4・傍観者
子供の手がオレをつかんだ。
物置で出番もなく放置されていたオレを必要としたのは、小林綾羽だった。
小林新聞販売店の一人娘。やたらと真剣な目をしてオレを見ている。
なにか秘めた思いがあるのかもしれない。
オレは今回、花火や鍋物のために使われるワケではなさそうだ。
久しぶりすぎて、今が何年何月何日なのか、さっぱりわからない。
知りたいとも思わない。
肝心なときに仕事をこなせれば、後のコトはどうだっていい。
とりあえず、夜の帳は下りている。風向きは北西。
ココにいるのは綾羽ひとり。新聞店の明かりは消えている。住宅のほうもだ。
オレにわかるのはその程度。それで充分。
綾羽は周囲を見まわすと、キルティングの手さげ袋にオレを落とした。
オレはオレ以外なにも入っていないコトをすばやく確認した。
小学生がオイソレと扱っていい代物ではない。
だからこそ、綾羽は誰にも見られていないかと、注意深くなってるんだろう。
手さげ袋に入れた以上、外見の上では、人にとがめられるコトなどない。
綾羽が足音を殺しているのは、おそらく後ろめたいからだ。
オレは出番を待つだけだ。
綾羽はオレの入った手さげ袋を持って、徒歩で移動していた。行き先は不明。
雑踏には入っていない。喧騒がない。信号待ちもない。
車の通りが徐々に減っていく気配。
袋の口からときおり見える街灯は、ひどく寒々しい光を放っている。
綾羽のその歩みが止まるコトはなく、またピッチが上がるコトもなかった。
ひとりで黙って歩き続けた。
綾羽はときどき手さげ袋の上からオレを押さえて、入っているかどうかを確かめた。
オレはされるがままになってた。音もなく、熱もなく。
袋は丈夫に縫製されていた。手作りだ。
綾羽が振りまわさない限り、オレは無事だ。
オレはどこへも行かないし、行きたいとも思わない。
自分の身の程をわきまえてるし、誰かやなにかに対する興味などない。
強いて挙げるなら、自分の仕事にだけ情熱を注ぐ、といったところか。
目的地になにごともなくたどりついたようだ。時間経過は不明。
小学生の足だから、2キロも3キロも歩いてはいないだろう。
夜道というコトもある。せいぜい10分か20分――そんなトコだ。
綾羽が手さげ袋のなかに手を突っ込んできた。
オレに触れたが、取りだすコトはなかった。
やがて綾羽は手さげ袋を置いてどこかへ行ってしまった。
オレはじっとしていた。待つコトには慣れている。
が、使うのか使わないのか、あいまいなまま待たされるのは不得手だった。
ある目的のためにオレがいる。物置から出された今が、そのときなんじゃないのか。
答えを持っているのは綾羽だ。オレに決定権はない。願望もない。
できるコトはただひとつ。
オレの入った手さげ袋に誰かが近づいてきた。
違う。この足音は綾羽じゃない。
それに、なにかが擦れるような音がする。シャカシャカと。
オレは緊張した。
何者かが手さげ袋を持ち上げた。袋の口を開けた。オレを手に取った。
少年だ。綾羽と同じくらいの年齢だろう。
闇に映える、白いウインドブレーカー。
シャカシャカの原因は、この上着の摩擦音だった。
少年は長い間オレを見ていた。
オレの存在がどんな結果をもたらすのか、考えているに違いなかった。
少年は愛嬌のある顔をしていた。幼さの残る顔立ち。
どこかで見たコトあるような印象。きっとどこにでもよくある顔なんだろう。
口は固く結ばれている。夜風の冷たさのせいか。あるいはオレの影響力か。
少年は口を利くコトのないまま、オレを元通りにしまった。
小走りで遠ざかっていった。シャカシャカと音を立てつつ。
再びオレは取り残された。
ここがどこなのか、急に気になりだした。
さっきは少年にばかり注意を向けていた。
まわりをうかがう余裕がなかった。暗いとしか感じなかった。
小学生が眠る前の時間。なのに車が一台も通らない。というコトは、町なかではない。
人通りもない。綾羽と少年しかいないのかもしれない。
手がかりは他にもある。少年の行動だ。
歩いてきた少年が、手さげ袋のなかのオレを見て、走りだした。
このコトから、いくつかの仮説が浮上する。
ひとけのない場所に偶然通りかかるワケがない。少年は予測をもとにここへ来た。
そして手さげ袋を発見したコトで、予測が確信に変わったんじゃないか。
つまりここは、綾羽と少年の両方が知っている場所だ。
少年の行動が予測からきているのだとすると、またひとつの推測ができる。
綾羽はここに来るコトも、これからやろうとしているコトも、少年に話していない。
それは何故か。
話せば止められるから。巻き込みたくないから。危険だから。
もしかしたら、少年は綾羽のそんな思いを知っているのかもしれない。
知ったうえで、なんらかの対策を取るつもりなのかもしれない。
少年は名前を呼ばないようにして、綾羽を探しているようだ。
他人に見つかったら都合が悪いからだろうか?
