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【145】イザベラちゃんとツェツィーリアちゃん


 イザベラ・トゥルペ伯爵令嬢には、弟が二人いた。

 居た、という過去形である。

 トゥルペ伯爵家にはイザベラの下に、歳の近い弟が二人生まれては来たのだが、どちらも生まれてすぐに亡くなってしまった。原因は不明であり、全く健康そうであったのが、翌朝には冷たくなっていたのである。どちらの弟もそうだった。

 原因不明ではあるものの、乳幼児の突然死は珍しいことではない。

 伝統あるトゥルペ伯爵家の、イザベラの両親は後継となる男の子の誕生を待ち望んでいたのだが、イザベラの後に生まれた二人が相次いで亡くなったことにより、そちらは断念したのであった。

 幸いにして、イザベラは生まれつきしっかりした性格であったし、真面目で頑固、正義感も善性も強かったため、婿を取って家を存続すれば良かろう、ということになった。

 どこの家でも、安全策の一環として、長男が生まれても次男三男と子を産み育てる家は多い。不慮の事故や病気で長男が他界しても、次男三男と居ればスペアとしての役目が期待できるし、長男が無事に家督を継いだ後も、他の弟たちが優秀であるのなら、兄弟で力を合わせて領地を盛り立てる道もあるからだ。

 とはいえ、それは兄弟仲が良く、全員が優秀であり、人格としてもこれといった問題がないのが前提の理想論である。現実はそこまで上手くいかないし、長男が順調に家督を継いだとしたら、次男以下が特にそこまで優秀でもなく凡庸だった場合はまあ、普通に放り出される。家計を圧迫するだけなので。

 女性であれば他家に嫁いでその家の女主人となる道も残されているし、もし、貴族家に嫁げなかったとしても、貴族とご親戚になりたい裕福な商人の息子と縁談が纏まったりもしやすい。この貴族社会、男性優位になっているために、女性に関しては下方婚の方が婚家で大切にされる率が高い。加えて、貴族女性の大半は運営能力がないために、婚家の稼業に口出ししたりなんだりする恐れがないので、商人たちも貴族家から婿を取るのではなく、嫁を取ることを好んだ。家を乗っ取られるのは貴族も商人も避けたいことであったので。

 と、いう訳で、特にこれといって卓越したところのない貴族の次男坊以下、男性の人生は中々に厳しい。

 何とかして地方の役人に収まったり、商売を始めたり、或いは騎士になったりして自分で生計を立てねばならぬのだ。自分の食い扶持は自分で稼がねば生きて行けない。しかも、ほとんどの場合、実家からのバックアップは余り期待できないため、上手くやらねばならぬのである。

 が、先述した地方の役人とか、商人とか、騎士とかは、それぞれそこそこ適性があって、かつ努力して実力を得た者でないとなれない。加えて役人や騎士には枠があるので、全員がなれる訳ではないというのも世知辛いところ。商人に関しては……まあ、誰でもなれるが、こちらもかなり厳しいと言わざるを得ない。

 マナーには覚えがあるからということで、他家の執事になったり、貴族相手の商売をしている店の従業員として就職できればまずまず。身分は庶民だがそれだってなかなか良い暮らし。向いている人には向いている。

 が、しかし。

 怠け者で、安楽な貴族の暮らしをどうにかして一生享受したいな〜、というのが人情というもの。

 そこで浮上するのが、この社会でごくごく稀に存在する「貴族家の一人娘と結婚して逆玉」のパターンである。

 長男に比べると雑な扱いをされがちな次男以下の男たちだが、親だって、本当なら大事な我が子に苦労なんてさせたくない。長男には勿論、自分の家を継いで貰うとして、次男坊以下弟たちが他の家のご令嬢と結婚して、入婿となってくれるならその方が安心だし、何より……何度も言うがこの国は男性優位社会。婿になってしまいさえすれば、その家の舵取りはいずれ全てが婿のもの。そうなると、実家を継いだ長男と、他家に婿入りした弟がそれぞれ別な家の当主となる訳だから、二つの家で兄弟仲良く連携して権勢を強めるとかも出来ちゃう訳だ。

