第4話 明かされる正体と陰謀の影
薬術祭二日目。前日の出来事に興奮して眠れぬ夜を過ごした私は、早朝から会場へと向かった。今日は実演の日。参加者は選ばれた観客の前で薬の調合過程を披露し、その効果を実証する。
会場に着くと、既に多くの貴族や薬学者たちが集まっていた。その中に、輝く金髪と冷たい瞳を持つ男性の姿を見つけて、私は凍りついた。
エドガー・フォーレス——私の婚約者だ。
彼が何故ここに?私が参加していることを知ったのだろうか。隠れるように身を縮めていると、背後から声がかけられた。
「エリーナ、緊張していますか?」
振り返ると、ルシエンが立っていた。彼は私の視線の先を追い、表情が硬くなる。
「フォーレス大公子息が来ているとは…」
「私の婚約者です」と小さく告げると、ルシエンの青い瞳に一瞬だけ悲しみの色が浮かんだ。
「知っています。だからこそ、今日はあなたの実力を見せるときです」彼は私の肩に手を置き、優しく微笑んだ。「薬術祭は百年の歴史がある権威ある大会。ここでの評価は、時に政略結婚よりも重視されることもあります」
その言葉に希望の光を感じる。もし本当に「王の調合師」として認められれば、婚約からの解放もあり得るのだろうか。
「第二日目の実演を始めます。昨日の成績上位者から順に演壇へどうぞ」
アナウンスが響き、私は最初の呼び出しを受けた。緊張で足が震えるが、ルシエンの励ましの視線を感じて、勇気を振り絞る。
演壇に上がると、観客席からの視線が突き刺さる。特にエドガーの冷たい視線が、私を威圧する。彼の隣には父もいて、驚きと怒りが混じった表情で私を見つめていた。
「アール嬢、昨日のブルーミラクルの調合過程を披露してください」
首席審査官の声に、私は深呼吸して調合台に向かう。目を閉じ、心を落ち着かせると、不思議と前日と同じ集中状態に入れた。手が記憶を辿るように動き始める。
「まず、アズールハーブの精油を抽出し…」
自分の声が遠くに聞こえる中、私の体は機械的に動き、薬草を調合していく。その過程で、少しずつ前世の記憶が鮮明になる。
《戦場の野営地。傷ついた兵士たちの呻き声が響く中、私は必死に薬を調合していた。そこに現れたのは血に染まった鎧を着たカイル団長。「エリーナ、また無謀な戦いを…」彼の腕に深い傷。私の心が痛む》
記憶に導かれるまま、最後の一滴を加えると、薬は再び青く輝いた。会場からどよめきが起こる。
「これがブルーミラクルです。今、その効果をお見せします」
言って、小瓶から一滴を取り、演壇に用意された傷ついた鳩の翼に塗った。すると、目に見えて傷が塞がり始め、鳩は数分後には元気に羽ばたいた。観客からは驚嘆の声と拍手が湧き起こる。
「素晴らしい!」首席審査官は感動に声を震わせた。「アール嬢は明日の最終競技に進みます」
演壇を降りると、ルシエンが待っていた。「素晴らしかった」彼の瞳は誇らしげに輝いている。
「ルシエン、調合している時、私は思い出したの。前世の記憶を」小声で告げると、彼は頷いた。
「私も少しずつ思い出しています。あなたの薬の香りが、記憶を呼び覚ますんです」
二人の間に流れる空気が変わる。互いの魂が前世から繋がっていることを、二人とも感じ始めていた。
「今晩、宮殿の庭園で会えませんか。話したいことがあります」ルシエンは真剣な表情で言った。
約束をして別れた後、会場の裏手で父と対面することになった。
「何ということをしてくれたんだ、ミーナ!」父の怒りの声が低く響く。「フォーレス家との婚約を台無しにする気か」
「お父様、私には薬師としての才能があります。もし王の調合師に選ばれれば—」
「愚かな!」父は声を抑えようとしながらも激怒している。「政略結婚は我が家の命運を左右する。お前一人の気まぐれで崩せるものではない」
言い争う暇もなく、父は私をすぐに宿に戻るよう命じた。もう薬術祭に参加することも許されないという。
宿に押し込められた私は、窓から夕陽を見つめながら悲しみに暮れていた。そこへ、シャーロットが紅茶を持って入ってきた。
「お嬢様、お疲れさま。少し休まれては?」
「ありがとう、シャーロット」
紅茶をひと口飲むと、少し苦い。でも心配する余裕もないほど、私の考えはルシエンとの約束に向かっていた。
「今夜、ルシエン副団長と会う約束をしてしまったの。でも父に禁じられて…」
「それは…」シャーロットが何か言おうとした時、突然私の視界がぼやけ始めた。
「な、何…」
言葉が滑らかに出てこない。体に力が入らない。まさか紅茶に…?
「すみません、お嬢様」シャーロットの声が遠くから聞こえる。「フォーレス様からの指示で…わずかな睡眠薬を…明日までには」
私は床に崩れ落ちる前に、窓の外を見た。宮殿の庭園の方向——そこでルシエンが待っている。
***
気がつくと、私は薄暗い部屋にいた。頭が重く、体も思うように動かない。隣には王都で出会った薬草商サイラスが心配そうに座っていた。
「よかった、目を覚ましたか」
「ここは?何が…」
「ルシエン副団長が僕に君を助けるよう頼んだんだ。シャーロットに薬を飲まされたと」
そう言われて記憶が戻る。エドガーの指示でシャーロットが睡眠薬を。
「でも、どうして…」
「説明している時間はない」サイラスは深刻な声で言った。「王都が騒然としているんだ。バルトス王国の使者団が突然現れて」
「バルトス王国?」
「ああ。そして、その使者団の目的は、この国に身を隠しているバルトス王国の第二王子を連れ戻すことだという」
体が硬直する。まさか…。
「使者団は第二王子が王国騎士団の副団長として潜んでいると主張している。つまり…」
「ルシエンが…」私の声は震えていた。
「そう、ルシエン・ドゥナイトが実はカイル・バルトレイ王子だというんだ」
その瞬間、私の中で何かが完全に繋がった。
《カイル・バルトレイ、バルトス王国の第二王子であり、当時は若き騎士団長。政変を避けるため戦地へ赴き、そこで出会ったのが私——エリーナ・アール》
前世での記憶が鮮明に蘇る。そして、もう一つの恐ろしい真実も。
「エドガー・フォーレスは…前世では」
「急がないと」サイラスが立ち上がる。「ルシエン、いや、カイル王子があなたに会いたがっている。宮殿に潜入するルートを確保した」
私は震える足で立ち上がった。体はまだ薬の影響で重いが、ルシエンに会わなければならない。そして、前世からの真実を全て明らかにしなければ。
宮殿へと向かう馬車の中、私の脳裏に浮かんだのは危機的状況の予感だった。そして、エドガー・フォーレスが前世でも今世でも私たちの敵であるという確信。
彼は前世、私の調合した薬をカイルに届けさせなかった裏切り者。そして今世では——
「到着しました。気をつけて」
サイラスの声で我に返り、宮殿の裏門へと足を踏み入れた。それは単なる再会ではなく、前世からの因縁に決着をつける運命の夜となるだろう。




