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【015】夫婦の内緒話


「ツェツィーリア」

 食後のお茶を飲み終わると、アルバンが私に手を差し出した。

 そのまま、手を取って二人で食堂を後にして、アルバンの部屋へと向かう。

 エスコートのために、やっぱりアルバンは背中を丸めて高さを調節してくれていて、私に合わせてくれる。

 こういう丁寧なところ、すごく優しいな、と思う。

 アルバンの寝室にお呼ばれした、ということはつまり、彼の方もそのつもりなのだろうが、二人ともやたらソワソワしているので、変な沈黙が続いてしまう。

 領地の管理に関わる実務的な話だと問題がないのに、そうでなくなった途端にこうである。

 どのような話題をどのように出して良いかわからなくなってしまって、二人揃って床を見たり、触れ合った手を見たりなどして終わってしまう。

 アルバンの部屋まで来て、ドアを開けて貰い中にどうぞ、と促されて入室する。

 ひとまず誘導されるがままに、暖炉近くに置かれた丸テーブルとソファに座る。

「僕も着替えてくるから、ちょっと待っていてくれる?」

 アルバンの部屋は当主の私室に相応しく、部屋が二つ連なった作りになっていて、寛ぐための部屋とは別に、身支度を整えるための部屋がある。

 そちらに移動して寝巻きに着替えるのだが、アルバンは何に関しても動作が素早いので、すぐに戻ってきた。

 楽な白いシャツとズボンであるが、正直、見た目にはさっきまでの白衣と農民のような服装と大差はない。しかし、寝巻きは寝巻きとして着替えた方が衛生的にも良いのだろう。

「お待たせ。それで、あの、話、なんだけど……せ、折角だから、ベッドで、して、いい、かな……?」

「ぅ、ぁ、は、はひっ……!」

 手を差し伸べられて、変な声を出しながらも、アルバンの大きな手を取る。

 のろのろゆっくり、ベッドまで移動して、二人で並んで座る。

 ついでとばかりにアルバンがきゅっ、と優しく手を握ってきたので、心の中でワーワーいってしまう。

 自分の気持ちが自分でやかましい。

「あっ、あの、あのあのあの、手、手が」

「あああっ! い、嫌だったかなっ!?」

「ちが。嫌ではないのですが、ド、ドキドキする、ので……。」

「え、ほ、ほんと……?」

 言うと、アルバンは目尻を赤くして、私の方を向いた。

 黒いヴェールのお陰で表情がわかりにくいからまだマシだが、私の顔はきっともう真っ赤になっているだろう。

「ツェツィーリア、確認なんだけど……僕の思い上がりじゃないのなら……いや。違うよね。先に僕から言うべきだ。僕は、ツェツィーリア、君のことを、愛しています。この世の誰よりも、君のことが好き、なんだけど……君は、僕のこと、どう思っている、かな……?」

「好きですけどぉっ!?」

「えっ! 本当!? あ、ありがとうっ!」

 思わずキレながら好きだと言ってしまった。

 もう耐え切れなかった。

 アルバン・フリートホーフは凡そ完璧な男性である。

 確かに、ちょっと変わっているかも知れないが、体は大きく強く、魔力保有量も破格であり、あらゆる分野において器用でマメな上に、広大な辺境伯領をつつがなく統治している。領民のこと、領地のことを守ろうと力を尽くす人格者であり、黒髪の私に対しても偏見はなく、なんにも出来ない妻に対しても横暴なところなど微塵もなく、あくまでも優しく接してくれる。どころか「君はどう思う?」とか「嫌じゃない?」とか聞いてくれるし、美味しいものを幾らでも食べさせてくれる。

 本人は顔の右半分を覆う怪我のことを気にしているし、実際、酷い傷ではあるのだが……それは彼の落ち度ではない。初対面だとビックリはするし、人によってはその部分に関しては醜いと感じたりするだろう。

 しかし、それは彼の欠点という訳ではない。

「えっ、ぼ、僕のこと、すっ、好きになって、くれたのっ……!?」

 あれで好きにならない訳がない。

 逆に、アルバンほどの人にあそこまでされて、好きにならない人が居るなら教えてほしい。

「たくさん、優しくされたので、好きになってしまいました」

「あ、やっぱり、好きになりたくなかった、かな?」

 嬉しいのだけど、不本意だっただろうかと心配しているらしく、アルバンは申し訳なさそうに手をワヤワヤさせている。

 なんだこの人。

 いい加減にしろ!

