記録12:
「配達です」
玄関のチャイムが鳴る音がしてテーブルに座っていた全員が音の鳴ったディスプレイの方を向く。
父親が席を立ち扉を開けて荷物を取りに行く。
「手伝ってくれないか」
「分かった」
注文した商品の数は多く、父親一人では持ちきれない。
母は席を立つ気配がないし雪はチャイムの意味がわかっていないようだった。
「完了しました」
「ありがとうございます」
バイクの後ろに乗せた商品を雨に濡れないように魔術作った膜で防ぎながら玄関先にいる私たちに手渡す。
嵩張るものを注文したため一度に運び込むことが出来ず、数回に分けてテーブルまで運ぶ。
すべての商品が手渡されると証明証を発行して、それを受け取りポケットに入れると挨拶をして扉を閉める。
雨はまだやまず空模様はどんよりとした曇り空で晴れ間は見えない。
少し雨足が弱くなったようにも感じるが防雨の用意をしなければすぐに濡れ鼠になってしまう天気なのには変わりない。
一度シャワーを浴びて雨で冷えた体を温めたというのにまた濡れたくはない。
雨は好きだがずぶ濡れになるのは嫌いだ。
「料理はどう?」
「分からない」
雪は味覚というものの再現ができていないようで、味は感じているようだがその味がどのようなものなのかを理解することが出来ていないようだった。
美味しいと感じるのは肉体に必要な栄養素を多く含んでいるからで、不味いと感じるものは体に害があるものだと気付けるようにらしい。
もしそうなら美味しいものばかり食べていれば人は長生きできるはずだが、そんな食生活をしていれば糖尿病であっさりと死んでしまう。
不味いものだって美味しものよりも栄養素がある場合がある。
子供が苦手な野菜は食べなければビタミンが不足して身体に悪影響を与えてしまうし、お店で売っている医薬品は子供用でなければ苦いや辛いと感じるものばかりだ。
味覚というのは当てにならないのかもしれない。
「味を教えるってどうすれば良いのかな」
「耳の聞こえない子供に音を教えるようなものじゃないか?」
「先天的な盲聴で生まれてから一度も音を認識したことのないものは、その音を自ら出す声を出すことが出来ないそうよ」
音の聞こえない人の殆どは耳の器官に問題があるだけで、喉の声帯は普通の人と変わらないことが多い。
だけど脳みそが音というものを理解できないから自分が喉から出している音が何なのか分からない。
そういった人が発声をするときには家族やトレーナーが口や喉の動かし方を教えて少しずつ慣らしていくそうだ。
この喉とこの口とこの舌の動かし方を組み合わせると、手話でいうところの『こんにちは』となるよといった感じだ。
つまりは訓練次第では能力がなくても普通に近づくことは出来るのだ。
それでも言葉と言葉の繋がりの発音や会話で省略される部分の発声することは難しく、一音一音を組み合わせて声を伝えることになるそうだ。
「雪の場合は能力はあるけど感情と結びつかないと言った感じだね」
「味は学ぶものだから自然とこれは美味しい味でこれは不味い味といった風に覚えていくと思うわよ」
「そう簡単に行くとは思えないかな。味を感じる味覚は本来、他の感覚機関と同じで生物が情報を得て危機を知るために用いるもの。そこに文化や知識が加わり彩りが増えて発展してきたものが僕達の味覚だよ」
「雪には生物が生き残るために情報を集める行為をする必要がないから味を区別する意味がない。味を感じる能力はあるけど、味に関する知識がなく味を区別する理由がないから習得は難しいと」
「意欲はあるからそのうち覚えられるんじゃないかしら」
「そうじゃなくてもっと根本的な話だよ。意欲があっても本能が拒絶すれば行えないんだ。飛び降り自殺する人が踏みとどまってしまうのは、死にたくないっていう生存欲求と死にたいっていう意欲が競り合っているものなんだから」
「雪は、星は、生物じゃないよ。精神の由来が無機物と有機物とでは異なるに決まっているじゃないか」
ムッとした表情をして父親は黙ってしまった。
その後すぐに目線をずらして考えたあと、コクリと頷いて自分が興奮していたことを認めた。
ある意味では正しい仮説が、本当に正しいのかが分からないまま話が進んでいく。
