第三部:軌道なき星 ― 松平忠輝
父の愛を知らぬ息子は、自ら光を放つことで、その存在を証明しようとする。六男・忠輝は、まさにそのような男であった。家康は、かつて自らが手にかけた信康に面影が似ているという理由で、この息子を遠ざけたと言われる。理由はどうあれ、忠輝は父の冷たい視線の中で育った。彼の心には、認められたいという渇望と、父への反発という、相克する炎が燃え盛っていた。
その炎に油を注いだのが、彼の舅、奥州の独眼竜・伊達政宗である。大坂の陣を目前に控えたある日、政宗は鷹狩りを口実に、忠輝の領地である越後を訪れていた。
「越後の冬は厳しいと聞くが、貴殿の武勇の前には、雪も溶けよう。それに引き換え、江戸の春はあまりに長閑すぎて、武士の牙を鈍らせる」
葦の原を見渡しながら、政宗は独り言のようにつぶやいた。
「…治部少輔(兄・秀忠)様は、あまりに石橋を叩きすぎるお人。父上もそれを是としておられる」
忠輝の言葉には、隠しきれない苛立ちが滲む。
「ふっ…」政宗は笑った。
「大御所様(家康)は、もはや天下の安寧のみを考えておられる。されど、安寧とは、牙を抜かれた狼の群れに与えられる名ではない。貴殿のような真の竜がいてこそ、真の静寂は保たれるもの。越後の竜は、江戸の小庭で飼いならされるには、あまりに大きい…」
政宗の言葉は、決して謀反を唆すものではなかった。しかし、その一言一句が、忠輝のプライドを巧みにくすぐり、兄への対抗心を煽ったのであった。
その鬱積が爆発したのが、大坂夏の陣である。忠輝にとって、それは自らの力を天下に示す絶好の機会であった。彼は、兄・秀忠の軍列を追い越し、その旗本を斬り捨て、戦後の命令を無視した。それらの行動は、彼にとっては自らの存在価値を誇示するための、当然の振舞いであった。しかし、父・家康の目には、それは「家」の秩序を乱し、天体の運行を破壊する、許されぬ反逆としか映らなかった。
やがて、忠輝に改易の命が下る。すべての領地を没収され、伊勢へと流罪に処されることが決まった。絶望の淵に沈む忠輝のもとを、最後に訪れたのは、意外にも政宗であった。
「舅殿…! これもすべて、父上の差し金か!」
「静まれい」
政宗の声は、氷のように冷たかった。
「貴殿は、戦には勝った。されど、政に負けたのじゃ。…婿殿、わしは伊達六十二万石の当主。この家を守るためには、時には鬼にもならねばならぬ。貴殿の父君が、かつて岡崎の御嫡男にしたことと同じよ」
「では、わしを見捨てるのか!」
「見捨てるのではない……わしは、伊達の家を選ぶ。それだけのこと」
政宗は、冷たく言い放つと、一度も振り返らずに去っていった。忠輝はその背中が見えなくなるまで、呆然と立ち尽くすしかなかった。彼は最後まで、父が、そして舅が守ろうとしたものが、個人の武勇や名誉ではなく、冷徹なまでの「家」そのものであったことを、理解できなかったのかもしれない。