「ええと、あの、あのですねっ! 私も、出来たら仲良くなれたら良いとは思っていましたよ? でも、持参金なし、暗に実家の支援までしてくれる条件で顔も見たことのないお相手に嫁ぐなら、酷い扱いで虐待されても文句は言えないと思って来たんですよっ!? なのに来てみたらずっとアルバン様は物凄く優しいし、私のことが好きとか、あっ、ああああああっ、愛しているとかっ……! だからですねあの、つまり何が言いたいかっていいますとっ!」

 早口で捲し立ててしまった。

 もう自分で何を言っているのかわからなくなってきた。

 軽いパニック状態だが、しかし、一番大事なことは伝えておかねばならない。

「あっ、あなたは……っ! なにもかも、全部持っているのに、わ、私には、なにもお返し出来るものが、ないんです……。」

 情けないことに、本当に、私にはなにもない。

 どうせいつか修道院に行って、死を待つだけの人生だと思って、なにひとつ努力してこなかった。

 令嬢としても失格で、貴婦人としての心得などもなく、社交には一応体裁のためだけに参加する程度でコネクションも構築せず、ただただ、怠惰に、実家で両親のもと、ひたすらに甘やかされて生きてきた。

 私にはなにもできない。

 アルバンは私に優しくしてくれる。

 なにもかもくれる。幾らでも与えてくれる。

 まだ一月しか過ごしていないけれど、彼は、一度決めたことを変えないだろう。目的が達成されるまで、あらゆる努力を続けられる人だ。それくらい、強くて、能力の高い人だ。

「わ、わたし、あなたのために出来ること、子供を産むこと、しか、ないんです。でも……っ、こ、怖くて。痛いって、苦しいって、自分勝手なのも、そうなんですけど、それで、頑張っても、もし、くっ、黒髪が生まれたらどうしようって……!」

 なにもかも、怖くて仕方なかった。

 今も怖い。

 妊娠するのは怖い。子供を産むのは怖い。

 そんなこと、私の人生の予定になかった。

 でも、やらなくてはならない。

 嫌とは言えない。

 気が狂いそうなほどの苦痛であったとしても、でも、それはすでに確定事項であり、義務だ。

 私と彼、双方の間の契約。

 私が決めた。承諾した。誰のせいでもない。

 けれど、アルバンなら、という気持ちもある。恐怖を克服して、義務を果たせるかも知れない。

 でも、頑張って、子供を産んでも、その子が黒髪だったら?

 フリートホーフ辺境伯領を見てわかった。

 この土地では強さが問われる。

 より強い子供を産まなくてはならない。魔力保有量が多く、体の強い、頭の良い子供を。

 アルバンとわたしの婚姻には国の思惑が絡んでいる。次世代で、万が一にもアルバンの嫡子として、白銀の子が生まれないようにの対処だと。

 しかし、母親である私の影響で、魔力を全く持たない子供が生まれたら、その子は、この領地を治めるに足るだろうか?

