第31話 紫雲東方帝国1
紫の霧が、石畳の大通りをゆっくりと流れていた。
薄靄の向こうに、反り返った屋根と赤い城壁がぼんやりと浮かぶ。
「おおー……本当に、
映画やテレビで見た“中華帝国”って感じだな」
スカイが目を輝かせる。
乱れ気味の黒髪を手ぐしで整えながら、
肩の荷袋を担ぎ直した。
「映画?テレビって何?あと中華帝国?
あなた偶に分からない言葉を使うわよね。」
隣を歩くエリアスが、半眼で突っ込む。
金髪をひとつにまとめ、旅装に薄いストールを羽織った姿は、異国の街並みに不思議と馴染んでいた。
「でもほら、雰囲気で覚えてるから大丈夫」
「その“雰囲気で何とかする”クセ、そろそろ改めない?」
「エイラさんが隣にいてくれる限り、
補正入るからセーフ」
「……そうやって軽口で誤魔化すところも
含めて、放っておけないのよね」
小さくため息をつきながらも、
エリアスの口元はわずかに緩んでいた。
「で、大使館まであとどれくらいだ?」
「約束の時間までには余裕があるわ。
地図だと、この通りを真っ直ぐ抜けた先ね」
エリアスが巻物型の地図を広げて確認する。
――紫雲東方帝国。
三年前の数値教テロの舞台となり、
皇帝ワンが命を落とした国。
その後、権力は遺された妻へと集中し、
女たちの時代が始まったと噂されている。
「その前に、ひとつだけ問題があるわ」
「問題?」
「――お腹、空いてない?」
「一番大事な問題だった!」
スカイの目が輝き直る。
朱塗りの柱と金色の看板が目を引く、
中華料理店が通りに面していた。
香辛料の香りが、霧を押しのけるように漂ってくる。
「よし、腹ごなしはあそこで決まりだな」
「大使館に空腹で乗り込むのもどうかと
思ってたし、ちょうどいいわね」
二人は木の戸を押して店内に入った。
「いらっしゃいませ!」
威勢のいい声で出迎えたのは、
逞しい腕をした青年店員。
中に目を向けたスカイは、思わず首をかしげる。
「……あれ?」
「気づいた?」
エリアスも、さっと店内を見渡す。
料理を運ぶのも、厨房で中華鍋を振るっているのも――
全員、男。
そして客席には女性だけが座って、
男性は立っている。
「ええと……これは何?
なんか男が可哀想に見えるんですけど。」
「たまたま、にしては偏りすぎてるわね」
案内された席に腰を下ろしながら、
エリアスは周囲の空気を観察した。
女性は普通に食事を楽しんでる。
だが、男たちの方は笑い声はあるのに、
どこか押し殺したような硬さが混じっている。
(“女性”を恐れてる……?)
「ご注文、お決まりになりましたらお呼びください」
青年店員がそう言って頭を下げる。
その仕草には妙な緊張があった。
「とりあえず、麻婆豆腐と紫雲炒飯と餃子と――」
「控えめに頼むって、さっき言ってなかった?」
「これは控えめカテゴリーだろ」
「あなたの胃袋基準を世界標準だと思わないでちょうだい」
軽口を交わしながらメニューを決め、青年を呼ぶ。
注文を受けた彼は、
どこかほっとした顔で厨房へ駆けていった。
「……ねえ、エイラ」
「なに?」
「なんかこの店、
“女の人が来ない方が安全”
みたいな空気じゃないか?」
「感じるわね。店員さんたちの目が、
さっきから時々入り口の方へ泳いでる」
エリアスは、
あえて何も言わず水を一口飲んだ。
大使館で詳しい事情を聞くまでは、
勝手な推測で動くのは危険だ。
「お客様、料理の提供に時間がかかるため、
よろしければこちらを」
先ほどの青年が、今度は数枚の紙束を持ってきた。
ざらついた紙に墨で印刷された、
瓦版式の新聞だ。
「最近の国外の記事でして……
お二人にも、関わりがあるかもしれません」
「へえ?」
スカイが一番上の紙を受け取り、目を通す。
そこには、大きな見出しと共に、
自分の名前が並んでいた。
『港湾都市国家マリナス共和国。
数値教テロの再悪夢を乗り越え復興へ
“王国の英雄”スカイ、全ドック再開支援を発表』
「おお、俺だ」
「ほんとに書いてあるわね、“王国の英雄”って。
誰が最初に言い出したのかしら」
記事は、
あの港での戦いをかなり細かく書かれていた。
元数値教テロリストによる再度のテロ事件。
マリナス政府が対策に苦慮していたとき、
“王国の英雄”として噂されていたスカイが
事件解決協力を申し出たこと。
選挙後に発表された大型船の用途や、
マリナス海上保安庁立ち上げの発案者が
スカイであること。
そして、エリアスが戦いの後、
港の復興計画や交易網の見直し案を現地と
共にまとめ上げ、再発防止策を条約として
結んだこと。
「……へえ。ちゃんと、
私の名前も小さく載ってるじゃない」
エリアスが記事を手に取り、薄く笑う。
またスカイ達は別の新聞にも目を通す。、
『酪農国ステップランドと
グランゼウム部族連合王国との交流再開!!
