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【001】グリンマー子爵家の没落

 いつもと変わらない朝。

 いつもと変わらない朝食。

 いつもと変わらないメニュー。

 素晴らしい。

 皮の表面がパチパチと音を立てる焼きたてのパン。白いバター。塩気のあるベーコン。目玉焼き。根菜のスープ。紅茶。いつも通りの朝食。

 今日も、我が家の料理長、執事、メイドたちの仕事に感謝を。

 いつも通りのテーブル、いつも通りの席に座り、ああ、まこと人生とは素晴らしきかな、などと考えつつその美味に黙って舌鼓を打っていたところ、お母様はこう言った。


「ツェツィーリア、実はね、我がグリンマー子爵家は事業に躓いて、急に貧乏になったの」


 ニコニコ穏やかな笑顔での告白に、硬直するしかない。フォークの先からベーコンが落下して目玉焼きの黄身の上に落ちた。

「実は先月、うちの商船が沈んじゃってね。それで、一応頑張ってはみたんだけど、もう、どうにもならないんだ。だから、ツェツィーリア、急な話で悪いが、もうにっちもさっちもいかないので、君にはとある金持ちに嫁いで貰うしかないんだ」

 お父様は苦渋の決断です、という感情を滲ませてくれてはいるが、しかし、言外に、これ以外にもう選択肢はないし、これは決定事項だよ、と宣告しているのは明らかだ。

「そうなの。だからね、ツェツィーリア、あなたがどうしても嫌なら、爵位を返上して平民になって借金を背負って、家族三人、毎日ギリギリの暮らしをすることになってしまうのだけど、どちらが良いかしら?」

「可愛い一人娘だからね。君の意思は尊重しよう」

「あら、あなた、まず最初に説得するべきではなくて?」

「ええっと、ま、待ってください。そもそも、私に嫁ぎ先なんてものが本当にあったんですか? それに、我が家の経済状況が悪いのはわかりましたが、持参金は? どうしたって多額の持参金なくして縁談など纏まる筈がないと思っていたのですが」

「そうよねぇ、そう思うわよねぇ」



 黒百合姫。

 それが、社交界における私の通称だ。

 蔑称、とも言うが。

 私は生まれつき、黒い髪と黒い瞳を持って生まれてきた。黒い髪と瞳は即ち、魔力が無いことを意味している。

 通常、魔力保有量が多い人間は、髪や瞳の色素が濃くなる。火魔法の適性が高く魔力保有量が高いなら赤い髪と瞳に、水属性魔法の適性が高く魔力保有量が多いなら濃い青の髪と瞳に、といった具合に。とはいっても、色味としては濃い、と称されはしても、鮮やかである方がより純度が高いとされており、実際、濃さが同程度でもより鮮やかである方が優秀であるというデータもある。

 しかし、例外が二つある。

 最上位は白髪に白銀の瞳。これは主に王族や、公爵家に連なる貴族に現れる。が、最上位であるだけに、王家であっても滅多に生まれることはない。

 しかしながら、今の世は幸運なことに、王家には二人もその最上位たる白銀の王子がおられる。

 王太子殿下とその弟ぎみである第二王子殿下はどちらも、髪、瞳、ともに白銀。臣民としては大変有り難いことに、国王陛下と王妃殿下の間にお生まれになった同腹のご兄弟であり、非常に仲がよろしい。喜ばしいことである。

 極端な話、白銀はどの国の王族であれ、滅多に生まれない。

 一世代に一人生まれればその国は安泰であると言われるほどで、別格であり、まさしく神のような存在だ。

 それが同じ御代に二人もというのは異例中の異例であり、一応は同世代の端っこに引っ掛かる私などは、それだけで一生、平和な時代に安穏と生きて死んで行けるだろうと国民は安心している。

