第37話 紫雲東方帝国7
紫雲宮廷へ続く霧深い石畳を、エリアスが静かに歩む。
銀髪を厳かに結い上げた異国風礼装に、
紫雲の客布を羽織った姿は、
夜宴の灯籠に照らされ、周囲の視線を引きつける。
その背後には、護衛を装った姜烈峰が無言で控え、
エリアスの隣には――初老の男性が歩を共にしていた。
長い銀髪、片目にモノクル、完璧な王国風貴族服に身を包んだ姿。
スカイが前世で言うところの
「中世ヨーロッパの伯爵」を思わせる風格だ。
その正体は、変装した盧玄清。
エリアスの提案で、「付き人」として同行することで警戒を避ける策だった。
変装した盧玄清は苦笑した。
「まさか、私が革命のためとはいえ異国の服に袖を通すとはな…しかしエリアス殿、
この変装を決める早さと偽経歴の自然さ…
まるで『実在する人間』を模したようではないか?」
チラリと盧玄清を見たエリアスは、淡々と答える。
「ええ。『本当に王国に実在する人間』だもの。
今どこにいるのか分からないけど。」
その答えに、盧玄清の目が見開かれる。
「…なるほど。王国にも色々あるようだ。
何にせよ、今は有り難くこの姿を使わせてもらおう。我らの革命のために」
後ろの姜烈峰が、くすりと笑う。
「馬子にも衣装だな、盧玄清。
いっそその姿のままの方が風格が
あるのではないか?」
盧玄清は一瞥して、静かに返す。
「こんな時でなければ御免だ。
…それより心せよ。
まもなく紫蘭華の懐に入るぞ」
三人の表情が、一瞬にして真剣なものに変わる。
盧玄清が懐の通信石に手をやる。
「こちら侵入班。まもなく紫雲宮廷に入る。全班、用意は?」
通信石から、次々に緊迫した声が返ってくる。
「陽動班、外庭抗議集会準備完了」
「撹乱班、魔導通信混線準備OK」
「援護班、逃走ルート確保済み」
エリアスは心の中で誓う。
(スカイ…今夜こそ、必ず!!)
華宴の間・入口
金と紫の照明がきらめく広大な宴会場に、
エリアスが入場する。
世界サミットの調停者として招かれたその姿に、
貴族や女官たちの視線が集中した。
そこへ、中華風ロングドレスに身を包んだ
紫蘭華が、女官を一人従えて近づいてくる。
その女官を見た瞬間――
変装した盧玄清の顔が、
強張った。
「…っ!! まさかっ!?」
小声で驚く盧玄清に、
エリアスが気になる様子で尋ねる。
「どうしたの?」
「いや…」
盧玄清は声が震えながらも立て直した。
紫蘭華が、優雅に微笑みながらエリアスの前に立つ。
「お初にお目にかかります、エリアス陛下。
この紫雲東方帝国を統べる、紫蘭華と申します。
どうか今宵の夜宴をお楽しみあれ。」
エリアスは、紫蘭華を見定めながら丁寧に
挨拶を返す。
「ご丁寧な対応、痛み入ります、紫蘭華殿。
王国女王、エリアス・フォン・エニーフィートです。
あなたの“愛娘の噂”は、かねがねお聞きしておりますわ。」
言葉の端に、皮肉が滲む。
紫蘭華は、微笑を崩さず応じる。
「ふふ、落ち着きのない不肖の娘で
お恥ずかしい限りです。しかし我が娘も
最近“お気に入り”を見つけたようで…
今はそれに夢中のようですよ。」
…っっ!!
エリアスのこめかみに青筋が浮かぶ。
スカイのことを出され、拳を握り締める。
その瞬間、変装した盧玄清が
エリアスの左腕を素早く掴み、静かに制した。
紫蘭華は、自然に視線を移す。
「時に、エリアス陛下。隣の方はどちら様?
