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藤原祐一

こころのこり (藤原祐一)

作者: 藤原祐一

「……なぁ、それって嘘なんだろ?」

 外から聞こえたか細い声で、僕は部屋の窓から外を見た。ちょうど見下ろすような感じに道路で立ち話をしている二つの人影を見つける。

「ど、どうしてそう思うの? 本当のことだよ」

「だって、あまりにもおかしいじゃないか。泳げないはずの晃が理由もなしに海に、しかも一人で行くわけがないだろう」

 二人の姿には見覚えがある。問い詰めている方が良人、それにおどおどと返しているほうが俊だ。

「僕だってなんで兄さんが一人でいったかなんて知らないさ……」

 俊ははっきりと目をそらして答えていた。このままではいけない、とすぐに思った。二人とも誤解をしている。

 窓はしっかりと閉じられていていくら大声で呼びかけてみても届かないようだった。家の階段を下りて外に出るか? けれどそんな時間はない。

「もういい。お前が言わないなら、俺が直接行くまでだ」

 良人が踵を返して去っていく。俊はしばらく地面を見つめた後、家に戻っていった。どうしよう。

 焦りのあまりとにかく呼び止めなければと、無謀にも僕は目の前の窓に体ごと突っ込んでいた。ぶつかる、と思った瞬間に体と心が少し軽くなった感覚。

 気づくと、僕は窓の前で尻餅をついていた。おでこが痛い。ぶつけたんだな、と思った。当たり前の結果だ。しかし変な胸騒ぎがして外を見てみる。なんと、そこにも僕がいた。

 外の僕も痛がっていた。そりゃ二階から落ちたらそのはずだ。あれは、窓をすり抜けた僕だろうか。

 目が合い、僕と向こうの僕は同じことを考えている、ということがなんとなくわかった。「そっちを頼む」とお互いに目で会話をするやいなや、向こうの僕は良人を追いかけて走っていく。


 結局、良人に追いついたのはあの防波堤に着いてからだった。タイミングが良いのか悪いのか、奈緒とちょうど鉢合わせたところだったらしい。奈緒は小さな花束を持って、吹き寄せる風に髪をなびかせていた。

「奈緒」

 良人の呼びかけに、やや緩慢な動作で振り返る。彼女はいつもそうだ。何があってもマイペースで、不思議な女の子だった。

「良人くんじゃない」

 そう言って目を細めながら微笑む。

「私と同じ用事かしら。前会った時は『そんな気にはならない』なんて言っていたくせに」

 口調がとても穏やかで。彼女の周りだけ時間がゆっくり流れているようだった。

「その花も海に投げ捨てるのか」

「ええ、そうよ。どういう意味かはともあれ」

 そう言って「まずはこれから」と、被っていた麦藁帽子を海に向かって投げた。思ったよりも遠くへ飛ばず、近くの水面に浮かんだ。奈緒は片手でも持てそうな小さな花束に目を移す。

「前会った時、お前言っていたもんな。『要らなくなったものは捨てる』ってな」

 隠そうともせずに言葉に凄みを含ませながら良人が言い寄る。対する奈緒は全く動じずににこにことしていて、傍から見ると滑稽にさえ見えた。

「それは……、確かに言ったわね。でもそれって実際は真逆よ」

「伝わるように話せ。いつまでもはぐらかす気なら俺にも考えがある」

 良人が一歩前に出て、初めて奈緒が困ったような顔をした。

「あら、私と話をしにきたのではないのかしら?」

「うるさい。答えろ。あの日、ここで、晃に会ったな?」

 奈緒はさらに困ったような顔をした。眉根を寄せて少しの間考えた後ため息を吐いて。観念したかのように見えた。そして、僕を目で指す。

「あそこの本人に聞いてみたら?」


 階段を登る足音が近づくにつれて、自分の鼓動が高鳴っていくのを感じる。俊には、できれば自分で伝えたかった。それがかなったのだけれどどうにも緊張する。

 あれ? でもどうやって会えばいいんだろう。廊下で待ち伏せしたとして、階段の途中で驚かれて転んだりしたらやばい。かといって俊の部屋に先回りするというのはもっとまずいだろう。

