表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
19/115

【019】司書オリヴィアさん


 かくして、昼食後にアルバンは馬に乗って北の城砦へ。

 私は家に残って諸々の作業である。

 まず、ことが否応なしに動き出してしまいそうなため、実家のお父さま宛に「黒い布おくれ。ドレス十着に色付けた感じで」と手紙を書いた。

 さて次は荷造りのための準備の一環として、物を整理しようということで、朝から使用人の皆さん、主にメイドさんたちがアルバンの部屋に運び込んでくれた私の服をもう一度チェックしておき、辺境伯夫人の部屋には持っていかないもの、アルバンの部屋には城砦に持って行くものと分かりやすく分別した。

 朝に物を運ばせまくったというのに、その日のうちにまたバタバタしてしまい、申し訳ないことである。が、今回に関しては私が悪いという訳でなく、ミルメコレオのせいなのでしょうがない。

 さて次は言われた通りに本の選抜でもするか……と考えていたのだが、そのタイミングで靴屋の職人さんがやって来た。

 どうやら屋敷から遠くないところに工房があるらしく、わざわざデザイン案のために幾つかブーツを見本として持って来てくれたらしい。

 この場合、職人さんに対してはドレスで出迎えるべきか……?

 少し迷ったが、どうせズボンを履いてその上からブーツを履く予定なのだし、ズボンの方が良かろうということで、急遽乗馬服に着替えて応対。

 応接室にお通しして紅茶など飲んで頂きつつ、緊張で冷や汗を掻きながら小刻みに震えている三十代半ばと思しき職人さんに、これがいいです、とブーツを発注した。

 出来るだけ、無理のない範囲で急いで欲しいと依頼し、二足ほど頼んだのだが、片方は急ぎで、もう片方は別に急がなくて良い旨を伝えておく。

 家令が気を効かせて、倉庫からかつてアルバンが狩った魔獣の革や毛皮を出してきてくれたので、とにかくあったかいブーツを、という訳で、外側は水や雪を弾くケルピー革を黒く染めたものを、内側は贅沢にも黒い狐の毛皮を使って作って貰うことになった。

 職人さんの呂律は回っていないしずっと怯えているが、なんの素材をどう使ったら良いかとか、諸々提案してくれたので良い人である。

 しかし最後までガタガタ震えていた。

 恐らくこれはアルバンが恐れられているのと、いきなり貴族の邸宅に呼ばれて恐縮しているが故の反応なのだろうが、余りにも気の毒なので、私たち怖くないですよアピールの一環として、お土産を渡して帰って貰った。いきなり呼び付けて感じ悪い貴族だったよねごめんねの意も含む。

 何を渡せば良いのかよくわからなかったので、近くにいたメイドさんに相談してお任せしてしまったのだが、バスケットごとワインと、ハムとソーセージとチーズをお渡ししたとのこと。

 よし。

 シェフがセレクトした内容なら間違いはあるまい。私が一方的にシェフに対して絶大な信頼を寄せているという奇妙な状況が発生しているが、その事実からはそっと目を背けておきたい。

 応対が終わった時にはもう既に夕方だったが、少しだけ時間があったので先にお風呂に入り、面倒ゆえにほぼ汚れていない乗馬服のズボンとブラウスのまま夕食を摂る。

 今宵のメニューも素晴らしかった。

 マスのフライも、牛の挽肉を使ったポテトグラタンも美味しかった。前菜だってデビルドエッグのキャビア乗せだったし、私の好きなものばかりだったのだが……一人でポツンと食べるのは少々寂しい。

 なにしろ嫁いできてからこっち、どこへ行くにもアルバンとワンセットであることが多く、別行動するにしても食事時は必ず一緒だった。

 早くもちょっと寂しくなってきてはいるが、仕方がない。

 アルバンが居ないため、夜寝る前の戯れの時間が無いので、かわりに図書館へと足を運ぶことにする。

 まず、元々この屋敷にあったという古い方の図書館へと向かう。

 こちらは古いだけあって、フリートホーフ辺境伯領を運営するための参考書となり得る文献などもあり、幾つか勉強用のものをピックアップしておく。冬が終わるまでにここまでは知っておきたい、という範囲を薄ぼんやりと自己設定し、自主的な宿題とする。

