【143】フォール・イン・ラブ
お茶会は無事に終了。ホッとひと安心。険悪にならなければ良いのだ。私のゴミのような対人スキルではそれが限界。シャルロッテさんとディートリンデさん、どっちも優しい淑女で良かった。助かった。
そうか、シャルロッテさんはアルバンが初恋……さもあらん。何しろアルバンはこの世で一番インテリジェンスで素敵な男性なので、好きにならない方がおかしい。まして、当時は傷もなかったのだし、モテない方がおかしいだろう。
恐らくシャルロッテさんは、今はアレクサンダー殿下と相思相愛なのでそこは安泰なのであろうが、アルバンのことは初恋の人だし、幼馴染だしで気には掛けていただろう。
気にならない筈がないので、きっと、狩猟大会兼女性限定カード大会の時、最初の方私に対して態度がそこはかとなく固めだったのは、見定めようとしていたのだろうな。警戒心が原因。それはそう。だって、アルバンが望んだとはいえ、私は側から見れば金目当てでアルバンと結婚した女。うん、事実。揺るぎない事実。もしアルバンが私の実家を救えるくらいのお金持ちじゃなかったら、まず結婚なんてしなかった。認める。私はがめつい女。強欲でごめんなアルバン。諦めて私のために人生を棒に振ってくれ。それが正直な気持ち。できる範囲で恩返しはするから許されたい。あと、死ぬまで全力で愛し抜くからね……ものすごい何かが起きない限りは。
まあそんな訳なので、アルバンの方が私に惚れ込んでの結婚であるし、大切な幼馴染が悪い女に引っ掛かって騙されているのでは? という疑惑が湧いてしまうのは当然であろう。
間違ってない。シャルロッテさんは正しい。
事実としても、私は個人的にアルバンに対して最早メロメロであるし、我儘言ったり媚びたり色々してるし、ジャブジャブお金を使っているので……これ、私やっぱり悪女では?
なんてこった。
見た目通りの魔女みたいな女ではないか。
これはヤバい。
しかしてそれはそれとして、シャルロッテさんに女としての魅力で勝てるわけもないので、やや胸の内にジェラシーを燻らせてしまう。
だって納得できない。
そりゃあ、アレクサンダー殿下はスタンダードな男前。男らしく整った端正なお顔立ちだし、傷のことを差し引いても、元のアルバンよりは一般ウケする容姿であるし、有能なのも理解はしているが……どう考えても、私の夫の方が良い男では?
美丈夫とか偉丈夫とかいう形容詞、アルバンのために存在するとしか思えないのだが……いや、アルバンの魅力は見た目もだけど、やっぱり頭が良くて優しくって、ゆっくりお話ししてくれるところだし。自分が疲れていても、クタクタで機嫌が最悪の時でも、私に美味しいものを譲ってくれたり「大丈夫? 疲れたよね?」って聞いてくれる、心も体も強いところなのだが……。
シャルロッテさん、変わってるな?
どう考えてもアレクサンダー殿下より、アルバンの方が素敵なのに……でも良かった。シャルロッテさんが恋のライバルです、なんてことになったら私は泣きながら正妻の地位を返上してグリンマー領にある別荘に引っ込むしかないところだった。シャルロッテさんの趣味が変わっていて良かった!
と、いうことを、夕方帰ってきたアルバンに、あのねのね、とお話ししたところ、ニッコニコの笑顔になった。
「えっ、えぇ〜? ツェツィーリア、ヤキモチ焼いたの? 見たかったなぁ。えっ、本当に、アレクより僕の方が良いの?」
「はい。どの要素を取ってもアルバン様一択だと思いますが」
「君以外に選んで貰えないよ、僕なんて。あ〜、かわいい! 本当にかわいい!」
私、ジェラシーに狂っているんです! と主張したところ、アルバンが瞳の奥をハートにして、私をがばちょとベッドに押し倒してチュッチュッチュ〜! と熱烈にキスしてくれた。
本当の本当に、シャルロッテさんとは何もなかったんですよね!?
と、嫉妬に狂う女らしく詰め寄ろうとしたのだが、なんか……うん。心配なさそう。
アルバンではなくアレクサンダー殿下を選ぶシャルロッテさんも変だが、それよりもシャルロッテさんより私を選ぶあたりアルバンの方が数倍変。
なんだかんだ、文句を言ったり怒ったりしつつも、どっちもアレクサンダー殿下を助けているあたり、この二人、性格が似ている。同じ属性の人種なのかな?