 あれこれ考えている内に、俊は自分の部屋へ戻っていったようだった。あぁ、いつもみたいに普通に俊の部屋に入っていけばいいんだと気づいた。

 自分の部屋を出て、向かいのドアをコンコンとノックし、返事を待たずに入っていった。うまくいけば驚かせずに自然に話せるかと思っていたけれど、俊は僕を見ると立ったまま口をあんぐりと開けて硬直した。どうやら失敗に終わったようだった。

「俊、ちょっと話があるんだけどいい?」

 いまさら、と思っても普段と同じ調子で話しかけてしまう。

「え、ええと、うん」

 俊は戸惑いながらもこちらに向き直ってくれた。

「あの日のことなんだけどさ」

 僕は俊に本当のことを伝えた。僕の周りの人たちに迷惑をかけてしまったあの日のことについて。僕は海に行ったんだ。そして家を出る時は一人だったし。俊は何も嘘を言っていない。

 あの日、僕は奈緒を防波堤に呼び出した。夕焼けを狙ったつもりだったけれど、時間を遅くしすぎて真っ暗な中で待ち合わせすることになってしまった。でも暗かったとしても構わなかった。奈緒と話すのは好きだったから。それに奈緒もそう言ってくれた。

「……それで全部だよ」

 俊はしばらく黙って僕を見つめた後、「そうだったんだ」とつぶやくように言った。

「良かったよ。ほら、奈緒さんって良くない噂聞くから」

 言ってから俊が、しまった、という顔をした。

「それは、奈緒は変だからね」

 そこが奈緒のおもしろいところなんだけど、と素直にそう思って笑った。僕を見て俊も笑ってくれた。

 話すと気持ちが軽くなった感じがする。ちゃんと俊に言えて良かったと思った。心なしか体も軽くなったような……?

「あれ、兄さん、体が……」

 思い当たって手のひらを見てみると向こう側が見えた。理解して、唐突だなぁという間抜けな感想を抱いた。


「そうだったのか……」

 良人に説明を終える。奈緒の前で話すのは辛かった。奈緒は僕が話している間、静かにじっとこちらを見ていた。その表情からは何も読み取れなかった。

 良人は奈緒に「すなまなかった」と言葉短めに言い、足早に去っていった。僕たちのことを考えてくれたのだろう。ありがたかった。

 僕も奈緒と少し話したかった。

「びっくりしたじゃない」

 奈緒が非難めいた声をあげて、つかつかと歩きよってきた。

「え?」

「なんでいきなり出てくるのよ。あー、もう会えないのかなって思ってたところで!」

 全然そう見えなかったけど驚いていたんだ。やっぱり変わっているな、と思った。

「その花、僕の?」

 奈緒が持っている花を指差す。

「そう、いつも通りね」

 僕は花束を受け取ると、思いっきり海に向かって投げた。もう慣れたものだった。投げづらくたってちょっとコツを掴めば遠くまで投げられる。奈緒の麦輪帽子を越えて着水。浮かんで流される様を見てみようと思ったけれど、すぐに水を吸って沈んでいく。

「やっぱり上手いのね」

「まぁね」

 そう言って奈緒と笑いあう。


「あの帽子さ」

「麦藁帽子よね? あれ、君からもらったやつ。とっても大事だったから」

「なら、よかった」

 言いたいことを全部言って、すっと気持ちが軽くなった。

「ねぇ、またいつか会えるかしら?」

 奈緒が僕の手を掴もうとして、掴めない。僕も奈緒の手を掴もうとして、掴めない。

「もう会えない方がいいでしょ?」

「そんなこと……」

 奈緒が言いよどむ。僕は少し苛立った。僕が好きだった奈緒にはそのままでいて欲しい。

「そう、もう会えない方がいいわ」

 ちゃんと言ってくれた。もう思い残すことはないかな。体と心がゼロになる感覚。

 僕は満足して消えることができた。

2013/06/14批評会用

三年 藤原祐一

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