 スー、と、アルバンが隣で細く長く息を吸った。

「そっか。不安だったんだね。もっと早く、君とよく話し合うべきだった」

「うっ、ふ、不出来な女で、も、もうしわけっ……!」

 つい、自分の情けなさに鼻水と涙でグシュグシュになってしまうが、アルバンはそっと、私の手の上に手を重ねてくれた。



「じゃあ子供作るの、そんなに怖いならやめとこっか?」

「……はぇ?」



 アルバンは心配そうな顔でわたしの顔を覗き込んで、そう言った。

 それから、うん。なんて一人で何かを勝手に納得して頷いている。

「いや、辺境伯ってね、実力がないと、領主の子供でも継げないから、別に優秀な子供を絶対、って訳じゃないし。僕だって公爵家からこの家に養子に来たから、子供を作らなくっても、養子を迎えれば解決出来るし。そもそも、なんで君に子供を産んで欲しかったかっていうと、君が僕のことを嫌いでも、子供を産んだら離れられなくなるだろうからと思っての対策だけが目的だったからね。でも、君が僕のことを好きになってくれて……こんなにも愛してくれているのなら、もうその必要はないし……いや、僕は君にそっくりの、真っ黒な髪の子供が居たらきっと可愛いだろうなって思うんだけど、正直、子供そのものは好きじゃないし、もし僕に似ていたら可愛がれるかどうかは全く自信がないから。そもそも妊娠も出産も死亡リスクが高いし、必要がないなら、君の身を危険に晒すことは避けたいかなって」

 つらつらと流れるように説明をして、結びに、アルバンはこう言った。

「つまり、何が言いたいかっていうと……僕はこの世で一番ツェツィーリアのことが大切だから、子供なんて居なくったって、君が居てくれたら、幸せだよってことなんだ」

「っ、う、ぁ、アルバンざばぁっ……!」

 決壊。

 涙と鼻水が滝のように出てしまって、もう顔面崩壊である。

 ぐっちゃぐちゃの私に対して、アルバンは引いたりもせずに「ハンカチとってくるね」とスマートにハンカチを取ってきてくれた。

 私の汁気がヤバめなためか、三枚も持って来てくれるあたり、改めて有能な人である。

「えっと、なんか、その、さっき言ったこと、本心ではあるんだけど、僕はツェツィーリアが好きだから、その、子供とか家のこととか関係なく、君と不埒なことがしたいって気持ちもかなり強い。だから、その、あんまり……君が可愛いと、無理強いしそうでちょっと怖い、かな。勿論、嫌われたくないから、出来るだけ我慢、するけど」

「うぇ、ぇえ、す、すきなので、ふらちなことしますぅう……!」

「えっ、良いのっ!?」

 もうだめだ。

 好きでしかない。

 泣いたせいで著しく判断力が低下しており、もう後先考えずに欲望だけで突っ走ってしまう。

 当然、やることをやれば当然の結末として結構な確率で妊娠する訳だが、私はもう今のやり取りで更にアルバンに対してメロメロになってしまっているので、もう好きにしてください据え膳ですよ、という気持ちである。

 しかし、アルバンは私からの承諾が得られても、すぐそこでは動かず、泣き止むのを待ってくれるあたり、極めて理性的だ。

 だが残念なことに、私は余り泣かない方ではあるものの、一度泣き出すとなかなか泣き止むことが出来ないので、かなりの待ち時間が生じてしまった。

 面倒な奴で本当に申し訳ないことである。

「……その、ツェツィーリア」

 余りにも私が泣き止まないので、アルバンは別な話題に移ることにしたようだ。

「後から蒸し返すのもどうかと思うから、今のうちに伝えておくね」

「はい」

「厳しいことを言うようだけど……君はさっき、自分にはなにもない、って言っていたね?」

「ん、事実です」

「あのね。そんなことは絶対にないから。もし自分を本気でそう認識しているのなら、考えを改めなさい。君自身は普通のご令嬢ではないことを気にしているようだけど、うちではね、お茶会でなんの茶葉となんのお菓子を出すのが適切なのかよりも、戦略と作戦と戦術の違いを理解しているかどうかの方がよっぽど重要なんだよ。勿論、社交そのものの情報戦に似た根回しの有効性も否定はしないけど、それ以前に難しくてややこしくて面倒な書類を作成したり、現場に行って実際どんな魔獣がどんな風に影響を及ぼしているか調査して、具体的に必要な対処をしていくことの方が遥かに大事なんだよ。世間で理想とされる模範的な令嬢としての技術、ここではまるで役に立たないから。あと、君は地味な農耕や水産養殖の視察にも嫌がらずきちんと着いてきてくれるし、自分で勉強もしてくれているよね? 普通のご令嬢なら、難しくってわからないですわ〜、とか言ってるだけだと思うし、それだと居るだけで邪魔だし鬱陶しいから。いやでも、君は綺麗だしかわいいから、君限定で僕はそれをされても鬱陶しいとは思わないからそこだけ覚えておいて? なのに君は、領地のことに関しては改善策を考えて提案してくれているよね? 真剣に、領地の運営や制度の改善に対して向き合ってくれている。もう充分過ぎるくらい役に立っているから。あと、そもそもの話なんだけど、僕は無理矢理嫁がされた君が気晴らしのために、大きな宝石や高級なドレスを山のように買い漁ったりするのも想定していたんだけど、君、ぜんっぜん予算使ってないよね? 僕が提案しなくちゃ服を頼む気すらなかったよね? もっとお金使っていいから。贅沢して。どんどん。現状、君という人材の費用対効果が高過ぎる……!」