「アルバン様って、変わっていますよね。普通、どう考えてもシャルロッテ様を選ぶと思うのですが」
「そうかもね? でも、僕が好きなのはツェツィーリアだから」
「今更ですが、どうして私だったんですか?」
あんなに素敵な美少女が近くに居たのに、なんでわざわざ落ちこぼれな黒髪の私を?
「……うん、結婚した日に伝えようかなって思ってはいたんだけど、あの時、ツェツィーリアは百合根のポタージュに夢中だったから……お腹すいてるのかなって思って。あと、君が僕のことを好きになれなくても、僕が提供する結婚生活を好きになってくれたらしめたものだなって、ここぞとばかりにキャビアで畳み掛けることを優先したんだ」
「その節は大変申し訳ございませんでした」
食い意地が張った女で申し訳ない。ですがそれはそれとして、シェフの料理は美味しいので今後も残さず食べます。
「でも、君はそんなこと知らなくったって、今、君の前に居る僕としっかり向き合ってくれていたし……話す必要もあんまりないかなって思っていたんだけど……僕の話、聞いてくれる?」
「ええ。勿論です」
「ありがとう」
と、言って、二人して、パジャマ姿でベッドの上に座った。お互い、ピクニックに来た子供みたいな気楽で、安全で、リラックスした状態で。
ツェツィーリア・グリンマーと初めて出会ったのは、僕が八歳の時。
「……なに、ソレ」
「おぉ! 可愛かったから拾ってきた!」
いつも、アレクサンダーやアロイスと一緒に遊び場にしていた庭に、知らない小さな女の子が居た。
アレクサンダーは子供の頃から、珍しい木の実や綺麗な花があると、枝を折ったり引き抜いたりして持ってくるタイプ。考えなしで配慮がないし、当時はそれが顕著だった。成長するにつれて、シャルロッテのお陰で改善されていったけど、あれは生まれつきの性格だからそうそう変わらないだろう。
そんなアレクサンダーが連れて来たのは、全身黒い服を着た、黒髪黒目の美幼女だった。
「元いたところに返してこい」
「なんでだ? 可愛いから妹分にしよう。見ろ! 虫を肩に乗せても泣かない! 俺たちの妹分に相応しいだろう!?」
「肩にカマキリ乗せるのやめな?」
その真っ黒な女の子は……とにかくボーッとしていた。アレクサンダーが捕まえたカマキリを肩に乗せられても、どこを見ているのか分からないぐらいだったし、すぐ横でアロイスが更に頭の上にナナフシ乗せても無反応。
一応、生きていることは見てわかったし、着ているものが豪華だった。王宮に居るってことはどこか貴族家の令嬢なんだろうなって推測も出来た。
「でも確かに、黒髪って……珍しいね。瞳も真っ黒だ」
「そうだろう。俺たちと真逆だ!」
「あはは。頬っぺたぷにぷにだよ!」
「やめな? とりあえず、女官呼んでくるから。大人しく怒られときなよ」
その時はすぐに女官を呼んで、その真っ黒な女の子は保護者のところに送り返されて……まともで良識的な女官長に「これは立派な誘拐です!」と理詰めで怒られたアレクサンダーがガンガンに落ち込んでた。自業自得だし馬鹿すぎるなって思った。
でも、一方で僕は……女の子、って、こんなに可愛い生き物なんだ、って思ってもいた。
王宮には大人が沢山いた。身の回りを世話してくれるのは女官だったし、大人の女性を見る機会も多かったけど、同じ年頃か、それよりも小さい女の子を見たのはそれが初めてで、僕たちとおんなじ生き物とは思えないくらい可愛いんだなって、素直に感心した。
ついでに言うなら、女官の誰よりも綺麗で可愛くて、人形よりかわいいんだなとも感じたから、ふぅん、女の子って、大人の女とは全然違うんだなって、その時はそう認識してた。
「黒髪……先天的な魔力欠乏症が示す形質なのか。突然変異体……ふぅん、アレクの勘も間違ってないな」
調べてみて、そこで初めて、人間には黒髪黒目の人も居るってことを知った。
気になって女官に聞いてみたら、あの黒髪の女の子はグリンマー家のご令嬢で、生まれつき体が弱いし魔力がないから、王宮の医務官や魔法研究者に診察させるために父親に連れて来られたってことだったらしい。それで、検査の合間の待ち時間に、ウロウロしてたアレクサンダーに捕まって連れて来られたということらしかった。
……黒髪の子って、魔力がない分、かわいい見た目で生まれてくるとか、あったりするのかな?
