第35話 紫雲東方帝国5
朝靄に紫の霧が溶け合う、荘厳な回廊。
金糸の衣をまとった暫定統率者・紫蘭華が、
静かな足音で歩いていた。
左右には二人の女官お供――緊張感漂う空気の中、
紫蘭華の視線は遠くを彷徨う。
ふと、華劇場の方向に目をやる。
女官たちが、ひそひそと何事か言い合いながら、次々と中へ消えていくのが見えた。
紫蘭華静は静かに
「…華劇場に、あれだけの人数が?」
左のお供の一人は慌てて答える。
「は、はい!
今日、蓮姫様が未婚の女官たちを集めて、
『花嫁講座』なるものを開かれるそうです…」
紫蘭華は眉を潜め、
「…花嫁、講座?」
右のお供が早口で補足する。
「何でも、理想の恋愛や結婚生活について
談義に花を咲かせる、とか…
それに、スカイ様も協力なさるそうです!」
その瞬間――紫蘭華の足が、ピタッと
止まった。朝靄の中、女帝の背筋が
凍りつくように静止。
お供二人は顔を見合わせ、冷や汗をかく。
「し、紫蘭華様…?
何か、ご不快でしょうか…?」
長い沈黙の後、紫蘭華は――
フッと、小さく笑った。
紫蘭華は自嘲気味に
「理想の恋愛と結婚生活、ね…
娘のままごとの延長なのかしら。
まだまだ子供だな、あの子は。
…それに付き合うスカイ殿も、
相当な物好きというか…馬鹿正直なのかしら」
言葉とは裏腹に、その瞳には僅かな影が宿っていた。
紫蘭華は、
何事もなかったかのように再び歩き出す。
紫蘭華は独り言の様に、
「ま、好きにすればいいわ。」
お供二人は安堵の息をつきつつも、
女帝の背中に漂う不穏な空気を感じ取っていた。
朝靄の中、未婚女官たちで埋め尽くされた観客席。
ざわざわとした興奮の熱気が、紫水晶のシャンデリアを震わせる。
ステージ中央の豪華天幕の下、蓮姫がマイク代わりの拡声魔法杖を握り、
まるで前世のウルトラクイズさながらのテンションで叫ぶ!
蓮姫はノリノリで
「みーんなー! 素敵な恋愛ぃ、したいかー!!♡」
観客席から、女官たちの大合唱が一斉に炸裂!
「「「「したーい!!♡♡♡」」」」
劇場全体が揺れるほどの歓声。
続けて、蓮姫がさらに煽る!
「素敵な結婚生活ぅ、送りたいかー!!♡」
女官たちは絶叫した。
「「「「送りたーい!!♡♡♡」」」」
拍手と黄色い歓声が天井を突き破りそうな勢い。
女官たちはハンカチを振り、
立ち上がって叫ぶ者まで現れる。
蓮姫、満足げにニッコリ微笑み、両手を広げる。
「ふふ、いい返事じゃの!
さすが妾の可愛い女官たち♡
今日は特別講師として、
妾のフィアンセ(予定)、
王国の英雄・スカイ殿が来てくれたー!!♡♡」
その瞬間――劇場中が爆発した。
「きゃあああああ!!!」
「スカイ様ぁぁ!!!」
「フィアンセ(予定)って!?」
「蓮姫様最高ー!!!」
黄色い悲鳴のような歓声が連鎖し、
劇場の壁が振動する。
スカイはステージ上で苦笑しながら、
控えめに手を振るしかなかった。
「お、おう…よろしくな。
フィアンセ(予定)は初耳なんだけど…
まあいいか。
とりあえず、恋愛指南ってことでいいんだよな?」
観客席、後列の女官が泣きながら叫ぶ。
「スカイ様! エリアス様との馴れ初め、もう十回聞きました!!
でもまた聞きたいです!!♡」
劇場爆笑。最前列がメモ帳を構える。
「メモの準備、OKです!!」
花嫁講座正式開講宣言!空気が最高潮に達したのを見計らい、蓮姫が杖を高く掲げる。
蓮姫は荘厳に、
「それではここに、
紫雲帝国史上初・未婚女官のための
【花嫁講座】を、盛大に開講いたします!!♡♡♡」
「ワーーッ!!!」
「開講おめでとうー!!!」
拍手喝采の中、蓮姫がスカイにウィンク。
華劇場は、恋愛談義の戦場と化した。
華劇場内の熱狂が頂点に達した瞬間――
最前列から勢いよく手を挙げ、
悲鳴のような声で叫ぶ。
「スカイ様ぁ!! まずは、やっぱり!
スカイ様とエリアス様の馴れ初め♡
お願いしまーす!!!」
観客席が
「キャー!!」「それそれ!!」
の大合唱。
スカイ、額に青筋を浮かべながら心の中で絶叫。
(何回話すんだよ!!! もう数え切れねぇよ!!)