よろしければご紹介いただけますか?」
変装した盧玄清に、
明らかに興味を示している。
エリアスは冷静さを取り戻し、流暢に答える。
「ええ、ご紹介します。
私と同じ王国の王族の一人、
“リディアス・デルフィンガー卿”です。
今回は私の付き人として参加いたします」
リディアス卿 (盧玄清)
は、完璧な貴族の礼で一礼する。
「お初にお目にかかります、紫蘭華陛下。
エリアス陛下からご紹介ありました通り、
“リディアス・デルフィンガー”と申します。
以後、お見知りおきを」
端正で落ち着いた挨拶に、紫蘭華も感心した様子。
「これはご丁寧に、リディアス卿。
どうかあなたも今宵の夜宴を
お楽しみいただけると嬉しいですわ」
するとリディアス卿こと盧玄清が、静かに切り出す。
「時に紫蘭華陛下。一つお尋ねしたい。
女性の身でここまでの大国を維持するとは、余程の自信の表れと見えますが…
その源は、どこから来るのでしょうか?」
核心を突く質問に、紫蘭華は微笑を深める。
「ふふ、私は私の必要と思うことを
実行したに過ぎません。しかし、
私の幸福数値がその正しさを証明してくれる限り、
私はこの帝国を統べるに相応しい者として、この皇帝の座に立ち続けるだけですわ。」
(やはり…っ!!)
盧玄清は内心で確信する。
紫蘭華が、
幸福数値を絶対的な正当性の根拠
として信じ切っていることを。
紫蘭華は、ふと視線を戻す。
「それにしても、エリアス陛下が来られると聞いた時から思ったのですが…
リディアス卿には申し訳ありませんが、
私はてっきり噂のスカイ殿とご一緒かと。」
事情を知る者には明確な牽制。
エリアスの頭に再び怒りが登るが、
理性で押さえつける。
「それはご期待に添えず残念です。
次にお会いする時は、“私と共に”
スカイも伺わせていただきます」
紫蘭華は意味深に微笑む。
「ふふ、後ほど愛娘も参りますので、
改めてご紹介させていただきますわ。
その時は、もしかしたら“お気に入り”も
お連れかもしれませんね。」
優雅に一礼し、立ち去る紫蘭華
。
怒りを抑えきれず震えるエリアス。
盧玄清は小声で
「堪えてくれ、エリアス殿…まだだ。」
それに対し、
リディアス卿こと盧玄清は、
紫蘭華に付き添う女官を――
切なげに見送っていた。
それを横目で見たエリアスは小声で、
「あの女官が気になるの? 一体誰なの?」
盧玄清は、絞り出すように呟いた。
「…我が娘だ。」
華劇場・楽屋裏
夜宴の招待客が華劇場に集う中、
スカイは落ち着かない様子で壁にもたれる。
スカイは深いため息をつき、
「ハァ〜…緊張するな。
恥をかくだけって分かっててもさ、
世界のお偉方相手に踊るって…
逃げ出したくなるぜ」
蓮姫は呆れたように肩を竦め、
クスッと笑う。
「今更じゃの、スカイ♡
妾が下手な舞で絶望するのも分かるじゃろ?
でも今回は道連れが二人じゃ!
多少は気が晴れるじゃろ?」
急に目をキラキラさせ、嬉しそうに続ける。
蓮姫はウキウキと、
「そ・れ・に〜♪
本番までスカイと二人でくっついてまで
練習したんじゃぞ!
もうお互いの心は一心同体じゃろ♡?」
スカイ、苦笑しながら頭をかく。
「まぁ…やるだけやってみるさ」
すると蓮姫の表情がふっと曇り、
スカイの袖を小さく掴む。
蓮姫は不安げに、
「なぁ、スカイ…、お主は今回みたいに
妾の力になってくれるじゃろ?