いや。ないない。
その時はそこで終わって、すぐに忘れてしまったのだけど……そこから更に二年後。
僕が十歳になった時のこと。
事前に決められていた通りに、アレクサンダーはバイルシュミット家のシャルロッテと正式に婚約した。顔合わせ自体はずっと前から済んでいて、婚約式を無事に済ませた。アロイスも同じで、取り決め通りにコルネリウス家のディートリンデと無事に婚約が成立。対して、僕の婚約者は決まっていなかった。
アッヘンバッハ公爵家の長男で、白銀で、本当は囚人でもある王弟の息子だから、色んな思惑が絡んでいた。事前の取り決めなんかも出来る訳がなく、大人たちは様々な立場から僕の結婚相手を誰にするのかずっと議論していた。
パワーバランスとして、アッヘンバッハ公爵家の権力が強すぎるから、僕には出来るなら身分の高い令嬢とは結婚してほしくないという方針だけなんとなく決まっていたし、けれど、その一方で折角の白銀なのだから、ぜひ結婚して子供を、という考えから……折衷案として、僕の婚約者候補を見繕うためのパーティーが開催されることになった。
これは考えの対立する大人たちの思惑それぞれに、お互いが忖度と妥協をした結果で……幼い令嬢たちを集めて、それぞれが娘を使ってアピールして僕に選ばせる形なら文句ないだろう、恨みっこなしだ、っていう、まあ言っちゃえばヤケクソでやった最後の手段だった。
同時に、王宮管理官としては僕が複数の令嬢を選んで沢山愛妾を持つことを期待していたし、僕の婚約者探しと同時に、アレクサンダーとアロイスもついでに参加させて愛妾に欲しい令嬢が見つかったらそっちもどうぞ、みたいな感じだった。
普通なら五歳かそこらで婚約するのが高位貴族のスタンダードだけど、僕らの世代に関してはそこが遅かった。
上手くすれば、正妻は無理でも娘がアレクサンダーやアロイスの愛妾になれるかも、なんて思っていた家は多かったし、そうでなくても僕の相手決めは紛糾していたから、アッヘンバッハ公爵夫人も狙えるって考えてた家も多かった。
そのパーティーは王宮の敷地の片隅、端にある塔とそれを取り囲む庭園と小さな森で行われた。大人たち、主に令嬢たちの保護者の思惑が挟まれないようにするという条件が優先されたから、参加者は子供だけで、会場内にはほとんど大人が居なかった。
敷地の外には警備の騎士が何人も居た。会場内には国内で、僕たちと年齢の釣り合う令嬢がほぼ全員集められていた。
僕は令嬢たちのメインターゲットで、すぐに取り囲まれた。知らない令嬢からひっきりなしに話し掛けられるのにウンザリして、疲れ切って……会場の中央にアレクサンダーが来たのを見て……これ幸いとばかりに令嬢たちの相手を押し付けて、逃げた。
王宮内のその森はきちんと手入れされた鑑賞用で、見晴らしも良かったけど、子供の体なら隠れられるところは沢山あった。
僕は低木の茂みに隠れようとした。
そこに、黒髪の女の子が、ドレスの裾を土まみれにして、座り込んでいた。
あの時の子だ、って思った。
同時に、邪魔だなぁ、って思った。
僕はそこに隠れたかったし、令嬢たちにウンザリして、嫌気が差して逃げた先にまた女の子が居たから、本当にイライラした。
それに見ただけでも、その子は普通じゃなかった。ドレスや手が汚れるのを気にしないで汚い遊びをしてる令嬢なんて、他に見たことがなかった。
「……なにしてんの?」
一応、話し掛けてみたけど、その子は僕の方を見て、それから、興味なさそうにまた下を向いた。
何をしているのかと思っていたら、地面に……歪な線でマス目が引いてあって、その上に、石ころとか木の実とか葉っぱが置いてあって、それを動かして遊んでいるみたいだった。
その子はとりあえず静かだったし、煩くないし、見た感じ、地面のそれにはパターンがあるなって分かったから、僕もしゃがみ込んで、推理した。
答えてくれそうになかったから、予測するしかないなってね。
で、そしたら、その子が動かしている石ころとか葉っぱとかが、全部チェスの駒の代わりだってことが分かった。
詰めチェスを一人でしてるんだって分かったら、僕はその子に対する「嫌だな」って気持ちが消えた。
