SS27 「七度狐」
動物の死骸があったのでハンドルを切った。
雨に濡れたアスファルトでタイヤが滑る。対向車も後続車もない山中の国道だ。
何事もなく左車線に戻り、死骸もバックミラーのかなたに消えた。
「さっきの死体・・・・・・何?」
窓の縁に片肘を付きながら彼女が言った。問うよりは試すような口調。雨粒の影が彼女の長い髪を伝って落ちる。社のパーティで知り合った女だが、家が山奥で早い時間に電車がなくなるらしく、俺が送ることになった。彼女の家は狐谷と呼ばれる交通の難所で有名な場所だが、送り役が決まるまでには激しい争いがあった。今日ばかりは仕事の関係で自家用車で来たことを感謝した。
「キツネかな?」
「サルよ」
問い掛けたくせに彼女は断定した。そして論理的にその論拠を述べる。唇に付けた銀色の滴のようなピアスが少し気に入らないが、彼女の美貌の前では大した問題ではない。
「キツネにしては尾が短かったわ。尾の長いサルはこの国には滅多にいないわ」
「雨に濡れていたからそう見えたのかも。体は細かったよ」
「それこそ雨に濡れていたからよ。あれはキツネとか犬の骨格じゃない」
「イヌ?」
「キツネとイヌは近縁の種よ。知らなかったの? 顔も似てるでしょ?」
特に口元がね、と彼女は唇に指をかけて引っ張った。尖った犬歯が剥き出しになる。理屈っぽい女は嫌いだが、謎めいた女は好きだ。そして分類学の知識をひけらかしても、彼女は前者より後者の領分に属している。
「やっぱりキツネじゃないかな」
「しつこいわね。どうだっていいじゃない・・・・・・何なら、戻って確認する?」
最初は自分から尋ねてきたにも関わらず、彼女は完全に関心を失ったようだった。雨は強くなり、彼女は口元のピアスを指で弾いていた。
「あれはサルよ」
「でも・・・・・・」
なんとか会話を優位に進めたかった。
「・・・・・・キツネがサルに化けていたのかもしれないよ」
彼女は一瞬、黙った後、急に笑い出した。尖った所のない可愛らしい笑い声だった。
「アハハハハハハ、確かにその可能性はあるわね」
「・・・・・・・・・・・・そうだろ?」
「だったら、二人とも正解ね」
「まあ、でも、本当に化けるキツネなんかいないよな。落語の七度狐じゃないんだし」
「そうね」
彼女は唇のピアスを摘んでグイッと上に引き上げた。血が飛び散り、肉が裂け、犬歯が露になる。
「でも、私は化けてるわよ」