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【138】麗しの黒百合姫



 クサヴェリアは五歳までただのクサヴェリアだった。

 母は織物職人で、父は売れない画家だった。

 母のことは覚えていない。クサヴェリアが物心つく前に亡くなったからだ。

 記憶にあるのは無口な父がキャンバスに向かう姿で、クサヴェリアは父のアトリエに転がる髪と木炭を手に育った。父とクサヴェリアは言葉によるコミュケーションを余り取らなかった。そのお陰で、クサヴェリアは他人と話すことが余り得意ではない子供だった。

 だから、母の残した少しばかりの財産を、擦り減らすようにして食い潰す父が、やがて体調を崩してゆき、どんどん弱っていく姿を見ていても、どうすることも出来なかった。父が弱っていっていることは見て分かったが、どうして弱っていっているのかの原因や、どう対処すれば良いかの知識がなかった。当然だ。当時のクサヴェリアは、たった五歳の子供だったのだから。

 この場合の正解はただひとつ。周囲に助けを求めること。

 王都は他の領地よりも人と人との繋がりが希薄だが、それでも皆無という訳ではない。

 クサヴェリアの父がいつも通っていたパン屋の夫婦はこの親子を気に掛けていたし、クサヴェリアが一言「父の具合が悪いんです」と言えば、少しは助けてもくれただろう。

 だが、クサヴェリアは現実の問題を解決するための方法を知らなかったのだ。

 父とクサヴェリアは二人きりで、薄暗く埃っぽいアトリエで、木炭で手を汚しながらひたすら絵を描いていた。

「兄さん! クサヴェリア!」

 父の弟であるウドが駆け付けた時には、既に父はこと切れていた。

 二人きりの家の中で、父がベッドから起き上がらない中で、やっぱりクサヴェリアはどうして良いか分からなかった。

 叔父のウドが家のドアを開けた時、姪であるクサヴェリアは暗い部屋の中でスケッチをしていた。

 父の亡骸を描いたそれは、技術など誰からも教わったことがない筈なのに、大人顔負けの出来栄えであった。

 叔父のウドは、元々は兄と同じように売れない画家だった。

 しかし、ひょんなことから王太子アレクサンダーの目に留まり、宮廷画家として取り立てられるという幸運を手にした。宮廷で居場所を得て、更には一代限りではあるものの、ディアグラム男爵としての家名も得た。そこで、離れて暮らしていた兄と姪を迎えに行こうとしたのだが……一歩遅かった。

 クサヴェリアは泣きもしなかった。ただ無心で、目を見開いて、一心不乱に死んだ父の姿を描き写していた。

 静かな家の中に、紙の上を木炭が滑る音だけが響いていた。

 その様子を見てウドは確信した。

 この子は、絵を描くために生まれてきたのだろうと。

 ウドは姪を引き取り、娘として籍に入れた。

 こうしてただのクサヴェリアはクサヴェリア・ディアグラムとなった。ウドには妻も子も居ない。持とうとも思っていない。なので、賜ったディアグラムの名も、やがてすぐに消えていくだろうと思っていた。

 宮廷画家となって王宮内でアトリエを構えたは良いものの、一番の新参者であるウドに対して風当たりは厳しかった。他の宮廷画家は大抵が親から子へ、或いは、師匠から弟子へと引き継いでの二代目三代目、ともするとそれ以上だが、ウドは違う。

 王太子アレクサンダーに気に入られただけの、吹けば飛ぶような立場だ。アレクサンダーには審美眼があったし、ウドの絵も良いものではあったのだが……成熟した宮廷の芸術文化というのは、コネクションがものを言うのだ。横の繋がりがないウドは不利だった。言葉をほぼ知らない姪を抱えての生活は大変な苦労があった。

 他の宮廷画家たちはウドが気に入らなかった。

 新しい才能を恐れていた。

 そんな宮廷の中で、大勢の人間が行き交う環境で、叔父であるウドが他の芸術家たちの間で奮闘するのを見て、言葉を覚え、人を知った結果、クサヴェリアはーー見事に人見知りを拗らせた。

