第32話 紫雲東方帝国2
霧の帝都、紫雲宮廷――絢爛たる朱と金の回廊が果てしなく続く。
スカイは女兵たちに挟まれ、足早に連れていかれていた。
豪奢な絨毯が敷かれた廊下、壁には龍と鳳凰の刺繍。
香木の匂いが鼻をつく。
「なあ、ところでさ」
スカイは護衛の一人に話しかける。
「ここ、めっちゃ豪華だけど……
なんか、男の人の姿全然見ないな。
清掃とか厨房とかも、みんな女の人?」
女兵の一人が、ちらりとスカイを見る。
冷たい視線だった。
「男にできる仕事があるとでも?」
「いや、あるだろ。力仕事とか、重い荷物運びとか――」
「黙りなさい」
ぴしゃりと言い放ち、再び前を向く。
スカイは肩をすくめたが、
心の中では違和感の輪郭が固まりつつあった。
(エリアスがいたら、絶対この空気性分析してるな……
とりあえず、大人しく状況把握だ)
幾重もの扉を抜け、
最後に到達したのは広大な謁見の間だった。
天井は遥か高く、
紫水晶のシャンデリアが霧の光を乱反射している。
「母上! 素晴らしい獲物を見つけてきましたぞ!」
ワガママ姫――蓮姫が、元気よく声を上げた。
その声に応じて、玉座からゆっくりと立ち上がる人影があった。
長い黒髪を厳かに結い上げ、紫金の衣装をまとった女性。
年齢は三十後半に見えるが、肌は若々しく、眼光は鋭い。
ただ、その瞳の奥には、深いところから凍てついた冷たさが宿っていた。
「あなたが、他国で“英雄”と呼ばれたスカイね」
静かな、しかし全てを見透かすような声。
スカイは思わず背筋を伸ばした。
「まあ、そう呼ばれてるっぽいです。
で、俺、何の罪でこんな豪華な鳥籠送り
なんですか?」
「罪? ふふ、ないわ」
女帝――暫定統率者は、小さく笑った。
その笑みには温かさは微塵もなかった。
「ただ、私の娘が欲しがったからよ。
それだけのこと」
「親として大概だな、それ」
スカイの軽口にも、女帝は動じない。
ゆっくりと玉座から降り、こちらへ歩み寄ってくる。
「スカイ。あなたは三国で“世直し”をしたと聞くわ。
マリナスでは数値教の再悪夢と選挙を、
ステップランドでは交流再開を、
グランゼウムでは鉱神祭をね」
「情報早いな。さすが帝都だ」
「瓦版は全て私の目よ。
あなたが成したことは知っている。
……だからこそ、聞きたいの」
女帝は、スカイのすぐ近くで足を止め、
静かに問いかけた。
「世直しとは、何?」
スカイは一瞬、言葉に詰まった。
いつもなら軽く流すところだが、
この女帝の眼差しはあまりに真剣だった。
「……歪んだものを、正すこと、かな。
誰かが困ってたり、苦しんでるなら、
そこに手を差し伸べること」
「そう。立派な答えね」
女帝は小さく頷き、ふと視線を落とした。
その表情に、初めて感情の揺らぎが走る。
「ならば、私に聞かせなさい。
この紫雲東方帝国で、誰が苦しんでいると思う?」
スカイは、咄嗟に答えた。
「さっきから男の人たちが、
妙に縮こまってる感じ?」
「ふふ、鋭いわね。確かにそう見えるでしょう」
女帝は自嘲するように笑うと、
ゆっくりと語り始めた。
「三年前、数え年のこの子が七つだった頃……
私の夫、皇帝ワンが、数値教のテロで殺されたの」
淡々とした口調。
だが、その奥に抑えきれない憎悪が滲む。
「ワンはこの国を、己の手で支配した。
税を重くし、民を酷使し、全ての富と権力を一身に集めた。
そして女たちを――道具としてしか見なかった」
女帝の声に、氷のような冷たさが混じる。
「私ですら、ただの“皇帝の飾り”だったわ。
政には一切関与させられず、
息子を産む機械として遇されていた。
それでも耐えた。なぜなら、
この国を背負うのは男の務めだと、
そう教え込まれていたから」
スカイは黙って聞いていた。
女帝の瞳が、遠い過去を見ている。
