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【短編】婚約破棄された地味令嬢ですが、病める時も健やかなる時も愛されるなんて聞いていません!

『大事な話があるから絶対に参加するように』

 セリーナは婚約者であるエリオット王太子から10年ぶりに手紙をもらった。

 ドレスコードはブラウン。

 花が咲き乱れる王宮の庭園で茶会を開催するので、花よりも美しいドレスは着用しないようにと書かれていた。

 

 それが嘘だと気がついたのは、王宮に着いてから。

 色とりどりの美しいドレスを着用した令嬢たちと、カラフルなジャケットを着用した子息たちを見たセリーナは、地味な自分の姿に苦笑した。

 

「王太子殿下主催のお茶会で、あのドレス?」

「あんな地味な女が婚約者なんて王太子殿下が可哀想だ」

 ひそひそどころか、みなさん声が大きすぎませんか?

 セリーナが居心地の悪い茶会の片隅で待ってると、誰よりも派手な白と金の王子服に身を包んだ婚約者のエリオットがこちらに向かってくる。

 だがエリオットの隣には、こぼれ落ちそうな胸をエリオットの腕に押し当てた女性の姿があった。


「みんな! よく聞いてくれ! 俺はセリーナ・ダンヴィル公爵令嬢との婚約を解消し、平民でありながら心優しく美しいアンジェラへの愛をここに誓う!」

 グイッとアンジェラの肩を引き寄せ、胸の谷間に鼻の下を伸ばした残念な元婚約者の姿にセリーナは溜息をつく。


「あなたみたいな地味な女がエリオットの隣に並ぶなんて国民が納得しないわ」

 でも平民のアンジェラが隣に並ぶのも納得しないのではないだろうか?

 そんなことを言ったらアンジェラを蔑んだと怒り出すから言わないけれど。

 

「アンジェラの言うとおりだ! 俺の隣は美しいアンジェラがふさわしい」

 そうだろ、みんな! とエリオットが声をかけると、会場内は大きな拍手に包まれた。


 あぁ。なるほど。

 今日この茶会に呼ばれたのはエリオットに気に入られたい子息たちと、その婚約者の令嬢たちだ。

 どうりで私の友人がひとりもいないと思った。


「私たちの婚約は、王家と公爵家の間で決められたものです」

「ははっ、婚約破棄したくないって泣きついたって無駄だぞ」

 私がエリオットの婚約者になったのは10年前。

 私の父ダンヴィル公爵が王家の窮地を救ったからだと聞いている。

 

「婚約破棄の同意書はありますか?」

「ど、同意書……?」

「では紙とペンを」

 すぐに準備された紙にセリーナはサラサラと婚約破棄の同意書を書いていく。

 日付も内容も完璧に。

 あとからこんなものは無効だと言われないように同じ内容で二枚作成した。


「エリオット殿下、サインをお願いします」

「もちろんだ!」

 まったく文章を読まずにサインするエリオットにセリーナは肩をすくめる。

 完成した婚約破棄同意書の一枚をエリオットに手渡すと、セリーナはニッコリと微笑んだ。


「王太子殿下、そして未来の王太子妃殿下。どうぞお幸せに」

 セリーナはもう一枚の同意書を手に持ちながら、王太子妃教育で習った完璧なお辞儀をしてみせた。


「最後まで可愛くないな」

「地味で根暗な女に可愛らしさを求めては可哀想よ」

「それもそうだな」

 会場の真ん中へイチャイチャしながら向かっていく二人をみんなが取り囲む。

 反対方向に歩いて行くセリーナを引き止める者は誰もいない。

 セリーナは凛とした態度で庭園を後にした。


 

 茶会が始まったばかりの時間だから当然だが、帰りの馬車の準備はまだされていなかった。

 早く馬車に乗りたかったのに。

 とうとう堪えきれなくなったセリーナの涙が頬を伝う。

 セリーナは慌てて涙を手で押さえたが、一度溢れてしまった涙を止めることはできなかった。

 

 エリオットのことを愛していたかと聞かれたら答えは「NO」だ。

 だが好きだったかと聞かれれば答えに迷ってしまう。

 この10年間、彼の妻になるため王子妃教育に励み、寝る間も惜しんで他国の言葉もたくさん覚えた。

 彼の公務の手伝いをしながら、よい関係を築いていければいいと思っていた。

 だが、その努力はすべて無駄だったのだ。


「地味な女……か」

 彼は私に「俺より目立つな」と命令したことを覚えていないのだろう。

 宝石はやめろ、明るい色のドレスは着るな、髪は下ろすな。

 公務で出会う人たちが社交辞令で私のドレスや装飾品を褒めるので、彼がどんどん私を地味にしていったのに。


「愛……ね」

 そんなことを言われてもよくわからない。

 とにかく早く家に帰って、今すぐ窮屈なドレスを脱ぎ捨てて、涙でぐちゃぐちゃな顔を洗って、しっかり固めた髪もほどいて、自由になりたい。

 セリーナは両手で顔を押さえながら、ひとりで馬車が到着するのを待つしかなかった。


 ようやく聞こえてきた馬の蹄の音に顔を上げたセリーナは、馬を引きながらやってくる騎士団長の姿に気まずくなった。

 たとえもう二度とこの王宮にくることがないとしても、顔見知りにこんな姿を見せたくなかった。

 でも公務の時にお世話になった騎士団長を無視することもできない。

 セリーナはできる限り涙を手で拭うと、ドレスを持ち上げお辞儀をした。

 

 早く通りすぎてください。

 私の涙がドレスに落ちる前に――。


「……セリーナ嬢」

 俯いたセリーナの目の前に騎士のブーツが見える。

 どうしてここで止まったの?

