第44話 商会連邦ゴールドリーフ1
紫雲東方帝国での一件を終え、
スカイとエリアスは次なる地へ向かっていた。
二人を乗せた中型飛行船《エアロフト号》は、薄金色の雲をわけて進む。
進路の先に見えるのは、
商会連邦ゴールドリーフ
──富と欲望が交錯する巨大商業国家だ。
今回もスカイは「クライム」、
エリアスは「エイラ」という偽名を使っている。
王国宰相と女王という身分を隠し、
ひと組の解決屋夫婦として行動するためだ。
シートベルトを締めながら、
スカイは窓の外を見た。雲間には、
いくつもの気球や飛行船が入り乱れ、
まるで夜祭りのように煌々と光を放っている。
「本当に空の国だな。」
「地上よりも、こっちのほうが渋滞してそうね。」
エリアス──いや、《エイラ》が苦笑する。
その言葉どおり、富裕層は移動手段に
飛行船や気球を使うらしく、
空は彼らの通勤路になっていた。
二人は入国手続きを終えると、
すぐにゴールドリーフ大使館へ向かった。
受付の職員はにこやかに出迎え、
「クライム様」「エイラ様」と偽名で呼びながら紅茶を差し出す。
部屋の壁には、紫雲東方帝国編の事件の記事
まで貼られており、
職員は “あなた方に期待しています”
とでも言いたげな笑みを浮かべた。
スカイは苦笑いを返し、
「まずはこの国の現状を知りたい」と尋ねる。
すると職員の表情がわずかに曇り、
膝に乗せた書類をめくった。
──貧困問題。
それがゴールドリーフ連邦の最大の課題だった。
この国は、富を集めた商会と企業が経済を動かしている。
表向きは華やかだが、実際には貧富の差が激しく、
スラムには失業者が溢れている。
職業訓練を受けても長時間労働か低賃金、
やがて心をすり減らし、自信をなくす。
働く力を失えばすぐに見放され、
最後は無一文。ひどい時は、奴隷か実験台にされる──
そんな現実が横行していた。
報告を聞きながら、スカイとエリアスは言葉を失った。
スカイの胸に、かつての自分の姿がちらつく。
「もし夢tubeが無かったら」
──そう想像した瞬間、喉の奥が冷たくなった。
「……まずは見てみよう。現場を。」
スカイが立ち上がると、エリアスもうなずく。
二人はスラム地域へ向かった。
上空とは対照的に、地上の街並みは灰色に沈んでいた。
舗道の隙間からは黒い水が滲み、
古びた看板は風に揺れて落ちかけている。
空の喧騒は遥か遠く、
ここには錆びついた器具と
人々のため息だけがあった。
スカイは懐かしさと痛みを同時に感じていた。
「……あの頃を思い出すな。」
胸の奥がざらつく。
自分も、一歩間違えれば
まだこの灰色の群れの中にいたかもしれない。
不意に、視界の端で動く影があった。
ゴミ箱のそばに、
ひとりの男がしゃがみ込んでいる。まだ若い。
だが髭も伸び放題で、服はくたびれた作業着。
それでもなぜか、汚れていない。
髪は整っており、手も清潔だった。
「……清潔なホームレス?」
スカイとエリアスが視線を交わす。
男は、ゴミの中に金目の物や食べ物がないと分かると、空を見上げて立ち尽くした。
その目には光がなく、
何かを確かめるように呟いたあと──
ポケットから古びた紙束を取り出し、
ゴミ箱へ捨てようとする。
スカイは、思わず声をかけた。
「……なあ、それ、ただの紙くずか?」
男はゆっくり振り返り、スカイをじっと見つめた。
灰色の瞳。諦めと疲労の奥に、
かすかな理性の光が残っていた。
──このときスカイは、まだ知らなかった。
この男こそが、後にゴールドリーフの歯車を
動かす“影の鍵”となる男、
レオン・グリムウェルであることを。
一枚の紙束を拾い上げるスカイ。
すぐに分かった。これはただの紙くずじゃない。
厚みのある羊皮紙、魔術封印の刻印、金属プレートの押印。
「資格証……?」
封筒の中には十枚以上の証書が整然と入っていた。
《魔導荷役起重機操作士》
《魔導器具配線技士》
《魔力炉点火技師》
《魔導積み込み機操作士》
──どれも国家公認レベルだ。
前世でいえば、
《小型移動式クレーン技能講習》
《第二種電気工事士》
《2級ボイラー技士》
《車両建設機械技能講習》
に相当する。
「おい、アンタ。これを捨てる気か?」
スカイが声をかけると、
男は無言のまま立ち止まり、
ゆっくり振り向く。
男性は灰色の瞳のまま、乾いた声で答えた。
「……ああ。
もう俺には、何の価値もないもんだ。」
スカイは怪訝な顔をした。
「価値がない?