当時の僕は、議会のおじさん達にチェスを教わって、一番ハマっていた時期で、連戦連勝だった。勝ち過ぎたせいで、そろそろ飽きそうだなって思っていたし、大人はみんな馬鹿ばっかりだって本気で思っていた。
無意識にだけど、僕はその時まで、本気で自分が世界で一番頭が良いんだって思ってた。
それで、チェスも知らないしなんにも分からない普通の令嬢なんて大人達よりもっと馬鹿だし下らないなって思っていたから、その変な黒い子はまだマシかな、とか偉そうに考えてた。
話通じないバカ女ばっかりで嫌だったのもあって、気分がちょっと良くなって……それで、提案した。
「チェスやろうよ」
「……。」
「もうわかるよ。石がポーンで、この赤い葉っぱがナイト。ビショップが緑の葉っぱで、この小枝がルーク。花がクイーンで、木の実がキング。違う?」
否定も肯定もしなかったけど、その子は、顔を上げて僕の方を見た。今初めて、目の前に人が居ることに気が付きました、って感じだった。
僕は傲慢な子供だったから……やっている途中だろう詰めチェスを崩して、初期配置に戻した。勝手に。断りもなく。その子は怒った様子もなかったし、嫌じゃないんだろうなって。何考えてるのかは何も分からないけど、少なくとも、パーティーが終わるまで退屈だし、それなら、隠れてこの子とチェスやってても良いなって。
どうせ、女の子だし、凄く弱いだろうけど……昼寝する気分じゃないし。
「…………は?」
瞬殺だった。
コテンパンにやられた。
圧倒的な大差で負けた。
「も、もう一回!」
本当にビックリした。まぐれだって、間違いだって思った。たまたま僕が見落としただけだって。自分に自分で見苦しい言い訳をした。
目の前に居る、黒髪で、真っ黒な目をした女の子はちょっと首を傾げて、それから、相変わらず無言で、ゆっくりノロノロ、駒を初期位置に戻した。
僕は、パーティーが終わるまでその子と打って……全部コテンパンにやられた。勝てなかった。圧倒的だった。
自信とか思い上がりとか、傲慢さとか、全てがバキバキに壊れていった。頭を横殴りにされた気分だった。どうやっても勝てなかった。
そこで、僕は……生まれて初めて、自分より頭の良い女の子を、見た。
最後は女官と、グリンマー家のメイドが僕たちを探しに来て……それで、別れた後も暫く混乱して、何が起きたのかを思い返した。対局の半分はなんで負けたのかが分かったけど、もう半分は分からなかった。
年下の女の子に負けたって事実は僕を打ちのめした。
でも、事実だし。否定しようがないし。
そこで、僕はやっと気がついた。
「そっか。僕、一人じゃないんだ」
この世には僕よりも頭の良い人が居る。それは僕より年下ってこともあるし、その上女の子ってこともある。何もおかしいことじゃないし、周囲の人間の頭が悪くて、何で誰も僕みたいに出来ないのか分からなくて、イライラし続けなくっても良いんだ。
だってあの子が居るから。
アレクサンダーやアロイスや国王陛下、それに王妃殿下のことは好きだ。僕に優しいし、親しくしてくれる。間違ってることがあったら導いてくれる。僕の心に寄り添ってくれる。でも、家族じゃない。シャルロッテやディートリンデも同じだ。
僕たちは同じ家庭教師から教育を受けてはいたけど、でも、いずれアレクサンダーはシャルロッテと、アロイスはディートリンデと結婚する。家族になる。でも、僕はそうじゃない。四人と家族にはなれない。
結婚なんてダルいなって、面倒だって思っていたけど……そうか! 僕は僕の家族を作れば良いんだ!
あの子は、グリンマー家の令嬢だって言ってたな?
子爵家だし、公爵家とは結婚なんて出来ないけど、限りなく難しいだろうけど、でも、女の子だ。
男と女なら結婚は出来る。
「……決めた! あの子と結婚しよう!」
愛とか恋とか、人の判断力を鈍らせる非効率の塊みたいだけど、でも、誰か一人、どうしても選ばなくちゃいけないなら、あの子がいい。あの子は馬鹿じゃない。あの子だったら、きっと一緒に居て楽しい。そうしたら僕は一人じゃない。
それは凄く良い考えに思えた。
今をもって断言出来る。
あれは僕の人生で最良の判断だった。
ボーッとしてても、なんにも喋らなくてもいい。煩くないし、鬱陶しくないし。うん、それに、よく見ると結構、いや、かなり可愛いし。チェス出来るし。凄くいい。あの子がいい。あの子にしよう!
