無能、異世界語を片言だがマスターする
そりゃこっちの世界に和牛があるわけないよね。
がっかり度が半端ない。
スプーンを持つ手に力が入らなくなったところでルキアが私に何かを差し出す。
「?」
みてみればそれは本だった。
もちろん、私は文字も読めない。
アニメなら言葉に不自由しないのだが、現実は世知辛い。
とりあえず、開いてみれば、子供向けの絵本だった。
動物がたくさん載ってる。
ルキアが指を指して一文字一文字丁寧に読んでくれる。
「×・×」
「い・ぬ」
「×・×」
「ね・こ」
ここらへんは馴染みある動物だ。
「×・×・×・×」
「ご・ぶ・り・ん」
「×・ー・×」
「お・ー・く」
…うん、この辺りも…まあ、馴染みある…かな?
「×・×・×」
「い・ん・ぷ」
「×・×・ー・×」
「ぎ・が・ー・す」
ごめん。この辺りはさっぱりだ。
ただ、絵がものすごく怖い。
インプとかいうやつは悪魔みたいな姿だし、ギガースは両手足が蛇の男だった。
この本のタイトルはなんなのだろう。
『空想上の動物集』とか?
いや、だったら犬猫は載らないか。
と、いうことは…実在するのか。
嘘だろ?
「×・×・×・×」
「!」
ルキアが発した単語に思わず反応する。
今までで一番の反応にルキアがびくっとする。
いや、反応するよ。
だって…
「ど・ら・ご・ん」
って言ったんだらか。
ドラゴンが実在するんだよ?
なんか、無駄にテンションあがらないか?
キラキラした目をルキアに向けたら、ルキアは青ざめた顔をして私を見つめたのだった…。
あれから更に一週間が経った。
あの日から庭仕事の後にルキアの部屋に行き言葉の勉強をするようになった。
絵本を教科書がわりに必死で学ぶ。
生きていく上でやはり言葉は必須だ。
目指せ、異世界語日常会話レベル!
しかし、その道のりは果てし無く遠い。
何せ私は英語も『have』の使い方辺りで挫折した人間なのだ。
外国語ってだけでアレルギーが出る。
それだけでも厄介なのに、この世界の文房具が使いこなせない。
羽ペンだよ!?
羊皮紙だよ!?
ボールペンの軽い使用感に慣れた私には重たい羽ペンで文字を書くのは至難の技。
更に使う紙はごわごわしていて硬い。
動物の皮なんだなと実感させられる紙でとにかく描きにくい。
羊皮紙って文字を書く事に向いてないと思う。
それでも昔はこれで本とか書いていたんだよな…。
信じられない。
私も信じられないがルキアから見ても私の悪戦苦闘ぶりは信じられないようだった。
ペンで線を引くのも一苦労する人間がこの世にいるなんて思わなかったようだ。
お互い、カルチャーショックを受ける。
それでも、慣れない文房具を使って文字の書き取りをして、ルキアと一緒に絵本を読んで、少しずつ言葉を覚えていった。
本当に少しずつで、話すなんてまだまだなのだけどね。
ルキアは忙しいので、一時間程度しか一緒に勉強できない。
なので、一時間経ったら私は地下室に戻りルキアに貸して貰ったランプ片手に絵本を読んで勉強する。
「…いち、に、さん、し…」
数字は読めるようになってきた。
早く話せるようになりたい。
そして、少しでも長生きしたい。
別にこの命が尽きたところで悲しんでくれる人なんていない。
葬式に来てくれる友達なんて一人もいないのだから。
何かを為さなくてはならない訳でも、壮大な夢がある訳でもない。
ただ漫然と生きているだけだった。
だけど、死ぬのは怖い。
だから生きたいのだ。
言葉を覚えることで命が一秒でも伸びるなら必死で覚える。
意外な事に物覚えが悪くてもルキアは辛抱強く教えてくれた。
小突いたりされることもない。
出来ると大げさに褒めて頭を撫でてくれる。
最初は叩かれるのかと思い手が頭上にくるたびにびくっとしていた。
そのたびにルキアが悲しそうな顔をするので、なんとなくもう叩かれることはないのかなと思い気を許せるようになった。
そうなると、ルキアは笑顔を見せる頻度が多くなる。
だけど、この部屋、この時間限定の笑顔だ。
周囲のルキアに対する怯えの色は薄まることはなかった。
私は彼は一日の大半を仕事に費やし休む間も無く働いている事を知っている。
彼の僅かな睡眠時間を削って貰っているのだからと思えば、勉強にも熱が入る。
英語とは違い私はゆっくりと、しかし、着実に異世界語をものにしていったのだった。
こうして勉強を続けていたある日。
「××…たくさんごはんいる…××」
コウさんがいつもの鳥の餌を私に渡してそう言った。
たくさんご飯がいる…?