 パラパラと捲っては戻しつつ、配架書架のコードとタイトルを紙にメモしておく。

 リストを作り、最後の一冊の下に線を引いて、ここまでが絶対にもっていくものとして区切る。

 続いて、大胆にもダンスホールをそのまま改造したという巨大で新しい方の図書館へと移動する。こちらはもう完全にフィーリングに任せてアタリを付け、面白そうな本を欲望の赴くがままにピックアップしてゆく。

 ベルシュタイン城砦に持って行ったら妄想が捗って楽しいかしら、と胸をときめかせつつ攻城戦における戦略論の本を三冊ほど選び、逆に籠城戦のものも選んで、続けてフリーホーフ辺境伯領の歴史を記した戦記ものに、実際にあった戦争を題材とした娯楽小説などを目に付いたものでまだ読んで無いものを全て。最後にこれも外せないわねと兵站輸送論に関する本を五冊。

 と、やっていたら、早くも三十冊になってしまった。

 どうしよう。まだイケるか?

 ここまできたら、アルバンが寛容なのをいいことに、おそらくアカデミーの専門課程を履修する貴族の御嫡男向けであろうガチもガチな本を紛れ込ませてしまおうか?

 私は一応、これまでは言い訳が立つよう、この淑女としては失格な趣味に関して「嗜む程度ですので」と言って躱せるようよう、手にする本は見る人が見れば「まぁ確かに難易度の高い本ではないな」とわかる程度に留めておき、もう一段階専門的なものは父の書斎からちょろまかしていた。あとは想像力の赴くがままに妄想の世界に旅立つのみだった。

 アルバンとか、ハインリヒさんとはきっと怒らないだろうし、いいかなって思って、えへへ、えへへとリストの下に付け足そうとしたところ、ふと背後に気配を感じて振り向くと……。

「奥様」

「ぁえっ!?」

 にこやかな、金髪の美女が立っていた。

 眼鏡の似合うクール系。私よりかは少し低いが、貴族階級っぽいのに、背が高い。

 みられた。

 長年の反射で心臓を跳ねさせてしまったが、今の私はこの家の女主人。本来、憚ることなどない筈なのだが、なんとなく怒られるかも、と身構えてしまう。

「その本でしたら最新版がございますので、そちらの方がわかりやすいですよ?」

「あっ、あっ、えっ、あっ」

 ハキハキ喋る金髪の美女を前に、動揺が抜け切らずろくな返事が出来ない。

 違うんです、これは違うんですと言い訳しようと手をワヤワヤさせてしまう。まるで犯行現場を見付かってしまったマヌケなコソ泥のようになっている。

「奥様がこういった戦略論戦術論などをお好みとは卿から伺っていたのですが、まさか単なる伝奇小説や歴史小説だけでなくもっと実践的なものや学術的なものがお好きとは思いませんでした。フリートホーフ領は歴史からして他民族との戦争や魔獣の危機に多く晒されてきた歴史があるとはご存知でしょうが、ここにしかない希少な資料や記録などもございますのでぜひご覧になって頂ければと。特にお勧めなのが、第十三代目のフリートホーフ辺境伯の書いた日記でして。他愛ない日常の記録が多く読み物としては冗長な面もあるのですが、彼は先代が始めたベルンシュタイン城砦の建造事業を引き継いでいるので、城の工事がどのように行われていたのかを窺い知ることが出来る貴重な資料なんです。それだけでなく、ベルンシュタイン城砦内部の構造を当時の最新戦術論を参考にして大幅に変更するべきではないかと考えた人なんです。その過程がもうタイミングといい決断といい臨場感があって堪らないんです。フリートホーフ辺境伯領史と照らし合わせて考えると壮大な物語を読んだかのような心地になれまして。個人的にはぜひ読んで頂きたいなと。あっ、ですが日記は全部で十五冊もあるので、もし合わないなと思われましたら一部良いところを抜粋させて頂きます。しかしながら三冊目四冊目飛んで七冊目と十四冊目十五冊目は絶対に外せません。それと、奥様は兵站に関してもご興味がおありのようですね。お選びになられた本は確かに初心者向けではあるし分かりやすく良いものなのですが、奥様のレベルですと既に戦略論の方で学ばれているものと内容の大半が重複するかと思いますので、五冊のうち二冊を選べば問題はないかと。兵站に関しては論よりも実際の記録を詳細に見た方がわかりやすい部分があり、兵站輸送に関する論文はそういった過去の記録を知っているのが前提となりますから、過去の戦争で実際にどのような仕組みでどれほどの物資がどこに運ばれたのかの記録と目録に目を通してから応用編に入った方がスムーズかと思います。兵站輸送に関しては二百年前の西方戦争が最も有名なのはご存知ですよね? 砂の上でいかにして物資を輸送するのかという点に目が行きがちですが、王国ではほぼ扱った経験がなかったラクダを導入し実現を可能にするまでどのような対策を用いたのかが面白いところでして。きっとお楽しみ頂けると……」

