記録4:人造生命体と超自然との邂逅
実家がある街は軍事都市からかなり離れている。
鉄道のハブであり物資の集積所でもあるから、内陸部の平野で人口密集地から離れた場所に多くつくられている。そこから軍事施設や要塞などに物資を届けて国の防衛を整えている。
私たちが普段使っている軍事都市は実家から東にある国境を守るために作られたものだ。国同士の関係は良好だが、森林で発生する魔素災害の頻発によって段々と険悪になってきているらしい。
おそらくはどちらの国も発生率の上昇には関わっていないのだろうが、オリーアトン渓谷のひび割れの一端を国境として大規模な森林地帯に覆われた国境地域は、ただでさえ緊迫状態が続いていたのに最近は悪化の一途を辿っている。
この国の防衛はトップに軍事務という組織があって、そこのトップの軍事大臣だったのが私の爺さんの水瀬轟だ。軍事務は軍が関わるほぼすべての行動を決めており、そのトップに就いた爺さんの手腕は私とは別方向で、私では真似できない見事なものだった。
そんな爺さんは私が訓に入ったタイミングで引退し、都市部から少し離れた地域に屋敷を建てて隠居暮らしを始めた。趣味の園芸や門下生を取って武術を教えたりしているらしい。時々顔を見せに行っては門下生との試合を勝手に受けさせられて、爺さん含め全員をボコボコにしてから帰っている。基礎となる身体能力から違っているのだ、そこに技術や経験も加わったら勝てるはずもない。
「次は、夕日日市。次は、夕日日市。この電車は終着となります。ご乗車ありがとうございました」
早朝に出発しても到着する時刻は昼過ぎになる。
特急鉄道が使えればもっと早く着けるのだが、細かく駅を乗り換える必要がある道順なため遅くなってしまう。一直線にたどり着けないのは軍事都市の路線が国鉄で一般車両の走行を禁止しているからだ。主に物資を運ぶための路線だから仕方ないと言えば仕方ない。
乗り換えの駅はこれで最後で、十五分後に出発する江留町行きの電車の途中に御空市がある。待合スペースから見上げる空には筋雲を一面に伸びて広がり、層のような軌跡となって浮かんでいる。しかし筋雲は雨の予兆として使われる雲でもあり、晴れの予兆としても使われるが、今回の場合は雨となる方の筋雲だ。
筋雲が薄くなっていくなら晴れで、濃くなったり根本に黒雲が見えると雨となる可能性が高いそうだ。戦場となる森の中では電波や魔術での通信が不可能な場合も多く、雲の形や風の流れなどで今後の天候を見極める役割の人間が、一部隊に少なくとも一人はいた。
「傘、どうしようかな」
電車から眺める景色は、先ほどとは打って変わってどんよりとした暗雲に覆われている。ポツポツと雨も降り出して車窓に斜めの雨筋ができ、同じ車両の乗客も傘を持っていないと小声で呟いている。
大きな荷物は事前に配達で実家に送っているが、バックパックに入るものは持ってきている。予報では一日中晴れだったため傘も持っていないから、防護膜の魔道具でどうにかしようとした。
ビッーー
御空駅の改札を抜けて西出口の階段を降りると、雨はさらに強まりザーザーと激しい音を立てロータリーに植わった木が濡れ葉を晒している。傘無しで急いで走ったとしても、実家までは十分以上掛かる。バックには電子機器も入れているため濡れて使えなくなるのは非常に困る。
それで魔道具を使おうとしたら天井に取り付けられたサイレンが鳴り、一分足らずで警備員がクリップボードを持って職務質問をしにやって来た。
「君、魔力は使ったら駄目なの。分かった?」
「見た目は十歳から十三歳くらいかな。魔力の使い方を覚えたから傘代わりにしようと思ったんでしょ」
「でもこの駅は魔力禁止だから使わないでね」
「まあ遠くからやってきたっぽいし、ルールを知らなくて当然なんだけども。駄目は駄目なんだ」
「分かりました」
警備服を来た二人の男性は私を隅に寄せると軽い注意をして解放してくれた。