「手伝う?」
身振り手振りで問いかける。
身振り手振りが一番通じるのがコウさんだ。
結構大げさにわかりやすく演じてくれるし、周りも乗ってきてちょっとしたジェスチャーゲームのようにもなる。
一番怒鳴るけど、一番笑ってくれるのもコウさんだ。
きっとコウさんがいるから私はこの厨房という集団に受け入れて貰えたのだ。
ありがたい話である。
「そうだ、てつだえ」
「はい、わかりました。」
しかし、たくさんご飯がいるってどういうことなんだろう?
よく、わからないが、私は今日は倉庫と庭には行かないで厨房にこもることが確定した。
大量の野菜を洗った後、やってきたのは鹿だった。
歩いてやってきたのではない。
商人さんが木箱に詰めてもってきてくれたのだ。
「かりうどがけさしとめた」
コウさんが言う。
かりうど…狩人?
凄いなぁ、私には出来ないけど、この鹿どうするの?
「ばらす、てつだえ。」
バラすって…解体ですか?
私はぶんぶん頭を横にふる。
「おやかたー、こいつ、むりだよー」
いつも一緒に野菜を洗う料理人見習いのエドが言ってきた。
彼は見習いだけど、周りより年上。
多分、私より上。
なのに、ひょうきんで愛嬌がある愛され男子だ。
私も彼みたいだったら今とは違う人生を歩んでいたのだろうな…。
彼が羨ましくてじっと見ていたらにこっと私に微笑んでくれた。
「ち、にがてー」
「ああ…」
言ってコウさんは考える。
あ、役に立たないと!!
青毛の狼が頭をよぎる。
「だからおれが…」
「だいじょうぶ!がんばる!」
エドの言葉を遮るように言った私の言葉にコウさんは眉を顰めた。
しかし、人手不足なのかやはり私が手伝うことになった。
「ならたのむ」
「はい!」
私とコウさんは協力して鹿の解体をする。
と、言っても作業全てはコウさんがやって私は骨とか皮とか不要な物を受け取るだけなのだが….。
役に立ってるという実感はなかった。
それでも、解体は進み鹿は肉へと変わる。
「たすかった、ありがとう」
ありがとうという言葉が嬉しくて私は笑う。
お世辞だとは思うが、それでも嬉しい。
「つぎは…」
こうして、コウさんが指示する仕事をこなしていく。
言葉が片言でもわかるようになったおかげでスムーズになり、仕事が楽になった。
全部ルキアのおかげだ。
彼の為に頑張ろう!
….頑張らないと魔物の餌にされるからね…
夕方になると屋敷にお客様がいらしたようだ。
ようだというのは私は厨房で雑用をしていてよくわからないからだ。
しかし、屋敷がバタバタしていてメイド達が必死に働いているのは感じる。
私は奴隷だからお客様の前に姿をあらわすことはない。
ただ、屋敷にお客様なんて初めてで、漸く今日、ご飯がたくさん必要な理由がわかった。
「あかり!×××!」
名前を呼ばれたが指示の内容が早口すぎてわからなかった。
普段は意識してゆっくり話てくれるのだが忙しくて余裕がないようだ。
「もいうちど」
しかし、コウさんは行ってしまった。
ああ、どうしよう…
そこにエドがやってくる。
「いものかわむき、ね?」
「ありがとう!」
エドが指示を教えてくれたので、指を指して教えてくれた箱に入っていた芋の皮むきをする。
日本にはピューラーという便利な物があったがこちらにはない。
包丁で剥いていく。
正直苦手でガタガタしてしまうが、頑張らなくては!
…それにしても、この芋初めてみる芋だな。
小さくて剥きにくい。
そこにコウさんが通りかかってぎょっとされる。
「あかり!なにしてる!?」
「かわむき」
「ちがう!」
怒られてしまった。
「ごみすて!」
「!?」
皮むきじゃなかったのか!
「ごめんなさい、まちがえた」
「きこえなかったら、きけ」
「はい!」
私は芋を置いて溜まったゴミを捨てに走った!
エドは器用でなんでもこなす。
見習いだけど、たくさんいる見習いの中で一番筋がいい。
そんな彼でもこんな間違いをすることがちょっとおかしくてゴミ捨ての道すがら笑ってしまう。
親近感というか…。あ、同じ人間なんだなぁって安心する。
私はゴミを捨てて戻ってきた。
お客様にはフルコースをお出しする。
出し切るまでは戦場のようであったが、デザートを出し終われば仕事終了だ。
私のお手伝いも終わり地下室に帰ろうとしたところ、コウさんに呼び止められる。
叱られるのかと身構えているとお皿に入った鳥の餌が置かれた。
あ!いつもと違って肉入り!