 まさしく、家にとっても本人にとっても良いことしかない。

 だから、次男坊以下はみんな、他の貴族家の一人娘と結婚したがる。

 一方で、人気ということはつまり、倍率が高いということ。故に、一人娘を抱えた家の方でも、誰を婿にしようかな、と色々比較検討が可能になる。

 大抵の場合は家同士の付き合いがあって信用できるかな、から始まり、能力人柄容姿に相性なんかの総合評価で、じゃああの子と結婚させましょう、になる訳だ。

 イザベラ・トゥルペの場合もそうだった。

 僅か五歳で婚約者は決まった。お相手は昔から付き合いのある同じ伯爵家の次男坊で、頑固なイザベラとは違い控えめな性格。相性も悪くないようだし、ということですぐに決定した。

 イザベラの世代は白銀が三人も居たので、他の令嬢たちはそちらの婚活市場に夢中だったのも相俟って、その時はまだ、イザベラの両親も選びたい放題だった。白銀三人と年齢の釣り合う女の子が居る家はどこも「ワンチャン王家が狙える!」と親たちが躍起になっていたし、三人の白銀の少年はどれも、それぞれ系統の違う美少年だった。なので、野心に溢れた親たちだけでなく、一部女の子たちも自分の意思でハンティングに赴いていたという状況であり……この世代はかなり遅くまで、男が余っていた。本来なら大人気であろう、家督を継ぐことが確定している長男であっても、である。

 しっかりした家はしっかりした家同士で堅実に話を進めてはいたが、全てがそういう訳ではなかったし、次男以下は尚更だった。

 なので、イザベラは五歳の時点では死ぬほどモテていた。トゥルペ伯爵家は伝統も評判も実績も、経済力としても申し分なかったからだ。幼いイザベラ宛てのお見合いの釣り書きは五十を越えた。その中から一人を厳選したので、割りにスムーズだったのである。

 お陰で、イザベラは人生の早い段階から、生まれた地であるトゥルペ伯爵領のことをしっかり学ぶ余裕が出来た。

 家の舵取りをするのは夫の役目ではあるものの、トゥルペの家はあくまでもイザベラのものであるし、イザベラの両親もそのように考えていたので、娘には積極的に領地運営のための勉強をさせていた。無論、夫となる人と協力して人生を乗り切るためにも、知識を得てはおいたが決定権は夫にある、という淑女教育とは矛盾しない範囲での学習ではあったが。

 イザベラの人生は序盤から順風満帆だった。何しろ迷う余地はない。やる事もやるべき事も決まっていたし、後は努力をするだけだった。そして、彼女は生まれつき真面目な性格だったので、努力に耐えられるだけの素質があった。

 努力の一環として、近隣の貴族家の令嬢たちとの社交も含まれていた。

 イザベラはずっとトゥルペ伯爵領に暮らすことが決定しているし、自分の家で社交をする段取りやノウハウを早いうちから覚えておいた方が有利なのである。なので、子供のうちから両親の指導のもと、イザベラ自身が他家の令嬢令息を招いて定期的にお茶会を開いていた。招待状を書くのも、段取りを決めるのも、経費を計算するのも、何を出すのか最終決定するのもイザベラ自身が行っていた。

 そこで、イザベラが出会った令嬢のうちの一人が、ツェツィーリア・グリンマーだった。

 近隣の貴族家の令嬢令息の中でも、イザベラと同じように一人娘で婿取りをしなくてはならない立場の令嬢はツェツィーリアだけだった。

 招待状を出す段階でそのことは分かっていたので、イザベラはなんとなく、ツェツィーリアのことを気にしていた。

 一人娘なら嫁ぐことはまずない。婿を取って、一生領地を守って暮らす。

 と、いうことは、つまり、すぐ近くのグリンマー領に、これからずっとツェツィーリアは居るし、トゥルペ領にずっと居ることになるイザベラは、勿論ずっとご近所付き合いをしていくことになる訳だ。

 他のご令嬢はいずれ他家に嫁いでトゥルペ領の近くからは離れていってしまうかも知れないが、ツェツィーリアに関しては確定でずっと近くに居る。気にするのは当然である。

 加えて……ツェツィーリアという令嬢は、たまたまではあるものの、イザベラと同い年だったし、何より……まだ子供だというのに驚くほど美しくって、呆れるほどボーッとしていた。