 叔父であり師匠であるウド以外の画家とはろくに喋れない。音楽家やごく少数だけ居る彫刻家とは時々話すこともあったが、クサヴェリアは他の画家が怖かった。

 何故かというと、ウド以上にーークサヴェリアには才能があったからだ。

 喋るのが得意ではない性格。

 感情を伝えるにしても、言葉を使うよりは、絵を描く方がクサヴェリアにとってはずっと簡単だった。ただ、自分の中にあるものを目の前に叩き付ければ良い。絵は最も便利な伝達手段だった。

 僅か五歳の段階で、クサヴェリアの絵の技量は飛び抜けていた。

 普通、画家は男性の職業だ。

 ごく稀に女性画家も居るが、それは貴族の女性のマイナーな趣味に留まる。故に、宮廷画家のレベルに到達したレベルの女性はこれまで居なかった。

 だが、ウドが連れて来た幼いクサヴェリアの絵は、見る者の、それも、宮廷画家たちの息を止めるような迫力があった。単なるスケッチでしかなく、更には、絵画の技法もほぼ習っていない筈の少女は、他の画家にとっては異質な存在でしかなかったのである。

 嫉妬、焦り、畏れ。それらは嫌悪としてクサヴェリアに向けられた。だから、クサヴェリアは、やっぱり何が悪いか分からなくて、ますます人が怖くなって、叔父のウドと二人しか居ない小さなアトリエで、ひたすら絵に没頭した。技術は後からウドが教えた。一つずつ、着実に。

 宮廷画家の弟子となれば、生活に必要な洗濯や炊事、最低限の掃除などは王宮のスタッフがやってくれる。起きている時間のほぼ全てを絵に費やして、来る日も来る日も、クサヴェリアは目に見えるものを描き続けた。室内に置かれた椅子から、中庭に遊ぶ小鳥、それから人物画まで。

 絵を描いている間、クサヴェリアの中には自我と感情があっても、恐怖はない。その感覚が欲しくて、ただずっと描き続け、そうでない時には人目を恐れて俯いた。背中を丸めて、前髪を伸ばして。なるべく小さく、目立たぬように。

 クサヴェリアは王宮で十歳までの月日を過ごした。

 そんなある日、運命の日は訪れる。

「クサヴェリア、大変だ! これは凄いぞ! 竜の首が坂を登ってくる! 騎士団の行進だ!」

 スケッチブックに向かうクサヴェリアの前に、興奮して息を切らしたウドがやって来た。

 訳が分からない内に、ウドに手を引かれて、王宮に続く大通りが見えるバルコニーに行って、そして、クサヴェリアは差し出された双眼鏡を覗き込んだ。

「すげぇ。すげぇよなぁ。あれは歴史に残るぞ。英雄譚より劇的だ。あれを描けりゃ、どれだけ良いだろうなぁ」

 人混みの中、六頭引きの荷車に載せられた巨大な竜の首があった。煌めく銀の鎧を纏った騎士たちは美しく整列して進んでいる。風に揺れる旗。縄で縛られた竜の首の、その横に……真っ黒な服の誰かが居た。

 女の人だ。

 それが、頭から黒い布を被った、喪服のような黒いドレスの女性だと分かって、クサヴェリアを息を呑んだ。

 腕を伸ばして、しっかりと、竜の首を固定する縄を握り締めている。スカートの裾がはためく。細い体に細い腕。時折、ヴェールが風に煽られて、無防備な白い首と胸元が覗く。

 恐れを知らない魔女のように見えた。

「あっ、クサヴェリア!?」

 叔父が呼び止めるのを無視して、クサヴェリアは双眼鏡を持って走った。

 もっとしっかり見たかった。

 心臓がずっと鳴っていた。ドクドクと、耳のすぐそばに自分の心臓があるような気がした。

 王宮の中を走って、門を見下ろせる場所まで移動した。バルコニーから身を乗り出した。落ちるかも知れない、という恐怖はあった。でも、それどころではなかった。

 あれをもっとしっかり見なくてはならない。

 その衝動だけがクサヴェリアを動かしていた。

 竜の首と騎士たちの行進はスピードを上げた。憲兵たちが街道の交通整理をしたようで、馬たちは速足で進む。秋も中頃。冷たい風が吹く。

 黒い服の魔女。魔女だ。まだ魔女は竜の首と共に居た。すぐ後ろに、猫を肩に乗せた小柄な騎士が控えている。黒猫だった。門の前で荷台から降りるまで、魔女は泰然としていた。頭が小さく手足が長い。黒一色ではあるが、魔女は美しい形をしていた。