新王エドラムが国賓として収穫祭に参加、
その影の立役者は王国解決屋夫妻!?』
「なんか引っ掻き回した感あるな。」
「悪くないわね。
“王国からやってきて全部ひっかき回す夫”と、
“その後始末をする賢妻”って感じで」
「……それにはツッコまないとして
こっちにはグランゼウムもあるな……。」
『グランゼウム部族連合王国、
美術展覧会開催と新鉱脈発見!!
危険と隣り合わせの鉱山に灯った希望』
記事には新王エドラムのコメントが書かれていた。
"我らが再び交流の扉を開いたのはひとえに
あの「解決屋」の夫婦に「集まる火の力」を
教えてもらったからだ。
これからも我らは交流を通じてこの小さき火
を束ね、大きな力へと変えていく。"
――そう書かれていた。
「……こうして並ぶと、
ちょっとだけ誇らしいわね」
エリアスが、少しだけ柔らかい声で呟く。
「ちょっとだけ?」
「調子に乗るから、ちょっとだけ」
「ぐっ、俺の扱いが相変わらずだ」
そんなやり取りをしていると
――からん、と高い鈴の音が店の入り口で
鳴った。店内の空気が、目に見えて変わる。
さっきまで笑っていた男たちが、
一斉に顔を伏せた。
「……来たぞ。」
「今日はどこを見に来たんだ……。」
小声で交わされる囁き。
スカイとエリアスも、自然と入り口へ視線を
向けた。
紫色の刺繍を施した豪華な衣をまとい、
扇で口元を隠した少女が、霧を割るように姿
を現した。
長い黒髪を高く結い上げ、
腰には金糸で飾られた帯。
その後ろには、
同じく華やかな衣装を身に着けた女性たちが
数名、取り巻きとして控えている。
「……あれが、噂の“ワガママ姫”かしらね」
エリアスが小声で呟く。
「何そのネーミング、絶対公式じゃないだろ」
「非公式呼称だけど、妙に説得力あるでしょ?」
ワガママ姫は、
当然のような足取りで店内を進む。
誰一人として、彼女と目を合わせようとしない。
(……女の目線に、男たちが怯えてる)
エリアスは、さっき感じた違和感の輪郭が、わずかに形を持ち始めたのを自覚した。
姫一行が席につき、注文が運ばれ始める。
スカイはできるだけ目立たないように
しながらも、ちらりとそちらを見た。
「なあエイラ、あれどう見ても
“王女様です”って格好なんだけど」
「そうね。迂闊に関わると
ろくなことにならないタイプ」
「俺たち、そういうタイプに絡まれがちじゃない?」
「自覚があるのね」
しばらくして、姫の取り巻きの一人が、
ふとスカイたちのテーブルに目を止めた。
「……姫様。あちらの席の方……」
「ん? 今私は点心の皮の薄さに
ついて考えているのだけど」
「それよりこちらをご覧ください!」
取り巻きは慌てて鞄から瓦版を取り出し、
姫の前に広げた。
それは、スカイたちが今読んでいるものと同じ記事だった。
『世直しの旅人、“王国の英雄”スカイ――
三国で立て続けに奇跡を起こす』
「……ふうん?」
姫の視線が、瓦版からスカイへと移る。
扇の影から覗く瞳が、興味深そうに細められた。
「髪は乱れているし、
姿勢も行儀がいいとは言えない。
でも――目だけは悪くないわね」
「なんか評価されてる?」
スカイが小さく肩をすくめた瞬間、
ワガママ姫はすっと立ち上がり、
躊躇なくこちらへ歩いてきた。
エリアスの背筋に、ぴんと緊張が走る。
「来るわよ」
「うわ、マジか」
次の瞬間、姫は二人のテーブルの前で足を止めた。
「あなたが、“王国の英雄”スカイ?」
扇の陰から覗く瞳がまっすぐにスカイを射抜く。
「え、あ、まあ……
そう呼ばれてるっぽい、です」
「その“っぽい”をつける癖、直しなさい」
エリアスが即座に訂正する。
姫は、そのやり取りを見てくすりと笑った。
「面白いわね。英雄と、その隣で小言を言う女」
「小言って言ったわね?」
エリアスが眉をひそめる。
「で、俺に何か用か、お姫様」
スカイが軽く笑って尋ねると、
姫は堂々と言い放った。
「気に入ったわ」
「第一声それ!?」
扇がぱちんと閉じられる。
「この国の女は、力の強い男を好む。
でも、ただ強いだけの男はもう見飽きたの。
あなたみたいに、知恵と意外性の男は珍しいわ」
「褒めてるのか?それ。」