ツェツィーリア・グリンマー。
結婚したらどんなだろう。夫婦って毎日一緒に同じ家に暮らすから、家に帰ったらいつもあの子が居るってことだ。時間がある時は黙って静かにチェス打って遊ぼう。そういう、僕の家族が出来たら、きっと素晴らしいだろうな。きっと、きっと、楽しいはずだ。きっと……。
でも、定期開催される婚約者選びのためのパーティーに、ツェツィーリアは待てど暮らせど来なかった。
僕は一人でずっと、今日は居るかなってワクワクして、がっかりするのを繰り返して、そこで、子爵家の令嬢だと僕の愛人にしかなれないから、大事な一人娘が僕と親しくなるのを彼女の親が許すわけないなって、やっと理解した。きっと婿を取って家を存続させるつもりなんだって。
クサクサした気分だった。
あの子じゃなきゃ、ツェツィーリアじゃないと嫌だ。
だから、いざとなったら適度な不祥事を起こしてアッヘンバッハの相続を放棄してから、グリンマー子爵家の婿養子になる道も考えていた。
ツェツィーリアと結婚するのはもう僕の中で決定事項だった。
最優先するのはそれだけだった。だって、人生の伴侶を決めるってことは人生の幸福度を物凄く左右するし、ツェツィーリアとの結婚は僕に取って物凄く合理的でコストパフォーマンスに優れた手段だったから。
それでも、色々と圧力はあったから、渋々そのパーティーには参加していて、他の興味のない令嬢は全部毒舌で泣かせたり怒らせたりして躱した。大半の令嬢が僕のことを苦手に思って、遠巻きに女の子同士だけで集まるようになるのを見て安心していた。ツェツィーリアはたまにしか来なかったけど、人気のない所には行かないように言い含められたのか、ずっと他の令嬢たちの近くでボーッとしていた。
僕はそれを、離れた所から眺めていた。
ツェツィーリアと結婚すると決めてから更に三年後。
僕が十三歳の時。
いつものパーティーにツェツィーリアがやって来た。頭から真っ黒なヴェールを被っていて、やっぱり魂なんてどこにもないかのようにボーッとしていて、それが僕は吐きそうなぐらい嬉しかった。
何があったのかは知らないけど、その日のツェツィーリアはいつも以上に気乗りしないみたいで、あからさまにやる気がなかった。令嬢たちの群れに近寄らずに、比較的端っこの方に居た。
今すぐ低木の影に行ってチェスをやろうよ、って手を引いて行きたかったけど、ツェツィーリアはお腹が空いているのか、ずっと料理が並ぶテーブルのそばをフラフラしていた。
当時の生意気なクソガキだった僕にも一応、羞恥心みたいなものはあって……ツェツィーリアがずっと人の多い場所に居るからヤキモキした。
でも、ずっと食べている訳じゃないだろうし、きっとお腹がいっぱいになったらまた隠れて一人で詰めチェスやるんだろうなって思っていたから、ツェツィーリアが離れたところを見てからそっちに行こうと企んでた。
僕はツェツィーリアが、フラフラと、ずっと食べ物が並ぶテーブルの前を彷徨うのを、塔の中から眺めていた。アレクサンダーやアロイス、それにシャルロッテやディートリンデも居て、五人で喋ったりお茶を飲んだりしていた。
途中でシャルロッテが、知り合いの令嬢に挨拶してくると言って外に出て……ツェツィーリアの居る近く、木陰にあるテーブル席の方に行ったのが見えた。
それから、アレクサンダーに話し掛けられて、シャルロッテと喧嘩したままだけど、どうしたら仲直り出来るか、なんて相談されたから、窓から目を離した。
何分経ったのかは分からない。
誰も時間なんて測っていなかったと思う。
窓の方に目を戻すと、令嬢達が倒れていて、真っ黒なドレスのツェツィーリアだけがその場に立っていた。
「何かおかしい!」
すぐに立ち上がって叫んだ。
アレクサンダーもアロイスもそれに気が付いた。
血相を変えたアレクサンダーが現場に向かうことをすぐに決断した。アロイスはディートリンデに向かってこの場に残って待つように伝えていた。僕はアレクサンダーに続いて外に飛び出した。
外に出ると、何十人もの令嬢が気絶して倒れていた。
嵐の後に花が散って、地面に叩き付けられているような光景だった。色とりどりのドレスが緑の芝生の上にあって、そして、肉の塊を切るための長い包丁を握ったツェツィーリアが一人だけで、見窄らしい身なりの男と睨み合っていた。
ゾッとした。
男はナイフを持っていた。