 国王陛下と王妃殿下の髪の色はそれぞれ、鮮やかな青と赤。遠目からでも目立つ美しさであり、そのようなお二人だからこそ、白銀の王子を授かったのであろう。

 白銀の髪の持ち主は、強い魔力を持つ両親のもとに、ごく稀に誕生するという例外である。

 その逆の突然変異もまた、存在する。

 魔力が全くなく、全ての魔法に適性がないという、落ちこぼれ中の落ちこぼれこそが黒髪黒目なのだ。

 私がそれだ。

 父は風魔法に適性があるため、新緑のような色の髪だし、母は水属性に適性があるため水色をしている。どちらも、貴族にしてはやや薄いかな? というぐらいだが、庶民と比べれば魔力は充分である。

 だというのに、何故だか私だけが黒髪で生まれてきてしまったのだ。

 だが、私の両親はズレている人々だったので、何不自由なく蝶よ花よと甘やかされて育った。

 一歩家から出て社交に行けば壁の花が固定のポジションではあるが、両親は私のこの髪と瞳の黒さ、そして何より、生まれ持った暗くて内向的な性格さえも意に介さなかった。

 なんだかんだ、こんな不肖の娘が居るというのに、のらりくらり……上手いこと商売をやって、子爵家の中でも上位に食い込む立ち位置を維持していた。

 お陰で、私は壁の花を決め込むたびに、影で「黒百合姫」などと嘲笑される程度で済んでおり、正直、自由にさせてくれている両親には死ぬほど甘やかされているのである。

 加えて、私は常に、黒い服を纏い、黒いヴェールを頭から被っている。

 いついかなる時も、季節に関係なく。

 春夏秋冬、三百六十五日、黒衣である。

 ドレスは常に、首元までを必ず覆うデザイン。夏場であっても素肌は出さない。黒いレースの手袋で、肌が出る部分を徹底的に隠す。

 何故か。

 特異体質だからである。

 生まれた直後から、私は何度も死にかけたそうだ。乳母が触れても母が触れても、ひきつけを起こし、そうでなくとも癇癪を起こし……やっとのことで、あれやこれやのドタバタの末に行き着いた答えが「とにかく黒い布で包め」であった。

 原因は不明だが、私は他人に触れられるとビリッと痺れるような痛みを感じるのだ。

 触れられただけで気絶することもある。

 どうやら、生まれつき魔力が全くないことが原因であるらしく、強い魔力を持つ人と同じ空間に居るだけでも気分が悪くなることもあるのだ。

 そんな中で、どうにか苦肉の策として辿り着いたのが「全身を黒い布で覆う」という手段である。

 全く肌を出さない喪服のようなドレスを纏い、頭からすっぽりと黒いヴェールを被るとかなりマシになる。

 パーティーでは壁の花。

 喪服のような黒尽くめ。

 故に「黒百合姫」と嘲笑される日々である。

 ああ、貴族ってめんどくさい。

 私に友人は一人も居ないし、縁談など一件も来ない。

 通常、貴族女性の適齢期とは十六歳からせいぜいが十八歳程度までだが、私は既に二十二である。

 完全なる行き遅れであり、今後も婚姻の予定などはなく、まあ、家は親戚筋の誰かに任せて、私は修道院コースかな、と考えていたのだが--。

「あ、相手は誰ですか? 貴族ですか? 平民ですか?」

「貴族よ」

「貴族!? そ、そんな奇特な……どこのどなたですか。私でも良いなどと。慈善活動家ですか?」

「それが、フリートホーフ辺境伯なんだ」

「え、は?」

「ツェツィーリア、信じらないとは思うけれど、よく聞くのよ。受け止めて。フリートホーフ辺境伯よ」



 我が国、クライノート王国は、山と海に囲まれている。

 南方には海があり、東方、西方は共に山を挟んで隣国がある。

 南方は完全に領土領海ともに平穏そのものであり、他国との位置的な不利有利には関係がない。海産物の漁獲量も多く、安定している。

 東方、西方は山があるものの、人の足と馬とで容易に移動が可能であり、街道が整備されている。そういった地形の関係もあって、貿易が盛んである。

 容易に人や物の移送が可能なので、歴史的に見ても、ここ二百年ほどは両国とは友好的な関係を築いており、政略に基づいた貴族同士の国際結婚も頻繁に行われている。特に、現国王陛下の二人の御妹君が、東方では王妃として、西方では公爵夫人として嫁いでいるお陰で、外交は順調である。