 どうしてハンカチを差しだされたの?


「ダンヴィル公爵邸までお送りします」

「いえ、馬車で帰りますので大丈夫です」

「あと三時間は馬車が来ません。王太子殿下がそのようにご命令を」

 は? 三時間?

 お茶会は通常一時間でしょう?

 

 騎士団長の左手で強制的に顔を上げられ、ハンカチがセリーナの頬に触れる。

 は? なんで騎士団長に顔をハンカチで拭かれるの!?

 そんなにみっともない顔ってこと?

 恥ずかしすぎるんですけど!


「失礼します」

 セリーナの視界はぐるっと動き、あっという間に馬の上へ。

 驚く暇もなく、騎士団長に抱えられるような、密着しすぎな体勢になってしまった。


「あ、あの、騎士団長様」

「どこでもいいので、つかまってください」

 そう言われても、一体どこに掴まるのですか?

 こんなふうに馬に乗ったのは初めてでどうしたらよいのかわからない。

 動き出した馬の揺れに驚いたセリーナは思わず騎士団長の服を掴んでしまった。

 騎士団長にグッと肩を抱き寄せられ、体勢が安定する。

 王宮の守衛も騎士団長のおかげでスルー。

 泣き顔も見られることなく、王宮から公爵邸まで帰ることができた。


    ◇

 

 セリーナが書いた完璧すぎる婚約破棄の同意書を見ながら、ダンヴィル公爵はリビングで盛大な溜息をついた。


「……つまり、あのバカ王太子は平民の女に夢中になって、おまえとの婚約を破棄したと?」

 バカだバカだと常々思っていたがここまでとはとダンヴィル公爵の本音が漏れる。

「オークウッド殿、娘を送ってくれてありがとう」

「当然のことをしたまでです」

「騎士団長様はオークウッド公爵家の方だったのですか?」

 オークウッド公爵家は代々宰相を務める名家だ。

 そんな方がいったいなぜ騎士を?


「スティーブンとお呼びください。スティーブン・オークウッドです」

 スティーブンはオークウッド公爵家の三男。

 将来は長男が宰相に、次男が領地管理をするため、おまえは好きなことをしていいと言われたので騎士になったと教えてくれた。


「なぜ危険な騎士を選ばれたのですか?」

「……10年前、王宮の庭園で迷子になった少女と出会いました」

 少女は背が低かったので薔薇の畝で建物がほとんど見えず、同じ道を何度もグルグルと歩いていた。

「出口に連れて行ってあげようかと言うと、少女は自分で頑張ると」

 疲れても泣くことなく懸命に道を探す姿を見ているうちに、家柄ではなく自分の努力で認められる騎士になろうと決めたのだとスティーブンはセリーナを見つめながら当時を懐かしそうに振り返った。


「10年前といえば、セリーナも王太子と婚約の日に薔薇の庭園で迷子に……」

「はい。その少女はセリーナ嬢です」

「私?」

 嘘でしょ。

 迷子になったなんて全然覚えていない。


「ダンヴィル公爵、不躾なお願いで申し訳ありませんが、俺をセリーナ嬢の婚約者にしていただけないでしょうか?」

 真面目な顔で急に変なことを言い出したスティーブンにセリーナは目を見開く。


「ま、待ってください。婚約破棄された傷物よりも、もっと条件のいいご令嬢はたくさんいます」

「セリーナ嬢が良いのです」

 ちょっと待って。

 急に何を言われているの?

 私がいい?

 そんなはずはない。

 地味で根暗な女だとアンジェラに言われたではないか。

 勘違いしちゃダメ、きっと婚約破棄されて可哀想だから励まそうとしてくれているだけ。


「……我が家と王家の間の取り決めを知っていて、その申し出を?」

 王家が果たせないのなら宰相家で面倒を見るので取り決めはそのまま継続にしてほしいという話であれば断るとダンヴィル公爵はスティーブンを見つめた。


「王家が約束を破ったのであれば、王家が責任を負うべきです」

「ならば、なぜ」

「10年前に婚約を申し込みたいと父に相談しました。ですが、すでに王太子と……。解消された今、申し込まずにいつするというのでしょうか」

 10年前、セリーナと婚約できないのであれば、せめて彼女を守る騎士になろうと思った。

 強くなって必ず守ると。

 いつしか誰よりも強くなり、23歳という若さで第二騎士団長まで上り詰めた。

 第一騎士団は国王陛下、第二騎士団は王太子を守る任務だが、守りたいのは王太子ではなく、王太子妃のセリーナだった。


「どうか婚約の許可を」

「……セリーナが頷いたら認めよう」

 お父様! どうしてそんな大事な決断を私に振るのですか!

