【186】冒険者エレナ
お母さんのことは知らない。
お父さんのことはもっと知らない。
私のお母さんは娼婦で、お母さんは私のことをここに売ったんだって、私の所有者である奴隷商人は言った。沢山いる奴隷の子供に対して嘘を吐く必要はないから、きっと本当のことなんだと思う。まあ、面倒だからって、全員に同じことを言っている可能性もあったけれど。
毎日、洗濯の仕事をやらされた。主に娼館で出る汚れ物の始末。シーツとか服とか、下着とか。
体の弱い子は死んだ。どんどん死んでいった。名前は覚えたり覚えなかったりした。
私は体が丈夫だったみたいで、死ななかったから、生きているうちに喋る方法を覚えて、軽い読み書き計算をやらされた。その方が高値が付くからって。
少し大きくなって、足の間から血が出るようになった時だった。
私を性奴隷として売ることを奴隷商人が決めた。
首に縄を掛けられて市場に連れて行かれることになった。
「待て!」
その途中で出会ったのが、クレトとリディアだった。
二人はお金を出して、私を買い取った。そして、パーティーに入れてくれた。
「俺たちはもう、仲間だ!」
リーダーであるクレトは、私のことを仲間だと言った。
三人で宿屋に行って、暖かいご飯を食べて、ふかふかのベッドで眠った。二人は更にお金を出して、私に鎧と剣を揃えてくれた。
三人でダンジョンに潜った。
魔獣を倒して、得たお金は三人の共有財産になった。宿代と食事代を自分たちのお金で払って生計を立てた。毎日快適だった。私は風魔法が使えたから、戦闘でそれなりに役に立つことが出来た。
クレトは魔力が多くて、強い火属性魔法が使えた。威力だけならA級冒険者並み。いや、それ以上だ。
リディアは土属性魔法の使い手で、特に金属の操作を得意としていた。なので、ダンジョン内で冒険者を狙う盗賊たちと戦う時にはとても活躍した。相手の武器の動きをある程度鈍らせることが出来たからだ。
私は風魔法を使って、他の人よりも素早く動くことが出来た。空中飛行なんかはまだ出来ないけど、その一歩手前のことは出来たから、身軽に動いて尖兵としての役割をこなした。
楽しかった。
でも、途中から、色んなことが上手くいかなくなった。
クレトの使う魔法が強すぎるといって、ギルドから注意された。
クレトは他の冒険者を逃すために、強い魔獣を討伐するために魔法を使っていたのに、ギルドは聞いてくれなかった。
助けた筈の冒険者にクレトが差し伸べた手を振り払われた時、もうこのダンジョンでは仕事が出来ないということが分かった。
それから、隣のダンジョンに移った。
移動してすぐは平気だった。でも、途中からどうしても、クレトは他の冒険者たちから疎まれた。嫉妬とか、新人がいきなり成果を挙げることに対する反発だった。
次から次へとダンジョン都市を移動して、そして、とうとうベスティア国内では行けるダンジョンがなくなって……そこで、最後に潜ったコルミニョのダンジョンで、噂を聞いた。
「クライノートのフリートホーフって土地は、魔獣が多いが、食べ物が安くて治安が良い」
そういう噂だった。
ずっとコルミニョのダンジョンで活躍しているB級冒険者が、実際に行って、帰ってきたらしい。
生憎、その冒険者本人はダンジョン深部に長期で潜っていたせいで直接話を聞くことは出来なかったけれど、でも、行く価値があると思った。
「ベスティアだけじゃなく、世界を巡って困っている人を助けるんだ」
クレトの意見に、私もリディアも賛成した。
私たちなら強い魔獣でも狩ることが出来る。大半の冒険者には不可能な討伐もやれるから、困っている人を助けられる。普通の人は、魔獣なんて倒せないし、それは良い考えに思えた。
魔獣を倒し続けても、疎まれ続けるよりは、感謝される方がずっと良い。
旅が始まった。
