第20話 マリナス共和国15
リュミナス号・医務室
医務室の外では、慌ただしい足音と共に歓喜の声が響いていた。
扉一枚隔てただけで、世界はまるで違っていた。
「海賊達が倒されたぞッ!」
「やった! 悪夢は終わったんだ!」
外の声を聞き、ララは胸に手を当ててほっと息をついた。
隣のベッドでは、包帯に覆われたレオナルド議員が静かに横になっている。
止血は済んだが、脇腹には太い管が刺さり、点滴が吊られ、
肩口には魔力代替の輸血パックが三つも繋がれていた。
それでも、彼の呼吸には確かなリズムが戻っていた。
「お身体の具合はどうですか、レオナルド議員。」
レオナルドは目だけを横に向け、かすかに微笑んだ。
「……かたじけない、ラネーゼ嬢。
あなたに借りを作ってしまったな。」
彼特有の堅い声だが、そこには温度があった。
ララは首を振り、まっすぐ答える。
「そんなことありません。
議員はレニールのお父様で、そしてマリナス
を守るために戦ってくださった“英雄”ですから。」
その言葉に、レオナルドの眉がわずかに動いた。
目を閉じ、息を吐く。
「……いや、庇ってくれるな。
この事件で多くの命を失った。
私は、覚悟していたとはいえ、その責を逃
れることはできん。
犠牲を招いたのは、私の判断だ。
……議員を辞職するのが、筋というものだろう。」
ララの目が驚きで見開かれる。
「そんな……!? 議員は命を賭して皆を守りました!
それなのに、政治生命を失うなんて――!」
レオナルドは静かに首を振る。
「ラネーゼ嬢。政治とはそういうものだ。
覚悟をもって決めたことが結果的に国を
危ぶめたのなら、その責は取らねばならん。
かつて私の妻、エミリアが……このマリナスを愛したように、私は“守る”という名で……
奢っていたのかもしれん。」
その言葉に含まれる自責に、
ララの胸が締め付けられた。沈黙が落ちる。
「……レニールには、お話ししなくていいんですか?
エミリアさん――レニールのお母様が
亡くなったあのこと。
本当は、彼女自ら寿命を隠していたという事実を……。」
レオナルドは天井を見上げたまま、瞳に淡い光を宿した。
「そうか……オレガノ夫人には話していたのだったな。
あれは、生まれつきの病だった。
薬で症状を抑えることはできても、完治は望めない。
私は……レニールが生まれたばかりの頃に
それを知った。
だがエミリアは――私を恨まなかった。
むしろ“こんな私を選んでくれてありがとう”と笑ってくれた。
限りある命でも、私とレニールの中で、
“幸せな母”としての記憶を残したいと……
そう言ったのだ。」
声が次第に震え、そして掠れる。
「命を削りながらも……彼女は私を愛し続け
てくれた。
死の直前、私は何もしてやれなかったのに、
亡くなる間際まで、私を責めず、笑ってこう
言ったんだ。
“あなたと出会えて、レニールを授かれたこと
が、私の幸福です”と……。
そう言って、あの笑顔のまま逝ったんだ……。」
涙が頬を伝う。
それをララは黙ってハンカチで拭った。
「……きっと、エミリアさんも喜んでいますよ。
あなたがここまで、あの人の思い出を守ろうとしたことを。
だから――もう、自分を責めないでください。」
レオナルドは天井を見上げたまま、
誰にともなく小さく呟いた。
「なぁ、エミリア……。
お前のために何もできなかった、この私が、
マリナスを守り抜いたと胸を張る資格がある
だろうか。
息子に恨まれようと、
お前がこの国を“好きだ”と言ってくれた
その想いを、私は守りたかった。
……それだけが、生きる理由だったんだ。
今思えば、あれもまた、私なりの“愛”だったのかもしれん。」
ララは唇を噛みしめた。
レオナルドの背負ってきた年月の重さが、
今、初めて見えた気がした。
ララは小声で
「レオナルド議員……。」
それ以上、何も言えなかった。医務室の外。
壁に背中を預け、黙ってその会話を聞いていた影があった。
レニールだ。
息子は、父の言葉の一つ一つを胸の奥で受け止めながら、
目尻を伝う涙をぬぐい、
誰にも聞こえないほどの小さな声で、呟いた。
「……ったく……
素直に言うのが遅ぇんだよ、親父……。」
その声は、嗚咽にかすれながらも――
どこか優しく、あたたかかった。
戦いの喧騒が遠のき、