 貴族の結婚は政略結婚。

 親や祖父が決めるものなのに、私に決めさせるなんて無茶苦茶でしょ。

 スティーブンはソファーから立ち上がると、困惑するセリーナの前に跪く。


「スティーブン様?」

「セリーナ嬢、病める時も健やかなるときも、あなたを愛する許可をください。生涯お守りすると誓います。どうか、俺の妻に」

 綺麗な緑の眼で見つめられたセリーナは、まるで物語の中のお姫様になったかと錯覚してしまいそうなプロポーズに魂が抜けそうだった。


「……でも私は地味で」

「誰よりも美しいです」

「傷物で……」

「あなたが望むのなら、俺が報復して参ります」

「の、望んでいませんっ」

 セリーナはワタワタと両手を左右に振る。

 片想いでかまいませんと、スティーブンはセリーナの手を捕まえた。

 そのまま手の甲に口づけされたセリーナは真っ赤な顔に。


「妻になってもらえますか?」

 頷くまで手を離しませんと微笑むスティーブンの緑の眼が綺麗すぎて困る。

「……よろしくお願いします」

 やっとの思いで答えたセリーナは、スティーブンの極上の笑顔に気絶するかと思った。

 

 父とスティーブンはこの後のことを相談するからとセリーナは部屋を追い出された。

 婚約破棄を含め、あとは任せておきなさいと。

 自分の部屋に戻ったセリーナは剥げたメイク、泣いた後の酷い顔、地味なブラウンのドレスに固めた髪の残念な自分の姿に慌てた。


「……こんな姿なのに求婚してくださるなんて」

 しかも相手は騎士団長のスティーブン。

 背が高く、たくましくて、頼り甲斐がある素敵な男性だ。

 公務の時、足場が悪い場所は手を引いてくれたり、視察中に不審者が近づこうとした時にも助けてくれた。

 王太子から無理難題を言われた時には一緒に解決策を考えてくれたり、当然のように騎士を手配してくれたり。


 そういえばずっと私のそばにいてくれた気がする。

 その事実に気づいてしまったセリーナは両手で真っ赤な顔を押さえた。


 ……どうしよう。婚約すると言ってしまった。

 セリーナはスティーブンの求婚を思い出し、緩んでしまう顔を我慢することが出来なかった。


    ◇

 

「おはよう、セリーナ」

「スティーブン様!? は? えっ? なぜここに?」

 翌朝、いつものように家族で朝食を摂るためにダイニングへやってきたセリーナは、心臓が飛び出るのではないかと思うほど驚いた。

 父、母、弟。ここまではいつも通り。

 だがスティーブンがいるのはなぜ?


「お仕事は……?」

「退職した」

「はい!?」

 王宮騎士団は選ばれし者しか入れない。

 さらに第一騎士団と第二騎士団は花形だ。

 そこの騎士団長があっさり退職って!


「ど、ど、どういう……」

 スティーブンは戸惑うセリーナに手を差し伸べ、椅子までエスコートしてくれる。

 騎士だけれどやっぱり公爵子息なのね。

 なんて感心している場合ではない!


「今日からスティーブン・ドイルになった」

 レント国のオークウッド公爵家からカヤ国のドイル公爵の養子になったと説明されたセリーナは、思わず水でむせてしまいそうに。


「カヤ国? ドイル公爵? 養子?」

 カヤ国は隣の国だ。

「食べ終わったらすぐ領地に出発する」

「ま、待ってください、お父様。今日?」

「娘が婚約破棄された国になど居たくない。今日から我が領地ダンヴィルはカヤ国の領土だ」

 ちなみに爵位はそのままカヤ国のダンヴィル公爵だと意味がわからないことを言い出した父の言葉にセリーナは困惑した。


「セリーナとスティーブンの婚約はすでにカヤ国王に許可を頂いた」

「カヤ国の国王陛下!?」

 父が管理しているダンヴィル領はここレント国とカヤ国の国境にあり、領地の多くは山。

 冬は厳しい環境で食料を作るには向いていないが、ダイヤモンドのおかげで領地は潤っている。


 10年前、未曽有の干ばつ被害に遭った時、ダンヴィル領が無償でダイヤモンドを王家に提供した。そのおかげで他国から食料を輸入することができ、国民を守ることができたそうだ。

 王太子妃教育で干ばつがあったことは習ったが、まさか私を王太子の婚約者にすることを条件にダイヤモンドを提供していたとは知らなかった。

 もし婚約を破棄することがあれば、当時のダイヤモンド代の支払いはもちろん、ダンヴィル領はカヤ国の領土となり、今後一切レント国にダイヤモンドを提供しないという内容が契約書には記載されていると父は教えてくれた。


「どうしてカヤ国の領土になるのですか?」

「食料を一番譲ってくれたのはカヤ国だったんだ。カヤ国も干ばつ被害に遭ったのにね」

 当時カヤ王家は「食べられないダイヤモンドよりも食料だ」と貴族からも国民からも非難されながらも、人道支援だと反対を押し切って支援することを決めてくれた。

 そのため当時の契約書にカヤ国の調印も含まれているそうだ。


「スティーブン様がドイル公爵の養子と言うのは……?」

「俺の母はカヤ国のドイル公爵家出身なんだ」

 現在のドイル公爵はスティーブンの伯父。

 伯父には跡継ぎがいないため、養子にしたいと数年前から声をかけられていたが、まだセリーナの側にいたいとずっと断っていたのだとスティーブンはセリーナに説明してくれた。

 書類はもうスティーブンのサインだけの状態だったと。

 

「お茶会から帰ってきたのは昨日の午後二時くらいのはずですが、そこからすべて手配されたのですか?」

 カヤ国の領地になること、ドイル公爵の養子になること、ドイル小公爵となったスティーブンとカヤ国のダンヴィル公爵令嬢セリーナの婚約をカヤ国の国王に認められるまで?

 早すぎない?