荒野と砂漠を越える旅。
「エレナ、お前のことが、好きなんだ」
「クレト……?」
旅の途中だった。
砂漠の真ん中で、凍えるような寒い夜だった。焚き火を前に、順番に眠っていて、その時はリディアが眠る番だった。
リディアはその時、貧血で、体調が悪くって、でも、それを我慢して頑張っていたから、ぐっすり眠っていた。
クレトが私の手を握って、毛布の上に押し倒してきた。
「リディアのことはどうするの……?」
不思議だった。
初めて会った時から、クレトとリディアは両想いのように見えた。そのうち結婚するのかなって思った。特に、リディアは常にクレトに対して好きだってことを態度や言葉の端々に出していたから、クレトがどうして返事をしていないのか分からなかった。
クレトだって、リディアにそういう態度を取られて嫌そうにはしていなかったし……別行動する時に、二人が揃って後から合流することもあったから、そういう事なんだと思っていた。
「付き合っている訳じゃない。それに、エレナのことが好きだって気持ちは本物だ」
嘘を吐いているようには見えなかった。
多分、クレトは私もリディアも、両方好きなんだと思う。それは本当のことで、驚いたけど、迷っていたら、クレトはそれを、承諾だと解釈したようだった。
どうしよう、と焦っていたら、どんどん進んでしまって、不安で怖くて仕方なかった。
リディアがこれを知ったら。
三人で今のままで居られなくなったら、どうすれば良いんだろう。
クレトと関係を持ってしまって、砂の上のことは忘れることにした。そうしなければ、このパーティーに私の居場所はなかった。
夜が明けて、何も知らないリディアが起きてきて、それでもクレトはいつもと変わらなかった。本当に、両方好きなんだと理解した。
必死でいつも通りの演技をした。
クレトは、私やリディアの体に触れることが増えた。
腕を組んだり腰を抱いたり、いつも、リディアが左で私は右。
前は、いつもリディアがクレトの右側に居た。
リディアは焦りだした。
優しい子だし、お姉さんぶるところがあって、面倒見が良いから、私に対して直接は何も言わなかった。でも、クレトの関心が私に傾きつつある現実を前に、ただただ戸惑っているようだった。
リディアは必死に努力していた。日常の、旅路の細かい部分で、前より一層、クレトの生活が快適になるように気を配っていた。クレトの心を引き戻そうとしているのは明らかで、リディアは本当に良い人だった。
リディアが良い人であればある程、私は苦しかった。
買い物に行ってくるよ、とリディアが仕事を引き受けたりして、クレトと二人きりになる時間が怖かった。クライノートに入ってから、二人きりになるとクレトは、いつも体が密着するぐらい詰めて隣に座る。
クレトのことは嫌いじゃない。
大事だと思う。パーティーの仲間で、命だって預け合える。私を救い出してくれた。
でも、私は私の居場所を失いたくない一心で、断らなかった。
それはつまり、私はあの優しいリディアより、自己保身を優先したということで――。
剣に迷いが出た。
クライノートの、火竜が出たという土地、フリートホーフに近付くにつれ、クレトはますます距離を詰めてきた。リディアに対してクレトは生返事をするようになった。私にばかり話し掛けるようになって、未来の夢を語る。
私は……クレトの関心が私に向けられることに居心地の悪さを感じると同時に「ああ、まだ捨てられなくて済むんだ」と安堵してもいた。その安堵が重たく纏わり付いて、剣が鈍った。
一振り一振りが、幾ら魔法を使っても重たくなって、思うように体を動かせなくなって、それで……ボナコンを何とか討伐した後も、立っているのがやっとで、騎士たちに捕まった。クレトとリディアを逃すことも出来なかった。