だったら、この紫雲東方帝国の問題も一緒に…」
スカイは静かに、しかしきっぱり首を振る。
「オレはこの国の人間じゃない。
知恵があったって、この国の人たちに
認められなきゃ何もできねえ。
やれるのは君だけだ、蓮姫。」
厳しい指摘に、蓮姫は寂しげにポツリと呟く。
「盧玄清師父なら…
教えてくれたじゃろうか…。」
華劇場・最後列
エリアス、盧玄清(リディアス卿)、姜烈峰が
劇場全体を見渡せる位置に陣取る。
エリアスが苛立ちが抑えきれない中、
「まさかここまでスカイの姿が見えないとは…!
どこかに監禁されてるんじゃないでしょうね!?」怒りで震える声に、
変装した盧玄清が冷静に返す。
「本番となるとやはり予想外は付き物だな。
このままでは事を始められん…」
姜烈峰が真剣な表情で核心を突く。
「しかしどうするつもりだ、玄清。
お前の娘も、はたから見りゃ紫蘭華に
気に入られてるように見えるが…
お前からしたら人質そのものだろ?」
盧玄清は歯ぎしりしながら睨む。
なんとか怒り抑えて、
「十中八九そうだ。
前に紫雲宮廷にいた男たちの女家族も同じ。
反乱を起こすなら関係者を人質に…あの雌狐め!」
最前列の紫蘭華を鬼気迫る目で睨みつけ、顔を振る。
「今は耐えるしか無い。紫蘭華が
変わらぬのは分かったが、
蓮姫の思惑が読めん。母親の言いなりか、
希望があるか…それだけでも確認せねば。」
エリアスはスカイの不在に焦りが募る。
紫蘭華が娘を紹介し、
挨拶を終えると、
――ステージに蓮姫が上がる。
会場から拍手。しかし、その後ろから
スカイが現れると――
「あれは…?」
「嘘っ!?もしかして王国の…!」
「どういうこと!?」
エリアスは絶句した。
「スカイ…!?」
盧玄清は目を見開く。
「スカイ殿が…!?」
最前列の紫蘭華すら、
予想外の展開に驚愕。蓮姫、拡声魔法で
にこやかに宣言。
「皆様、本日は母上主催の夜宴に
ご参加頂き感謝申し上げます♡
今回の余興は趣向を変えて、こちらにいる
王国の英雄スカイ殿との息の合った舞を
披露いたします♡
舞の後は妾達も夜宴に参加し、〈〈重大発表〉〉もさせていただきますので楽しみに♪」
スカイも戸惑いつつも右手を胸に当て、
一礼。
観客、戸惑いながらも拍手。
華やかな紫の舞衣装が照明に映える中――
スカイが片膝をつき、「Shall we Dance?」と手を差し出す。
普段とは別次元のスカイのキザな所作に、
エリアスの胸がズキンと痛む。
蓮姫は嬉しそうにスカイの手を取る。
そしてダンスが始まった。
二人のダンスは、
花嫁講座のフォークダンスから
社交ダンスへ進化していた。
ワルツ→ボレロ→ズーク→アルゼンチン・タンゴ→ミロンガ→タンゴ・バルス→フォックストロット
難しすぎないステップとスローテンポが、
逆に優雅で洗練に見える。
観客たちは、美しく新しい踊りに見とれてしまう。
エリアスは2人のダンスを見て、
嫉妬と悲しみで震える。
「なんで…なんであんな楽しそうに踊るの…?
私とは一度も踊ったことないのに…
それなのに蓮姫が私のスカイを独占してる…!?」
体を震わせ、唇を噛むエリアス。
その横で、盧玄清は冷静に
2人のダンスを分析する。
(これは…スカイ殿の表情、あの息の合い方…
蓮姫に無理矢理つき合わされてるとは思えん。
既に蓮姫にほだされたか…それとも…)
完璧なフィナーレで拍手喝采。
蓮姫とスカイは笑顔で手を振る。
盧玄清がエリアスに囁く。
「急げ、エリアス殿。
2人が夜宴席に出れば接触できるかもしれん。」
エリアスの瞳に、再び闘志が宿る。
「ええ…! スカイを…取り戻すわ!」