「大事な娘のためなら、このくらい当然だ」

「愛するセリーナを守るためなら、なんでもする」

 昨日私が婚約を承諾した後、父とスティーブンは話し合い方針を決めたそうだ。

 スティーブンは夜通し馬を走らせて今朝ここに戻ってきたと。

「我々はカヤ国の貴族だ。レント国から何か言われても聞く必要はない」

 できるだけ早く領地に入ろうと言われたセリーナは、わかりましたと頷いた。


    ◇

 

 領地に無事着いたセリーナは休む間もなく、すぐにカヤ国王都のドイル公爵邸に向かうことになった。

 父たちは領地に滞在し、セリーナだけスティーブンと王都だ。

 けれど……。


「その緑のネックレスを。あぁ、それも似合いそうだ」

「待ってください。買いすぎですっ」

 王都の装飾品店でスティーブンのエメラルドグリーンの目と似た色のネックレス、イヤリング、ブレスレットを贈られたセリーナは、困惑した。

 てっきりレント国に見つからないようにドイル公爵邸に身を隠すのだと思っていたのに。


「髪飾りもくれ」

「こちらはいかがでしょう? 社交界で流行中の……」

「いや、次の流行はセリーナが作る。もっと繊細なデザインのものを見せてくれ」

 サラッととんでもないことを言いませんでした?

 恥ずかしいんですけど!


「スティーブン様、地味な私にそんなに……」

 素敵な装飾品はもったいないと言おうとしたセリーナの頬がスティーブンに捕まる。

「セリーナは美しい」

 スティーブンの手がセリーナの髪に触れ、バレッタでまとめていた髪が解かれる。

「髪はおろしている方が好きだ」

 店員に差し出されたエメラルドの髪留めを耳の上に付けながらスティーブンに囁かれたセリーナの頬は真っ赤に染まった。


「あとは婚約指輪をこの石で」

 スティーブンが胸元から取り出したのはカット済みのダイヤモンド。

 あの輝きは父の領地のベテラン職人ベースンさんしかカットできないビーナスアローカット!

 しかもあんなに大きな石!


「まぁぁ! こんなに大きくて輝きが素晴らしいものは初めてです!」

「あと、こちらの小さなダイヤモンドでこういうものを頼む」

 紙と一緒に差し出したダイヤモンドはとても小さい物が40〜50個?

 あんなに小さい物をたくさんどうするのだろうか?


「セリーナに似合うデザインで」

「かしこまりました!」

 目がお金になってしまった店長を横目にスティーブンはセリーナの腰に手を添える。


「疲れただろう? カフェで休憩しよう」

 破壊力満点な笑顔と流れるようなエスコートには慣れていない。

 セリーナは初めてのデートにドキドキが止まらなかった。


「私、カフェに来たことがないんです」

 6歳で王太子の婚約者になったセリーナは自由に街を歩くことも制限された。

 家と学園と王宮の送迎は馬車で常に護衛付き。

 学園の数少ない友人と街で買い物をすることは許されず、学園の休日は王太子妃教育ばかり。

 自由な時間はほとんどなかった。


「ココアが甘くてセリーナ好みだと思う」

「ど、どうして甘い飲み物が好きって」

「ずっと護衛をしていたから当然だ」

 疲れた日、紅茶にこっそり砂糖を入れていたのがバレている?

 侍女にしかバレていないと思ったのに!

 すぐに運ばれて来たココアはいい香り。

 こんな飲み物があったなんて知らなかった。


「甘くて美味しいです」

 セリーナが微笑むとスティーブンも「気に入ってよかった」と微笑み返してくれた。

 パン屋、鍛冶屋、靴屋、雑貨屋。

 初めて自分の足で歩いた街は見ているだけでとても楽しかった。

 野菜が道端で売られているなんて知らなかった。

 あんなに小さな子が手伝いをしているなんて知らなかった。

 夢中で街を見ていたセリーナはヒョイと抱き上げられ、広場のベンチに。


「ス、スティーブン様!?」

 スティーブンは跪き、セリーナの足に触れる。

 無言のまま靴を脱がされたセリーナは恥ずかしくて顔が真っ赤になってしまった。

「痛くないか?」

「大丈夫です」

 街に夢中で気づいていなかったが、冷静に聞かれると少しヒリヒリしている気がする。

 でもこのくらいどうってことない。


「スティーブン様、街に連れてきてくださってありがとうございます」

「ではまた二人で来よう」

 今日はもう歩かない方がいいと抱え上げられ、セリーナは馬車へ。

 馬車はゆっくりと走り出し、公爵邸に向かった。

 


「団長! おかえりなさいませ!」

 一斉に整列し、馬車の迎えをする騎士たちの姿にセリーナは目を見開いた。


「団長? 小公爵ではなく?」

「昨日ドイル公爵から小公爵だと騎士たちに紹介されたが、セリーナを守る実力があるのか試したんだ」

 全員倒したら騎士団長にされたとスティーブンは肩をすくめながら、セリーナを馬車から抱え上げた。

 小公爵が騎士団長って絶対おかしいでしょ!

 それよりも屋敷に入る時まで抱えられているこの状況もおかしすぎるでしょ!

 ニコニコ温かい眼差しで見守ってくれている騎士のみなさんの視線がツラい。

 憧れの眼差しでうっとりしている侍女たちの視線がツラい。

 ホクホク笑顔の家令の視線がツラいです。


「スティーブン様、あの、自分で歩けますので」

「酷くなるといけない」

「ほんのちょっと赤いだけですから」

 過保護すぎます!