言葉にもならない声を発して、すぐ近くに居た、気絶した令嬢の腕を掴んで、ナイフを振りかぶって、刺す仕草をしていた。威嚇のようであり、怯えでもあった。
ツェツィーリアは全く恐怖していなかった。
どころか、包丁を握って構えたまま、ゆっくりと、倒れた令嬢たちの間を縫うようにして、男に向かって歩いていた。何を考えているのか分からない、あの黒い瞳のままだった。
男の方が怯えていた。
気絶すらせず、全く怯えた様子もない、魔力なしの黒髪の少女が、包丁を手に歩いてくる。異様な光景だったのは間違いがない。
男は、薄い赤銅色の髪をしていた。
怯えから火属性魔法が使われた。
それは小さな火を灯す程度のものであったのだけど、ツェツィーリアのドレスの裾を燃やした。
でも、着ている服が燃えているというのに、ツェツィーリアは止まらなかった。怯えも同様もない。ペースを落とさず歩いていて、男がそのことに動揺して、持っていた令嬢の腕を取り落とした隙を突いて、アレクサンダーが風魔法で男の手からナイフを弾き飛ばした。
僕は水魔法でツェツィーリアの服の火を消した。
男が叫びながらその場に崩れ落ち、後退りしたのを見て、ツェツィーリアは前進をやめた。
細長い肉切り用の包丁を構えていたのを、腕を下げて、脱力した。だらん、と。けれど武器は握ったまま。
僕たちが到着するまで、ツェツィーリアが男とどれだけ対峙していたのかは不明だ。
男の証言では二十分くらいだということだったが、誰も時計を見ていなかったので分からない。現場に居た令嬢たちは、僕の婚約者を決めるためのパーティーだから、と誰もがきつくコルセットを締められていたのもあって、武器を持った浮浪者の男を見て全員が気絶していた。
意識があったのは、ツェツィーリアだけ。
遅れてやってきた騎士たちが男を拘束した。
「な、なんで? 君、魔力がないのに……!」
質問をしたら、ツェツィーリアは僕の方を向いて、それから、ドキッとするぐらい無垢な顔で小首を傾げて、こう言った。
「捨て駒がないと全滅するから」
チェスの感想戦をするのと全く温度と質感で断言した。
そうするのが当たり前なのに、なんで聞くの? って感じだった。
それから、大人たちが集まってきた。王宮管理官、女官、各家の令嬢達の家族……。
当時はまだ騎士の時代で、淑女の名誉のために事件を隠蔽するのはまだ普通のことだった。
王宮主催の、しかも白銀の婚約者を決めるために開催されたパーティーで、武器を持った男が侵入したことも、その場に居た令嬢が皆、一様に犯人を前にして気絶してしまったことも、令嬢のうちの一人が武器を手に敵に立ち向かったことも、全てが大問題だった。
事件があったこと、そのパーティーに参加していたという時点で令嬢にとっては瑕疵になる。
無論、王宮にとっても汚点でしかない。
それでも不幸中の幸いだったのは、一人だけ、気絶せずに現場を保持した令嬢が存在したこと。
ツェツィーリアの存在によって、その場に居た令嬢は誰一人、名誉を傷付けられていないことが証明されている。
しかし、侵入者が出たからといって、令嬢が自ら武器を手に敵に対峙するというのは淑女として論外という烙印を押されることになる。ツェツィーリアが証人となってしまえば、ツェツィーリアには永遠に縁談が決まらないだろう。まして彼女はグリンマー家の一人娘で、ただでさえ縁談の纏まりにくい魔力無しの黒髪。
被害者である令嬢たちの父親は怒り心頭だったが、グリンマー子爵の提案と取りなしによって、事件は「なかったこと」になった。
王宮管理官や女官は元論、被害者である貴族令嬢の名誉も、ツェツィーリアの取った令嬢にあるまじき行いも纏めて隠して、全方面に角が立たない約束が結ばれて……僕たち白銀も、沈黙することを約束させられた。それが全員にとって最善の手段だったからだ。
捜査によって、男が侵入した経路も明らかになった。王宮と庭と森を囲む壁の一部が崩れていたことが原因だった。動機も明らかになった。男が住んでいた場所では悪徳貴族の課す税が重く、妻と娘が病の果てに死んだこと。貴族を恨んで復讐を誓い、事件を起こしたこと。犯人の男の復讐相手の貴族には息子しか居らず、てんで的外れの犯行であったことが明らかになって、男は弱って拘束中に死んだこと。後から全て明らかになったけど、でも……僕はそれどころじゃなかった。
あの子は、ツェツィーリアは、なんであんな事をしたんだろう?
