記録5:私の余生の過ごし方
少女は私の左半身にピッタリとくっついたまま離れない。汚れずとも水気を含んだ髪の毛が服越しに私の肌に吸い付き、シミ一つない肌をザラザラとした男性物の服に擦り付ける。
大雨の道端で、子供に見える二人が傘も差さずに立っている。これを見た人間は少なからず心配するだろうが、わざわざ手を差し出すようなものはいない。雨に打たれて私の体調が悪くなる心配はないが、少女の具合が雨で悪化するのかは分からない。
「帰ろうか」
「うん」
少女を拾った場所は、駅と家との丁度中間だ。見つけるまではゆっくりと歩いていたから雨脚も強まるほどに時間がかかったが、少女を抱えて家まで走ればそれほど時間はかからない。
だけども私は少女と隣で手を繋ぎながら歩いて帰りたかった。雨に濡れるといけないから頭の上に傘代わりの魔道具で作った防護膜を発動して、濡れていない部分がないほどに雨粒が滴った身体を乾燥の魔道具で少女ごと乾かす。髪の毛で殆ど隠れているが隙間からチラチラと裸体が見えるの不味いため、バックパックから薄手の毛布を取り出して少女の首に巻き付けて隠す。
「あったかい」
「それは良かった」
少女はあまり喋らなかったが、それが私が話しかけないからなのか話そうと思わないからなのかは分からない。私も自ら話す方ではないため会話を続ける事ができない。専門分野だったら長くスラスラと話すことも出来るが、見た目は年端もいかぬ少女との話題に出すものではないし、初対面らしき状態で話す内容でもない。
大雨の中外を出歩く人もいないため、少女の姿を見るものもいなかった。人目や車の多い表通りではなくコンクリート道路の横幅一切が水たまりで塞がった裏道を通って帰っているのもあるだろう。時々表通りの水たまりに車が走っては泥水が飛び散る音が聞こえてくる。
「歩くよ」
道路には大きな水たまりが出来上がっていて、迂回しようにも十字路の手前にあるためこの先に行くには来た道を戻って丸く遠回りをしなければいけない。家が数件の少しだけの距離だったなら迂回することも許容したが、ここを回るとなると一区画分の外周を歩くことになるので非常に面倒くさい。
だから魔道具を使って楽をすることにする。今雨避けに使っている防護膜の魔道具のように、水たまりの上に防護膜を置けば水上を渡っているかのように歩ける。水上に発生した魔素災害や水中の魔獣なんかを狙う時に使っていた手法だ。技自体は園原教官から教えられたものだけど、私のほうが魔道具の性能の違いでうまく扱えたから悔しがっていた。
「凄い」
「落ちたりしないから安心してね」
「うん」
声や手の震えから強がっているようには感じず、魔道具で発動した現象に興味を持っているようだった。それにキョロキョロと視線を動かし何かを眺めて観察しているようでもあった。ただ見えて興味を持っているだけで、それ自体がどういったものなのかは分かっていない、そんな印象を受ける動作だ。
「まだ?」
「もうすぐだ」
あれからガッチリと掴んだままの左半身は、少女の重さと抱きつく力で少々痺れてきてしまった。子供に抱きつかれたまま歩幅を合わせる経験なんてないから、疲れない方法が分からずに模索して余計に疲れてしまう。慣れないことは疲れるものだと再認識したと同時に、こんな状況を慣れることがあるのかと疑問になった。
まあ、もう家に着くのだからいらない心配でもある。
「着いたよ」
私の実家であり弟の紫が産まれた時に引っ越しをした家。その前の家は私が研究所にいるときだったので写真でしか知らない。
一般住宅よりも大きめの一軒家で、ガレージには車が二台ともあることから両親が家にいると分かる。駅に迎えを寄越さなかったのは久しぶりにこの街を歩いてみたかったからで、電車の中で土砂降りになっても一人で帰ると伝えておいた。
白い壁面は雨が当たって灰色がかっていて、屋根の藍色は前見た時よりもくすんでいるように感じた。あと数年かそこらで築三十年となるこの家は今は母と父親の二人が暮らしている。弟は父方のお爺さんの会社で修行中だからここにはいない。私が実家に居座るとなると私よりも高い頻度で帰ってきてた弟とはいつか会うだろうから少女の紹介はその時にすれば良い。
「ここが、貴方の家」
「私の実家といったほうが正しいかな。数年は帰ってなかったから」
「まだ知らない」
「そうだ自己紹介がまだだったね」
見慣れていた玄関の扉前、一度壊れたのか取り替えられたチャイムは鳴らしていない。
壁から突き出した玄関の屋根の下で、今時珍しい鍵穴に手を伸ばした手を戻した。
少女には不思議な信頼感と奇妙な不快感が織り合わさった感情を抱いている。
「私は水瀬紫。つい先日退役したばかりの貴方に恍惚した生命だよ」
私の差し出された右手を少女は小さな両の手で握り、私も答えるように握りかえす。
雨で冷えたからか元々冷たいからか、私たちの握手で手のひらが温かくなることはなかった。
「星、星の子。貴方に助けを求めるこの惑星の意思」