 訴えむなしく、結局抱えられたまま階段を上り部屋まで。

 さらに侍女が持ってきた傷薬まで塗ってくれるスティーブンの至れり尽くせりに、セリーナはなかなか慣れることができなかった。


    ◇ 

 

 ドイル公爵邸に来てからもうすぐ2週間。

 セリーナの右手の薬指には左右にエメラルド添えた美しいダイヤモンドの指輪が輝いていた。

 気にしないようにしているのに、つい視界に入りニヤけてしまう。

 侍女たちに温かい目で見られるのも恥ずかしい。


 先日、父からエリオット殿下が領地を訪ねてきたが、もちろん追い返したという手紙が届いた。

 レイド国の貴族たちからはダイヤモンドについての問い合わせの手紙が多く寄せられているそうだ。婚約破棄された娘を心配する者はほとんどおらず、やはりあの国を出てよかったと手紙には綴られていた。

 セリーナはドイル公爵邸にあるカヤ国の本を読みながらゆっくりと過ごし、スティーブンは騎士たちと訓練をして過ごす。

 何時に何をしてもいいなんて贅沢な時間の使い方は初めてだったが、侍女たちと話したり庭を散策するだけで、時間はあっという間に過ぎてしまった。


 

「陛下。甥のスティーブンと、婚約者のセリーナ・ダンヴィル公爵令嬢です」

「二人とも見たことがあるな。それに、随分と雰囲気が違う」

 はははと気さくに笑う国王陛下にスティーブンとセリーナは最上級の礼を行った。

 今日はドイル公爵と一緒にカヤ国の王宮へやってきた。

 カヤ国の国王にお会いしたのは夜会で一度だけ。

 会話もしていないのに覚えていてくださったなんて。


「スティーブンはレイド国の騎士団長だったな。どのくらい強いのか見たい」

 国王がスッと手を上げると木刀が運ばれてくる。

 スティーブンは苦笑しながら上着を脱ぐと木刀を受け取った。

 ドイル公爵に部屋の隅へ誘導されたセリーナは、体格の良い対戦相手の姿に不安になる。


「大丈夫」

 ドイル公爵の言葉にセリーナは祈るような気持ちで頷いた。

 はじめの合図と共に動き出した二人。

 決着まではわずか5秒。

 折れた木刀が床に転がり、結果はスティーブンの圧勝だった。

 嘘でしょ、こんなに強いの?


「ははは。うちの騎士団長では相手にならぬか」

 王宮の騎士団長を倒したの!?

 一瞬すぎる出来事にセリーナは震える。


「ほら、大丈夫だっただろう?」

 三人の甥っ子の中でスティーブンを指名していたのは三男だからではなく、あの子が欲しかったからだとドイル公爵は笑った。

 木刀を返し、上着を羽織ったスティーブンは息が乱れることもなく、何事もなかったかのような雰囲気でセリーナを元の場所までエスコートする。


「セリーナは語学が堪能だと聞いている。少し彼と会話をしてくれないか? 思ったことを何でも発言してくれ」

 国王の合図で入ってきた貴族男性は会釈をするとセリーナに話し始めた。

「この国に来られたのは初めてですか?」

「はい。二週間ほど前にはじめて訪れました」

 まずは共通語。


『この国の印象はどうですか?』

『活気がある街を夢中で歩きすぎて、スティーブン様に心配をかけてしまいました』

『今年は枝豆が取れすぎて廃棄しているのですが何か解決策は無いでしょうか?』

『キョクトー国では枝豆をもっと育て、大豆というものにすると書物で読みました。加工方法もありそうでした』

 コヨーチ語、メア語、イべンセ語、ミーグ語で会話が続いていく。


『もし8歳の第一王子の家庭教師をしてほしいと言われたらどうしますか?』

『ドイル公爵と相談し、可能な限りご期待に添えるように致します』

 王太子妃教育の時、最も苦労したルメラヤキ語で質問されたセリーナは笑顔で答えた。

 男性は国王にセリーナとの会話を報告する。

 国王はそうかそうかと嬉しそうに頷いた。

 よかった。通じたみたいだ。

 ルメラヤキ語は勉強はしたけれど、レイド国には会話ができる人がいなくて発音があっているのか心配だったけれど、大丈夫そうだ。


「すごいな、今のは何ヶ国語だい?」

「共通語を除き、五ヶ国です」

 ドイル公爵に聞かれたセリーナは少し言葉に詰まってしまったと恥ずかしそうに答えた。


「他にもできるのかい?」

「はい。あと三ヶ国ほど勉強しました」

 勉強したが使う機会はなかったと笑うと、セリーナの手はそっとスティーブンに握られた。

 あ、心配させてしまったかもしれない。

 王太子に婚約破棄されたことを気にしていると思われたかな?


「こんなに素晴らしい二人を手放すなんてレイド国はどうかしている」

 国王の言葉にドイル公爵も頷く。

「ドイル公爵、そなたはあと10年は余裕で生きられるな?」

「そのつもりですが……?」

「スティーブン、おまえは玉座に興味はあるか?」

「ありません。セリーナを幸せにすることだけが望みです」

 ちょ、ちょっと!

 なんでそんな恥ずかしいことを平然と国王陛下に!


「ではセリーナ、そなたは王太子妃の立場に未練はあるか?」

「ありません。私はカヤ国で自分にできることを探したいと思います」

 まずはこの国のことを学ぼうと思うと答えたセリーナに国王はニヤッと笑った。

 あれ? 私、回答をミスった?