 イザベラは初めてツェツィーリアに会った時、衝撃を受けた。

 双方、七歳の時の話である。

 魔力なしの黒髪黒目はそれだけでよく目立ったが、圧倒的な美貌がそれを見苦しく思わせなかった。しかし、あまりにもボーッとしているし、喋らないし、話し掛けてもどこに目の焦点が合っているのか分からないし、なんなら、知能に何らかの問題があるとしか思えなかったのである。

 虚弱体質だというし、黒髪黒目だから、意思表示も上手く出来ない方なのかも知れない。でも、それなのにお茶会に一人でご出席されているし、頑張っておられるのね。不自由なところは周囲が、いいえ、ホストである私がサポートした方が良いわね。

 幼いながらも倫理がしっかりしていたイザベラは、極めて福祉的なノブレス・オブリージュの精神を発揮して、ツェツィーリア個人への侮辱や不名誉にならない範囲でそれとなくフォローをしていた。

 イザベラは、生まれついての性質や体質は努力ではどうにもならないし、何らかの形で補助が必要と考えるタイプの賢い少女だったので。

 加えて、ツェツィーリアはよく体調を崩していた。当時は誰も原因に気が付いてなどいなかったが、他者の魔力によって影響を受ける体質であったため、お茶会の途中でよろめいて倒れそうになったり、酷い時には嘔吐したりなどもあった。自我の薄い時分に於いては我慢や回避も上手く出来ず、途中で力が抜けてティーカップを取り落とし、膝を濡らす場面も多々あった。やがて頭から黒いヴェールを被ることで改善はされたものの、事実として虚弱な令嬢だったので……イザベラはツェツィーリアのことを普通に心配したし、そんな虚弱体質にも拘らず、毎度出席することには関心すらしていた。

 ここがイザベラの気高いところで、普通なら、常に体調を崩しまくっているゲストなど面倒以外の何者でもないので招待をやめるのだが、イザベラはツェツィーリアも同じように家つき娘であるために、近所の伯爵家であるトゥルペ家のお茶会には立場上、欠席出来ないのだろうと捉えたのだ。逆に、招待を控えればグリンマー家が不利になるかも知れないと気遣いすらして、招待状に「当日、体調がよろしければどうかいらしてください」とまで添えていた。

 と、まあ、事実としても、イザベラにとって、ツェツィーリアは出会って数年間は「体の弱い美少女」であったのだ。

 あんなに体が弱くって、きちんと大人になれるのかしら?

 領地を守れるのかしら?

 イザベラは、口には出さなかったが、ツェツィーリアのことを気にしていた。それは生まれてすぐ亡くなってしまった二人の弟と重なる部分もあったし、視覚的にもやはり、美醜の別に疎い子供心にあっても、彼女の美貌は明らかに特別だったからだ。

 子供の頃、イザベラの中に美醜の概念はほぼ無かった。個人個人で形が違う、という認識であり、男女で形が大まかに違う事、着るものや立ち居振る舞いが決まっていることは知っていたが、それが優劣であること、周囲に影響がどれだけあるか、どれほどの差が出るのかは分かっていなかった。

 ある日のガーデンパーティーのことである。

 当時のイザベラとツェツィーリアは九歳で、イザベラは仲の良い令嬢たちと談笑していた。

 途中で、来ていた筈のツェツィーリアの姿が見えないことに気が付いて、また気分が悪くなっていないか、まさか倒れてなどいないだろうかとふと心配になって、挨拶がてら会場をぐるりと一周見て回ることにした。

 すると、会場から少し離れたところ、生垣の向こうで、三人の少年にツェツィーリアが囲まれているのを発見した。

 その三人の少年のことは知っていた。

 トゥルペ伯爵領の隣、ミステル子爵領の三兄弟であり、ツェツィーリアの従兄弟にあたる令息たちだった。

 彼らも当然、トゥルペ伯爵家と付き合いがあるから招待していたのだが……なんと、ツェツィーリアの着ていたドレスの胸元を引っ張って、その中にザバっと、手に持っていた林檎ジュースを流し込んだのである。子供同士とはいえ、男性が女性にやるのな論外の行動であり、明確に紳士にあるまじき行為である。