ずっと考えていた。
寝ても覚めてもずっと、ツェツィーリアのことを考え続けていた。僕よりもチェスが強くて、頭が良い筈なのに、まるで合理的じゃなかった。
だって、あの場で一番優秀なのはツェツィーリアなんだから、自分が生き残るために逃げて助けを呼んだ方が良い。他の令嬢は何人か死ぬだろうけど、生き物は全部、自分が生き残るために行動するものなんだし、なんで一番優秀なツェツィーリアが自分の身を危険に晒したりするんだろう? って、ずっと考えていた。
考えて、考えて、考えて……。
理解した。
ツェツィーリアは、自分の命を犠牲にして、三十五人の令嬢たちを生かす道を選んだんだ。
単なる自己犠牲じゃない。あの場で動けて、あの場で適切に判断できる存在が自分しか居なかったから、ツェツィーリアは勝つために最適解を選択したんだ。
あのまま何もしなければ全員が殺される。
でも、いつまでも誰にも気付かれないなんてことはあの状況じゃあり得ない。必ず助けは来るし、それは騎士だ。素人の男一人なら、まず確実に騎士が制圧する。
だから、ツェツィーリアは唯一自由に動かせる駒……自分を使って、騎士が来るまで時間を稼ぐことにしたんだ。
三十六の駒があって、そのうち一つを生かして三十五を犠牲にするか、一つを捨てて三十五を残すかを選んだんだ。保身とは程遠い思考回路で。
きっと、ツェツィーリアはなんにも考えていなかった。
令嬢にあるまじき振る舞いだとか。今後の自分の価値とか、立ち位置とか。それはつまり、命を優先したってことだ。
ゴチャゴチャ煩い、鬱陶しい御託なんて関係ないって感じだ。
あんな子、見たことない。
あんな子、どこを探したって居ない。
息をするように、他人のために出来ることをしている。善悪なんてツェツィーリアは考えちゃいないんだろうけど、でも、行動の全てが誇り高くて高潔だ。貴族としての模範。いや、違う。
「王様みたいだ……。」
ドレスが燃えても、剣のように細長い包丁を構えていた。剣術なんて習っていないのが丸分かりの、拙い構えだったけど、背筋はずっと伸びていた。
綺麗だった。
あんなに綺麗なものを、他に見たことがなかった。
もっと見たい。
初めて声を聞いた。
何を食べていたの?
怖くなかった?
会いたい。
会って話したい。
ツェツィーリア・グリンマーって個人のことが、知りたくて知りたくて、知りたくて仕方なくて、それで、やっと、僕はツェツィーリアに恋をしていることに気が付いた。
かわいい、綺麗な、賢いツェツィーリア。
弱い筈なのに。魔力だってない。魔法も使えない。剣術だって使えない。チェスが強いのは知っているけど、他はどうなのか分からない。知らない。でも、好きで好きで堪らなかった。
弱くて脆くて、美しい。
君をずっと眺めていたい。
僕は完全に恋に落ちていた。
もう夢中だった。
あんな子とだったら一緒に暮らしてもいいな、ってぐらいだったのが、あの子じゃなきゃ嫌だ! って感じになった。
会いたい喋りたい顔が見たい。
手を取りたい。キスしたい。抱き締めたい。
思春期の僕は不埒な妄想が加速して、毎日毎日、馬鹿みたいにツェツィーリアの手を取って抱き締めてキスして、それ以上のことをするのを思い浮かべて。でもパーティーにツェツィーリアが来ないし、何も手に付かなかった。会いたくて会いたくて会いたくて、辛抱できなくなって、金で人を雇って、ツェツィーリアの周辺を探らせた。
あの事件の後、ツェツィーリアは段々と普通の令嬢っぽくなっていったみたいだった。
喋るようになって、人と上手くいかないと気落ちしたり、慌てたり……少ししてほとぼりが冷めてからは、また他の令嬢との社交のためにツェツィーリアは僕の婚約者を探すためのパーティーに来るようになったけど……他の人と話すのが苦手なのを誤魔化すように、ずっと何かを食べていた。
あの時は、あんなに強かったのに……ボーッとしつつも、どこか居心地悪そうにしているのが、なんだか可愛いなって思った。
調べてみたら、一番懐いていたお祖父さん、先代のグリンマー子爵が亡くなって、それからツェツィーリアは喋るようになっていったみたいだった。なんにも喋らないツェツィーリアが居なくなってしまうのは少し勿体なかったけど、でも、頑張って人と喋る姿も可愛かったから……いつか結婚したら、二人で黙ってチェスを打つのでもいいな、なんて。
「その時から僕は君のことが、本当に大好きなんだ。恋してるんだよ」
「……アルバン様」
「うん?」
「変です」
「ツェツィーリアに言われたくない」
「それはそうですね」
それはそう。間違ってない。私は変な女。
自覚はなかったが、私……自我が芽生える前の段階からヤバい。狂ってる。どうかしている。こんなクレイジー極まりない女を選ぶあたりアルバンは正気なのか?