顔に傷のある、大男がやって来て、私たちが口篭っていたら、クレトのことを蹴り飛ばした。
ゴミを見るような目で私たちのことを見た。
そうして、淡々と、面倒くさそうに名前や所属を尋ねられて、答えた。このままではクレトが殺される。そう思った。痛め付けられるクレトを見たくない。私たちはパーティーで、クレトもリディアも、間違いなく大切な人だったから。
個別に取り調べを受けた。
その前に、身体検査と武器や、一部装備品が押収されたけど、私とリディアを担当したのはまだ子供の女騎士だった。下品に笑う衛兵ではなかったことにホッとした。
それから、拘束されたまま、荷馬車に乗せられて移動した。
牢屋に入れられるんだろうと思っていたら、違った。
「お前たちの処遇はベスティア王国と冒険者ギルドと協議の上で行われる。それまで、便宜上この屋敷で軟禁。逃亡したら殺す。それと……先に言っておく。ツェツィーリアに、僕の妻に近付くな。彼女に何かしたら、死ぬよりも酷い目に遭わせてやる。法も何も関係ない。お前たちは勝手に逃げ出して、グリズリーの餌になったということにする。いいな?」
冷徹で、横暴な貴族だと思っていた。
脅迫は本気だった。
でも、奥さんに何かあったら非合法でも始末してやる、という部分以外は、法律とか、色々なルールに従って動く領主だってことは分かった。意外だった。
軟禁といっても、待遇が驚くほど良かった。
使用人用の部屋を除いては最下級だという部屋は、これまで泊まった宿のどこよりも豪華で、ベッドが柔らかかった。食事は三食提供された。どれも美味しかった。
屋敷の使用人たちは、私たちが客ではないからと敬う態度は皆無だったが、みんな気の良い人たちで、話し掛ければ返事をしてくれた。
「あなたたちの食事は使用人用と共通。これでも、このお屋敷では粗食の範疇。旦那様と奥様はもっと良いものを召し上がっておられるのよ」
「お前らの処遇? まあ、国と国とのやり取りがあってのことだろうが、もし未成年扱いなら、賠償金の返済か労働で返済だろうな。成人扱いならどうなるかは分からんが、まあ処刑はされんよ」
「まあ、前にオラシオさん達も未遂とはいえやらかしたし、知らなかったってことなら同じ対応をするしかないんじゃない? ただ、麦を燃やしたってなると、外に出たら石投げられて殺されるかもね。逃げない方が身のためよ」
メイドも執事も庭師もみんな、伸び伸び過ごしている場所だった。領主夫妻を悪く言う使用人が一人もいないことに驚いた。
それから……私たちは、屋敷の中であれば、好きに歩き回ることが許されたのも驚きだった。
監視の騎士は付けられたけれど、邸内のどこでどう過ごしていても良い、ということに、私もリディアも顔を見合わせるしかなかった。
たまたま、領主に会った時、どうしてなのかと聞いてみた。
「君ら、どうせ部屋だけに閉じ込めたら、家具とか部屋とか壊して逃げるだろ。僕は家を壊されたくない。それに、ウチの騎士は優秀だ。加えて、僕はお前達が何をしようがすぐに制圧できる。以上」
物凄くかったるそうに言って、猫背で不景気な顔をした領主は去っていった。
ただ唯一、不自由な所があるとしたら……領主夫人の使っているエリアは通れない、近付けないという点だけだった。使用人と監視の騎士が連携していて、細心の注意を払ってそれは遂行された。
領主夫人は普段通りに変わりなく過ごすが、私たちはそれに合わせて、顔を合わせないように取り回しが行われる。
領主夫人を人質に取られることを最も恐れているのだろうと知れた。
そんな真似をするつもりは私たちには全くなかったけれど、でも、途中から、クレトは矢鱈と領主夫人を気にするようになった。
「こんなに徹底して領主夫人を遠ざけるのは変だ」