御空学園と慶雲学園が近いこともあって、公共物近くではあらかじめ許可された魔力反応以外は魔力探知機から通報が行ってしまうそうだ。雨の日にはこっそりと魔術で雨を避ける人が多かったみたいで、御空駅に魔力探知機が導入された当初は、通報される魔力反応はとてつもなく多かったそうだ。
前に帰省したときはこんな面倒な条例はなかったはずだから、ここ数年の間に導入されたのだろう。軍事都市に繋がる駅にも魔力探知機が設置されているが、そこの魔力登録は済ませてあるので申請さえしてしまえば通報されるようなことにはならない。
「それじゃあ傘を買える場所ってありますか」
「駅内の店舗にまだ残ってるかもしれないね。だけどこの雨だし売り切れてるだろうな」
「まあ駅から少し離れれば探知もされないから駄目だったらそうしてよ」
「そうします」
警備員二人にお礼を言うと、雨が振り続ける外に向かって歩を進める。一瞬にして服は濡れ、髪の毛はペタリとうなじや耳に張り付く。バックパックに響く雨音は乾いた水滴音から染み付く水滴音へと変化した。
一度濡れてみるともう傘を差そうとは思わなくなる。
周囲のコンクリートに打ち付ける雨音、窪みに滞留した水たまりにぶつかる雨音。肌に張り付いて冷たく体を冷やす衣服や髪の毛。背中とバックパックとの間にできた空間はほんのり温かくて水滴が流れ落ちるたびにゾクゾクとくすぐったい気持ちになる。
電子機器は壊れたら困るため魔道具で保護しているから、思う存分雨の情景を楽しめる。
「研究所から逃げた日も雨だったかな」
雨は私にとって特別だ。
憂鬱さを覚えることもあるが、こうして様々で沢山の雨の音を聞いていると胸の中に静かな情動が染み渡ってくる。心地よくもあり楽しさもある。深い悲しみが胸に広がるようだがその情動は決して負へと向かう矢印ではなく感情の可能性を選び取れるものだった。
雨がすべての始まりなわけではなかった。けれどこの日、この先全ての始まりの日は、先鋒の一面筋雲から中堅の黒雲暗雲、大将のゴウゴウと風を立てる強い大雨だった。
「・・・!」
道端に誰かが座り込んでいる。家と家とを区切る塀に肩を横掛けながらピクリとも動かない。その身体は私よりも小さく、この大雨では親と一緒でなければおかしい年齢だ。銀白色の長い頭髪は身体全体を覆い隠し降り注ぐ水の粒は毛の一本一本に弾かれて地面に流れ出る。それに、私はその子供らしきものから目が離せなくなっていた。
ようやく私が歩みを続けると水たまりに足が入りパシャッと音が鳴る。全く動かなかった子供の体がこちらを向き、幼さを残した顔立ちの少女が緑色の両の瞳でじっと眺める。植物の緑とは違う深い深い翡翠のような緑の瞳は、私を透るように見つめて目を細める。
ハラリと髪の毛が肩から滑り落ちると、眼の前の少女の裸体が露わになる。顔を動かして髪の毛の位置がズレたせいか、地面を流れる水に乗って広く散らばっていく。それでも少女は意にも介さず私を不思議な眼で見つめ続け、ぷにぷにとした骨も筋肉も出来ていない身体で立ち上がる。
雪のように光る髪は少女の身長よりも長く、立ち上がった今でさえも足下には水でユラユラと揺らめいている。銀白色の髪は雨とともに混じる泥汚れの一切を受け付けていないように見えたが、永遠とも錯覚する輝きは汚れていないのではなく、汚れもまた美しさと言えるほど自然な少女の姿によるものだと気付いた。
汚れが少女に身に付いたその瞬間から汚れは汚れではなく銀白色の自然な美しさと言えるものに成っている。これほどまでに美しいと言える存在に出会ったことがなかった。光の合成で映し出される液晶画面の人間全てが、ひどく無価値なものに思えるほど彼女は圧倒的だった。
「見付けた」
降り落ちる雨の轟音の中、彼女の声は辺りのすべてを透き通り私に響いた。
彼女はあまりにも異質だった。私の精神をこんなにも揺さぶるなど、ましてや魔力の痕跡が一切ない素の美しさで。
いや、彼女は人間ではないのだろう。しかし私とも異なる。
全てを彼女のためにと思ってしまった。今でも思っているが、どうにか我慢できている。
「助けてほしい」
「何を」
「この星を」