 王族のあの笑顔は危険な印象だ。


「スティーブン、おまえを10年間だけ王太子に任命する」

「……は?」

「陛下!」

 とんでもないことを言い出したとドイル公爵は頭を抱える。


「私の息子が18歳になるまで、王太子・王太子妃として国のために勤めよ」

「お待ちください、陛下。スティーブンはようやくうちに」

「異論は認めない。10年後に返してやる」

 あと10年くらい一人で頑張れと言われたドイル公爵はガックリと項垂れた。

 カヤ国王はきっと10年前もこうやって貴族の反対を押し切って、レイド国に食べ物を準備してくださったのだろう。

 セリーナは最上級の礼を国王に捧げる。


「……やはり王太子妃にふさわしい」

 いい判断だと国王は口の端を上げた。

 


 国王命令ですぐにドイル公爵邸から王宮に引越し、王宮内に部屋を賜ることになったセリーナは焦った。

「どうしてベッドがひとつなのでしょうか……?」

「セリーナがここで。俺はリビングのソファーで」

「それはダメです! スティーブン様がベッドで」

「では一緒に」

 ぽふっとベッドに押し倒されたセリーナは真っ赤な顔で狼狽える。


「すまない、バカ王太子から守りたかっただけなのに、まさか俺がカヤ国の王太子に任命されるとは……」

 祖父が前国王の弟だったと説明されたセリーナは、スティーブンが王太子になった理由がようやくわかった。

 カヤ国王とドイル公爵とスティーブンの母が『いとこ』で、スティーブンとセドリック王子は『はとこ』。

 子供ができにくい家系なのか、カヤ国王に兄弟はいない。そしてカヤ国王の子供も高齢でようやく授かったセドリック王子だけ。

 18歳になるまで王太子にはなれないため、セドリック王子はあと10年なることができない。

 だからカヤ国に帰ってきたスティーブンが王太子になったのだ。


「セリーナの語学が堪能で驚いた」

「私はスティーブン様があんなにお強いとは知らず、驚きました」

 綺麗なエメラルドグリーンの眼から目が離せない。

「また王太子妃にさせてすまない。自由を奪ってすまない」

 気軽に街へ行き、好きなものを自由に食べ、やりたいことを好きなだけさせたかったとスティーブンは目を伏せた。


「好きだ、セリーナ」

 触れるだけの口づけのあと、吐息がセリーナの唇をくすぐる。

「愛している。ずっと側にいさせてくれ」

 答える間もなく、息ができない程の熱い口づけが降り注ぐ。

「王太子妃はイヤだと、俺から逃げないでくれ」

 絶望しかなかったあの茶会から救い、いつでも私のことを気遣い、守ってくれる人。

 きっとあの日助けてくれなかったら、私はまだ立ち直れず泣きながら過ごしていただろう。

「私も……お慕いしております」

 セリーナが恥ずかしそうに笑うと、スティーブンは緑の眼を細めながら愛おしそうに微笑んだ。


    ◇


 カヤ国から届いた招待状をテーブルに叩きつけながらエリオットは奥歯をギリッと鳴らした。

 招待状にはカヤ国の王太子のお披露目並びに婚約発表会だと記載されていた。

 問題は王太子妃の名前だ。

 なぜここにセリーナの名前が書かれているのか。


「俺への当てつけかよ」

 婚約破棄したと父に告げたら、セリーナにすぐ謝罪しろと怒られた。

 破棄を取り消せなければ廃嫡だと。

 あんな地味な女をなぜ庇うのか。

 納得がいかないまま、わざわざダンヴィル邸に行ってやったのに、婚約破棄がショックだったのか一家で領地へ帰ったあと。

 仕方なく領地まで行ってやったのに門前払いだった。


「地味女のくせにカヤ国の王太子と婚約だと?」

 領地に帰るくらい婚約破棄がショックだったなら、側妃くらいにはしてやってもいい。アンジェラは文字が読めないから、セリーナが書類処理をやればいいんだとせっかく閃いたのに。


「くっそ、絶対邪魔してやる」

 急に現れた王太子なんてどうせジジイだろ?

 俺の側妃になった方が良いに決まっている。

 とりあえずアンジェラのドレスを新調して、装飾品も買わなくては。

 父には絶対にアンジェラを連れて行ってはいけないと言われたが。


「セリーナは俺のことが好きだから側妃にしてやると言えば喜ぶはずだ。美しいアンジェラを連れていき、おまえは地味だから側妃だと言えば納得するだろう」

 エリオットは侍従を呼びつけると、日程を告げドレスの手配を頼んだ。


    ◇


 王妃様も第一王子のセドリック殿下も私たちに好意的だった。

 そのおかげか貴族たちの反発も思ったより少なく、僅かな反対派も騎士団長がスティーブンにたった5秒で負けたことや、私が共通語以外に8ヶ国語を話せると知り、誰も文句を言わなくなった。

 国民に絵姿を通達すると国はお祭りモードに。

 公務も少しずつ始まり、日々は慌ただしく過ぎていった。

 