「最高級の賛辞よ?」
姫はくるりとスカイの周りを一周し、
品定めするように眺める。
そして、エリアスへ視線を移した。
「で、そこのあなたは?」
偽名は無意味と悟ったエリアスは、
「エリアス。スカイの妻よ」
「妻?」
姫の眉がぴくりと動く。
「……ふうん。あなたの目、面白いわね」
「目?」
エリアスが思わず聞き返す。
「自分を強いと思いたい目。
でも、無意識に彼に頼る目。
スカイがいなければ、何もできないと思い込んでる目」
「――っ」
エリアスの胸の奥に、痛いところを突かれたような感覚が走った。
違うと言い返そうとして
――喉元で言葉が止まる。
(私は、ちゃんとスカイを支えている。
でも、大抵のことはいつもスカイに任せきりで――)
その沈黙を、姫は見逃さなかった。
「やっぱり。図星みたいね」
扇が愉快そうに揺れる。
「決めたわ。スカイ、
あなたはこれから私の宮廷に来なさい。
母上も、異国の英雄に興味があるはずよ」
「は?」「ちょっと待って!」
エリアスが前に出る。
「スカイは、私の夫よ。
勝手に連れて行かないで」
「勝手ではないわ。これはこの国の“権利”よ」
姫は片手を上げる。
店の外から武装した女の兵たちが数人、
すぐに駆け込んできた。
店内の男たちは、
一斉に椅子を引き、壁際に身を寄せる。
「ちょ、ちょっと待て、本当に――」
スカイが立ち上がるが、
両脇をしっかりと押さえられる。
「エリアス!」「スカイ!」
二人の手が届くより早く、槍の穂先が
エリアスの前に突き出された。
「異国の女は黙っていなさい。
ここは、私が決める国よ」
ワガママ姫の声音は、年相応の幼さと、
権力を握った者の冷たさが混じった不思議な響きを持っていた。
スカイは歯を食いしばりながらも、
無理に抵抗はしなかった。
この場で暴れれば、真っ先に被害を受けるの
は店の男たちだ。
「エリアス!」
「……分かってる!
絶対迎えに行くから!」
短い言葉に、互いの信頼を詰め込む。
次の瞬間、スカイは兵士たちに囲まれ、
店の外へと連れ出されていった。
静まり返った店内で、
エリアスは拳を握りしめたまま
立ち尽くしていた。
「お、お客様……」
さきほどの青年店員が、
おずおずと声をかけてくる。
その顔は、青ざめていた。
「お気の毒に……
あの方に目をつけられた男は、もう……」
「もう?」
エリアスがゆっくりと問い返す。
「普通の生き方は、できません。
“お気に入り”として飼われるか、
“逆らった厄介者”として潰されるか……」
「そんなの、冗談じゃないわ」
エリアスは深く息を吸い、何とか感情を押し込める。
「ここから一番近い紫雲東方帝国の大使館は?」
「この大通りをまっすぐ、霧の薄い方へ……
でも、そこに行っても、何も――」
「行ってみないと分からないわ」
エリアスは懐から小さな財布を取り出し、
卓上に硬貨を置いた。
「料理、楽しみにしてたのだけど……
ごめんなさい。あとは、スカイを連れて
戻ってから、改めて来るわ」
「そ、そんな……!」
青年は目を丸くする。
「ねえ」
エリアスは、彼の目をまっすぐ見た。
「あなたたちは、いつから
“女を恐れて暮らす”ようになったの?」
青年は、俯いた。
答えの代わりに、唇が震える。
「三年前……ワン陛下が亡くなられてからです。
あの方の奥方が、すべての権力と富を継いで……私たち男は、逆らえなくなりました」
絞り出すような声だった。
「男は武を誇ってきました。
でも、政治も財も、全部陛下任せで。
その陛下がいなくなって……残ったのは、
私たちを飼うための首輪だけです」
「……なるほど」
エリアスは短く呟いた。
(武だけを誇って、政を他人任せにしたツケ。
それを、ワンの妻が全部引き継いだ――)
「詳しい話は、大使館で聞くわ。
ありがとう。あなたのおかげで、
少しだけこの国の輪郭が見えた」
エリアスは軽く会釈し、店を後にした。
扉を開けると、紫の霧がまた、
じわりと足元に絡みついてくる。
「スカイ。今度は、私があなたを助ける番よ」
胸の奥でそう呟き、
エリアスは大使館のある方角へと歩き出した。
――紫雲東方帝国という、
歪な女尊の国の真実を知るために。