「女官たちも同じよ。
才気ある者は宦官として男装を強いられ、
ただ美しいだけの者は寝室に送られた。
女が才を示せば、それは“男を惑わす魔性”とされ、罰せられたわ」
「それは……酷いな」
スカイの呟きに、女帝は小さく頷く。
「酷い? それが、この国の“常”だったのよ。
私がどれだけ学を修め、政を学びたがっても、
“女の分際で生意気だ”と嘲笑され、
いくつ筆を折られたか、
“皇帝の寵愛を買うための才”だと揶揄されたか」
声に、憎悪と屈辱が滲む。
「そしてそれは娘の教育にも及んだわ。
“女は黙って夫に従うもの”と教え込まれ、
字を覚えれば“いずれ夫の書斎で役立つ”と
笑われた。
私がどれだけ、この子に自由を与えたかったか……」
蓮姫が、少しだけ顔を曇らせる。
女帝は構わず続ける。
「そしてワンが死んだ。数値教のテロでね。
その瞬間、全てが変わったわ。」
女帝の口元に、冷たい笑みが浮かぶ。
「ワンが握っていた
国庫、軍資金、交易路の契約書、鉱山の権利――
全ての権利書類は、相続人は息子が生まれない限り妻である私の名義になっていたの。
男たちが軽視した“形式”が、私に全ての権力を与えたのよ。」
スカイは思わず口を開いた。
「それで、お前が……」
「ええ。だから私は、決めたの」
女帝の瞳が、再び鋭く光る。
「二度と、女が男の道具にされる国にはしない。
私が握る全ての権力で、女たちに自由を与える。
男たちには、そのツケを払ってもらうだけよ」
「ツケって……」
「ワンの時代、
女たちがどれだけ踏みにじられてきたか。
私がそれを正すのは当然でしょう?
男たちが武を誇り、政を皇帝任せにした結果
がこれなのよ。
文句があるなら、当時から女たちにも権利を
分け与えれば良かったのに。」
女帝の言葉には、揺るぎない確信があった。
スカイは、思わず言葉に詰まる。
(確かに……その言い分は、一理ある。
でも、それで今度は男たちが――)
「母上が正しいに決まっておる!」
蓮姫が、スカイを睨みながら口を挟んだ。
「男など、
いつもいつも上から目線で女を見下して。
母上が自由をくれたから、妾たちはこうして生きていられるのじゃ!」
「自由……ね」
スカイは苦笑しそうになるのを堪えた。
「で、スカイ。どう? この国の事情、
分かったでしょう?」
女帝が、再び問いかける。
「分かったよ。ワンって奴が、
相当なクズ野郎だったこともな」
「ええ、そうよ。
だから私が引き継いだの。
この国は、今、私のものなの」
女帝は当然のように言い放つ。
「娘のことも、同じよ。
あの子には、私のような屈辱は絶対に味わわせない。
欲しいものは手に入れなさい。男を従えなさい。
誰にも怯えず、自分の力で生きなさい――
そう教えたの」
蓮姫が、少しだけ誇らしげに胸を張る。
「スカイ、あなたはその最初の一人よ。
母上が認めた、最高の“獲物”なんだから」
女帝は、ふとスカイに視線を戻した。
「異国の英雄。
あの子は、あなたを欲しがっているわ」
スカイが思わず聞き返す。
「欲しがってるって……
俺をどうする気だよ?」
「それは、あの子が決めること。
あなたがあの子をどう導くか、楽しみにしているわ」
女帝はそう言うと、ゆっくりと踵を返した。
「娘を、よろしくね、スカイ」
背中に、絶対的な確信と命令が宿っていた。
間違っているとは微塵も思っていない――
その証明のように。
女帝が謁見の間を去ると、広間にはスカイと蓮姫、そして数名の女官だけが残った。
「ふふ、これからよろしくの、スカイ♡」
蓮姫が、扇で口元を隠しながらウインクする。
その瞳には、純粋なまでの所有欲と、
少女らしい期待が混じっていた。
スカイは大きなため息をつき、心の中で呟いた。
(……やれやれ。エリアス、絶対笑うなよ?