――それなら白のウインドブレーカーは目立ちすぎる。
他ならぬ綾羽に声を聞かれ、逃げられたくないから?
――そうかもしれない。
しかし、またもや疑問は残る。
そこまで考えているのなら、綾羽が動くまえに説得できなかったのか、と。
疑問を解消するのはオレの役目じゃない。オレは単なる道具だ。
ときには犯罪証拠と同義語になるが、オレの性質がその都度変わるワケじゃない。
善悪の判断は、他に任せる。
ふたりが帰ってきた。会話をしている。第三者の介入はない。
少年は説得も説教もしていない。ほのぼの、和気あいあいといった雰囲気。
遊びの相談でもしているようにみえるが、それは大間違いだ。
石油系の臭気があった。鼻を持たないオレが臭いを語るのもおかしな話。
だが揮発性の高いものは、理屈抜きでわかる。
それに、この臭いはオレとも縁が深い。その液体あってのオレだ。
「バッグの中身を出してー。あたしの手、こんなだから」
「わかった」
オレを手さげ袋から取りだしたのは少年。その少年からオレを奪いとったのは綾羽。
その綾羽の手から、灯油の臭いがした。
「あ。ちょ、綾羽ちゃん」
少年が呼んだ。綾羽はオレを手に駆け出した。
「カナメは見てるだけでいーよ」
「だからそれは……」
言いながら、カナメと呼ばれた少年が追ってくる。
二宮金次郎の銅像が遠ざかってゆく。まさに灯台下暗し。
オレの入っていた手さげ袋は、銅像の下にあったようだ。
ここは小学校だ。
ポリタンクが転がっている。もともと入っていたのは灯油だ。
木造校舎の外壁に、綾羽が中身をかけたのだろう。
壁のまえで綾羽が言った。
「さて」
言うコトだけは、名探偵。
しかしその心理はわかりやすすぎた。オレを持つ手が震えていた。
綾羽はなおも言った。
「いよいよ、このときがきました」
手に力が加わる。
「本当にやるの?」
カナメが聞いた。綾羽は力強く頷いた。
力みすぎ。早くも人差し指がレバーを押しそうだ。
ついにきたか。
カナメが言った。
「校舎の取り壊しなんて、町長が人を雇ってやってくれるよ。わざわざ綾羽ちゃんがこんなコトしなくったってさあ」
綾羽は、わかってないねとばかりに答えた。
「だーかーらー。さっきから言ってるでしょ。町長の思いどおりになるのは嫌なのー。どうせ壊すんなら、誰がやったっておんなじ。人を雇ったらお金かかっちゃうんだし。カナメパパが言ってたもんねー」
「引きあいに出すなよ」
「それに、ちょっとは脅かしてやりたい。子供だってやるときはやるんだから」
綾羽はオレを掲げて、先端を壁に当てた。キャンドルサービスでもするように。
ただし火はついていない。今はまだ。
「まー、一番の理由は、このままじゃ、しゃくだってことなんだけどねー」
あははと綾羽は笑った。つられてカナメも笑った。
どんな動機でも変わらない、オレの任務。
オレは無償で願いを叶える神じゃない。依頼で動く捜査員でもない。
所持者の押すスイッチひとつで即実行。待ったなしだ。
結果なんて、オレには関係ない。
「捕まったら、あたし、少年院行きかな」
「かもね」
「女の子なのにね」
「そうだね」
「老人ホーム建ててる場合じゃないよって、今度、町長に会ったら言っといて」
「おれ選挙権ないけど、そういうこと言っていいのかな?」
「ついでにそれも、町長に聞いてみたら?」
「……そうだね」
未来が暗くとも。今が漆黒の闇でも。
せめて、声色くらいは明るく。
綾羽がオレのレバーを押した。火はなかなかつかなかった。
オレの意図するところではない。しばらくぶりだったからだ。
五度目。ようやくオレの先端に火がついた。
「じゃー、カナメ。あとのことはよろしくね」
ベッドに横たわる綾羽。その顔は安らかだった。まるで眠っているようにみえた。
小林夫人は綾羽をしげしげと見つめていた。
夜の静寂に包まれた部屋のなか。綾羽の寝息は聞こえない。
夫人は立ち去る素振りをみせない。まるでなにかを待っているかのように。
オレは特別するコトもなく、退屈していた。
無関心が信条のオレにしては珍しいコトだった。
小学校での一連の騒動を振り返ってみた。
あとはよろしくと綾羽が言ったあと、どれだけの時間がたったのか。
とにかくオレは、またもや待つハメになった。
点火はした。だが、可燃物である木造外壁への着火はしていなかった。
オレにともされた炎が風で揺れていた。穏やかな燃焼。
カナメが急に動いた。綾羽からオレを奪った。先刻のお返しとばかりに。
炎は消えた。レバーを押しつづけないと消える仕組みになっている。
あくまでも着火が目的だ。燃えつづけるコトは、オレの用途の範疇じゃない。