目がキラっと光る。
…あれだ、この肉絶対鹿だ!
一瞬頭に解体されていく鹿がよぎったが、お皿の中に入ればそれは食べ物である。
「きょうはよく×××××!たべろ」
よくなんだろう。でもきっと褒めて貰えた!
だからご褒美なんだね!
周りも鹿肉を使ったステーキやスープを食べている。
そうだよね!こんなに忙しかったんだもの、ご褒美がないとね!!
いつもの鳥の餌がとてつもなく美味しく感じた。
やはり肉をいれると出汁がでるのか、味気ない鳥の餌に旨味が出ていた。
幸せーーー!!
鹿、旨い!!!
私が鹿を口いっぱいに頬張っていると不意に厨房のドアが開いた。
そこには知らないおじさんがいた。
中肉中背、真っ白な髪は外巻きカールを耳元で三つ作り残った髪は後ろで一つにまとめていた。
…どこかで見た髪型…あ!あれだ!音楽の教科書で乗ってた偉人にこういう髪型していた人がいた!
まさか実物を見る日がくるとは…。
どうやってこの髪型整えているんだろう?
こっちの世界にコテはないよね?
どうでもいいことが気になる私。
彼は顔を真っ赤にして、血走った目をしていた。
雰囲気的にやばいと悟ったのかコウさんが彼に話しかけようとして、肉を口いっぱいに頬張る私と目があった。
途端、こちらにツカツカと歩いてくる。
え?
何事?
「おまえが××××か!?」
大事そうな部分がよくわからず首を傾げる。
….もう一度言ってみて欲しい、もしかしたら聞いた事のある単語だったかもしれないから。
そう頼もうとした瞬間焦れた男が私の口を無理矢理こじ開けようとする。
「!!!??」
待って!!まだ口の中に肉が!!
必死の攻防が続く中、外が騒がしくなった。
その騒がしい音は段々と、こちらに近づいてくる。
そして、厨房に辿りついた。
『!?』
厨房にいたもの全てが息を飲んだ。
ここに来たのはルキアだった。
しかし、顔は怒りで真っ赤に染まっており、熊男と戦隊髪色男達がぶら下がるようにして止めようとしていた。
な、何事….!?
呆然と見ていたら私と目があった。
「そのてをはなせ!」
「××××××××!」
「こいつはおれがひろった!」
「×××××××××!!」
「しるか!」
「×××××××××!!」
まだなお何か言う男に焦れたかルキアは遂に剣を抜いた。
一気に場が騒然とする。
「うわー!!だめー!」
「おさえて!!」
男は剣を恐れたか私から離れる。
「ちっ!これだから××××は!」
何が言いたかったのかはわからないが、なんとなくルキアを馬鹿にしたのは伝わったので睨んでおく。
私の視線に気づいたのか、男がこちらを見た。
視線を逸らしたくなったが、我慢する。
気に入らなければ、魔物の餌にするような怖い人だけど、忙しいなか勉強を見てくれるような優しい人でもあるのだ。
自分は何か言われたりするのは慣れたからいいけど、ルキアを悪く言うのは許せない。
「おまえ…」
少し驚いたような声をあげるルキア。
私に睨まれて男は後ずさる。
意外に私の睨みも怖いらしい!
「××!××はおかえりください」
ルキアは剣を鞘に収めながら男にいう。
だんしゃくって聞こえた。
変な名前。
男は引きつりながら、逃げるように厨房から去って行った。
一体なんなのだろうか…。
呆然とすると、ルキアが熊男達を引き剥がして私の目の前にやってくる。
ごくりと肉は飲み込んだ。
「ルキアさま、いまのは…」
「いうな、バレた」
「!?」
コウさんが息を飲む。
バレたってなんだ?
「ルキア、わるいことした?」
「!?」
「わるいことしたならあやまる」
「あやまる?」
通じなかったようだ。
「…ごめんなさいする」
「わるくない!」
ぷいっと横を向いてしまった。
こういう所はまだ子供だなと思う。
いや、子供という年じゃないけどさ、ぱっと見成人したてな青年なんて三十後半の女から見たら子供だよね。
…無能な私に子供扱いされたと知ったらきっと怒り狂って魔物の餌にするだろうから、悟られないようにする。
「もう、いかれたほうが…」
「そうだな…おまえもこい」
言われて私はお皿を見る。
…まだお肉が…。
「…たべおわったらでいい…」
疲れたようにルキアは言って厨房から去っていった。
これが運命の分かれ道とは知らずに私は呑気に肉入り鳥の餌を食べていたのだった。