「あっ、あの、ありがとうございます」

 すごい喋る。

 無口でクールな美女かと思ったら、物凄い早口ですっごい喋る。

 オ、オ、オ、オタクだ〜〜〜〜!

 凄い。初めて見た。自分以外に戦術やらなんやらの物騒な物騒な分野を好む女性に初めて会った。

「それでは、あの、あなたのお勧めを、読ませて頂きたいです」

 返事をすると、金髪の美女はパァッ! と嬉しそうな顔をした。

 な、なんかこの方、クール系美女なのに本のこと話していると無邪気な女の子みたいに見える。私と歳は同じくらいに見えるが、大人っぽく見えるだけで年下なのだろうか?

「ありがとうございますっ! 奥様、申し遅れました。わたしは、司書のオリヴィアと申します」

「ツェツィーリアです。アルバン様から司書が居るとは聞いていました。まさか女性の方とは思わず……。」

「珍しいと思われますよね。その通りです。わたしは元々、王立図書館に勤めていたのですが、入ることが出来たのは良いものの、司書という仕事を婚約者に嫌われ、破談となりまして……それで、実家とも折り合いが悪くなってしまったところを、閣下に拾って頂いたのです」

 サラッと、なんでもないことのように言っているが、かなりハードな内容だ。

 貴族女性が学問をするのはハードルが高い。

 そもそも、家政や音楽、刺繍、詩作などの分野以外は推奨されていないので、それ以外を学ぼうとすると、当主、多くは父親の裁量次第となる。

 のみならず、もし私の家のように父親が許したとしても、教師が見つからない。私の場合だと、戦術。女性が戦術を学ぶのは外聞が良くない。つまりそれは、戦術知識を人に教えられる家庭教師にとっても外聞が良くないということだ。

 彼らは家庭教師というのが仕事で、仕事がなければ生活していけない。なので、もし女性を教育しているとなると「あの家庭教師は実力がないから食うに困って令嬢に教えているそうだ」と評判が落ちてしまうため、滅多にやりたがらない。

 分野を問わずみっちり、貴族男性と同じように勉強する例外があるとすれば、王妃や王太子妃、王子妃だけだ。稀に王族の愛妾がそこに入ってきたりはするものの、優先度は高くない。

 しかしながら、オリヴィアさんは更にもう一つの例外のようだ。

 金や茶色の髪は土魔法に適性があることを示すのだが、オリヴィアさんの髪は貴族にしては色が薄い金髪だ。勝手な想像だが、恐らく貴族の中でも、実家はあまり爵位が高くないだろう。

「私は、もともと父が王宮に勤めていまして……実家は子爵家の末端も末端ですし、領地がないんです。だから、父の仕事を手伝うために勉強も許されていました」

「王宮の……失礼ですが、オリヴィアさま、んんっ! オリヴィアさん、家名をお尋ねしてもよろしいですか?」

 なんという偶然。

 境遇は違うものの、同じ子爵家出身者がこんなところに!

 えっ、待って、でもそしたらオリヴィアさん、私が社交界でどんなだったか知っているのでは? 冴えない壁の花となって虚無の目でものを食い続けていたのも知られてしまっているのでは?

 な、なにが欲しい……?

 金か……?

 冴えない役立たずの事実を、アルバンには余り知られたくない。いやもうかなりの確実で知っていそうではあるけど、アルバンが恋という夢から覚めるのを一分一秒でも遅延させたい。お金は正直持っていないが、どうにか口止めできるならしたい。

「シュリフト子爵家です」

 う、う〜ん、記憶にない!