「僕みたいな醜い大男でも良いなんて、君の方が変だからね?」
「そっちなんですか!? いえあの、ですがそれに関しては全面的に否定させて頂きます。アルバン様はカッコ良いし頭が良いし賢いし、体が大きくて強くて優しくて素敵なので、醜いというのは断固として否定します」
「あっ、ありがとうっ……!」
私はアルバンが大好きなのに、アルバンは自分のことを醜いとかすぐ言うの、良くない!
私が好きな人を悪く言うな!
思い知らせてやる。
「アルバン様」
「えっ、な、なにかなっ……!?」
「キスしても良いですか?」
「ど、どうぞっ……!」
膝立ちになって、傷跡に対して重点的にキスしまくってくれる。思い知れ。私の大好きを信じろ。死ぬまでこうして傷跡にキスしてやるからな。覚悟しろ。
クソッ、照れて目元ピンクにして目を泳がせながら焦ってるの、本当に可愛いな……?
なんなんだこの人?
美丈夫な偉丈夫で、ムキムキマッチョなのに、なんかゴツゴツしてなくて丸っこくて、どっちかっていうと、なんかこう……ムチムチしてるの、これ、なんか……エッチなんじゃないか?
セクシーが過ぎる。
好き。
ちょっと後で襲ってみるか。
「幸せ過ぎる……僕、ずっとツェツィーリアのことが好きで……実はこの部屋、子供の頃僕が使ってた部屋でもあるんだけど、毎晩このベッドで君のこと想いながらオナニーしてたし、君を組み敷いてセックスする妄想で精通したぐらいなんだけど」
「うぅん、これさえなけりゃな」
照れ照れしながら可愛く言ってるが、内容が可愛くない。
いや、さっき私が考えてた内容も可愛げのカケラもない訳だが、でも、口に出すのと出さないのとでは大きな差があるだろう。
「まさか、現実で、この部屋で、大人になった君と夫婦として愛し合えるなんて、夢みたいだよ……!」
「あっ、そういう流れなんですね」
アルバンが目の奥を、ショッキングピンクのギラギラしたハートにしながらそっと丁寧に押し倒してくる。
どうやら熱い夜を始める流れであるらしい。
まあ、やぶさかではない。
流されてみることに決定しつつも、一つだけ不安だったので、質問してみることにした。
「あの、アルバン様、私、そこそこ胸が大きいと思うのですが、嫌ではないんですか?」
「なんで? 嫌な訳ないよ」
「そうですか。なら良かったです」
「というか……何度も言うけど僕の好みのタイプはツェツィーリアだし、君以外に興味はないんだけど……ああ、いいや。ここ王宮だし、僕の性的嗜好をはっきり言うと、僕より頭が良くて、君くらい身長が高くて、胸が豊かで、黒髪黒目の女性が好きだよ。だから君を組み敷く時、最高に興奮する」
「わぁ」
まずもってこの世に私しか該当者が居ない条件を並べ立てたな?
珍妙な性嗜好……これ報告書で読んだ王宮管理官、頭を抱えて呻くことになるんだろうな。
「集中して、ツェツィーリア」
「はぁい」
どうでも良いこと考えてたら、いつもは優しい夫に叱られた。




