第九十話 藤色の三白眼Ⅱ
演習は陣形変形や個人技といったことを行った。近衛騎士団の整列は何時間経っても見事なもので、紫電戦闘団は卑でも下でも無いが粗野な者が多いために、そこはどうしても勝てなかった。
ユリダリアは騎乗したまま惟義の元に駆けよる。
「コレヨシ様、一つよろしいですか」
初対面の時は名前の跡に様は付いていなかった。その呼び方の移り変わりを惟義は特に気に留めなかった。
「うむ、どうしたユリダリア」
「せっかくですので模擬戦をしませんか?」
その提案は惟義としては望むところであった。
「うむ!是非、受けて立つ。ではまずおれから」
「いえいえー、コレヨシ様は男爵であり、帝室の藩屏でいらっしゃいます。近衛騎士団ではコレヨシ様の身分に合いません。なので対をなすご身分でお願いします」
「うーむ、では明可に——」
「ニイロ騎士がいた筈ですが、彼と戦ってみたいです」
ユリダリアが惟義の発言を遮ったのはこれが初めてだった。当の惟義は気づきもしなかったが。
「魁世か。もちろん構わん」
「カイセ・ニイロがどのような剣筋なのか教えていただけませんか。やはり剛の者ですかにゃ?」
「うむ、剛というか、流水のような戦い方をする男だ。手ごわいぞ」
それを聞いた藤色の瞳は妖しく光った。
軍務局長として赴いていた魁世は属領領主からの命に難色を示す。
「なんで僕がこんなことを…」
だが上官の命令には逆らえない。魁世は仕方なく武具を着て演習場の真ん中まで進む。
別の場所で観戦していた明可と直は互いに顔を見合わせる。
「賭けるか、明可。ユリダリア・カーツェなる女とうちの陰謀屋のどちらが勝つか」
「魁世は不満だろうな。謀神の魁世にも不本意な戦いでその上勝手に賭けの対象にされるのだからな」
謀神、陰謀屋、明可と直の魁世への呼び名で、一定の敬意と揶揄がそこにあった。
「ふっ、何のために魁世の奴が文官武官二足の草鞋を履いているか分かるか?双方の掃き溜めになるためだ。三角コーナーは一つでいい」
「ひどいなお前。ちなみにどっちが勝つと思う?」
直は即答した。だがそれは魁世の勝利を願ってのことでは無い。魁世に強いているつもりだった。
「魁世だ」
明可は肩をすくめた。なんのかんの言って魁世を信じている友人を見る。
「奇遇だ。俺も魁世が勝つと思う」
「なんだ、それでは賭けにならんではないか」
直の当然の指摘に明可は苦笑した。
魁世とユリダリアは周囲を紫電戦闘団と近衛騎士団の兵たちで囲われ、決闘場のようになっていた。
「何とお呼びしたらよろしいでしょう」
「軍務局長でも保安戦闘団指揮官、大佐、第三局局長。どれかでお呼びください。支部長」
「ではカイセとお呼びしていいですか?」
「はははっ!御冗談を」
惟義が開始の合図をする。
「始めっ!」
魁世は剣を、ユリダリアは細剣を構えた。
双方共にすぐには動かなかった。その間五秒。
眼前の女性騎士が容易ならざる者だと魁世は分かってしまった。
あぁ困った、勝てる状態で戦うのが僕のポリシーなんだが
魁世は呟いた後に間合を詰め、剣を振りかぶる。
迫りくる剣戟をユリダリアは柔軟にして避けた。そして片手のレイピアで刺突をはじめる。
法円の器、ドラクル公からそう呼ばれた魁世の剣技のような何かだが、その特徴の一つに相手の攻撃を一旦は受け、そして流し、その隙をつく点にある。結局のところ相手のミスを突くという極めて単純なものであった。
もしも相手も同じ方法をとってくれば、互いに隙をみつけては斬っては刺し合うことになる。
ユリダリアは意味ありげな貌をする。
「ニイロ大佐、本気で攻めていただいてかまいませんが……まさか今が全力ですか」
ユリダリアの刺突は確実に魁世の身体にダメージを与えている。保安軍独自の制服だけで軽装の魁世の体には、ところどころに小さな穴が開き、流れる少量の血液が、魁世の状態を否が応にも観衆の兵達に分からせる。
そんな魁世に相対するユリダリアにも、少なく無い裂傷と鎧には跡がくっきりと残りそうな大きな傷ができていた。その部分の表面には大あざが出来てることだろう。ユリダリアも魁世も、模擬も何も関係なく確実に相手へダメージを与えることを優先させ始めている。
「これが全力だ。悪かったな」
この会話でさえも魁世の意識を逸らす極めて古典的な手であったことに、魁世は気づけたものの、無視しようとまでは思わなかった。
突如、ユリダリアは今までが遊びであったかの様に神速の衝きを繰り出した。
合計して三回、観衆である兵達はその数を数えることはできなかった。当の模擬戦相手の魁世は数えることはできたが、最後の一突きまで捌きはしなかった。
捌けなかったのが正しいだろうな。魁世はそう普段の彼になく自嘲した。
自分の技量ではユリダリアの神速の衝きに正面から向き合う気は刹那の内にすでに失せ、今度は自分から決定打を撃つべく藤色の騎士長の首元めがけ水面の如き横一文字に剣を薙いだからだった。
““さぁさぁさぁここからだ‼””
二人の模擬であることは吹き飛んでいた。
土色に円環の瞳、藤色の三白眼、双方の雷眼が紫電を散らす。
互いに、まずは致命傷を与えたり与えられたりしてからが本番だと、剣戟を飛ばす寸でまでいった。
ところが冷水のような終了の合図が為る。
「それまで!ユリ、レイピアを下ろせ、魁世もだ。いつ殺し合えといった」
そうして惟義は宣言した。
「うむ、引き分けだ」
観戦していた明可と直は眼下の状態に驚愕の色を隠せなかった。
「真剣で戦って引き分け⁈あの近衛騎士、どれだけ強いんだ…」
明可の言に直は鼻で笑った。少なくとも表面上は。
「所詮は魁世の奴も人間ということだ。全てにおいて奴の権謀術数が通じるわけでは無い、今回はその良いモデルケースとなった」
だが直の衝撃はある意味で明可よりも大きかった。もしも魁世が勝てないのなら、自分は絶対にユリダリア・カーツェなる女に勝てない、と。
——魁世、絶対に口にはせんが貴様は俺よりもほんの少し上だ。だからこそ貴様は俺以外に負けてはならない。次に勝つのは貴様でなければ、俺の立場が無い
「ユリは凄いな、だが、あくまで模擬戦闘だったことを忘れないでくれ」
惟義にとって、魁世そしてユリダリア・カーツェはもはや間違いで命を失っては困る次元を超える存在になりつつあった。
「それほどでも無いにゃ、コレヨシには勝てないにゃー」
ユリダリアは目を細めて笑った。その妖しげな目尻は惟義の心根を優しく撫でる。
「だがらな、そういうことでは無くてだな。うーむ」
紫電戦闘団の指揮官は、困った顔をしつつも強く否定はしなかった。
……
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