「門を越えた……!」

 魔女の姿が消えて、それからすぐに、ワーワーという喧騒が聞こえてきた。竜の首が王城の中に入った。

 クサヴェリアの心臓は高鳴った。

 あそこは、謁見の間に向かうための大きな通路がある。

 持って来たんだ、本当に。

 息を切らしながら王宮の中を走った。石の床に滑って転んで、顔を打って、前歯と床がぶつかって唇から血が出たが、構わなかった。

 謁見の間に向かった。

 宮廷画家の仕事は、王宮内で起きた出来事を絵に描いて記録に残すこと。

 故に、叔父であり師であるウドに付いて、謁見の間にも何度か足を運んだことがあった。宮廷画家だけが使える、謁見の間を覗くための隠し部屋があることは知っていた。だから、クサヴェリアはそこを目指した。

 その小部屋は精々が二人しか入れない。そして、小さな覗き穴しか付いていない。

 先に、ベテランの宮廷画家とその弟子が既に居たし、彼らは「何のつもりだ」とクサヴェリアを咎めたが、クサヴェリアは、そこで目を見開いて、唇から流れる血も拭わないまま、低い声で、唸るように懇願した。

「おねがいです。わたしに、あれを見せてください。あれを、見せてっ……! あれを見ることができたら、もう、他に何も見えなくなっていいから……!」

 鬼気迫る様子のクサヴェリアを見て、気圧された画家は……席を譲った。

 そうやって、クサヴェリアはーーその瞬間を、見た。



「火竜の首一つで足りないとあらば、無力な魔力なしの黒髪の身ではございますが、どうぞ、私の首をお納めください」



 沈黙が耳に痛いほどだった。

 誰も言葉を発せないほどの緊張感。静寂の中で、魔女は、白く細い首を優雅に差し出した。

 余りにも美しかった。

 声の響き。話し方。全てが全くの平常心。林檎を一つ差し出すのと変わらない声音。

 ブレることもよろめくこともなく、滑らかな動きで跪き頭を下げ、そのままピタリと静止する。

 猫を引き連れた少女騎士がそれに付き従う。頭を下げる。沙汰を待つ。

 クサヴェリアは泣いていた。

 私が見たかったのはこれだ。

 それから、暫くして叔父のウドが迎えに来るまで、クサヴェリアは放心していた。

 自分が見たものを受け止め切れなかったのだ。

 真っ黒い服で、黒い髪で、首を傾けていた。

 黒い魔女。

 黒百合の魔女。

「クサヴェリア、魔女だなんて間違っても言うなよ? あれは辺境伯夫人のツェツィーリア様だ。ずっと身分が上の高貴な方だから、魔女だなんて言ったら首を刎ねられるぞ」

「辺境伯夫人のツェツィーリア様」

 後から、あの黒百合の魔女はツェツィーリアという名前で、辺境伯夫人なのだと知ったが……クサヴェリアはそれどころではなかった。

 あんな人は見た事がない。

 どの貴婦人とも違う。

 果敢で勇敢で堂々としていて、この世に恐れるものなど何もないというような佇まい。見た目の、ただ形だけの美しさだけではなかった。あの時あの空間で、彼女だけが浮き上がって見えた。

 クサヴェリアは寝食を忘れて、紙にそれを叩き付けた。

 竜の首と共に坂道を登る姿。謁見の間で跪く姿。

 何枚も何枚も飽きもせず描いた。

 途中で「こんな小さな紙では描き切れない」と思った。けれど、師であるウドはスケッチブックと木炭しかくれなかったから、クサヴェリアは何枚も何枚も、スケッチブックに黒い魔女を描いた。

