カットグラスはきらめいて 3
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その声におびえるように、こそこそと秋津はサフィーの後ろにかくれた。さながら子供みたいに。
彼女の姿を見た少女は、あきれを込めたため息を一つして、
「ほら、お姉ちゃん、サフィーさんに迷惑をかけないの。帰ろうよ、お母さんも心配してるから」
と、さとすように言った。ふるふると首をゆらす秋津の方が、妹に見えてしまう。
姉と妹、こうも違うものなのか――とフィオは不思議と感心していた。兄弟のないフィオには、新鮮にうつった。
「秋葉ちゃん、こんにちは」
彼女特有のやさしい微笑みを浮かべながら、サフィーは二人のあいだに立っている。そのすっとした立ち姿は、ちょっとした慣れを感じさせる。おそらく、以前にも似たことがあったのだろう。
「サフィーさん、こんにちは。今日は姉が非常に多大なご迷惑をおかけしてごめんなさい。すぐに連れて帰りますから」
よどみなく話す秋葉に、サフィーは少し押されてしまった。けれど、とっさに言い返す。
「いいえ、迷惑なんてこれっぽっちもかけられていないわ。それよりも、久しぶりにあったのだから、もう少し話がしたいと思っているの」
「それはそれは。しかしサフィーさんすみません、こちらは一刻も早くお姉ちゃんに帰ってきて欲しいんです」
両腕をくっ、と曲げて、励ますかのような仕草で秋葉はつづけて言った。
「お姉ちゃんは、有名人なんだから!」
そのとき、秋津が悲しそうな表情を浮かべたのを、フィオは見逃がさなかった。
妹に、秋津は手を引っ張られていた。観念したのか、けれど動こうとしない。
「秋葉は、いいの? お母さんが工房をやめてしまうなんて」
「仕方ないよ。お姉ちゃんがグラシィで有名になったんだもん」
「だったら、私は有名になんてならなくてもよかった」
肩から垂れた黒髪を、指先でもてあそびながら、
「……私、帰らない」
「えっ」
サフィー、フィオ、そして秋葉は同時に言葉にならない声を発した。
「私、ここではたらくから」
いつも悠然としているサフィーがたじろいだ。
これはいけないわ――と混乱する頭を強いて整理して、彼女はたった一言、
「だめ、よ」
とだけひねり出した。
「落ち着いて、秋津ちゃん。あなたは黛ガラス工房の跡継ぎでしょう?」
「落ち着いているよ」
ふう、とため息をついた。弱々しい笑みを秋津はつくった。
「帰るわ」
短く、彼女はつぶやいた。
サフィーは心配がぬぐえなかった。ここまで落ち込んだ秋津をいままでに見たことがなかった。
「私も、一緒に行っていい?」
サフィーの提案に、こくりと秋津はうなずいた。
道の途中で、秋津は話し始めた。母と自分のことを。
私はお母さんの作品に囲まれて育った。お皿もコップも花びんも、ぜんぶお母さんがつくったものだった。
当たり前のように身近にあった。だから、お母さんのすごさなんて、本当に小さいころは、わかっていなかった。
初めてこころから感動したのは、九歳の誕生日のとき。お母さんが私に、ってくれたの。
グラシィだった。夢のように、壊れてしまいそうなほど精巧で、やわらかな感じだった。
花の咲いた庭。風が吹くようにゆれて、そのあいだを鳥や虫がとんでいる。光を受けて輝きながら、少しずつ時間が過ぎていく。ガラスの箱のなかで光景がどんどん変わっていく。春夏秋冬、本当の世界がそのまま入っていた。
「こんなの、初めて見た!」
「どうかしら? お母さんの自信作なのよ」
にこにこと微笑みかけてくれた。すごく嬉しかった。私もお母さんみたいになりたいと思った。
そのときに言ったの。
「私、お母さんのような職人になる」
って。
思い返すように空をながめて、秋津は語った。
そこまで美しい作品って、どんなものだろう――ぼんやりとフィオは思った。きっとすばらしいものに違いない。
くるくると毛先で遊びながら、秋津は言った。
「この髪も、お母さんの真似なの。……」
気づくと、すでに工房の前に着いていた。切子ガラスのグラスなどが並べられたショーウィンドウに目を奪われる。
「大丈夫――」
ふいにサフィーが口を開いた。
「秋津ちゃんなら大丈夫。あなたのお母さんのような職人になれるわ。……いいえ、もうなっているわ」
「え?」
ふふっ、とサフィーは笑った。
「不安だったのよね、工房を任せられて。秋津ちゃんのお母さん、秋代さんから聞いていたわ」
秋津の手を取って、つづける。
「秋津ちゃんなら、きっとうまくいくわ」
まっすぐに顔を見るサフィーに、恥ずかしいのか秋津は顔を背けた。
「ありがとう。私、がんばるよ」
へへっ、と彼女ははにかんで、秋葉とともに工房に入っていった