「……美しすぎて誰にも見せたくない」

 これは困ったと額を押さえるスティーブンの冗談に、セリーナの緊張はいっきにほぐれた。

「スティーブン様も素敵です」

 今日は他国を招いた夜会。カヤ国の王太子であるスティーブンがお披露目される日だ。


 今日のスティーブンの装いは、白の礼服。たくましい身体つきがよくわかる。

 金の装飾は控え目にしてほしいと頼んでいたが、それでもかなり豪華な衣装になっていた。

 そしてセリーナの衣装は、スティーブンとペアだとわかる白と金の豪華なアシンメトリードレス。

 ネックレス、イヤリング、ブレスレットはもちろんスティーブンの眼の色のエメラルド。

 指にはダイヤモンドとエメラルドの婚約指輪、そして下した髪には指輪と一緒に頼んでいた小さなダイヤモンドが50個ほど繋がれた髪飾り。

 地味なドレスしか着てこなかった私が白と金のドレスを着る日が来るなんて想像したこともなかった。


「髪は上げた方が良いのでは?」

「下ろしている方が好きだ」

「装飾品が多すぎでは……?」

「控え目だ」

「お化粧も薄い方が……」

「化粧をしなくても美しさは変わらないが……」

 そんなに気になるのならばとスティーブンはセリーナの口を塞ぐ。

 自分の唇に移った口紅を野性的に手で拭いながら「薄くなったか?」と笑った。


 真っ赤な顔を落ち着かせる時間もないまま、侍従に会場まで案内される。

 国内の貴族だけで行われた夜会で一度経験しているはずなのに、セリーナの心臓はバクバクと飛び出しそうだった。

 スティーブンにエスコートされながら入場し、最上級の礼をする。

 国王陛下に王太子だと紹介されたスティーブンと階段を下りたセリーナは、みんなに注目される中、ファーストダンスを踊った。

 ダンスの練習は出来る限りしたけれど、各国の来賓の前で二人きりで踊るのはやはり緊張する。

 でもスティーブンの緑の眼は大丈夫だと俺に任せておけと言ってくれているようで、セリーナはスティーブンから目を離すことができなかった。

 

「……あれがセリーナ? 嘘だろ……?」

 見つめ合いながら楽しそうに踊る二人を見たエリオットは、セリーナの美しさに目を見開いた。

 セリーナはもっと地味で根暗で、お洒落にも興味がなくて不愛想で。

 あんなふうに笑った顔なんてずっと見ていない。

 それにカヤ国の王太子が騎士団長のことだったとは。

 あいつに「セリーナの護衛ご苦労だった」と伝え、セリーナに「側妃にしてやる」と言ってやろう。


「……カッコいい……」

 エリオットよりも背が高くたくましいスティーブンを見たアンジェラは目を輝かせた。

 セリーナのドレスも宝石も、エリオットにもらったものよりも高そうだ。

 何よりもあの髪飾りの輝きがすごい!

 地味女があんなに変身するなら、私はさらに美しくなるはず。


「ねぇ、エリオット。セリーナに仕事を全部やらせるのよね?」

「あぁ。そうだよ」

「じゃあ、エリオットが話をしている間、あっちの王太子としゃべっていい?」

「騎士団長と?」

「騎士団長? 違うわ、あの王太子よ」

「あぁ。あれはうちの騎士団長だから、アンジェラの護衛になる男だ」

「えっ? 私の護衛なの? じゃあ、私のものね」

 やったと喜ぶアンジェラを不思議に思いながらも、エリオットは美しくなったセリーナを眺め続けた。


『通訳なしで直接話ができるなんてうれしいわ! 友人になってくださらない?』

『光栄です。ぜひお願いします』

 ルメラヤキ国の王女リリスと友人になることができたセリーナは、スティーブンにすぐに報告した。

 メア国とは小麦の輸入について、ミーグ国とは湖の水質について。

 スティーブンと相談しながら回答し、どうしても返答に困るものだけ国王と相談させてくださいとその場の明言を避けた。


「すごいな、セリーナ」

「スティーブン様のおかげです。水質を測る方法は知りませんでした」

「騎士はいつでも水を調達できるようにしないと、いざという時に困るからな」

 騎士だった経験がこんなところで役に立つとは思わなかったと笑うスティーブンの笑顔に、セリーナも思わず笑顔になる。

「少し休憩しないか? 足が疲れただろう?」

「ありがとうございます」

 控室へ行こうと歩き始めたセリーナは、聞き覚えのある声に名前を呼ばれ思わず振り返った。


「セリーナ、ひさしぶり!」

 まるで友人かのように気軽に挨拶されたセリーナは、エリオットの無神経な態度に呆れる。

 相変わらず腕にはべったりとアンジェラをくっつけたままだ。

 招待状には私の名前が書かれていたはずなのに、まさかエリオットがレント国の代表として来るとは思っていなかった。


「騎士団長、セリーナと話があるから外してくれ」

「断る」

「はぁ? 俺の命令が聞けないのか?」

「なぜ聞く必要が?」

 背が高いスティーブンから睨まれたエリオットはどういうことだと眉間に皺を寄せる。


「あぁん、そんな怖い顔しないで、騎士団長~」

 エリオットの腕から離れスティーブンに抱きつこうとしたアンジェラを、セリーナは手で止めた。

「ちょっと何の真似よ、地味女」

「そちらこそ、どういうおつもりでしょうか? カヤ国の王太子殿下に勝手に触れようとなさるとは」

「私のモノなんだからいいじゃない」

 うるさいわとセリーナの腕を払いのけようとしたアンジェラの手をセリーナはグッと掴んだ。


「今すぐ謝罪をしなければ、不敬罪に問います」

「はぁ? ふけーざいってなによ」

 アンジェラは掴まれた腕を振りほどく。

「ははは。そんな怖い顔をするなよ、セリーナ。俺のことがまだ好きだからってアンジェラに嫌がらせするな。側妃にしてやるから安心しろって」

 ……側妃?

 この男は何を言っているのだろうか?