 イザベラはトゥルペ家のパーティーでそのような真似をされたとあって、瞬間的にカッとなって、すぐに注意をしようと手を握り、息を吸ったのだがーー。

「ベトベトして気持ち悪いだろ? 脱がしてやろうか?」

 三人の少年は、前から横からツェツィーリアを突き飛ばして尻餅をつかせて転ばせた。

 そうして、ドレスのボタンにまで手を掛けたのだ。

 ニヤニヤと、嫌な感じのする、おぞましい笑い方で、手を伸ばしていた。

 ひゅっ、とイザベラは息を呑んだが、しかし、更に強く、カッと怒りが噴出したのを感じるかどうかのうちに、大声で叫んでいた。

「あなたたち! 何をしているのですか!」

 元から、イザベラの声はよく通る。張りがある声で、怒っていたので肌を打つほどの迫力があった。三人の少年は頬を真っ赤にして怒るイザベラを前に気圧されて、ツェツィーリアから離れた。

「恥知らず! 紳士にあるまじき行いです! 我がトゥルペ伯爵家の敷地内でこのようなこと……即刻、出て行きなさい!」

 騒ぎを聞き付けて、トゥルペ伯爵邸の使用人も集まり、すぐにミステル子爵家の三兄弟は追い返された。そして、ツェツィーリアは怒ったイザベラの魔力にあてられて気絶し、イザベラはツェツィーリアがショックを受けて気絶したのだと思い込んだ。

 元からイザベラが礼儀作法に厳しいこと、悪く言ってしまえば口煩いことは周知の事実であったし、ミステル子爵家の三兄弟の評判が余り良くなかったのも相俟って、この日の出来事は「ミステル子爵家の三兄弟がトゥルペ伯爵令嬢を怒らせて出禁になった」とだけ伝わった。

 ツェツィーリアが受けた被害に関しては、トゥルペ伯爵家とグリンマー子爵家の間のみで情報共有が成された。

 イザベラは後から知ったが、以前もミステル家の三兄弟がツェツィーリアに対して度の過ぎた悪戯を仕掛けてグリンマー子爵夫妻を激怒させ、事実上の絶縁状態にあるのだという。特に、グリンマー夫人の怒りが凄まじく、実家であるミステル家に絶縁を言い渡すあたり、その怒りの深さが知れようというもの。

 あの三人のあの様子ではそうでしょうね。

 そう思うと同時に、イザベラはこうも思った。

 容姿が美しいと、あんな目に遭うのね。

 よかった。私はツェツィーリア・グリンマーのように美しくない。だから、あんな目には遭わないで済む。

 イザベラがこう考えるのも無理はない。

 貴婦人・令嬢にとって、夫や婚約者以外の男性に触れられるのはこの上ない不名誉。服のボタンに手を掛けられたのが未婚の令嬢とあらば、紛れもない瑕疵である。

 婚約者が決まっていてもいなくても、そのような被害には遭わないに越したことはない。もし婚約者が居る身の上で噂が立ったら破談になるのは間違いがないし、婚約者が居ない身で噂が立ったら、縁談などまず望めない。

 その点で言うと、婚約者が決まっており、やる事も明白なイザベラからすると、誰からもそういった意味で狙われずに済むのが最も安全で堅実な道である。

 ツェツィーリアは黒髪黒目、魔力なしの虚弱体質であるが故に、まだ婚約者が居ない。家を存続させるにあたり、そのような事態が起きたとしたら最早結婚は絶望的であるとさえ言えた。

 故に、イザベラは……幼心に、美しい容姿は不幸を招くのだと思っていたが、しかし、真実は違う。

 正しくは、ツェツィーリアに魔力がなく、事件が起きた時には彼女を守るための人間が居なかったからだ。要するに弱く狙いやすい対象だと思われたからであったし、トゥルペ伯爵家の一人娘であるイザベラは周囲から厳重に守られていた。加えて、魔力もそれなりに強いため、不埒な輩に狙われるような要素が無いというだけの話である。