これだけの資格、相当努力しただろ。」
「努力した。……バカみたいにな。」
男はわずかに口角を上げ、乾いた笑いを漏らした。
風が吹き、拾い残した紙切れが散る。
「俺は……レオン・グリムウェルだ。
三十五になる。独り身で、無職で、ホームレス。」
「レオン……」
スカイが名を繰り返す。
「資格十種持ちの、錆びついた屑技術者だよ。
酒もギャンブルもやらねぇ。
でも結局、何も残らなかった。」
エリアスが眉をひそめる。
「そんなこと言う人に限って、
本当は真面目に生きてきたのね。」
「真面目だったよ。……無駄に、な。」
レオンは地面を見た。
「外の天気、暑かったり寒かったりするだろ。
俺はそれに耐えられなかった。体力も心もな。
仕事で“ヒヤリ”ってした瞬間から、
全部怖くなった。何も起きちゃいねえのにさ。勝手に怖がって、逃げた。」
「……事故を起こしたわけじゃないのか?」
「起こしてねぇ。けど、周りの目が怖かった。
いつかやらかすんじゃないかって思われるのが、恐ろしかった。
何よりも自分が自分のことを許せないんだ。
それで辞めた。もう五年になる。」
スカイは手元の資格証を見つめる。
「でも、十も取ったんだろ?
すごいじゃないか。並大抵じゃできないぞ。」
レオンは自虐的に鼻で笑った。
「調べることだけは得意だったんだ。
どこの教習所が安いか、どんな短期コースがあるか、どの職人が裏技知ってるか。
足で回って、図書館に通って、
過去問を徹底的にやった。……それで取れた。
でも、使えなきゃただの紙切れさ。」
レオンは苦く笑い、
ポケットから折れたペンを取り出す。
「俺の人生は“動かすことしかできない機械”
と同じだ。修理も掃除も、維持もできねぇ。
ちょっとしたトラブル一つで立ち尽くして、終わりだ。」
「でも、それはお前が悪いわけじゃない。」
スカイが言葉を挟む。
「人間、壊れたときは誰かに
修理してもらわなきゃいけないんだ。
機械でも同じだろ。」
「修理? 俺みてえなスクラップを
直してくれる作業員なんていねぇよ。」
レオンは吐き捨てるように言う。
「五年も現場を離れた。頭は錆びついた。
あんなに読み込んだ内容も、ほとんど覚えてねぇ。
おまけに今は金すらも持ってない。
腹が減っても、ゴミ漁るのが精一杯だ。
どうだ、情けねぇだろ。資格十もあって、
働けもしねぇ。」
スカイは静かに息を吐き、足元の缶を蹴った。
「情けねぇかどうかなんて、
他人が決めることじゃない。」
レオンをスカイの目を見た。
「……優しいこと言うな。」
「優しさじゃない。俺だって似たようなもんだった。
何もなくて、何も見えなくて、腐りかけてた。
でもな、“きっかけ”と“行動力”さえあれば、人間は変われる。」
レオンが目を伏せる。
「……そんな安っぽい言葉、もう何回も聞いた。」
「気休めじゃねぇ。」
スカイは肩をすくめた。
「お前、資格を取ったとき、
なんでそこまでのめり込めたんだ?」
「……技術がある人って、かっこよかったんだ。」
少し間を置いて、レオンが小さく呟く。
「価値があるものを、自分にもつけたかった。
ただ、それだけ。」
「その気持ちは、今も残ってんだな。」
「……残ってたら、こんなとこでゴミ漁ってねぇよ。」
そう言って、レオンは乾いた笑いを漏らし、地面に腰を下ろした。
「俺の人生は、もう終わったんだよ。
やり直そうにも、歯車がどこかで欠けてんだ。
直せねぇ。俺には金も工具も、勇気もねぇ。」
「なら……」
スカイが一歩近づく。
「その欠けた歯車、俺が直してやるよ。」
レオンが顔を上げた。薄闇の中、
その目がかすかに揺れる。
「……は?」
スカイはニッと笑った。
「オレは解決屋クライム。
人の悩みを“解決する”のが仕事だ。
さっきお前、“俺の人生は終わった”って言ったな。
――なら、お前の人生の問題、俺が解決してやる!」
沈んだ空気を吹き飛ばすような宣言。
エリアスが微笑み、
レオンが呆れたように息を吐いた。
「……ハッ、あんた、頭大丈夫か?」
「どうかな。少なくとも行動力はあるぜ。」
スカイは拾った資格証をレオンの胸に押し戻した。
「この紙切れ、もう一度使えるように
してやる。その錆、オレが落としてやるよ。」
レオンはしばらく無言だった。
やがて小さく笑って、うつむいたまま呟く。
「……クライムって言ったな。変なやつだ。
いいさ、勝手にやってみろ。俺はもう、
期待することすら諦めてる。
……それで気が済むなら、好きにしろ。」
「上等だ。」スカイが言う。
空を見上げると、再び飛行船の影がスラムの屋根を流れる。
その陰の下で、三人の出会いが静かに始まった。