「俺の妻を側妃だと?」

「あぁ。騎士団長、セリーナの護衛ご苦労だった。セリーナを連れて帰って来てくれ。婚約破棄したくらいで国を出るなんてどれだけ迷惑かけたと思っているんだ? でもまぁ、許してやるからさ」

 側妃になって公務をやってくれと言われたセリーナは信じられないと目を見開いた。


 婚約破棄したくらい?

 私が迷惑をかけた?

 許してやる?

 どこまで身勝手な男なの?

 こんな男と結婚しないですんでよかったけれど許せない!


「スティーブン様は優しくて男らしくて頼りになって、とても素敵なんです」

「ホント最高!」

 セリーナの言葉になぜか同意するアンジェラは意味が分からないけれど、スティーブンの魅力はアンジェラにも伝わっているみたいだ。


「私はスティーブン様と幸せになるので、レイド国のエリオット王太子殿下はアンジェラとどうぞお幸せに」

「おい、セリーナ。この俺が側妃にしてやるって言ってるじゃないか」

 意地を張るなと言うエリオットにセリーナは溜息をついた。

 前から会話は通じないなと思っていたけれど、ここまでとは。


「努力もしない、人の話も聞かない、男として全く魅力もないエリオット殿下の側妃なんてダイヤモンド鉱山をもらってもお断りです」

「なんだと!」

「私はいつでも気遣い、私を守ってくださるスティーブン様に愛を誓います」

「俺もセリーナだけに愛を誓う。こんなに美しくて努力家で最高の女性を手放した見る目がない男には消えてもらおう」

 スティーブンが手を上げると会場の警備をしていた騎士たちがスッと近づく。


「この二人を追い出してくれ」

「なっ、おい、騎士団長! ふざけるな」

「なんで私まで? セリーナなんかより私の方が綺麗で」

「おまえのどこが綺麗だと?」

 見た目も心もどこにも綺麗な所がないと笑われたアンジェラは悔しそうに唇を噛んだ。

 スティーブンはセリーナの手を引き、裏に連行されていく騒がしい二人の後ろをついて行く。


「スティーブン様? 控室はあちらでは……?」

「控室に行く前に、少しやることがあってな」

 夜会の会場の扉から出た瞬間、スティーブンは騎士たちを止めセリーナから手を離す。

 そのまま左手でエリオットのお腹に一発拳を入れると、か弱いエリオットは壁に向かって吹っ飛んだ。


「二度と俺の妻に近づくな。彼女は地味でも根暗でもない。お前がそうさせたんだ。彼女がどれだけ努力してきたか、どれだけ自由を奪われ我慢してきたか知らないくせに好き勝手なことばかりしやがって。カヤ国はレイド国との取引をすべて中止する。おまえたち二人は二度とこの国に入ってくるな!」

 青白い顔でガタガタと震えるエリオットにスティーブンは殴り足りない気持ちを抑えながら思いを伝える。


『わお、強いのね』

 ルメラヤキ語に驚いたセリーナが振り返ると、会場の扉はまだ開いたまま。

 閉めていなくてすみませんという顔をしているドアマンと、興味津々の会場のひとたち。

 大爆笑している国王陛下と頭を抱えた宰相、よくやったと満足そうな父と、苦笑しているドイル公爵の顔が見える。

 嘘でしょ、どうして扉が開いているの!?


『我が国もレイド国との取引はやめよう。カヤ国とは水質を良くするために協力していきたいからね』

『うちもカヤ国に小麦の加工品の相談がしたいからレイド国とは距離を置こう』

 ミーグ国王、メア国王にもここの会話がしっかり聞こえている!?

『王太子妃は愛されてるなぁ~』

 いやはや若いっていいねぇとイべンセ語のつぶやきまで聞こえたセリーナは、真っ赤な顔で「早く扉を閉めてください」と頼むことしかできなかった。


    ◇


 エリオットは廃嫡され北の塔に幽閉となった。

 アンジェラは招待されていない夜会に出席した侵入罪と不敬罪で修道院へ。

 エリオットの代わりに王太子になった第二王子がスティーブンとセリーナのもとへ謝罪に訪れた。

 レイド国の国民を食糧難にするつもりはなかったスティーブンはすぐに取引を再開。

 大きな混乱はなく、ただレイド国の王太子が交代しただけという結果に収まった。

 

 カヤ国の王太子スティーブンは怒らせると怖いが愛妻家、王太子妃セリーナは語学堪能な美しい女性だと話題に。

 10年間王太子と王太子妃を務めた二人の功績は計り知れないほど大きいものとなった。

 

 

『王太子に婚約破棄された地味令嬢ですが、病める時も健やかなる時も騎士団長から愛されるなんて聞いていません!』


 エリオットに婚約破棄されたあの日から変わらず毎日愛を囁いてくれるスティーブンとの間には、息子2人と娘1人が生まれた。

 賑やかな日々はあっという間に過ぎていく。

「セリーナ、愛している」

 30年たっても変わらないスティーブンにセリーナは「私も愛しています」と微笑んだ。


   END

多くの作品の中から見つけてくださってありがとうございます。

共通語以外にたくさん国名が出てきますが、逆から読むと……?

作者の残念なネーミングセンスをお楽しみください。

最後まで読んでくださってありがとうございます。

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― 新着の感想 ―
貴族令嬢ならばともかく、他国の王族に不敬を働いた平民が修道院行きでは済まないと思うのですが。 国としての矜持(メンツ)に関わる事なので、当人達(主人公夫妻)の本心はどうであれ、処刑しなければその国への…
国名を見て(作者さん…これ書いてる時お腹空いてたの?)ってしか思わなかった私は食いしん坊です( ー`дー´)キリッ
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