 しかし、イザベラは子供だったし、利発とはいえ所詮は箱入りの貴族令嬢。そんなこととは分からず、ツェツィーリアという自我の薄い、心身ともに弱い子供を憐れんだのだ。

 それからも、イザベラは家を継ぐ者としてしっかりと社交に邁進した。

 子供の頃から付き合いのあった令嬢たちの幾人かは嫁いで別な土地に移ったりもしたが、やはりツェツィーリアはずっとグリンマー領で暮らしていたので、トゥルペ伯爵家の催しには毎回招いていた。

 途中から、何故だかボーッとしていて魂があるかどうかも分からない感じだったツェツィーリアが急に言葉を喋るようになって、悪口を言って攻撃してきた令息令嬢に、のたくたした喋り方であってもきっちり仕返しするようになったりもした。

 それを見て、イザベラは大変腹を立てた。

 客観的に見てもツェツィーリア・グリンマーは大変手の掛かる少女であった。兎に角ボーッとしているし、虚弱で無口で魔力なしの癖に見てくれが良く、常に真っ黒な服を着ているので目立ってしまうし、何かと虐められやすかったので、イザベラはそのような事態が起きると即座に対応していたのである。それはもし、ツェツィーリアではない別な誰かが不当な扱いを受けていた場合でも変わらなかっただろう。

 貴族として紳士淑女にあるまじき行いをする者が居れば同じ貴族としてこれを諌めなくてはならない。更に言うのであれば、あからさまで品性に欠けた行いは見苦しいため、イザベラはそれが自分の居る空間で起きることが非常に不愉快なので、すぐに解決のために動きたいと考えていたからだ。

 なので、誰かが虐められていたらすっ飛んできて「おやめなさい」と加害者を止めるし、被害者に対してもその後に「あなたも貴族ならばしっかりなさい」と嗜めていた。

 誰であっても変わらないのがイザベラだったが……ツェツィーリアはちょっと、その頻度が高すぎた。本人は特に何も悪いことはしていないのだが、死ぬほどマイペースで地味に気が強く、静かにやさぐれていたので、周囲と上手くやろうという意欲がない。敵を作るような真似はしないが味方を作る努力もしなかった。生まれつき絡まれやすい要素が多いため、たまに現れる敵を迎撃するくらいで、無害といえば無害ではあったのだが、割りかしスマートに迎撃を出来てしまっていたので、毎度毎度仲裁に向かうイザベラとしては「あなた、もう少し努力なさったら!?」という気持ちだったのである。何しろ、ツェツィーリアはあらゆることに、主に人間関係についてはやる気がなかったので。

 しかし、ツェツィーリアにとって、イザベラ主催のお茶会やパーティーは大変平和で快適だった。潔癖なイザベラが付き合いを続けたいと思うような素行の良い令嬢や貴婦人しか招いておらず、集まる人の質が良いというのが主な理由である。加えて、イザベラという人間は基本的に世話焼きで親切、マメなタイプだったので、いつも招く人々の好みをよく覚えていた。なので、他の人にするのと同じように、ツェツィーリアはキャビアやら生ハムが好きだから、と充分な量を手配したりしてあげちゃっていたのである。

 基本的にツェツィーリアという女は……快適な環境を好み、その快適な環境を作ってくれる人を好むため、イザベラや、アルバンのような人々が大好きなのだ。

 が、アルバンは兎も角として、イザベラはツェツィーリアが地味にストレスだった。言ってしまえばトラブルメーカー。だが、イザベラ自身がお人好しであるため、目の前でツェツィーリアが不当な扱いを受けているとそれを看過出来ない。が、対応する頻度が高く、改善もされないというのは苛立ちを生む。

 当然の結果として……イザベラは、ほんのり、ツェツィーリアが嫌いになった。

 一緒に居ると疲れるので。

 けれど、そこまでは明確に嫌いという訳ではなかった。だって、イザベラだってツェツィーリアが悪い訳ではないと理解していたし、弱くて可哀想な子、という認識だったので。

 イザベラの人生の歯車が狂ったのは、十六歳の時。

 婚約者と結婚して、半年が経った時だった。

 その日、トゥルペ伯爵家ではお茶会が開かれていた。初夏の爽やかな日和であり、紳士淑女が木陰のテーブルで談笑していた。

 昼には日差しが強く、季節にしては少し暑かった。

 休憩のために疲れた人、暑さにあてられた人は屋敷の中に戻り、招待された客はトゥルペ伯爵邸の中と庭を行ったり来たりしていて、イザベラも移動しつつ、来客の様子に気を配り声を掛けていた。