しかし周囲を見渡すと、後列の若い女官たちはキラキラした目で初めて聞く様子。
仕方なく、スカイは咳払いをして拡声魔法杖を握る。
「…はぁ、分かったよ。じゃあ辺境の市長の所からな…」
ゼストールとの死闘、エリアスの命がけの策、満身創痍のプロポーズ――
聞き慣れた話のはずが、
華劇場にいる女官たちの反応は格別だった。話が終わるや否や――
「きゃあああああ!!!」
「命がけプロポーズ!!」
「男らしくって最高!!♡」
「エリアス様泣ける!!」
スタンディングオベーションと黄色い歓声が鳴り止まない。
蓮姫も目を潤ませながら拍手。
しかしスカイの心の中は、
「まだまだ続くのかよ…。
いつまでかかるんだ!本題に入れねえ…!」
案の定、
次のリクエストが飛んでくる。
「スカイ様!
次はマリナスのララ様とレニール様で
お願いします!!」
スカイは諦めた顔
「…はいはい、分かったよ…」
数値教テロ二度の危機、男気プロポーズ、
ララの献身とファーストキス――
これもまた、劇場中を感動の渦に巻き込む。女官たち涙声で
「うっ、ぅっ……美しい…」
「(ズズッ)二人で障害を乗り越える…!」
「愛の覚悟ってこういうこと…!」
スタンディングオベーション第二弾。
鼻をすする音が劇場中に響く。
予想通りの盛り上がりようやく女官たちの理想の恋愛談義が始まる。
蓮姫は笑顔で、
「はいはい! 次は皆、真面目に!
『彼氏ができたらしてほしいこと』を発表せよ!」
最前列から、恥ずかしそうに挙手。
「朝起きたら…『おはよう』ってキスしてほしいです…♡」
「いいねー!!♡」「それそれ!!」
「一緒に料理作って、喧嘩して、仲直りする日常がいいです!」
「わかるー!!」
「夫婦喧嘩こそ愛♡」
恋愛談義は共感の嵐。笑いあり、質問あり、反論ありで大盛り上がり。
蓮姫はノリノリで仕切る。
「次は結婚生活!
新婚生活の理想を教えてー!」
甘い妄想が飛び交う中、スパッと現実的な質問が飛ぶ。
女官が突然、
「仕事と家事、どっち優先しましょうか?」
会場が一瞬静まり――
「仕事! 女が活躍しなきゃ!」
「家事よ! 家庭が基本!」
会場はざわめき出す。
「え?」
「何?」
「対立してる…?」
真っ二つに割れた意見に、蓮姫も動揺。
「ちょと待てい!? どっちも正論なんじゃが…!?」
さらに衝撃的な質問。
「将来、子供は何人欲しい?」
「一人でいいかな…」
「必要ないかも…」
会場が凍りつく。
仕事優先派の意見が次々上がり、蓮姫が焦る。
「こ、これは…どういうことじゃ!?
子供は愛の結晶って、劇場で習ったはずでは…!?」
スカイがニヤリと笑って手を叩く。
「おーい、全員こっち見てくれ!
いま出た結果は、実は正常なものなんだよ」
「え?」
会場が騒然となる中、スカイが続ける。
「この紫雲東方帝国は、女の行動に制限がなくなった。
初めて『自分で選べる』って状況になったんだ。
だからこそ、仕事派も家庭派も、子供何人派も何でも出てくる。
多様性が爆発してる証拠だよ」
女官たちが「なるほど…?」と首を傾げる。
「でもな、そんな思い思いの価値観が続くと、未来はどうなると思う?」
「???」
スカイは意味深な笑みを浮かべる。
「それはな…少し興味深い物を見せようか。
とある国の、多様化する女性進出社会の統計調査から導き出された、未来予測だ」
会場が静まり返る。
蓮姫も、
「未来予測!?未来を見たと申すか!?」
と身を乗り出す。
「メリットも、デメリットも、全部見せてやるよ。
この国が向かう未来を、分かりやすく説明してやる。」
女官たちの目が、期待と不安で揺れる――
スカイは蓮姫経由で、黒板を持ってこさせた。
そして、卵の殻と、小麦粉と水で作った
チョークで夢tubeで調べた未来予測の結果を
黒板に書き始めた。
その姿はもう前世の学校教師の姿そのものだった。
「まずは、メリットの方を分かりやすく
書いてみる。よく見てくれ。」
そう言って、スカイは、女性が働く割合と、それに関連したGDP成長率を書き出した。
女性が働く割合 お金儲けの勢い(GDP成長率)
前皇帝ワンの時代
5%中 1.8% (のろま)
紫蘭華治世で働く時代
45% 3.2% (グングン)
未来の紫雲東方帝国時代
62% 4.1% (爆速!!)
この結果に女官たちは、
「えええ!?」
「お金増えるの早っ!」
「すごい!!」
「私達、もっと贅沢な暮らしができるんだ!?」
スカイはドヤ顔で、
「な? バリバリ儲かるんだよ!
女の人たちが会社やお店の社長になると、
新しいアイデアがドバドバ出てくるんだ!