 仕方がないので、スケッチブックの紙を糊で繋ぎ合わせて、自分なりに大きな絵を、と思っていたら、突然、今や時の人となったフリートホーフ辺境伯がやって来た。

「見学させて貰うよ」

 否も何もない。辺境伯で、白銀で、ドラゴンスレイヤーのフリートホーフ卿がそう言うなら、拒否するなどもってのほか。

 慌てつつもウドが応対しているその横で、クサヴェリアはスケッチブックを抱えたまま固まっていた。

 いる。

 黒百合の魔女が。いる。アトリエに。

 辺境伯夫人は夫と、それから猫を連れた少女騎士と共にやって来た。喋る。動く。歩いている。頭からやっぱり黒いヴェールを被っていて、ドレスも黒。芸術品のようにスタイルが良い。どの角度から見ても完璧な骨格を持っているのが分かった。

 前に見た時よりもだいぶ、少女じみた、柔らかい仕草が多くはあるが、姿勢が死ぬほど良い。

 黒いヴェール越しでも横顔の輪郭が素晴らしい。

 クサヴェリアは半ば呼吸困難に陥っていたが、辺境伯も、辺境伯夫人もまるで気付いていなかった。

 肖像画を頼みたいという依頼のようで、ならばオーディションを、という流れになった。

 宮廷画家たちが並んで、辺境伯夫妻のスケッチをしていて……クサヴェリアは自分が描きたいと強く思ったが、宮廷画家を押し退けてというのは、ウドの立場を考えると出来ない。ギュッと拳を握り締めて諦めようとしたが……描きたいという衝動を我慢出来なかった。

 コッソリ、後ろの方で辺境伯と辺境伯夫人をバストアップで描いた。

 間近で二人の姿を見るというこの幸運を逃す気はなかった。例え誰にも見せられなくとも、クサヴェリアは辺境伯夫妻を、特に、夫人を描きたかった。

 筆は乗った。

 力を入れたのはやはり辺境伯夫人だったが、その夫である辺境伯も、精悍な顔に大きな傷があるという点が良い。バランスが取れているというか、メリハリがある。傷痕をしっかり描くのは難しかったが、楽しかった。亡くなった父親の亡骸も描き切っただけあって、クサヴェリアは陰鬱なもの、恐ろしいもの、不吉なものを描く力に優れていた。

 目の前にモデルが居る。自分の目で見て描ける。クサヴェリアはただそれだけでよかった。このチャンスを逃したくなかった。

 一心不乱に描いて、耳から音すら消え去って、手を止めた、その時。

「ヒッ……!」

 真横から、至近距離で、クサヴェリアより背の高い、青い髪の少女が覗き込んできていた。

 近くに居るとは思わず、ついビクッとなったクサヴェリアだったが、その少女……辺境伯夫人の護衛だという、少女騎士ニーナは、つい軽く飛び跳ねたクサヴェリアが取り落としそうになったスケッチブックをキャッチして、それからパラパラ捲った。

「ぁ、あわ、ぁわわわわわっ……!」

 許可なく勝手に高貴な方の姿を描きまくった。

 バレた。怒られる。もうダメかも。

 真っ青になって手をワタワタさせつつ慌てるクサヴェリアに構わず、ニーナはスケッチブックの絵を端から端まで見た。

「すごく上手だ」

 紙から、クサヴェリアの絵を見たまま、キラキラした、星の瞬きのような光を目に宿して、ポツリとそう言った。

 クサヴェリアは咄嗟に言葉が出て来なかった。

 ストレートに褒められたことがなかったからだ。

「ニーナだ。ツェツィーリアさま付きの女騎士で、ついこの間、ニーナ・ハーゲルになった。名前は?」

「ク、クサヴェリア、でひゅ……っ!」

「クサヴェリアは凄い。ツェツィーリア様はものすごい美人なのに、そのまんま、本物と同じように描けてる。見せてくれてありがとう」

「ぃ、いえっ!」

 スッと、スマートにスケッチブックを返却されて、クサヴェリアは照れるやらホッとするやらだったが、その後……戻ってきたニーナに腕を引っ張られて、まさか辺境伯夫妻の前に出されるとは思ってもみなかった。

 つい癖で、引っ張られるのに抵抗する間も他の宮廷画家たちの絵を見てしまったのだが、どれもこれも、本物と違った風に描いていた。

 高貴な方々を描く時は男性であれ女性であれ、本物より少し良く描いたり、夫婦であれば、男性の方が良く見えるようにわざと本物とちょっと違う風に描くものなのだけど……そのルールを適用するには、辺境伯夫妻は難しい題材だった。