「返してよっ」
綾羽が取り返そうと手をのばした。カナメはそれをかわした。
カナメは綾羽にオレを渡すつもりはさらさらない様子。
オレはどっちでもいい。燃料はまだまだ尽きない。
「あたしが決めたことなの! カナメは違うの! カナメは関係ないの!」
綾羽は躍起になっている。ムキになっている。意地になっている。
「――黙れっ!!」
突然大声で怒鳴ったのはカナメだった。
虫も殺せないような気弱な風貌が、今は険しくゆがんでいる。
いったいどこにこんな一面を隠し持っていたのか。
綾羽が硬直した。のばした手を下ろした。
それを見てとり、カナメは口調を和らげた。
「綾羽ちゃんだって女の子じゃないか。火傷したら困るよ。一応」
ひどくあいまいな言いまわしだった。しかもすでに困っている表情だった。
綾羽はというと、
「そんなヘマしないよ」
依然として不満顔ではあったが、さきほどまでの覇気はなくなっていた。
カナメは体ごと校舎の壁に向きなおった。
「署名がダメだったんだ。もう、手段は問わない」
いともたやすくそう言いのけた。
綾羽と違い、一回で点火成功。
ためらうコトなく、その火を壁へ向けた。
「なんたって、共犯者だからさ」
悲壮感はなかった。
炎が校舎に触れるか触れないかといったその瞬間、綾羽が飛びついた。
「やめてーー!!」
その直後のコトは、よくわからない。
オレは地面に叩きつけられ、綾羽かカナメのどちらかに踏みつけられた。
それを責めるつもりはない。外見上の傷など、どうってコトはない。
綾羽がひどく怯えていたのが印象だった。
学校が燃えるコトはなかった。
帰る道すがら、カナメが延々と喋っていた。
老人ホームの有用性。必要性。町の活性化。
誰かからの受け売りのようだった。
綾羽は聞いているのか聞いていないのか、どっちつかずな態度だった。
相槌さえ打たなかった。無言でカナメのまえを歩いた。
オレは手さげ袋のなかにいた。
カナメの話はひどくつまらなかった。そのため、オレは別のコトを考えていた。
何故、白いウインドブレーカーなのか。
夜陰に乗じるのなら、白は通常選ばない。
白の意味はなにか。
まず思ったのは、綾羽を止めるための白だ。
カナメは綾羽を探していた。危険なコトをするかもしれないとわかっていた。
カナメ自身が人目を引いて足手まといになるコトで、綾羽の行動を抑制できる。
しかし、それだけではない気がした。
綾羽の代わりに火を放とうとしたカナメだ。
いっさいの罪を被る覚悟ができていたとしても、不思議じゃない。
自分が注意を引いて囮となり、綾羽を安全に逃がすつもりだったのかもしれない。
どうもそんな気がしてならない。
「綾羽ちゃん」
小林新聞販売店の前まで来ると、カナメは言った。
「次になにかあるときは、おれを呼んでよ。おれも綾羽ちゃんを呼ぶから」
「……わかった」
綾羽の声はくぐもっていたが、泣いてはいないようだ。
「じゃあね」
カナメの足音が遠ざかっていく。
少しの間、綾羽は動かなかった。
「綾羽ちゃん、ちょっと」
遠くからカナメの声がした。こちらを振り返ったようだ。
「うん?」
「その着火装置、町内会のヤツだよ。花火大会で使ったよね。早く返したほうがいいよ」
「うん。わかった」
どうもどこかで見た顔だと思った。
カナメは余所の町内からの参加者として、去年、花火大会に混ざっていた。
へっぴり腰でドラゴンに火をつけていたのを、今更ながら思い出す。
「それからもうひとつ。今日の作戦は、焼肉屋さんで思いついたとか言わないよね?」
綾羽の返事はなかった。図星。
カナメはわりと勘がいいようだ。……しかしへっぴり腰。
自分の部屋に入るなり、綾羽は手さげ袋をどこかに放ったようだ。
その口からオレははみ出した。学習机の上だった。
綾羽の注意はほかに向いていた。
室内の蛍光灯をつけるコトなく、綾羽は窓を開けた。
夜の住宅街だ。屋根しか見えないに決まっている。それでもじっと眺めていた。
その方角になにがあるのか、オレは知らない。
わかるのは、カナメが向かった方向だというコトのみ。
ふいに、誰かが階段を上る気配があった。
綾羽は何故かあわてて窓をしめた。早業だった。
綾羽がベッドにきれいに収まるのとほぼ同時に、小林夫人が入室した。
そして、現在にいたる――。
ほどなくして、綾羽の規則正しい呼吸音が聞こえてきた。寝息。
寝たフリをしているうちに、本当に眠ってしまったらしい。
だいたい、掛け布団がきちんとしすぎている。見るからに怪しい。
夫人は微笑んだ。笑いをかみ殺しているようにもみえた。
こうなると予想していたかのようだ。
夫人の勝ちだ。