になるわね。かなり忙しくなるとは思うけど……大丈夫かしら?」
「はい! 頑張ります!」
「そう。……よかったわ」
そう言うと、リオネールさんは立ち上がり、どこかに連絡を入れた。
二言三言、会話をすると、僕の方に振り返ってにっこり笑った。
「今日、すぐエルトラに戻らないといけないって話だったわよね? 今連絡を入れておいたから……ヤンルバの飼育師が飛龍で迎えに来るわ。降りたところで待っててね」
「あ……ヤトゥーイさんじゃないんですね」
「ええ。ちょっとエルトラの方で仕事が立て込んでるみたいなの」
「そうですか」
それはそうか。僕にばかり構ってもいられないだろう。
ヤトゥーイさんの仕事って他の人にはできないことも多いって聞くから。
「そう言えば、ヨハネのフェルティガは……ヤトと同じ系統なのよね?」
「あ、はい。今は幻惑と隠蔽だけですが……先生に言われて、障壁も身につけようと思っています」
「そうね。障壁は必要になると思うわ。キエラ要塞のこともあるし……」
「キエラ……」
僕はふと、さっきの二人の女の人の言葉を思い出した。
戦争の中で失われたはずの、三家の血筋……。
「……そうだ、飛龍にも慣れていかないといけないのよね。どうするか相談して……」
「あの……」
僕は立ち上がると、まっすぐリオネールさんを見つめた。
「え……どうしたの?」
「アサヒさんとアキラって、三家の直系って聞いたんですけど」
思い切って言ってみる。
リオネールさんの顔色がさっと変わるのがわかった。
……でも、僕は後悔していなかった。
陰でこそこそしたり、勝手にぐちゃぐちゃ考えたりするのは、違うと思ったから。
それに、エルトラとフィラを繋ぐ仕事をするなら、戦争のことだって、もっとちゃんと知っておかなくてはならない。
「それ……どこで……」
「さっきすれ違った女の人達が言ってたから……」
リオネールさんが軽く舌打ちをするのが聞こえた。……ちょっと怖い。
「……それは本当だけど、フィラでは殆どの人が知らないの。ましてや子供は……」
「……あの……」
「――ヨハネ」
リオネールさんの異常に低い声に、僕はドキリとした。
……怖い。リオネールさんのオーラだけでやられそうな気がするぐらいだ。
僕に怒っている訳ではないのはわかってるんだけど、それでも――恐ろしかった。
「絶対、誰にも言わないで。そしてこれ以上、聞かないで。あなたがもう少し大人になって――ヤトの仕事を引き継いだら必ず説明する。いいわね?」
「は……はい……じゃあ、僕はこれで失礼します……」
僕はお辞儀をすると、足早にリオネールさんの家を後にした。
戦闘タイプのフェルティガエであるリオネールさんは、フィラの人間にしてはかなり気が強いというか……攻撃的でおっかないと一部の人間が揶揄していたのは、知ってる。
でも……そうか。それは単なる中傷ではなくて……三家の直系の恐ろしさ、ということなのかも。畏怖の意味も込めて、その人たちは話していたのかもしれない。
ふと、さっきも通った路地に差し掛かる。
……女の人達が村の外れの方に向かって歩いて行ったことを思い出した。
あの人達、何か企んでいるみたいだった。
僕は聞いてしまったのに……このまま放っておいていいんだろうか?
僕は顔を上げて、飛龍が来る予定の場所を見た。……まだ、到着していないみたいだ。
ちょっと寄り道する時間はあるかもしれない。
僕は急いで村の外れに向かった。
「きゃーっ!」
「ぎゃっ!」
墓地に入ると、女の人達の叫び声が聞こえて来た。
僕は咄嗟に、自分に隠蔽をかけた。
単なる喧嘩とかならいいけど……もし本気の闘いが行われているんなら、僕には止められない。様子を見て、誰か助けを呼んできた方がいい。
そう考えたからだった。
石碑の奥の小高い山から、二人の女の人が転がり落ちてきた。ギョッとして駆け寄り、上を見上げると……アキラがいた。
僕はゾクリと背中が震えた。思わずその場に立ち尽くす。
アキラは今まで見たことのないような表情をしていた。感情も何もない――人形のような顔。
綺麗な顔立ちをしているだけに……一層、恐ろしさが増していた。
女の人達は二人で抱き合いながら、へたり込んだままだった。大きな怪我はないようだが……怯え過ぎて、立ち上がることもできないようだ。
アキラは丘の上から飛び下りると、軽やかに地面に着地した。
僕は、修業をしているアキラしか見ていないから……こんなに上手にフェルティガが使えるとは思わなかった。
それは驚くぐらい、華麗な身のこなしだった。
「……オレさ、何しろ修業中だから、力の加減ができないんだ。――ごめんね?」
アキラがにこりと微笑む。
――その恐ろしさに、僕は額から大量の汗が噴き出るのを感じた。
アキラには僕が見えていない。僕に向けられたものではない。
なのに……その凄まじさといったら……!
正直言って、さっきのリオネールさんよりもずっとずっと怖い。
到底、この場にはいられない!
僕は三人に背を向けると一目散に駆け出した。
アキラはあの人たちをどうするつもりなのか。まさか殺して……?
でも、僕にはどうにもできない。逃げるだけで精一杯だ!
僕には無理だ!
そのあと……僕はどうやってエルトラに戻って来たのか、まったく覚えていなかった。
気がつくと、そこはエルトラ王宮の中庭で……僕を連れて来てくれた飼育師をぼんやりと見送っていた。
我に返って――僕は、どうしようもない後悔に襲われた。
何で逃げ出してしまったんだろう。アキラは明らかに普通じゃなかった。僕が姿を現して声をかければ……冷静さを取り戻したかもしれないのに。
あの女の人達はどうなったんだろう。無事だろうか?
「ヨハネー!」
僕の姿を見つけた幼いフィラの子たちが駆けてくる。
その足音に、僕はハッとして振り返った。落ち着きを取り戻すために……深呼吸をする。
「遅いよー」
「待ってたー」
「しゅぎょー」
「……ああ、そうだね」
子供たちの頭を撫ぜてやると、嬉しそうな顔をした。……ちょっとだけ救われた気がする。
「じゃあ、部屋に行こうか」
アキラのことは気になるけど……この子たちの面倒をちゃんと見なくちゃ。
それが、僕の今の仕事なんだから。
テスラの白い空を見上げる。
眩しい光が……僕を突き刺すように感じた。