 辺境伯の傷はありのままを描いてはいけないし、本人の怪物じみた雰囲気を削ぎ落とすと別人になってしまう。元々の顔の造詣は良いのだが、しかし、一緒に居る辺境伯夫人が美し過ぎるのが難易度を上げる。見る者が見惚れて立ち尽くし兼ねないほどの美貌は描くのがそもそも難しい。辺境伯夫人一人でも描き切るのが難しいのに、顔に傷もある夫とセットになると、更に難しい。

 これはありのままの二人を描いてしまうのが一番良いと思うのだけど、とクサヴェリアは思っていたが、そうもいかないのが宮廷画家である。

 そんな風に、緊張でガチガチになる頭の隅で絵のことを考えて気を紛らわせようとしていたのだが、事態は思わぬ方に転がっていった。

 なんと、辺境伯が、単なる木炭のスケッチを金貨三十枚で買い取ると言い出したのだ。

 光栄なことなのだろう。

 大金だ。

 頷くべきだ、と、分かっていたが、でも、クサヴェリアは、それは不本意だった。

 数分間で描いただけのスケッチなんかで終わりたくない。

 もっと描きたい。

 ぶるぶる震えながら、命も、人生も差し出す覚悟で、クサヴェリアは言った。

 お金なんて要らない。もっと、もっと、それよりも、描きたい。しっかりと。全力で。

「わ、わたっ、私にっ、辺境伯夫人の絵を、描かせてくださいっ……!」

 金貨を断って、夫人の絵を描かせてくれと願ったクサヴェリアの言葉を聞いて、怪物みたいな辺境伯は、大笑いした。笑い声すらも恐ろしかったが、本当に面白がっているようで、パトロンになることを約束してくれた。

 すぐさま、叔父であり師でもあるウドがやって来て、謝罪して、それから、四人で話を詰めることになった。

「まず、クサヴェリア、お前には僕たち二人の肖像画を描いて貰いたい。依頼としてはただ一つ。ツェツィーリアの美しさを余すところなく描き切ること。いいな? 僕は見たままで良い。忖度は要らない」

「わかりまひ、わかりました!」

「クサヴェリア、私からもお願いがあります。アルバン様も、見たまま描いて下さい。傷もしっかりと。私は今、ここに居るアルバン様の姿が好きなのです」

「もちゅろんですっ!」

「画材や資料、必要なものが全てこちらで負担する。全力を尽くすように」

「ありがとうございます! クサヴェリアの才能をそこまで買って下さるなんて……こんな有難いことなありません! クサヴェリア、お前も頭を下げろ!」

「ありがとうごじゃいます!」

 話し合いの間、クサヴェリアはずっと有頂天だった。画材は何を使ってもいい。納得するまでやれ。画家なら誰もが涎を垂らすような破格の条件の数々。クサヴェリアはこれまで油彩で作品を作ったことがないというのも考慮に入れた上で、納期すらない。

 なんと怪物のようなフリートホーフ辺境伯は、納期や代金ではなく、クオリティのみ重視のスーパーリッチなパトロンだったのである。

「それで、私を描きたい、ということですが、一体どのような絵を……?」

「そっ、それ、それはですねっ! こういうのとか、こういうのとか、こういうのとかぁっ……!」

 ワタワタバタバタ、狭いアトリエの中でどんがらがっしゃん。色々な物をひっくり返しながらも、描きたかった絵の木炭画を取り出して、あれもこれもそれも、と、滑舌が悪い、今一つ回らない舌で、クサヴェリアは一生懸命説明をした。

 話を聞いている辺境伯夫人はずっと無表情だったが、辺境伯の方は腕組みをして、うんうん、と相槌を打ちつつ、割りかし前のめりになって聞いていた。

「それ、良いな。僕も見たい」

「み、見たいんですか」

「うん。だって、僕はツェツィーリアがどういう風にやって来たのか、話は後から聞いたけど見た訳じゃないし。謁見の間でのことも、僕の視点からだとどんな感じだったか見えにくいところもあったから、見れるなら見たいね」