 聞いたこともあるような、ないような……正直社交に対して本気でやる気がなかったし、私の家は一応、小さいけれど領地があったから、どちらかというと社交に関しても地方貴族が中心で、お父さんやお兄さんやらが中央の官僚をやっているご令嬢とはほぼ交流がない。

 家の利権とか諸々に関係してきてしまうし、単純に家から近い方が交流しやすいで、地方貴族は同じ地方貴族で固まってしまうのである。

 お隣さんとは波風立てず上手くやり、波風立てられたらニコニコ笑顔でやりかえす。そういう仕組みなのである。

 中央の貴族令嬢とお会いするとしたら、それこそ領地でも中央でも影響力の強い伯爵家や侯爵家、或いは大盤振る舞いしてもびくともしない公爵家からのお招きですれ違うかどうか、というぐらいである。

「ツェツィーリア様はグリンマー子爵家のご出身。歴史のあるお家のご令嬢ですし、私のことを知らないのは当然です。私の実家、シュリフト家は、たまたま父が出世できただけの、成り上がりですから」

 領地がないけれど爵位がある、というのは、平たく言うと、オリヴィアさんの言葉を借りれば成り上がり。しかし、よっぽど有能でなくては王宮内で成り上がることなど出来ないため、オリヴィアさんのお父さまは有能なのだろう。

 能力を買われて爵位を得た下級貴族は、王宮勤めという立場から中央でコネクションが得やすく細かいところで顔が効くというメリットはあるものの、立場は安定しない。家督を継ぐ次世代が無能だと判断されればそのまま取り潰しとなるので、どうにかして領地を得ようと必死になるのだ。

 恐らくオリヴィアさんの婚約も、そういう思惑があったのではないだろうか。

 領地持ちの貴族とオリヴィアさんが結婚することで、国に申請して二つの家を一つに投合する、というのは、たまに聞く話だ。

 家名としてどちらを残すかは当人たちの話し合い次第ではあるものの、無能な後継ぎしか居らず、親戚を見渡しても適当な相手が居なかった場合、有能な人材として太鼓判を押されている新興貴族からの縁談は渡りに船だ。

 それを、当人の問題とはいえ、当主である父親と意見が対立して……ということであるなら、貴族としての理は父親にあるっちゃあるのだが……正直、オリヴィアさんとしてはやり切れないだろう。

 王立図書館の司書になるのは並大抵のことではない。学問の分野を問わずあらゆることに精通していなくてはならないし、図書の管理や配架に関しても専門知識が必要となる。採用されるためには筆記試験と面接があるそうだから、もし面接官が女性の身では相応しくないと判断すれば落とされる。

 しかし、それでも受かったのだから、本当に優秀な人なのだ。

「実は、以前に一度、ツェツィーリア様のお姿を拝見したことがあるんです」

 あっ、終わったーー!

 いやでもそれはそうですよね。

 私みたいな真っ黒な塊が居たら目立ちますもんね。視覚的にあれなんだろうって思いますもんね!

「い、いつの話でしょうか?」

「四年前です。夏の、公爵家で開かれたガーデンパーティーに、わたしも招かれていました」

「……。」

 全く覚えていない。

 綺麗さっぱり覚えていない。そんなのあったっけ? というレベルである。ただわかるとすれば、ガーデンパーティーならば高確率で立食形式。間違いなく私はもぐもぐムシャムシャ、虚無の目で料理を食べ続けていた筈だ。

 ふっ、今更、誤魔化そうとしても無駄か。

 これはもう確実にオリヴィアさんにも実態を知られているだろう。

 諦めよう。

「……そうでしたか。申し訳ないのですが、思い出せなくって」

「いいえ。とんでもない。余計なこと言ってしまいました。ツェツィーリア様、先ほどご紹介した本をご案内致します」

「よろしくお願いします」

 どうやら、オリヴィアさんには蒸し返すつもりがないらしい。

 なんて良い人なんだ……!

 その後も本のことになると急に早口になるオリヴィアさんからの猛烈なプッシュを受けた結果……砦に持って行く本がトータル四十冊に増えたし、なんならお勧めがもっとあるから、と言われたのだが、長くなりそうだし、オリヴィアさんの選書のセンスは信頼しても良さそうだと思ったので、もう私が読む趣味用の本を丸っと全部お任せすることにした。

 わーい! 子爵家出身の仲間ができた!

 戦術とか兵器の話もできるし、私より賢いから今度、オリヴィアさんとは一緒にお茶を飲んで話したいところである。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