夜明けがマリナスを包み始めていた。
傷ついた者たちがそれぞれの場所で、
もう一度“生きていく”ための呼吸を取り戻していく。
医務室扉の外から、
小さくコンコンとノックの音が響いた。
ララが「どうぞ」と答えると、扉がゆっくりと開く。
そこに現れたのは――
スカイ、エリアス、ガドリン、そしてレニールだった。
ララの瞳が一瞬で輝きを取り戻す。
「皆さん……!」
安堵と嬉しさが同時に溢れた笑みで、
彼女は立ち上がり4人を迎え入れた。
レニールの頬に、わずかに涙の跡が残っているのを見て、ララはすぐに察した。
――彼が、扉の外で自分の父の話を聞いていたことを。
何も言わず、ただ静かに微笑む。
ガドリンがレオナルドの枕元へ歩み寄り、
半ば苦笑まじりに声をかける。
「身体の調子はどうだ、レオナルド。
さすがのお前も今度ばかりは、心も体も
休ませねばなるまい。
少しはその頑固頭も冷えただろう?」
レオナルドは、
「フン……これだけ身動きが取れぬと、体が
鈍ってしまいそうだ。
お前も人のことを言う前に、その肥えた腹を
何とかせんか。
肥えた首相など、威厳も説得力もないぞ。」
「な、なにぃ!?」
ララは思わず苦笑し、レニールは肩をすくめた。
エリアスが口元を押さえ、スカイが小さくため息をこぼす。
――変わらぬ調子のふたりに、医務室の空気が少し柔らいだ。
やがて、レオナルドがふと真顔になり、
首を動かしてガドリンのほうへ視線を向ける。
「……終わったのだな。マリナスの悪夢は。」
ガドリンは静かに頷く。
「あぁ。この場にいるスカイ殿と、エリアス陛下のおかげだ。」
そう言うと、ガドリンは片膝をつき、深々と頭を下げた。
「スカイ殿、そしてエリアス陛下。
この度の事件、あなた方のお力無くしては我々は滅びていた。
新婚旅行の最中にもかかわらず、
危険を顧みず身を投じてくださった。
その勇気と善意に、マリナス共和国を代表
して、心から感謝します。
本当に……ありがとうございました!」
ララとレニールもそれに倣い、深く頭を下げる。
スカイとエリアスはそろって戸惑いの視線を交わし、
落ち着かない様子で身を正した。
スカイは、
「……どうか、そこまで畏まらないでください。
むしろ我々の方こそ、ドックの一部と大型船を守れず申し訳ありません。
さらに……私の策でも数値教を完全に封じきれなかった。
結果として、再び犠牲者を出してしまったこと――心からお詫びします。」
深々と頭を下げるスカイ。
その姿に、レオナルド、レニール、
ガドリン、そしてララは息を呑む。
エリアスは、そんなスカイを心配そうに見つめた。
レオナルドは、
「……顔をお上げなさい、
スカイ・エニーフィート殿。
あなたは何ひとつ、間違ったことをしていない。」
ベッドから身体を起こそうとするレオナルドを、
ララが慌てて押しとどめようとする。
「ダメです、今はまだ!」
しかし彼は片手を軽く上げてララを制した。
「私はまだ政治家だ、ラネーゼ嬢――
いや、ララ。」
そう言って上体を起こし、スカイをまっすぐ見据える。
「前回の数値教テロも、あなたの策がなければマリナスは地図から消えていた。
そして今回――強行したのはこの私だ。
犠牲者が出たのも、全てこの身の責任だ。
……あなたが、罪を背負う必要などどこにもない。」
その声は静かだったが、確かな力が宿っていた。
ガドリンも、ララも、レニールも……
その誇りと責任の姿勢に、胸が締め付けられる思いだった。
スカイは短く目を伏せ、
やがて何かを決意したかのように口を開いた。
「……そうおっしゃるなら、レオナルド議員、ガドリン首相。
ひとつ――私からご相談、いや、“提案”がございます。
今この時だからこそ、聞いていただきたい。」
ガドリンが、首を傾げる。
「今から? スカイ殿、一体何を……?」
スカイはゆっくりと息を吸い、
真剣な眼差しで二人を見つめた。
「……“これからのマリナス”についてです。」
その瞬間。
ガドリンとレオナルドの表情が、
政治家としての鋭さを取り戻した。
室内の空気が、静かに引き締まる。
ララはスカイの横顔を見つめ、
“愛する人の父の未来”と、“この国の未来”が交わろうとしているのを直感していた。
医務室に、再び重い静寂が落ちた。
