第九十一話 次の一手
近衛騎士団支部というのは単なる戦力増援ではなく、惟義たちに対して南奧州があくまで帝国属領であると再認識させて属領軍の拡充に伴う督戦や監視のために設置された、と魁世と雨雪は思っている。
「ユリダリア・カーツェ、惟義からの呼び名は“ユリ”、出自は皇帝近衛であったこと以外は全て不明
“愛称”ってやつかもしれない。そういえばダリアって名前の花もあったなあー」
雨雪と魁世は視線を交差させる。
「今度から僕は支部長をダリアって呼ぶようにしよう」
「なに馬鹿なこと言ってるの。カーツェさんに負けて頭がおかしくなった?」
執権である雨雪はユリダリアと魁世の勝負を見ていない。後日に結果だけを知らされていた。
「あ、そうそう。今日、惟義と支部長はそれぞれ小部隊を率いて領内で長距離行軍演習を行うと軍務局の方に報告があったよ」
「また演習?」
「なんでも惟義が近衛支部に南奧州を案内することになったらしい」
「——嶋津さんはカーツェさんと随分と仲が良いようね」
「ここだけの話、惟義には爵位を持つ家から妻を迎えるべきだと思う。僕ら群蒼会が如何なる状況に置かれてもいいように、ボスの惟義は相応の地位に居続けなければならない。あとユリダリア・カーツェは余りにも怪しすぎる。帝都からの監視の目であることは、むこうも隠す気は無いだろ」
騎士爵のユリダリアは相手として不足だから、もし婚姻するなら別の上級貴族の御息女であるべき。魁世はそう云いたいのだろうか。
雨雪は問いただそうかと逡巡する。
「もしも嶋津さんとカーツェさんが……一緒になりたいと言えばどうするの」
雨雪にとって今の言葉には様々な含意があった。
もしも、個々の想いに反した要求を帝都宮廷にいる者達がしてきた場合、どういう腹積もりなのか知りたかった。惟義とユリダリアだけの話では無い、例えば——
「そうはならないように惟義には早急にいいとこのお嬢様と身を固めてもらおう。惟義は責任感が強い、嫌とは言わない筈だ」
雨雪は瞬く中で瞳を黒曜石以上に暗くした。
「…そう」
あなたのやりたいようにすればいいわ
惟義がユリダリアに惑溺する前に手を打たねばならない。いや既に惟義の意識がユリダリアにあったところで関係無い、これは群蒼会の為なのだから
「あの、あのね!どうしてお二人はそういう方向になるんですか。自分たちの関係が遅々として進まないからって、他の人の逢瀬を邪魔するのは人としてどうかと思います」
今まで口を開いていなかった朽木早紀は声を大にする。
「別にその気が無いにしても、今二人がやろうとしていることは童話に出てくる悪い領主様ですよ」
「ご自分に置き換えて考えれば、政治とか統治とかは一旦棚に上げて、すべき行為では無いと分かりますよね⁈」
早紀の連投に“お二人”の内の一人、魁世は口をあんぐりと開けていた。何か言い返そうとしたところで、もう一人の雨雪が椅子から立ち上がる。
「この話はここで終わり。私は別の仕事があるから、カーツェ騎士長についは兎も角いまは静観、以上」
雨雪は極めて自然な足取りで執務室を後にした。
廊下に出て、その足は加速を始める。感情で発散したいエネルギーを身体の運動によって消費しているようだった。
……
…
「昌斗、唐突だが帝都で近衛騎士になってくれ」
「…。」
「目的は大きく四つ。宮廷内の情報パイプを構築すること、男爵たる惟義にふさわしい嫁を探し出すこと、そして」
魁世は三本目、四本目の指を出した。
「帝国軍本軍内、近衛騎士団でもいいが、その内に南奧州、群蒼会のシンパを作るんだ。分派と言ってもいい。最後に、皇帝が他人に絶対に奪われたくない存在、アキレス腱と謂ってもいい、ソレを見つけ出しいつでも手にできるようにしてくれ
少し計画を早めることにしたんだ」
おもむろに視線を天井に上げて魁世は呟いた。
「ユリダリア・カーツェ、あのような人材が帝国に埋もれているのか、はたまた秘匿されているのかは分からない。ああいう逸材一人を駆逐するには凡人が百も二百も必要だ」
「霙計画を発動する。これまで軍の隊長はたたき上げだったが、これからは将校をつくる。士官学校と官吏学校を無理やりにでも、いやこの際総合学園でもいいから設立し、天才に敵う優秀な凡人の組織を作り出す。それが運用にこぎ着けるまで昌斗には無茶をさせる」
もちろん一定の裁量権もあるし、個別に予算をつけるぞ。そう魁世が謂ったところで昌斗はようやく、相変わらずの無味無臭無表情のまま口を開く。
「承知した。質問だが私の監察官の職務はどうなる。それに近衛騎士団は貴族の子弟がなる栄誉あるものらしい、なりたいからなれるものでは無いだろう。その辺はどうするのか伺いたい」
「監察部のことだが第一行政局の芹沢伊予か斎藤遥のどちらかにやらせよう。…いや、案外琥太郎あたりも適任かもしれないな。近衛騎士は帝都がこっちに二百人も差し向けてきたんだ。当方からも優秀な人材を一人派遣いたします。とでも言ってねじ込む」
近衛騎士団の長に賄賂でも渡すか、それともユリダリアに推薦状を書いて貰うか、惟義が命ずればユリダリアは喜んで推薦文をしたためてくれるだろう。魁世の思考では既に昌斗の帝都での近衛騎士任官は決定事項だった。
「そうか」
昌斗の能面の裏側は別のところにあった。帝都には皇帝がいる、そして——
…
……
闇夜、ドラクル公の居城から街道ではなく深い森を抜けて最短ルートで惟義たちの陣へ帰還していた。
「乃神、ここでどう答えたようとこの書物を奪って破り捨てるつもりだろう」
昌斗の言は平坦としていた。
「分かっちゃうかー、まあその通りだよ」
武瑠は態度を変えない。昌斗は二人の間に留まっている鳥へ視線を向け、武瑠も気になってその方向へ目線だけ向ける。
「もし、いや確実にあの鳥はハイドリヒの使役しているものだ。ここでの会話は筒抜けだと認識した方がいい」
つまり武瑠が今からやろうとしていることは秘密にはできない。昌斗からの警告であり温情だった。
だが武瑠は全く意に介さなかった。
「盗聴は証拠にならないんだよ。もしかして昌斗知らなかった?
あーあ、これはチャンスなんだよ。クラスの中で超重要な情報を握れるのに、もったいないなあ」
幼少期という感受性の塊のような時期に紛争地帯で少年兵を経験した少年の思考は、それなりに平凡な人生を歩んできた昌斗には共感し難いのだろうか。
「もういいよ、飽きちゃった。さっ帰ろうよ」
武瑠は振り返って再び奔りだす。
暗黒森林も深山幽谷も少年には障害では無い。全てを軽々と跳躍して越えてゆく。
だが彼はふと夢想する。今この瞬間、一足でも踏み外せばどうなってしまうのだろう。これは強迫観念ではなく、あどけない好奇であった。
……
…