クレトの主張はそうだったけど、私とリディアは疑問だった。クライノートの貴婦人は自分の身を守るための技を学ばないのだと聞いてはいた。だから、無力な奥さんを優先して守るのは当然じゃないかと思った。
リディアもそう主張したのだけれど、クレトは同意しなかった。
毎日、どうにかして領主夫人のことを探ろうとしていた。
私は久しぶりにクレトと離れる時間が出来た。屋敷の中にはいろんな部屋があって、見て回るのは面白かった。洗濯専門の部屋とか、あとは敷地内に厩舎まであったから、退屈はしなかった。
最初の数日間、私たちは全員、屋外に出るなと言われたけれど……私とリディアは特に目立って抵抗もしなかったから、すぐに、敷地内なら外に出ても良いと許可が出た。
「敷地の外にも騎士が配備されている。お前らが逃げようとした所で無駄だ」
使用人用の食堂で、私たちの武装解除を担当した幼い少女騎士はそう断言した。
ニーナ、と名乗ったその子は、私やリディアよりも年下なのに……確かに、私たちより強かった。剣の腕が優れていた。魔力保有量なら私たちの方が上だったけれど、それでも勝てないことは戦わなくても分かった。確かに、彼女くらいのレベルの騎士が守っているのなら、逃げることは不可能だろう。
クレトならその気になれば、強い火魔法で土地の一部ごと焼き尽くせば逃げられるだろうけど。
「先に言っておく。アルバンのことは別に、いつ殺そうとしても良い。絶対殺されないから。でも、もしツェツィーリアさまを狙ったら、女の子でも殺す。リディアとエレナは良い奴だ。殺したくない。でも、ニーナはリディアとエレナを殺さずに制圧出来るほど強くない。だから、やらせないでほしい」
ニーナは良い子だった。幼いけど、芯があって、領主夫人に忠誠を誓っているのが明らかだった。
領主夫人にはそれほどの何かがある人なのだということだけは分かった。
「リディア、エレナ、ちょっといいか?」
一週間が過ぎて、監視の騎士とも雑談を出来るくらいまで打ち解けてきた時だった。
クレトが、脱走のための作戦会議を持ち掛けてきた。
「領主夫人は金で無理やり結婚させられたらしい。俺たちで助け出そう」
「えっ……?」
「クレト、あたしたち、他のメイドと仲良くなったから聞いたんだ。ここの領主は、夫人と凄く仲が良いって」
「それは嘘だ。領主は使用人も騙してる。夫人を孤立させて、他の人間と接触させないようにしているんだ。俺は、夫人を助けて、自由にしてやりたい」
「それ、どうやって調べたの?」
「夫人に直接会った。少ししか会話出来なかったけど、俺には分かる。リディア、エレナ、俺を信じてくれ――!」
「いや、でも……奥さんを連れて逃げるって、現実的じゃないよ」
「私も、リディアに賛成。もっと情報収集した方が良い」
そこで話は終わった。リディアが無理矢理切り上げて立ち去った、という形で。私もリディアに次いで部屋を出た。
その日の夜、強引に領主夫人に会いに行ったクレトが、部屋から一歩も出さない、監禁するという処置が取られたと、監視の騎士から聞いた。
私やリディアに相談もなく、クレトは行動を起こしていた。
「閣下は大変お怒りだ。ベスティアと、冒険者ギルドの返事次第だが……クライノート、及びフリートホーフの領法で裁かれるとなったら、あの男は悲惨な末路を辿るだろうな」
「クレトは、何をしたの?」
「監視の騎士を振り切って、走って突然、奥様の腕を掴んだ。怒鳴り立てるようにして、支離滅裂な……事実無根の事柄を口にしたそうだ。全く、何を考えているんだか」
「領主夫妻は、仲が悪いの?」
「まさか! 閣下の愛妻ぶりは有名だ。お互い相思相愛で、二男一女に恵まれておられる」
「ここの領主さまは、お金で奥さんを買ったって聞いた」
