第四部:忌まわしき残響 ― 徳川忠長
徳川の家の定めは、三代にわたっても繰り返されることになる。
二代将軍・秀忠は、父とは違い、人の親としての情に厚かった。彼は、病弱で内向的な嫡男・家光よりも、活発で自分に似た次男・忠長を愛した。その父の寵愛が、忠長の心に、兄を凌ぐ野心を芽生えさせた。
幼い家光(竹千代)が感じていたのは、複雑な政治的屈辱ではなかった。もっと根源的な、子供ならではの疎外感と不安感であった。
両親の視線や笑顔が、常に活発な弟・忠長(国千代)に注がれ、自分は輪の外にいる。なぜ自分は愛されないのか。その理由は分からないが、ただ寂しく、居場所がなかった。
その歪みを、駿府の城から見ていた者がいた。大御所・家康である。ある日、江戸城を訪れた家康は、広間で異様な光景を目にする。中心には満面の笑みを浮かべた忠長がおり、秀忠夫妻がその両脇を固めて楽しげに話している。一方、部屋の隅では、嫡男であるはずの家光が、ただ黙ってその光景を眺めているだけだった。
家康の雷鳴のような叱責が、その場の空気を引き裂いた。「長幼の序は天下の法ぞ!」と。
秀忠は震え上がり、方針を改めた。しかし、家光は父が叱られたことを喜べなかった。祖父の介入は、彼の立場を「法」によって守ったが、両親の「心」が自分にないことを、かえって残酷なまでに証明しただけだったからだ。
そして時は流れた。
父・秀忠の治世、駿河大納言として五十五万石を領した忠長は、その駿府の城で、まさに日の出の勢いであった。彼の周りには、その気前の良さと豪快さを慕う者たちが常に集っていた。
ある夜、側近の一人が、憂いを帯びた顔で忠長に言上した。
「殿、近頃の浅間山での狩りのこと、江戸におわす大御所様(秀忠)の耳にも入ったやにございます。あそこは神域、殺生禁断の地。あまりに度が過ぎますると、上様(兄・家光)の立場も…」
忠長は、大杯に注がれた酒をあおり、愉快そうに笑った。
「案ずるな。父上が兄上に何を言おうと、このわしを罰することなどできぬよ。父上が本当に頼りにしておるのは、病弱な兄上ではない、この忠長だということを、誰よりもご自身がご存知のはずだ」
彼の心には、幼い頃に両親から注がれた愛情が、絶対的な自信となって根付いていた。
「兄上は江戸城で、公家のごとく書状に筆を走らせておればよい。天下の武威を示し、外様を従わせるのは、このわしの役目よ。父上もそれを望んでおられるわ」
その言葉には、兄への憐れみと、自らが実質的な天下の担い手であるという、驕りが満ちていた。彼にとって、幕府の法度とは、自分以外の者を縛るためのものでしかなかった。
その頃、江戸城の奥深く。三代将軍・家光は、側近中の側近である「知恵伊豆」こと松平信綱と向き合っていた。信綱が、駿河からの報告書を淡々と読み上げる。
「――以上が、駿河大納言様の近頃のご様子にございます。領内での辻斬り、神域での狩り、家臣への理不尽な仕置き…。上様への対抗心からか、目に余る行いかと」
家光は、静かに目蓋を閉じた。その脳裏に浮かんでいたのは、怒りでも悲しみでもない。遠い昔、広間の隅で一人佇んでいた、幼い自分の姿であった。あの頃感じた疎外感は、成長するにつれ、秩序が乱されることへの恐怖へと変わった。そして、祖父・家康が何を最も重んじていたかを、彼は誰よりも学んでいた。
「伊豆守…」
家光は、ゆっくりと目を開けた。
「そなたは、祖父・大御所様が、なぜ伯父・信康様を斬ったかを知っておるか」
「はっ…家の安泰を揺るがす、内なる毒と見なされたから、と…」
「そうだ。父もまた、弟・忠輝様を追放された。同じ理由だ。…では、わしの役目は何だ?」
家光の問いに、信綱は答えない。ただ、深く頭を垂れる。
「この徳川の家を、子々孫々まで繋ぐこと。そのためには、この家を蝕む毒は、たとえ肉親の血であろうと、すべて排さねばならぬ」
その声は、もはや内気な若者のそれではない。絶対者の、冷たい響きがあった。
父・秀忠が世を去った時、忠長を抑える最後の枷が外れた。そして、家光が動くための最後の障害もまた、消え去った。
将軍・家光の命令は、迅速かつ無慈悲であった。不行跡を理由に、忠長はすべての官位と領地を剥奪され、甲府への蟄居を命じられる。
報せを受けた忠長は、最初はそれを信じなかった。
「兄上が…? あの気弱な兄上が、このわしに…? 」
しかし、それが揺るぎない事実だと知った時、彼の顔から血の気が引いていった。彼は、父の寵愛を自らの実力と錯覚し、兄の沈黙を臆病さと見誤っていたのだ。
一年後、高崎に幽閉されていた忠長の元へ、上使が訪れる。家光からの、最後の命令を携えて。
自刃を前に、忠長は何を思ったか。父の甘い愛情か、祖父の厳しい眼差しか、あるいは、一度も対等に向き合うことのなかった、兄の本当の顔か。
家光は、祖父が信康にしたことを、父が忠輝にしたことを、自らの手で、弟に対して成し遂げたのだ。そうすることで、彼は初めて、か弱かった幼い日の自分と決別し、祖父と同じ、冷徹な天下人となったのである。
こうして、徳川の天体は、三代を経て、寸分の狂いもない、完璧な秩序を手に入れた。江戸の町には、穏やかな泰平の時が流れていた。しかし、その静謐な光が照らし出す壮麗な楼閣の、その土台の最も深い場所には、信康、秀康、忠輝、そして忠長という、父の、あるいは兄の、あるいは「徳川の家」そのものの非情な重力によって砕かれた、息子たちの影が、永遠に沈んでいるのであった。