利他とアカメ〜かつて初恋に囚われていた少年は祝言の日、初恋の少女を殺す〜
今作は 利他の献身〜「人のために生きよ」と呪われた少女は、愛する幼馴染たちの祝言を祝福する〜 のゲンブ視点です。
「あぁ。ありがとな……リタ」
その言葉は決別だった。俺の中で、リタとアカメというのは別人だった。リタは奇妙なほど人の為に尽くし、自分の命を投げ打ってまで他人を助けようとする。アカメは俺の幼馴染で、不器用で、本当は寂しがりな奴。だがあのときの俺のこの一言で、きっとアカメは死んでしまったのだ。俺はアカメを殺した。
俺とアカメとユリは同じ村で生まれ、特にユリと俺は赤ん坊の頃から一緒に育った。ユリは泣き虫で気弱で引っ込み思案で、俺によくくっついて歩いていた。アカメと出会ったのは五歳の頃だ。婆さんを亡くしたとかで、大きな木の前でひとり、鼻水を垂らして大きな瞳を真っ赤にしていた彼女に、俺は恋に落ちた。変な話だと思う。誰が鼻垂れのガキに一目惚れなんか……って。でもそのときの俺にはそれが、何よりも美しく見えたんだ。鼻を啜って目を擦り、俺を上目遣いに見つめてくるそいつに照れくさくなって、持っていた手ぬぐいを近くの川の水で濡らして、押し付けた。
「これで拭けよ……アカメ」
「アカメ……?それはあたしのことか?」
ぽかんとした表情に鼻声で言った彼女に罪悪感と後悔が湧いてきて、視線を逸らしながら目を泳がせて言う。
「お、おう……」
「そうか、アカメ……」
噛み締めるように呟き、微笑んだ彼女。
「いい名だ。ありがとう」
そう言って笑ったアカメに、俺は困惑した。
(魚の名前だぞ?嫌じゃないのか?なぜ笑う?普通怒るところだろ)
今更本当の名前を聞くのは照れくさくなり、俺は彼女をアカメと呼ぶことになった。そしてその呼び方に慣れた頃、彼女の名前がリタであることを知った。変わった名前だと思った。大人たちが彼女のことをリタと呼ぶ度、そいつにはアカメの方がお似合いだと内心悪態をついた。
十七の夏、親父が死んだ。酒の飲み過ぎが祟って、早死にしやがった。それでも棺の中の親父の寝顔は穏やかだった。それに安堵した俺は、ため息をついた。葬儀の後、夕焼けの海辺でアカメと話をした。
「アカメは好きな奴とかいんのかよ」
「私か?私にそんなものはいない……恋とか愛とか、そんなものより私は、誰かのために生きたいんだ」
遠くの夕日を見つめながらそう言って笑った横顔に俺は納得できず顔を背けた。
「俺はアカメに聞いてんだよ。リタに聞いてんじゃねぇっての……」
ボソッと言ったその声は、アカメには届かなかった。彼女は本心から言っているのかもしれない。だが俺にはそれが痛々しい虚勢に見えてならなかった。
(もしここで、お前のことが好きだって言ったらどうなるんだろうな)
物思いに更けていると、気づけば太陽は沈んでいた。アカメは、腕を広げて無防備に眠りこけている。
「おい、風邪引くぞ」
大きめの声をかけるが、起きる気配はない。
「なぁ、お前は間違ってるよ。空っぽの奴が誰に何をあげられるんだ」
「俺が満たしてやるから。溢しても何度でも。だから、おねがいだ。おねがいだから。誰かじゃない、俺を見てくれ……」
眠るアカメに縋って言った。馬鹿みたいだ。こいつのことになると途端に女々しくなってしまう。親父が知ったら、拳骨入れてきそうだ。男ならビシッと言って好きな女掻っ攫ってこい、それぐらいの根性見せろと笑われるか。俺にはできない。この関係が壊れて、そばにいることも許されなくなってしまうかもしれない。それが何より恐ろしいんだ。
——このままじゃ、本当に風邪を引いてしまう。眠るアカメを背負って、暗い夜道を歩いた。なぁ、親父。助けてくれ。戻ってきてくれよ。
「ゲンブさま!」
暗闇の奥から、ユリが息を切らして走って来た。
「はぁ、はぁ」
「……ユリ?どうした、こんな夜更けに女が一人で……」
「ゲンブさまっ!ユリは、あなたを愛しています。だから……あなたは、ひとりじゃありません。このユリがいます。おとうさまの分まで、わたしがゲンブさまを支えます」
まっすぐな目で突然そう言った彼女に、俺は心打たれた。
(見透かされていたのか……俺が、なんでもないふりをしていたこと。親父の死に、本当は打ちのめされそうになっていたこと)
ユリの気持ちには薄々気付いていた。だが、俺はアカメが好きだ。その気持ちには応えられない。だから、ずっと気付かぬふりをしてきた。そんな俺に。アカメとの関係が壊れるのが怖くて女々しく泣いてばかりの、意気地なしの男に。こいつは、あの恐怖に打ち勝ったのか。なんて強いんだろう。俺はずっと、こいつのことを弱い奴だと思い込んでいた。泣き虫でひっつき虫で気弱で。でも違ったんだ。俺は何も見えていなかった。俺の頭の中はいつもアカメのことばかり。それでもユリは、変わらず俺のそばにいてくれた。物心つく前から。そうだ……ユリは、誰よりも強かったんだ。
男であるなら泣くな。そう親父に言われてきた。今だけは、許してくれ。
「なんで……おまえ……」
涙が溢れてきた。あぁ、なんでだろう。なんで、泣いてるんだろう。悲しいんじゃないんだ。嬉しいんだ。片方の肘で何度も涙を拭う。こんな情けない姿を見られたくなくて、背を向けて声を押し殺して泣いた。それを許さないとでも言うように俺の前に回って、俺の頬を冷たい手で挟み込んだ。その冷たさに驚いて顔を上げると、そこには眉を下げ、涙を流して微笑むユリがいた。その瞬間、許された気がした。強がる必要はないのだと。泣き顔を晒してもいいのだと。
「ありがとうっ……」
泣きながら絞り出し掠れた声でそう言った。なぁ、親父。見てるか?情けなく泣いてしまうような俺のことも、笑って許してくれる奴がいたよ。いつもそばにいたのに、馬鹿な俺は今まで気づかなかったよ。
長い初恋だった。なぁ、アカメ。俺には守らなきゃいけねぇもんができちまった。
そして十八の冬、俺はユリと祝言を挙げる。後悔はしていない。アカメとの決別は、俺が大人になった証拠なのだから。