「まあ、それは事実だな。ツェツィーリア様は困窮したご実家を救けるために、フリートホーフに嫁いで来られた。閣下は昔からツェツィーリア様に首っ丈で、熱烈に懇願してのご成婚だ。ツェツィーリア様も嫁いで来られてからというもの、それは誠実に閣下と向き合っておられた。二人とも真面目な方でな、気が合ったんだろう」
「お金で結婚したのは事実なんだ」
「いやいや! だが、今では実に仲睦まじいご夫婦で、先だっては、謂われない罪で糾弾された閣下をお助けするために、ツェツィーリア様が指揮を執って、このフリートホーフの最北端から王都に向けて、火竜の首を僅か二日で運搬し助命嘆願をされた! 騎士団を引き連れてだ! ご自分が全責任を取るとまで断言されての快進撃! それがきっかけで、国王陛下と議会が軍制を廃して騎士制に戻すことを決めたほどだ! まさしく、ツェツィーリア様こそは至上の貴婦人! 我らフリートホーフの誇り!」
「その話、初めて聞いた」
「おぉ、そうか。国内では知らぬ者の居ないほどの武勇伝だが、ベスティアまでは伝わっていないのか。まあ、半年以上前のニュースだし、知らなくても無理はない」
頭から爪先まで真っ黒な服を着た貴婦人のことを思い出す。
この国の女性にしては珍しく、ズボンを履いていた。
ここの領主は、私たちのことをゴミを見るような目で見るけど、でも……ルールに従って行動している。それに、あの領主は、奥さんとお互いを一番大切にしているんだ……。
まるでお手本のような、誠実な関係性だった。
リディアに、クレトに、正直に言おう、と思った。
私は二人が大切だってこと。
でも、リディアとクレトの仲を裂くようなことはしたくないってこと。私が卑怯だったこと。
許されなくても、リディアに本当のことを言おう。
そう、思って、お見舞いも兼ねて、クレトが閉じ込められている部屋に行った。先にリディアも来ていると聞いていたから。
でも、話は出来なかった。
「クソッ、なんだよ。なんで上手くいかないんだよ。難易度設定バグってんだろ。どっかでフラグ拾い忘れたのか? ここまで順調だったのに。てか、黒髪巨乳SSRがなんで人妻属性なんだよ。誰得だっての。もっとレベル上げしなきゃ無理なのか? でもこれイベントだとしたら取り逃がしたらリカバリー無理っぽいよな。戦闘技能持ってないけど、魔力なしってカードこの後使う場面ありそうなんだよな。取っとかないと詰むか? いや三人子持ちのBBAだし別に捨てても良いけど進行に問題起きたら詰む。マジでクソゲー。なんだよあいつ。竿役としてもあんなバケモン出すなっての。あっでも倒したらガツンと経験値入るパターンか。手持ちがS土とSR風でいけんのか? 設定おかしいだろ。ハードモードとか苦行すぎ。あのBBA手に入れたらマジで調教待ったなしだわ……」
薄暗い部屋の中で、ブツブツ訳のわからないことを呟いて、立膝でガリガリ爪を噛むクレトは、まるで知らない人みたいだった。
リディアも驚いていて、そんなクレトを前に言葉を失っていた。
どころか、リディアは一歩、後ろに下がった。
私はリディアほどにはクレトを愛していないから、却って冷静になって、リディアよりも前に出た。
一定の距離は保っていたけれど。
「……クレト?」
呼び掛けてみると、クレトの言葉が止んだ。
そして、ゆっくりと、噛んでいた指先を口から離して、ギョロリとした目で、クレトは私を見た。
知らない人みたいだって思ったけど、でも、どこかで納得もしていた。
ああ、この人は、そうなんだって。
でも私は卑怯で臆病で、自分よりもずっと強い魔法が使えるクレトを刺激したくなくて、ちょっと笑った。なんでこの場面で笑うのか、自分でもよく分からなかった。
「ちょっと、さっきから何言ってるの?」
ふざけたように、冗談だよねって確認するように、軽い感じで聞いたら、クレトはニッと笑って「ちょっと考えごと!」となんでもないことのように返した。