「えぇ……? なら、描いて貰いますか?」

「かっ、かかかかかかっ、描いて良いん、ですかぁっ……!?」

「お金を出すのはアルバン様なので……私が決めることではないと思いますし、私としても、アルバン様が望むなら別に良いといいますか」

「あっ、ぁ、あっ、ぁあっ……! ありがとうございますっ……!」

 指を組んで感謝の念を示すクサヴェリアを前にしても、辺境伯夫人ツェツィーリアは最早動じていない。既にクサヴェリアにも慣れたことに対して、叔父であり師でもあるウドは恐れ慄いた。

 思ったよりもフレンドリーかつ寛容だけど、この辺境伯夫人……やっぱりなんか、ちょっと変。

 暴走する姪を持つ身で言えたことではないが。

「僕たちはまだ王宮で用事があるからまだこっちに居るけど……ツェツィーリア、どうせだし、絵のモデルも済ませちゃえば? そろそろ王宮常連の貴婦人から色々と招待状が来るだろうけど、肖像画のスケジュールがあるから、って言えば断れるし」

「あっ、やります。クサヴェリア、早速ですが、明日からお願いしても良いでしょうか?」

「もちゅろんですっ!」

 椅子から立ち上がってしまった姪の腕を掴んで押し留めつつも、ウドは内心でホッとしていた。

 フリートホーフ辺境伯夫妻は、身分の高さに反して、かなり寛容かつ鷹揚だ。

 この芸術家としてしか生きられないような姪に、しっかりとしたパトロンが付いてくれるのは本当に有難い。この二人は恐らく滅多なことでは怒らないだろうから、よっぽどのことをやらかして機嫌を損ねなければ一生安泰だろう……と。

「ツェツィーリア様をよりしっかりと描くため、服を着ていない状態でお体の形を確認したいのですが」

「わかりました。良いですよ。今日はお風呂がまだですし、アルバン様は仕事で遅くなるようなので、もう済ませてしまいましょう」

 翌日、クサヴェリアが絵の下書きに赴いた時に、ウドの知らないところでやらかしていたのだが……幸いなことに、クサヴェリアは女の子だったので、ジト目のアルバンによって猫の子のように襟首を掴まれた状態でアトリエまで返却されるくらいで済んだ。姪のやらかしに対してウドは文字通り泡を吹いて倒れたが、クサヴェリアは「しっかり見たので、骨格も筋肉も暗記しました!」と燃える瞳で発言していた。

 それを聞いてアルバンは機嫌を更に悪くしていたが、ツェツィーリア本人が「ニーナよりも小さい女の子だし」と許可を出してしまっていたので、アルバンは不服であったが文句を言うことも出来ず……強くて怖い筈のドラゴンスレイヤーは、二時間ほど拗ねた。




 後に、クサヴェリア・ディアグラムは画家として名を残す。

 美術史における代表的な画家の一人として、そして、史上初の専業女性画家として、彼女の作品は数百年に渡り人々を魅了する。

 クサヴェリア・ディアグラムは生涯に渡って、フリートホーフ辺境伯夫人ツェツィーリアを描き続けた。

 代表作は『黒百合の行進』であり、この絵はなんと、215×315センチの大作である。

 夫を救うために火竜の首を運ぶ騎士団と、頭からヴェールを被ったツェツィーリアの姿が描かれている。

 クサヴェリアはこの絵が完成した際に「私はこれを描くために生まれてきた」と発言しており、叔父であり、宮廷画家でもあったウド・ディアグラムがその旨を日記に書き残している。

 パトロンでもあったフリートホーフ辺境伯アルバン・フリートホーフは愛妻家であり、当時のフリートホーフ家は国内有数の資産家であったことから、潤沢な資金でクサヴェリアの活動を支援した。彼女の作品には大作が多いが、それを可能としたのはフリートホーフ辺境伯家の資金力があってこそであろう。

 モデルであるツェツィーリア夫人が過剰に美しく描かれているのではないかと論じられているが、少女であったクサヴェリアが取り立てられた理由が「忖度なく辺境伯夫妻をスケッチしたから」という記述が複数の宮廷画家の手記から発見されているため、幼いクサヴェリアが見たままを描いた可能性は高い。



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