ダンスフロアとポニーテールはあの頃のまま。
はぁ。――今日は最悪の日だな。
本当に最悪だ。
新入社員として働き始め1年、大きなミスをして上司に「君さぁ、いつまで新人気分なの?」 と冷たく言われ、あんまり悲しかったから、慰めてもらおうと彼氏に会いに行ったら部屋には知らない女がいた。
それからは彼氏に何を言い自宅のアパートまでどうやって帰ってきたのか分からない。
冷蔵庫に入っていた沢山のお酒を飲み、現在私の頭は、夢の中にいる様にぐるぐるしていた。
壁に掛けてある時計に目を向けると深夜2時。
私がどんなに泣き喚いても残酷に明日はやってくる。
「明日なんて来ないで欲しいな……」
涙でメイクがぐちゃぐちゃになった顔で私は、本気で明日に怯えていた。
次に目が覚めたとき、私は全く知らない場所にいた。
「――どこ、ここ?」
だけどこの薄暗くて、ライトが煌めくこの場所を、私は知っている。
「ここ――クラブだ」
そう、ダンスクラブだ。
大学生の時に友達とはしゃぎ回った思い出の場所だった。
「昔は楽しかったなぁ……」
私はおばあちゃんみたいな事を呟く。
その時後ろから声が聞こえた。
「マジでおばあちゃんみたいじゃん、未来の私」
ずいぶんと聞き馴染みのある声だった。
振り向くと、私は絶句した。
「昔の私!? うそ、なんで?」
目の前には数年前、高校の制服姿に身を包んだ私の姿がいた。
今は切ってしまった長い髪。目の前の私は当時の私と同じ、ポニーテール。それに校則違反している短いスカート。
お金をかけてる私より潤っている、リップクリームを塗った唇。
彼女は私と同じ顔なのに、とても眩しい光を放って見えた。
高校生の私はニカっとはにかみ 「そんな事どうでもいいじゃん! 踊ろうよ! 」
そして彼女が「ミュージック、スタート!」と叫ぶと音楽が流れ出した。この曲知ってる。昔流行った、当時好きな人が聞いていた曲だ。
高校生の私はOLの私の手を取り踊り始めた。私も慌てながら身体を揺らす。
躍りながら高校生の私は、楽しげに話し出す。
「それにしても今日は災難だねー。私だったらショックでしんじゃうかも」
「現に今、死にたいよ……」
こんな気分でも、何故か足取りはリズムを刻んでいく。
「でもあの男のどこが良かったの?顔もそんなだし、前から浮気しそうな奴じゃん! 未来の私のセンスとは全然思えない」
「うるさいなぁ……」
昔の自分に痛いところを突かれて、私は少し嫌な気持ちなる。
確かに、彼氏は私の好みではないし、前から女好きで、浮気をしてもおかしくは無い奴だった。
でも、このまま言われっぱなしは癪だ。
私は生意気な私に言い返してやる。
「思い出した。あんただってイケメンに告って、こっぴどくフラれたじゃん。多分最近の出来事でしょ? その時もう生きていけない!ってわんわん泣いてた癖に」
高校生の私は顔を真っ赤にし、「し、しょうがないじゃん! 初恋だったんだもん」と反論する。
そんな姿がなんだか可笑しくて、私は 自分の苦い過去なのに笑ってしまった。高校生の私もつられて笑い始める。
曲が変わり始めた。
この曲も知っている。
バラード調の曲で、これは当時私が好きだった曲だ。
「大人ってどう?」
私の手を取る制服のわたしは、微笑みながらまた尋ねる。明るくて、気楽な口調だった。
私は釣られて笑う。
「毎日毎日大変だよ。今すぐあなたに変わりたい」
「いやいやいや、高校生も大変だって」
高校生の私は手をブンブンと振る。
「親はウザいし勉強は大変だし、バスケ部も練習ちょーキツいし、学校の規則だって厳しくてお洒落出来ないし」
「あはは、確かに」
そう言えば当初は両親と喧嘩ばかりしていたなぁとしみじみ思い出す。
私は高校生の私と目を合わせ、苦く笑った。彼女の可愛い瞳に、少し申し訳なさを感じた。
「ごめんね、将来の私がこんなので」
「ううん、そんな事ないよ」
高校生の私はゆっくりと首を振る。
「大学だって今の私じゃ考えられないくらい頭良いところだし、今の会社だってみんな知ってる大企業じゃん。 スーツも着こなしててすごくカッコいいよ」
そうだ、私は高校生の時、初恋の人からこっぴどくフラれた時、彼が泣いて土下座しながらよりを戻そうとするほどの良い女になってやろうと思って猛勉強したんだった。
高校生の私から見れば、私は"いい女"になれたのだろうか?
そう思うと、なんだか重荷が降りたように、心が軽くなった気がした。――とても良い気分だ。
ライトが強く輝き、ダンスフロアが白い光に飲み込まれていく。
「もうすぐ朝がやってくるね」
時間を止めれなくてごめんねと高校生の私は苦笑した。
「ううん、ありがとね高校生のわたし。もうちょっと、頑張ってみるから」
「うん! そんな頑張る未来の私に時間は止めれなけど、ちょっとしたプレゼントをあげる」
「えっ、なになに?」
私が訪ねると彼女は声を低くして、おどけて言った。
「二日酔いを消して、朝早く起きれる様にしてしんぜよう」
私は吹き出す。
「あははは! なにそれー!」
くだらない冗談が、すごく楽しかった。
いつの間にか光は高校生のわたしを包み、景色は真っ白に変わる。
「――頑張れ、未来の私」
最後に見た彼女の顔は写真でよく見た、私らしい笑顔だった。
……瞼を開ける。時計を見ると、針は6時を指していた。私は身体を伸ばしながら思い出す。
「……変な夢だったなぁ」
だけど不思議と頭はスッキリとしていて、二日酔いの頭痛も無い。
「あはは、本当に頭痛くないや」
私は何だか嬉しくなる。
ベランダの窓を開けると小鳥の鳴く声と車のエンジン音が遠くで響いた。そよ風が気持ち良い。
「うん、良い朝だ」
昨日からずっと着ていたスーツを脱ぎ捨て、シャワーを浴びる。
浴室から出て、髪を乾かし、昔より少し短いけれど、髪をポニーテールに結んだ。バターの香りがするトーストを牛乳と一緒に食べた後、メイクをしアイロンを掛け直したスーツを着て、玄関を飛び出す。鍵を閉め、歩き出した時、――いってらっしゃい。
高校生のわたしがそう言ってくれた気がして、振り返る。
勿論、だれもいない。だけど私は微笑みながら朝の言葉を告げた。
「行ってくるね。あの頃のわたし」