リディアもハッとして「あんた、疲れてるんだよ。さっさと寝なって」と嘘の言葉を繋いだ。
クレトを残して、それぞれ部屋を出た。リディアとは会話しなかった。
「ベスティア王国、及び、冒険者ギルドから返事が来た。お前たちの処遇に関しては、未成年としての扱いを希望するが、クライノート及び、フリートホーフ辺境伯領の領法に基き処罰して構わないとのことだ。並びに、冒険者ギルドから正式な謝罪。ギルドの取り決めにより、お前たちの冒険者登録は削除せず、ランクも据え置き。割と甘い処置だね。まあ、こっちに関しては冒険者ギルド側からウチに補填がされるって話だけど……素行が悪くてもギルドに庇って貰えるあたり、冒険者っていうのはゴロツキ向きの職業だね」
領主に呼び出されて、皮肉たっぷりにそう言われても、反論する気は起きなかった。
気の強いリディアもそれは同じだった。
私もリディアも、この屋敷の使用人たちから、焼けた麦畑がどんなに大切なものだったか、聞いて知っていたから。
領主の言っていることは正論だった。
あの燃えてしまった麦、怪我をした人たちのことを考えると、私たちの処罰は甘い。
これがベスティアの貴族だったら、あの場で殺されていてもおかしくなかった。それぐらいは分かっている。
「まあ、言っちゃえば、煮るなり焼くなり好きにしろってこと。未成年扱いで裁けっていうのはベスティアの面子のためだろうね。馬鹿な成人三人が不祥事を起こしたっていうより、額面上は馬鹿なガキ三人がやらかしたって方がまだマシだからさ。ウチはベスティアには貸しがあるから、気の済むまで拷問なり処刑なりしてくれってさ。とはいえ、ウチの領法で裁くなら、騎士に対する業務執行妨害と、焼けた小麦の損害賠償乗せて、金銭または労役による支払いで手打ちだね。主犯であるお前はとりあえず、鉄の製錬作業所での作業。そっちの二人に関しては共犯として別途、出来そうな仕事に割り振って返済が終わるまで労役かな。この額なら……それぞれ十年、五年、五年で返済出来るんじゃない? 最短でだけど」
領主は、クレトとリディアと私をそれぞれ指差して、年数を告げた。
「はぁ!? 長すぎる! ふざけるなよ! 俺たちは村人のために――!」
「もうやめなよクレト! あたしたちはそれだけのことをしたんだ!」
「リディア、何を言って……?」
「焼けた村の人に、このお屋敷で会ったよ。家が燃えたって言ってた。恨まれても、仕方ない」
「エレナまで……! 二人とも、一体どうしたんだよ!?」
「クレト、罪を償おうよ。あたしも頑張るから。あんたのぶんの負債もあたしのと割って、同じだけ働くから。だから……全部終わったら、また、冒険しよう?」
リディアは本気でクレトのことが好きなんだって、よく分かった。
私は、クレトの分の負債も引き受けようなんて、思い付きもしなかった。
「二人とも騙されるな! コイツは極悪非道な悪徳貴族なんだよ! 聞いただろ! 若い娘を集めて享楽に耽る怪物辺境伯だって! ツェツィーリア、あんただって、嫌々結婚させられたんだろ!?」
「えぇ……? 話が通じない。どうしましょう。先日もお伝えした通り、私には夫も子供も居るのですが」
「そんなの関係ない! 俺と来い!」
「お断りします。何故なら、私が愛しているのはアルバン・フリートホーフただ一人だからです」
キッパリ。
淡々と、あんまり抑揚がないながらも、妙に軽やかな響きで、辺境伯夫人は言った。
「う、嘘だ!」
「嘘ではありません。何故なら、あなた……ええと、クルトさん、でしたっけ?」
「クレトだよ、ツェツィーリア」
