プロローグ
正直二十五にもなって親と実家暮らしは嫌だった。別に思春期のガキみたいに見られたら困るものがあるとか、親に反抗心があるとか、そういうのではない。ただの自立心だ。
借りていた家が吹き飛び、実家に居候するようになってはや数ヶ月。俺の、俺達の心はボロボロだったわけではないが、金が貯まったので実家を出ることにした。
両親の反応はそれぞれだった。母親はどうでもよさそうだったが、父親には止められた。最近、といっても居候する前だが、ようやく母親と結婚し家族で一緒に暮らせるようになった父親だから、数ヶ月で子供に出て行かれるのが寂しいのだろう。だが、俺にとっては父親というより近所のおっさん――あだ名は「大佐」だ――なので、寂しさもなにもあったもんじゃない。
今度は吹き飛んでもいいように安くてそこそこ広い家を借りることにした。勿論いわくつきでもいい。だが、そこらへんにいわくつきの家が転がってるわけがない。そもそもこの街の住人にそんなことを気にするやつは少ない。生きている人間の方が面倒くさく恐ろしいと知っている。
そもそも街の不動産情報など持っているわけがない俺達は、探すのが面倒になったため、知り合いの情報屋に行くことにした。
沈海というヘビースモーカーの煙草屋の姿をした情報屋だ。多分一般人の想像する情報屋は不動産情報など持っていないだろうし、彼も持ってないだろうが、あそこにはマフィアのボスと記憶力の天才がいる。
「何の用だ、煙草か? そろそろ一箱終わる頃だろ」
俺の姿を見た沈海さんが言う。俺達は煙草仲間で、よく一緒に一服するから、相手が吸う頻度を大体把握している。俺はポケットから潰れた煙草の箱を出し、示す。
「実家出るために本数減らしてたから、まだ」
幻覚作用のない煙草は高い。嗜好品の中でも煙草は法外(法で決まっているのだが)な税が掛けられている。それは幻覚作用のない煙草に限った話なのだ。
「じゃあなんだ、とうとう居候やめるのか」
「ああ、ようやく金が貯まったんだ」
「不動産は扱ってねえぞ」
「分かってるよ。ヴェロニカさんに聞きに来たんだ」
俺達の話が聞こえていたのか店の奥からヴェロニカさんが出てきた。彼女は俺の遠縁でこの都市で一番でかいマフィアのボスだ。間違えても女性名の男とかババアとかではない。俺よりは年だが、おそらく三十後半の沈海さんよりは年下だ。
彼女は沈海さんに惚れている。満更でもなさそうな沈海さんは滅多に相手をしないが、ヴェロニカさんは頻繁に煙草屋に来ている。煙草屋はヴェロニカさん率いるレオンカヴァルロのシマではないから、今は奥に引っ込んでいるがお目付け役も一緒だ。ボスだからやるべき仕事があるだろうにいいのか。
「呼んだ?」
女にしては低い声が店に響く。ちなみに店には俺達以外いない。
「家を探してて」
俺がそういうと、ヴェロニカさんは店の奥の方を向き、人を呼んだ。出てきたのはお目付け役のブルクハルトさんだ。すっかり顔なじみである。
「うちのシマの家を安く借りようって言うんでしょ。どこか空いてるかしら」
「どこかしら空いてるとは思いますよ、この前ベニグノのことの縄張りを奪ったところですし。だが、一回帰らないとちょっと」
ブルクハルトさんがヴェロニカさんに告げるのとほぼ同時に、店の奥からさらに人が出てきた。目に痛いピンク髪の少年。俺の血の繋がらない弟パート三だ。ちなみに一と二は双子のアンと悪刀である。
「もう煙草きれたのか」
パート三ことアザレアの第一声はそれだった。俺の印象とは一体なんなのか。
アザレアは一緒に暮らさず――だが俺の弟と認識されている――沈海さんの手伝いをしている。男三人でもむさ苦しいのに男四人はさらにきつそうだから、本当のところ助かった。
「いや、煙草じゃなくて家探し」
「それなら、ここの近くに空き家があるはずだけど、レオンカヴァルロのシマの」
「そんなのあったかしら」
「ただのアパートだけど別荘にしようかしら、って言ってたじゃないですか。いつでも沈海さんの近くにいられるって」
「そういえば、そんなこと言ってましたね」
ブルクハルトさんが同意する。だが、そんなところを俺達が借りていいのか。
「アイフ達が借りればヴェロニカさんも行き放題泊まり放題ですよ」
「そうですよ、彼らに貸せば、ジジイ共用に理由を用意する必要もなくなります」
俺にとってはまったく助け舟をアザレアとブルクハルトさんが漕ぐ。さすがに自分のシマでないところに泊まってはいないようだ。
「それもそうね。よし、そこに住みなさい」
「いや、でも、まだ空いてるか」
「心配しないで、力尽くで空けるわ」
ヴェロニカさんは相当頭のきれる人だし、ボスなだけあって普段は冷静な人だ。だが、時たま、こうして脳みそ筋肉の武闘派みたいなことを言いだす。
逆らうことは無理だと悟った俺達は、とりあえずそこに連れて行ってもらうことにした。行こうが行くまいが、そこに住むのは決定してるのだが。
不幸にしてと言うべきか、幸いにもと言うべきか、部屋は空いていた。
そこそこ広い普通のアパートだ。嬉しいことに居間とは別に部屋が三つあった。
「家賃は」
家を借りる際の最大の心配事を聞く。これだけ広く尚且つ最上階であれば、それなりに高いんでないだろうか。
「心配しなくても、格安だ。確か、殺されたどっかのマフィアの三下が白骨化するまで放置されてただったかな」
「いや、ここがレオンカヴァルロのシマになる前に所有していたマフィアの下っ端がボスに隠れて麻薬の密売をここでしてて、ばれた挙句局部麻酔で痛覚を麻痺させて四肢を一本ずつ切り落とされるのを見させられて爆死させられたところだよ」
ブルクハルトさんの言葉をアザレアが訂正するが、どっちにしても、そんなところに住みたくない。
「いや、なんかもっと住みやすいところに」
「おい、アイフ」
俺が提案しようとしたところをアンが遮ってきた。アンと悪刀は部屋を物色していたが、どうやって入ったのか屋根裏にいた。
「ここ、前は武器庫だったみたいだ。錆びてるけどナイフとか転がってる。ここにしようぜ」
「俺もここでいいや。ここなら毎日アザレアと組手できるだろ」
悪刀の言葉にアザレアも心なしか嬉しそうだ。この戦闘狂共め、俺は平和に暮らしたいのに。
しかし、俺の反対など聞き入れてもらえないのは承知の上だし、多数決で負けている上、何よりヴェロニカさんが乗り気だった。
「ここに住むなら家賃半分負担するわよ」
「いや、ボス、それはちょっと」
「安心して、ポケットマネーよ」
俺はヴェロニカさんの甘い誘惑に負けたのだった。俺はなんて弱い心の持ち主なのか。だが、金は大事。