このデータだと、
『女の社長が1%増えるだけで、
お国の儲けが0.5%アップ!』って
研究がいっぱいあるぜ!」
女官の1人が、メモ帳に鬼書きしながら叫ぶ。
「仕事も恋愛も両方できるってことですか!?
めっちゃ良くないですか!?」
スカイが親指を立て、
「その通り! でもな、問題もある。
それがこれだ。」
スカイは、
女性が働く割合とそれに関連したGDP成長率
の項目を消すと、
新たに紫雲東方帝国だけで見た女性の
就職率と 1家庭あたりの子供の出生率のデータ
を書き出した。
女の人の就職率 1家庭あたりの子供の数
ワン皇帝時代(男最強)
10%(超少ない) 4.2人 (いっぱい)
紫蘭華3年目(今!)
65%(めっちゃ増) 2.8人(ちょっと減)
紫蘭華続けたら30年後
90%(ほぼ全員) 1.3人(ヤバい!)
この結果に観客席の女官達は絶句した。
「え…?」
「どんどん減ってる…」
「子供が…?」
「これが帝国の未来…?」
「子供の数が激減してる…!」
スカイは指差しながら
「見てみろよ!
ワンの時代は女が働かずに家事と子育てに
集中するから子供がいっぱいだった。
それが紫蘭華になって女性が活躍し始めて
爆増から子供ちょっと減。
そしてこれがこのまま30年行ったら、
子供が半分以下で国がピンチになる!」
蓮姫はガチガチに焦り顔。
「み、皆が仕事がしたいのはいいが…
子供がいなくなったら紫雲東方帝国は終わりじゃ!
どうしよう!?」
スカイは説明を続ける。
「見ての通りだ。
多様化→女性自立→出生率低下。
これでは少子化が将来、国家最大の危機になる。
紫雲帝国もこのまま行けば、
30年後には人口危機だ!」
華劇場内の重い空気を、スカイが一気に切り裂く。
「それだけじゃない。
ママ友やバリバリ働く人の8割が
『家事・子育てがキツすぎてストレスMAX!』
だってさ。
そしたら離婚しまくって、一人暮らし増えて、
最悪孤独死まで…ってパターンもあるんだ。」
スカイの説明に会場、シーン…となる。
女官が震える声で、
「じゃ、じゃあ私たちの
『朝キス理想論』って…ダメなんですか?」
スカイ、真剣な目で答える。
「ダメじゃないよ! 全部正解なんだ!
朝キス派も、仕事ガンガン派も、子供何人派も何でもOK!
ただ問題なのは、
『今の女尊男卑社会で、それが実現できるか?』
ってことだろ?」
女官たちが「うっ…」と顔を見合わせる中、
紫雲帝国の出生率激減データに、華劇場内が凍りつく。
女官たちの「子供が…」「国が…」という囁き
が響き合う中、
スカイが真剣な目で蓮姫に向き直る。
スカイは静かに、しかし重く、
「蓮姫。これは君が紫蘭華の跡を
継いだ時にも課される問題だ。」
「えっ…?」
華奢な肩がビクッと震え、
いつものお茶目な笑顔が消える。
「考えてもみろ。
お前の母は再婚してない。そして子供はお前一人。
つまり、この未来予測の問題は、
将来、君が背負うことになるんだよ。」
現実を突きつけられ、蓮姫――絶句。
大きな瞳が見開かれ、扇で隠していた口元が強張る。
ステージ上の天真爛漫なワガママ姫が、
一瞬にして未来の女帝の重圧を背負った少女に見えた。
会場全体が息を呑む静寂の中――
最前列の女官が、震える声で立ち上がる。
「スカイ様!! 蓮姫様はまだ10歳です!!
成人の15歳まではまだ時間はありますし、
紫蘭華様も健在です!!
そんな脅すような真似を…!!」
女官言い終わる前に――
スカイが女官を鋭く睨みつける。
「それは言い訳にはならない。
エリアスだって、次期王位継承をした時は
16歳だった。
このまま自由気ままに過ごしていたら、
5年なんてあっという間だ。
これは今すぐにでも考えなきゃいけない問題なんだよ!」
筋の通った指摘に、女官は押し黙る。
他の女官たちも、視線を落としてしまう。
皇帝の重圧ステージ上、
蓮姫は呆然とスカイを見つめる。
蓮姫は震える声で、
「わ、妾が…皇帝になったら…?」
ワガママ姫の仮面が剥がれ落ち、
不安げな少女の表情が露わになる。
扇を握る手が小刻みに震え、
華やかな衣装が急に重そうに見えた。
蓮姫は自分に言い聞かせるように
「子供が…減って、国が…
でも母上は今、幸福数値で最高だって…
でも妾が継いだら…」
女官たちも動揺を隠せない。
「私たちが仕事したいのも…」
「でも国が無くなったら…」
と囁き合う。
いきなり突きつけられた国家の未来に、
10歳の少女には答えが出なかった。