 夫も、暑くてたまらないと言って、庭の見えるティールームに、友人だという男性数名と引っ込んでいた。

 イザベラはその時まで、夫の友人たちとは余り交流を持っていなかった。理由としては「友人たちは主に家を継げない次男以下の貴族男性ばかりで、トゥルペ家に貢献できるようなコネを持っている者は余り居ないし、イザベラの友人や知人を大切にした方が良い」というものだった。見栄を張らない夫のその態度や姿勢に、イザベラは感謝していたし、そんな夫の友人であるのなら丁重にもてなそうと思っていた。

 だから、ティールームの中にいる夫とその友人たちに声を掛けようとした。

「見ろよ。あの胸。喪服の上からでもデカいからな。脱がせたら相当すごい筈だ。俺はこの間、未亡人を食ったから知ってる」

「でも、あの髪だろ。気持ち悪くないか?」

「黒髪だから、ちょっと声を掛けたらきっと付いてくるぜ。誰か行って、呼び出したら囲んで……魔力なしの子爵令嬢、しかもあの体なら、後から訴え出ることなんて出来やしないだろう」

「黒い服は暑いからな。そのうち堪らなくなって移動するだろう。その時に……。」

 血の気が引いた。

 呼び出したら囲んで、だの、後から訴えられないだろう、とか、最も悪辣なことを喋っているのは、イザベラの夫だったのだから。

 子供の頃から決まっていた婚約で、いわば幼馴染。よく知った相手で、大人しくて控えめで、柔和な少年だと、そういう人物なのだとばかり思っていたが……その声は間違いなく夫のもので。

 否定したかったが、イザベラは三秒ほどで現実を受け止めた。

 そして、湧き上がる怒りに任せて飛び出した。

「あなた、それは、どういう意味ですか?」

 背筋を伸ばして、怒りに眦を吊り上げて、燃えたぎる憤りを抑えながらもそう問い掛けて、そして、夫がうろたえながら「冗談だよ」とヘラヘラと笑って誤魔化そうとする姿を見てーーイザベラは、全力で腕を振り被り、思い切り夫だった男の頬を打った。

「恥知らず! そのような人間だとは思いませんでした! 立場や力の弱い相手を一方的に虐げる、そんな人間を我がトゥルペ伯爵家の一員とする訳には参りません! 人間とも言いたくない! 全員、今すぐ出て行きなさい!」

 そうして、イザベラは最初の夫と離婚した。

 子供がまだ出来ていなかったこともあり、離婚はスムーズに成立した。イザベラの両親も、彼女と同じくそのような悪を許さない性格であったので、娘の言い分に深く納得し、即座に婿に対して三行半を突きつけた。婿の実家も、息子の方に非があるとして離婚をすぐに受け入れて、手続きはすんなり進んだのだが、最後に、夫だった男がイザベラに向かって叫んだ言葉が呪いになった。

「お前みたいなブサイクで貧相な女、身分と家柄がなかったら誰が相手にするかよ」

 吐き捨てるように言ったその言葉は、言われた瞬間にはイザベラは何の痛痒も覚えなかった。

 が、しかし、二番目の夫も、三番目の夫も、似たような形で駄目になった。

 結婚は回を重ねるにつれて、男の質が下がっていった。最初の夫は長年、イザベラの婿になるために演技をして自分を作っていたために、ボロを出すまでが長かったのだが……思わぬ幸運として転がり込んできた逆玉に、二番目の夫も三番目の夫も、すぐに調子に乗ってボロを出した。

 二番目の夫は結婚して一ヶ月で横柄になり、それだけなら家督を継ぐ者であるからと、妻として控えようと考えて我慢できたのだが、領主としての職務を疎かにし、イザベラの友人である貴婦人や令嬢に手を出そうとしたので離婚となった。

