ぶらんこの夢
「疲れがたまってたんだよ、きっと」
優子はタオルの水を絞り、武志の火照った額を拭いた。
窓からは、オレンジ色の光が射し込んでいる。もう夕方だ。
「ゆっくり休んで。研究室に戻りたい気持ちはわかるけど……。
タケさんにとって、みんなの役に立てないっていうのは辛いことだろうけど……、
たまには、私たちに任せといてよ」
武志は、優子の言葉をぼんやりとした心持ちで聴いていた。ぼんやりと、今日も終わり、明日を向かえ、また知らないうちに、明日も終わる。ぼんやりと。
……。
「なあ……、少し、話していいか?」
武志は、優子に話しかけていた。
「あ……、
夢を見たんだ……」
夜の公園。児童公園。青白い外灯には、虫が集まっている。
武志はなぜか、ぶらんこに腰かけていた。財布も、コンビニのレジ袋も持たずに。目の前の柵は、ところどころ、紫色のペンキが剥げていた。
目の前を、猫のような眼をした女子生徒たちが通る。化粧をした顔とブラウスとが、闇に映える。彼女らのうち一人が、空き缶を投げる。がしゃんという音を鳴らし、ごみ箱が受け止める。歓声があがる。彼女らは、意気揚々とその場を去ってゆく。
隣を見ると、同じようにぶらんこに腰をかけた少女がいた。さきほどの女子生徒と同年代だろう。こちらは紺のベストを着ている。
見ると、ブラウスの裾が土で汚れていた。顔は、赤く腫れている。
武志は思わず、声をかけた。
「大丈夫か、誰にやられた」
少女は、こちらを見ると、傷ついた口元をわずかに上げた。
「友達……」
カナブンが飛んできて、少女の頭に当たった。少女は、力なく地面へ落ちたその虫に、優しく手を触れる。
「友達なんです、学校の……」
「友達じゃないよ、そんなことをするやつは」
「じゃあ……、
ここで、私があなたを殴ったら、あなたは友達じゃなくなるの?」
心なしか、挑むような目つきに見えた。すべてを敵に回し、一人で戦っていく……、そういう寂しさが見えた気がした。
武志は、この少女の友達ではない。しかし、否定するわけにはいかなかった。むしろ、当然友達でなければならないという気さえしていた。
「……、よし」
武志は、ぶらんこを降りた。鎖が音を立てる。少女の腰かけているぶらんこに片足を載せ、もう一方の足で地面を蹴った。
二人のぶらんこは、動き出した。夜風を切って、前後に揺れた。徐々に振り幅が大きくなり、目の前の柵を飛び越えそうな気もしてくる。
飛び越えた……。
二人は、夜空を舞っていた。銀河だ、天の川だ。天の川を遡る。もう、前後の揺れではなくて、鎖もなくて、大河の流れに沿って、その源を目指し、飛んでいる。
イルカの群れが、笑いかけてくる。
カモメの群れを追い越す。
冷たい夜風を切って、川の上を駆けてゆく。
友達?
そうだ、友達だ。
遮るものなんてない。
二人で、飛んでゆこう。
……。
気がつくと、少女が消えていた。
はっとして後ろを振り向くと、天の川の豊かな流れに、赤い、数枚の花弁が、まとまって飲まれてゆくのが見えた。
……。
「疲れがたまってたんだよ、きっと」
優子は、優しく笑いかけた。
「でも……、
タケさんでも、そんな夢を見るんだね」
「……変だよな」
「……そうじゃないけど」
外で、鳥の飛び立つ音がした。もうすぐ、今日も終わる。
……。
優子が部屋を出てゆき、一人で粥を食べると、武志はまた、眠りについた。