いや、絶対笑うか。でもよ――)
瞳の奥で、静かに闘志が灯る。
(この親子と、この国。どうにかしてやるぜ)
一方、エリアスは紫雲東方帝国大使館の
重厚な門をくぐっていた。
応接間に通され、向かい合ったのは、
中年の男性外交官だった。
彼の表情は、明らかに硬い。
「よりによって、あの方に目をつけられるなんて……
スカイ様、お気の毒に」
「状況を教えてちょうだい」
エリアスは、感情を抑えて切り出す。
外交官は、深く息をついた。
「三年前、皇帝ワンが数値教のテロで死亡しました。
その瞬間、この国は一変したのです」
低い声で、彼は語り始めた。
「ワン陛下は、全権力を一身に集中させていました。
国庫も、軍資金も、交易契約も、鉱山権利も――全てを陛下個人が掌握。
女たちには、一切権利を与えず、“飾り”として遇していました」
「それが……」
「ええ。陛下の死後、それらの権利書類は
全て、妻である現暫定統率者の名義でした。
……陛下も高を括ってたのでしょうな。
"自分がくたばるはずがない"と。
男たちが軽視した“形式上の妻の名義”が、
彼女に絶対的な権力を与えたのです」
外交官の声が、震える。
「そして彼女は、復讐のように
女尊男卑の国を作りました。
男は政治も経済も排除され、武術の道場か内職に追いやられた。脅威と思ったのでしょう。
発言権も、交通権も、財産権も奪われました。」
「ひどい……」
「表向きは“女の時代”ですが、
実態は恐怖政治です。
蓮姫様に目をつけられた男は、二つに一つ。
“お気に入りの玩具”として飼われるか、
“厄介者”として消されるか」
エリアスは、拳を握りしめた。
「スカイは……どっちに分類されるの?」
「瓦版で英雄と知られた時点で、前者でしょう。
ですが、あの方の価値観は極端です。
愛情も支配欲も、同じ顔で見る方なのです」
静寂が応接間を満たす。
「……何か、できることは?」
エリアスの問いに、外交官は首を振った。
「私たち男性外交官は、表舞台に出られません。
大使館ですら、女官が実質を握っています。
正直、スカイ殿を救うなど……」
「できない、って言うの?」
エリアスの声が、低くなる。
「いえ……できることが一つだけ」
外交官は、懐から小さな巻物を差し出した。
「この国を変えるには、根本から改革が必要です。
暫定統率者の独裁体制を緩和し、男女合同の評議会を設置する。
それが、唯一の道かと。」
エリアスは巻物を受け取り、ゆっくりと開いた。
そこには、国政の構造と、改革の青写真が細かく記されていた。
「……あなたたち、ずっと準備していたのね」
「ええ。ですが、実行する勇気がなくて」
外交官は、苦笑する。
「スカイ殿のような、揺るぎない英雄が現れた今が、チャンスかもしれません。
あなたと共に、動いていただけますか?」
エリアスは、巻物を懐にしまい、静かに頷いた。
「分かったわ。スカイを取り戻す。
その上で、この国を正す。」
瞳の奥で、決意が燃える。
「私だって、“スカイの嫁”だけじゃない。
スカイのパートナーよ」
紫雲東方帝国の、歪んだ現実を知った瞬間――
エリアスの、新たな戦いが始まろうとしていた。