 三番目の夫はもっと酷かった。二番目の夫は無能であったからと、勉学に優れた相手をと、イザベラの両親が方々探し回ってやっと見付けてきた相手だった。だが、結婚式の最中に……招待客として出席していたツェツィーリアが、イザベラの元に挨拶にやって来たのを見た瞬間、彼は目の色を変えた。

 その日、ツェツィーリアは体調不良に陥るのを覚悟の上で、敬愛するイザベラのため、いつもの黒いヴェールを付けずに出席していたのだ。式にヴェールを纏うのは花嫁のみであるべきだと、イザベラの晴れの席だからと考えて。つばの広い帽子を被ってはいたものの、近くに行けば顔が見える状況であった。

 三番目の夫は、イザベラとツェツィーリアの会話に、かなり強引に会話に割り込んできた。のみならず、隣に居たイザベラのことを鬱陶しそうに扱った。更には、ツェツィーリアが帰るまで、ずっと付け回してイザベラを放置したのだ。

 式が終わってのち、他所の、それも未婚の令嬢を付け回すなど不躾にも程があるし、トゥルペ伯爵家の一員となる人間なのだからホストとしてお客様への応対をするべきだと注意したところ、喧嘩になった。

 三番目の夫は結婚する前までは礼儀正しかったが、内心では些細なことであれ何であれ、女に、それも自分の妻に意見されるなど我慢がならないと考えているタイプの男だったのだ。妻であるイザベラのお陰でトゥルペ伯爵になれるというのに、女は無条件で全て男の、というか、自分のために動いて然るべきだと考えているようで、そのような自分勝手極まりなく、支離滅裂な内容を怒鳴り散らす相手を前に、イザベラはぶちギレた。

「離婚します! あなたは優秀なのかも知れませんが、礼儀を知らないようですね! 我がトゥルペ伯爵家に相応しい人格の持ち主とは到底言えません!」

 ウエディングドレスのまま、真っ白なヴェールを床に叩き付け、その足で家長である父の元に向かい、何が起きたのかを説明した。

 トゥルペ伯爵という地位に執着していた男は顔を真っ赤にして怒り狂いながらイザベラを追って来て弁明したが、会場内で彼が非協力的だったことはイザベラの両親から見ても明らかであったので、毅然として否を突き付けた。

 トゥルペ卿の決定が覆らないことを知って、彼は大声でイザベラを罵った。女としての魅力がない、顔が美しくない、無愛想で、棒切れのような女、つまらない女、生意気、傲慢、などなど。聞くに耐えない罵倒を、イザベラとその両親の前でひとしきり喚き、執事に引き摺られて追い出されるまで続けた。

「お前があの黒髪ぐらいの器量だったら我慢してやれただろうよ!」

 捨て台詞の一つが、イザベラの胸を刺した。

 三度の離婚を経験するまで、イザベラは世間の常識として、淑女とは貞淑であり、清楚であり、可憐であり、従順であれば良いと考えていた。人間の価値は見た目でなく、心根の美しさ、そして振る舞いや行動によって決まるのだと信じていた。

 しかし、振り返ってみると、これまでの夫たちは軒並み、イザベラの容姿が良くないからだと言っている。

 イザベラには子供の頃から自分が美しくないという自覚があった。

 美とは困難と苦難を齎すものであると思っていたから、美しくないということは幸福なことなのだと考えていた。

 鏡を見るとーーそこには、吊り上がった一重瞼の目があって、ごく平凡な鼻があって、厚みのない、少しばかり平均よりも幅が広い唇があった。

 形として醜くはない。平凡。美しくはないだけである。三人の夫のうち、一番目と三番目は明確にツェツィーリアを好んでいた。大きな猫のような瞳と濃く長い睫毛と、小さく形が良い鼻と、薔薇の花びらのような、厚みがあるが幅の小さな唇。雪のように白い肌と、華奢な顎、首へと続く輪郭……そして、大きく膨らんだ胸と驚くほど細い腰。

 体つきのことを気にしたことはあまりなかった。

 胸が大きいと慎みがない、淫らだと言われるし、胸は小さい方が淑女としては望ましいとされている。その方が可憐であるから、と。それにはイザベラ自身も納得している。細く薄い体は可憐だ。そして、イザベラは痩せており、胸についても、あるにはあるが慎ましいとされる程度であったので、その点に関しては理想的と言えた。

 が、これまでの三人の夫は……豊かな胸を好んでいる様子だった。

 顔ではなく心根の美しさ?