「失礼しました。クレトさんでしたね。あなたは確かに、将来有望な才能ある若者かも知れませんが、それを考慮に入れたとしても、アルバン様には遠く及びません。その才能、叡智、努力、思慮深さ、優しさや気遣い、全てにおいて劣っています。加えて言うのであれば、そうですね……私はお金持ちの男性以外を婚姻対象として認識出来ません。なので、資産があって、とても優しいアルバン様が理想の男性です。条件としてはまずお金ですね。没落した実家を助けてくれる、経済力と度量ある方しか私を引き受けることは出来ないでしょう。アルバン様はそれをやって下さいました」
そうするのが当然かのように、夫人は領主の手を取って、顔を見上げた。領主は、蕩けそうなほどの瞳で夫人を見詰めている。
「加えて、今は……実家も援助を必要としない状態になった、というのもありますが……アルバン様ご自身にも、私はメロメロなので。もし、明日、いえ、今この瞬間にアルバン様が一文無しになったとしても、私は二人で歩むことを選びます」
「ありがとう。ツェツィーリア。もしそうなったら、また一から稼ぐよ」
「と、こういう方ですので……甲斐性のある優しいアルバン様が、私は大好きです。なので、あなたのそのお誘いに関してはお断り致します」
「ああ、ツェツィーリア……!」
領主の大きな手が、太い指が、夫人の被っている黒いヴェールを捲る。
見たこともないような美しい顔だった。
真っ黒な髪と瞳の美女が、大きな手から僅かに、照れて、逃れようとするような仕草を一瞬だけ見せて、躊躇ってから、留まって、キスを受け取る。
桃色に耳と頬が染まって、顔の半分が爛れた領主と、夫人が共に目を閉じて唇を合わせる姿から、目が離せなかった。
「ぁ、こ、こういう、ゎ、けなの、で……わ、わかひ、分かりましたか?」
夫人が慌ててヴェールを戻して、しどろもどろにそう言って結んだ。
どこからどう見ても相思相愛。
この夫婦は愛し合っている。
確信しない方がおかしい。
――だというのに。
「あああああああぁっ! 嘘だ嘘だ嘘だ! ツェツィーリア、あんた騙されてる! 洗脳されてんだ! 目を覚ませよ! お前は俺と来るんだ! 来なきゃおかしいだろ!」
唾を散らしながら、吠えるようにクレトが叫んだ。
騎士がクレトを抑え付ける。でも、クレトは魔法を使った。
火球が領主夫妻に向かうが、それは届く前に消滅した。
「ーー分かった。良いだろう。犬以下の馬鹿は殴らないと始末に負えない。拾いなよ。決闘してやるからさ」
領主が手袋を外して、床に投げ捨てた。膝を着く形で拘束されたクレトの前に落とす。呆れと怒りの混じったため息。
「一応決闘だから、賭けてあげるよ。お前が勝ったら、僕の私有財産の全てと、お前たち全員の自由ってとこでどうかな? で、お前は? 何を賭けるの? まあ、お前から奪いたいものなんて一つもないんだけど」
「舐めプしてんじゃねぇぞクソ野郎! 女も寄越せ」
ヒク、と領主の片眉が引き攣る。
「ツェツィーリアは物じゃない。賭ける訳がないだろう」
空気が凍った。
本気の怒りだった。
殺気が、漏れ出る圧倒的な魔力がビリビリと部屋全体を揺らした。直感的に、死ぬ、と思った。
「うーん、どうせアルバン様の勝ちですし、私は別に構いませんよ?」
「ああ、ごめんねツェツィーリア。魔力を浴びて、辛かったよね? 大丈夫? 少し休む? でも、それは僕が嫌なんだよ。君は一人の人間で、君自身の意思で、僕と夫婦でいるって選択をしてくれたんだから」
「それはそうなのですが、形だけでもそうしておかないとこれ、話が進まないのでは?」
「……そうかも。仕方ない。馬鹿にレベルを合わせるのは福祉の基本だしね」
人でなしの会話だけど、領主はずっと、奥さんに対しては声も視線も態度も全部、デレデレだ。
領主とクレトの決闘は、焼けた小麦畑の跡地を使って行われると決まった。
――私とリディアも、荷馬車に乗せられてその決闘を見届けに行くことになった。