本人にも分からず周囲の人にも分からないことが、たった数時間で立てた仮説がそっくりそのまま正しいなんてことはありえない。
私の精神の由来が無機物と有機物とで異なる仮説でさえ、おそらくは異なっているだろうという私の感覚から導いた仮説の一つだ。
魔力が生物の細胞内にあるクルトベリミンから発生し、長い年月を掛けて星にばら撒かれた大量の魔力か魔素が影響して生まれたのが雪だ。
魔力というエネルギーも魔素という暗黒物質と結び付いた魔力の物質化したものの可能性はまだまだ未知の部分が多いが、進歩し続ける科学と魔術の技術によって少しずつ解明されつつある。
生物の環境形成作用で出来上がったものを、植物が酸素を発生させて長い年月を掛けてオゾン層を作ったように、生物が魔力を発生させた影響がここに存在している。
「味を教える、か」
「未知だね」
「紫に教えてほしい」
「とは言ってもね。私は味を教えると言った経験がないよ。異文化の人に私たちの文化の味を教えることさえしたことがないのに、雪のような生物としての括りから外れているものに生物の楽しみを教えるというのは難しいよ」
「感情は、知ってる」
「例えばあれを見て」
私が指を指したのは母の頭の上にある寝癖だ。
堂々と立っているわけではないが、正面から見ると気になる位置にある髪の跳ねっ返りだ。
「あれを見て何を思った?」
「髪の毛」
「そうだね。あれは寝癖と言って人が寝ているときに髪の毛がズレて固まったものだよ。普通は治すものだけど母は鏡をあまり見ないから気付かずに放置されてたんだよ」
「あまり鏡を見なくて悪かったわね」
「出かける用事がなかったから注意しなかったよ」
困った笑い声を出しながら言い訳を喋っていて、もう少し身だしなみを注意してほしいものだと感じる。
まぁ、私も軍隊に入りたては寝癖を直すことはなかったから人のことはいえない。
学生時代なら紫や明来がいたから注意されて朝の支度をしっかりしていた。
お洒落に興味はなかったけど勧められたのでコスメを買ってみた入りしていたから、朝晩の手入れは忘れずに行っていたから肌は綺麗だった。
軍隊ではお洒落をする時間的余裕はないし、お洒落のための品物を買いに行くことも出来ない。
何より訓練で泥と汗にまみれる生活でお洒落をするなんて他の隊員への侮辱も良いところだ。
私は人一倍身長が小さな分浮ついた雰囲気をすれば、部隊全体の雰囲気を見出してしまいかねない。
私だけが生き残るのは容易いが部隊として行動している限り部隊の存続を考えなければならず、優秀な軍人として生まれた意味と学んできた価値観の間で任務をこなしていた。
それに侮られるのも嫌いで軍人としての心構えをできる限り重視していたのだ。
「あれをみたら身だしなみがなってないズボラな人だ、と感じるのが普通かな」
「よく分からない」
「そっか」
能力と感情が結び付いていない影響は様々な所にでている。
言葉で喋れば困っているという意味は伝わるが、声の抑揚や表情、体の動きなどが一定に定まっていない。
クセがないと見るべきだが効率化は生物が生き残るための本懐だ。
学ばなければならない。
「そうだ」
「どうしたの?」
「紫、体に触れて」
突然私の方を向き雪の体を触るように指示を出す。
理由はわからないが触れてみることにする。
キュイーッ
私が雪の手に触れると頭の中で高速で回転する筒のような音が響き始める。
耳を塞ごうとしても雪から手が離れず魔道具を行使しようとしても魔力が霧散して散り散りになってしまう。
「これは!?」
「共鳴、紫の魔法」
「無理矢理発動させて、いや発動を促しているのか」
「魔法の活性化といったところかしらね」
母が放った言葉、魔法の活性化というのは実に的確な表現だ。
自分の中にある魔力が外部からの力によって活発化され、自身では制御できなくなる。
私の魔力には共鳴の性質があるから魔力が活性化すると共鳴の性質まで一緒に発動してしまう。
「うっ」
身体が悲鳴を上げて皮膚の薄い場所から血管が破れて血が出てくる。
魔力が活性化する未知の感覚と全身な内側の血管が破裂する感覚が同時に押し寄せ、私は久しぶりに気絶した。