 胸は小さい方が良い?

 それは、本当に、真実なのだろうか?

 三番目の夫と結婚を離婚した時、イザベラは十八歳だった。

 十八歳になって、イザベラは世の中の常識に対して疑問を持った。

 そこから、周囲の人間を注意深く観察して、そして、結論に至った。

 わざわざ「人間は顔ではなく心根の美しさです」と唱えるのは、どうしても人間は美しいものに惹かれてしまうから、己を律しなさい、己が美しいのなら思い上がらず謙虚でいなさい、ということなのだ。

 どうして「胸が大きい女は淫らだ」と言われるのかというと、一部の男性にとって、胸が大きい方が性的な魅力があると感じるからなのだ、と。真偽はともあれ、どうにも、結婚相手としての令嬢は可憐で小さな胸が好まれるが、何故だか人気の娼婦やら、愛人というものは胸の大きい女性ばかりだということにも気が付いた。

 三人の夫と離婚したことに後悔はない。

 ただ、もしも自分がツェツィーリアほど美しかったのなら、他の道もあったのだろうか、とイザベラは考えた。

 もし、イザベラの見た目がツェツィーリアのように美しかったのなら、あの三人の夫のどれかとは上手くやれた未来もあったのかも知れない、と。

 貴族家の家つき娘でありながら、そういった事情で、イザベラとツェツィーリアはどちらも独身のままだった。

 三度の離婚をしたイザベラは腫れ物に触れるように扱われることが増えたが、しかし、ツェツィーリアだけはずっと変わらなかった。

 呆れるほど変わらなかった。

 相変わらず黒髪だし真っ黒な服だし、非社交的だし、社交ではずっと食べ物を食べているし、全ての努力を放棄しているが、敵対する人間への反撃は切れ味を増しているし、その瞬間だけではあるが冴え渡っていたのでーーやっぱり、イザベラはツェツィーリアを見るたびにイライラしていた。

「あなた、そんなに美しくって胸が大きくって、その気になれば上手く社交をこなす頭脳もあるというのに、なんでそんなに全てを無駄に出来るのよ!?」

 よっぽどそう言ってやりたかったが、ツェツィーリアは何も悪いことをしていないし、イザベラ自身、それが理不尽な嫉妬であることは自覚していたので、黙ってイライラし続けて……結果、とうとう嫌いになった。

 が、ツェツィーリアの方は相変わらずイザベラのことが好きだったので、呑気に懐いており、イザベラの方もそれを分かっているため、冷たく突き放すことも出来ず、更には「美は万人が好むものである」という学びを得たイザベラは、ツェツィーリアが自分の家のパーティーやお茶会に来ると会場が華やぐことにも気が付いたので……定期的にお説教をしながらも、ずっと付き合いを続けていた。

 四番目の夫を探し続けてはいたが、もう見つからないだろうと半ば諦めつつ過ごしており、イザベラはツェツィーリアも自分も、そのうち親戚筋から養子を貰って跡を継がせたら修道院に入るのだろうと思っていた。

 だというのに、いきなりツェツィーリアがポンと結婚してしまったので、イザベラは心の底から驚いた。まさしく青天の霹靂である。

 しかもお相手はフリートホーフ辺境伯。一人娘が実家を捨てての超特大玉の輿コース。

 心の中でイザベラは「はぁ〜〜!?」を百万回くらい繰り返した。

 故郷を捨てて金持ちにポンと嫁ぐ。行き遅れなのに。魔力無しの黒髪なのに。しかも相手は辺境伯で、更には尊い白銀。

 平たく言うとまあ「見た目が良けりゃそれだけでこんなの出来んのかよ」である。

 真相としては見た目もあるにはあるが、ツェツィーリアが変な女であり、アルバンが変な男であり、変人同士が妙な縁で結び付いたというのが主因なのだが、イザベラの視点からするとそうとしか思えない。

 真面目なイザベラは……このセンセーショナルなニュースを聞いて、ちょっとだけやさぐれて、ついでに、ツェツィーリアがしっかり嫌いになった。

 羨ましかったので。



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