窓の外では、沈みかけた夕日が海面に細い金の筋を描いている。
スカイは一歩前に出て、ガドリン首相をまっすぐ見つめた。
「……ガドリン首相。
今回の件で、私ははっきりと実感しました。
――マリナスの海に、“防衛力”は必要です。」
その言葉に、ガドリンの目が大きく見開かれた。
驚愕と、そして一瞬の汗。それはまさに、
かつて議会で繰り返し論戦となったテーマ――
レニールの父、レオナルド議員が幾度となく
主張していた内容だった。
レオナルドは枕元で静かに息を吸い、
真剣な表情で力強く頷く。
「……正直、スカイ殿が私の主張に賛同して
くれるとは意外でした。
だが確かに、今回の惨劇がすべてを物語っている。
海を持つ国家に、守る力が無ければ、
同じことが繰り返される。
なぁ、ガドリン。
犠牲者が出た以上、もはや“嫌”とは言わせんぞ。」
「……。」
言葉が出ない。彼自身、今回の事件で痛感していた。
“理想だけでは国は守れない”という現実を。
民が血を流した以上、
もはや防衛強化は避けられぬ――
そう、思い始めていた。
だがその瞬間、スカイの声が再び室内に響く。
「――ですが、レオナルド議員。」
静かに、だが鋭く言葉を置く。
「マリナスに防衛力は必要です。
けれど、“軍事力”が唯一の解ではありません。 私が提案するのは――
マリナスの新たな防衛の形です。」
二人は思わず目を見合わせた。
その瞳に映るスカイの表情は、決意と優しさ
が入り混じっている。
「それは、“海の警察”です。」
一瞬、時間が止まったようだった。
レオナルドとガドリンの呼吸が重なり、
医務室の空気がピンと張り詰める。
「……“海の、警察”?」
「はい。軍ではない。だが、守る力を持つ。
――市民の命と、海の秩序を守る、
新しい形の防衛機構です。」
レオナルドも目を細める。
「……つまり、軍に代わる、国民に根ざした防衛組織というわけか。」
スカイは深く頷いた。
「……もちろん、警察にも“武器”は必要です。
しかし――軍事というものは、守るための力
であっても、
その本質が“目標の完全破壊”に向かいやすい。
いったん歯車が回れば、抑止ではなく、
破壊が目的になる。
……それを、この戦いで痛感しました。」
その言葉に、エリアスが静かにスカイを見つめる。
ララは医療器具を持つ手を止め、息を呑んだ。
スカイはまっすぐレオナルドを見据える。
「レオナルドさん。
もしあなたが“軍事改革”を進めたとして――
血と硝煙に覆われるこのマリナスを、
あなたの奥様、エミリアさんは……本当に
喜ばれるでしょうか?」
「……っ!!」
その言葉が、深く胸に突き刺さる。
彼はいつも“正義”と“守る責務”のために強さ
を求めてきた。
だが、スカイの問いを受けた瞬間――
自分が目指していた方向が、
いつしか彼女の望んだ“穏やかなマリナス”
から離れかけていたことに気づく。
レオナルドは拳を握りしめ、目を閉じた。
「……私は……彼女の願いを……。」
スカイは、その沈黙を尊重しながら、
やわらかく話を続ける。
「レオナルド議員。
――大型船の用途を、“海上巡視船”に
切り替えてください。
そして、武器体系は極力“非殺傷”に。
高圧放水。制圧用ネット弾。
それに、私が今回の戦いで使用した
“麻痺毒糊鉄砲”。
相手を殺すのではなく、止めるための装備です。
この理念をもとに、こう呼んでほしい。
――『マリナス海上保安庁』。
人の命と海の秩序を守る“防衛機関”として。」
医務室にいた全員が息をのんだ。
レオナルドの目がゆっくりと大きく見開かれる。
「……マリナス海上保安庁……。」
その言葉を繰り返しながら、かすかに微笑む。
そこには、久しく忘れていた“希望”があった。
「……なるほど。
軍ではなく、“守りのための力”か……。
これなら、エミリアも……笑ってくれるかも
しれんな。」
ガドリンが感慨深く腕を組み、
ララは瞳を潤ませながらスカイを見つめた。
「スカイさん……あなたって、本当に……。」
スカイは照れくさそうに微笑み、言葉を返す。
「オレはただ、同じ過ちを繰り返したくない
だけです。
この海で、もう誰も泣かせたくない。
そのための“守る力”が、必要なんです。」
スカイの提案にマリナスの新たな未来が描き始めた。