「肯定が強い」

「僕は君を叱っている」

「し、叱られていたんですか」

 ご褒美でしかないのだが、アルバンとしてはこれはお説教であるらしい。長々とかなりの褒めを滝のように浴びせられて、さっきまで泣いていたのにケロッといい気分になってしまう。

 我ながら現金すぎる。

「わからない?」

「ん、あの、わ、わかりません。なので、も、もっと叱られたい、です……。」

 私は基本的に強欲なので、あわよくばもっとこの叱りという形式で貰える褒め言葉を無限に浴びたい。

 なので、アルバンは私に甘いし、もっと言ってくれないかなぁと思ってダメ元でお願いしてみたのだが、アルバンは雷に撃たれた人のような顔をして、固まってしまった。

「あっ、ああ……! ツェツィーリア……!」

「わぁ」

 息を荒くしたアルバンに押し倒されてしまった。

 でも、いつもとは少し違う。

 ギラギラしている、というよりは、目の奥まで熱っぽいというか、言ってしまえば、甘ったるい、ような気がする。

「し、してもいい、かな……?」

 褒め言葉のおかわりは貰えなかったが、物凄くいい気分になっているので、もうあんまり怖くない。

「はい。良いですよ」

「ヴェール、外してもいい?」

「ええ」

 そうっと、太い指で、ゆっくりヴェールを外してくれる。

 結婚式のやり直しみたいで、なんだか楽しい。

 ぜんぜん怖くない。

「キス、してもいい?」

「いいですよ」

 おそるおそる、アルバンがそうっと、頬と首筋にキスしてくれて、それが物凄く愛おしくなってしまった。

 悪戯しても、怒られないかも。

 アルバンがかわいいから、悪戯しちゃえ。

 えいっ。

「わ゛っ」

 チュッ! と私から、アルバンの傷跡のある方の頬にキスしたら、アルバンは唸るような声を漏らして、顔を真っ赤にして……。

 真っ赤を通り越して、赤紫になり、そのままボタボタと鼻血をだしたかと思ったら、グルッと眼球が上を剥いて、ドシンと倒れて気絶してしまった。

「うっ!」

 どこもかしこも私より二回り以上大きいアルバンの頭がいきなり胸の上に落ちてきたため、衝撃が来る。

 が、もう、慣れているのでそこまで慌てはしない。

「アルバン様、意識ありますか? あっ、ない」

 まだアルバンはドクドク鼻血を流し続けており止まる気配がないが、今日はドレスじゃなくてネグリジェだし、別に汚れてもいいか。

 さっき渡して貰った三枚のハンカチのうち、一枚が未使用だったので、ゴソゴソ探り当ててアルバンのお鼻に軽く押し当てて止血する。

「また、この結末を迎えてしまった……。」



 ーーそう、私たち夫婦は、結婚初夜以降、毎晩このように失敗を繰り返しているのである。



 昨日はたまたま野営となってしまったので例外なのだが、それ以外は毎日毎晩、アルバンは息を荒くして猛然と私に襲い掛かって……きてはいるのだが、毎回、キスをしてちょっと脱がしたところで、彼の方が興奮の余りに鼻血を出し、気絶してしまうのである。

「……このままで、別に、いいかな?」

 これまではなんとか押し潰されつつも脱出して、アルバンの出血が止まるのを見守ってから添い寝していたのだが、今日はもう、このままで良いかも知れない。

 よしよし。と相手の意識がないのをいいことに、頭を撫でてきゅう、とアルバンを抱き締めたまま眠ることにした。


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