 だが、北は少々、事情が違う。

 クライノート王国にとって唯一の懸念事項が北側の防衛問題である。

 国土の最北端には容易には踏破出来ない山脈が連なっており、その山々の山頂は真夏でも雪が消えないほどに標高が高い。加えて、山脈の途中からは深い森が広範囲に広がっており、強い魔獣が数多く棲息している。

 それだけならまだしも、山脈を挟んで更に北側には、言語の通じぬ北の大国が控えている。

 言語形態と宗教、文化からして全く違う彼らのことは謎に包まれており、いつ攻めてきてもおかしくはない、というのが我が国における共通認識である。

 故に、北の守護であるフリートホーフ辺境伯は、絶大な権力を持つ。代々、その務めに足る人物をして当主と成し、力不足と判断されれば嫡男であろうが継承を許されない。

 平和ボケした我が国において、唯一と言って良いほど厳格な家柄。



「な、何かの間違いでは?」

「ああ。私も信じられずに三回ほど確認してしまったが、間違いないようだ。ツェツィーリア、フリートホーフ伯は、きみとの婚姻を望んでいる」

「裕福なお家だからでしょうね。持参金も必要ないから、とにかく、すぐにでも嫁いでくれとの一点張りだったわ」

「こ、こわい!」

「そうだよね。怖いよね。パパも怖い」

「うふふ。そうね。ママも怖くって仕方ないわ」

 魔力のない人間は貴族社会の爪弾き者。

 紛れもない落ち溢れ。

 だというのに、敢えて私を選ぶ理由としては……恐らく、何かの実験材料なのではなかろうか?

 軍事的な作戦において、たまたま、魔力がない人間が居たら都合の良い場面がピンポイントで存在したから選ばれた。

 恐らくはそれだろう。

 だが、残念ながら私はこれまで、ずっとこのゆるい空気の両親のもと、なんとなく、なあなあで領民に許されつつ甘やかされて暮らしてきた人間である。

 本当なら既に修道院に入ってスピーディーに片付けられている筈だが、ゆるゆるな両親の「修道院にはいつでも入れるのだし、飽きるまで遊んで暮らせば良いのでは?」という言葉に甘えて優雅に気ままに暮らしてきた。

 軍隊の真似事など、どう考えても不可能である。

 ……死ぬのでは?

「待ってください。お父様。お相手がフリートホーフ辺境伯だというのに、私に断る道を提示したのですか?」

「うん。そうだよ」

「か、軽い……!」

 貴族にあるまじきこの判断。

 しがない子爵家の分際で辺境伯からの縁談を断るなどというのは紛れもない侮辱である。

 爵位を返上したとしても、あとあとから報復を受けるのは想像に難くない。というか、間違いなく報復を受けるだろう。

 それなのに、私に対して逃げ道を残し続けることを躊躇わず決断するあたり、お父様もお母様も、貴族失格である。

 だが、私にとっては、最高の両親だ。


「わかりました。ひとまず、嫁いでみます」


 いいのかい、とお父様は聞くが、良いに決まっている。

 お母様は軽い調子で「断っちゃえば〜?」などと言っているが、それが、どれだけ、どれだけ重い決意であることか。愛情であることか。

 ここまで徹底的に愛されて、甘やかされて、それでもこの素晴らしい両親を道連れに、地獄に行こうとするなどと、私に出来ようはずもない。

「ですが、どうしても無理そうだったら……自害してしまうかも知れないので、申し訳ないのですが、その、そこだけよろしくお願いします」

「いいよ」

「わかったわ」

 サラッと笑顔で快諾されて、改めてこの二人、ぶっ飛んでいるな、と私は思った。


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