第八十八話 ドラクル公の手記
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ドラクル戦争後、昌斗と武瑠は彼の竜の居城から書物を入手し、南奧州に帰還する。
森林を抜けながら武瑠は昌斗に話しかける。もっとも昌斗から意味も無く他者に話しかけることは無い。
「ボクと昌斗が最初にそのノートを手に入れたわけだけどさ」
武瑠は今から言う言葉の意味合いを吟味しなかった。むしろ己の欲求のままに言ってみたくて言った。
「ボクらが先に全部読んで、重要な部分のページを破るか隠ぺいすることができるよね」
闇夜の森林には二人しかいない。
「そしたらボクと二人しか知らない情報が手に入るよ。なんならボクが昌斗の持つノートを奪って僕しか知らない情報を作り出すこともできる」
昌斗は能面を振り向きもしなかった。
だが武瑠には関係ない、ただ喋りたいのだから。
「どうかな?今この瞬間ボクらがノートを巡って殺し合いを始めるか、二人だけの秘密を共有するっていうドキドキを味わうか、どっちかにしようよ」
鳥獣の啼き声の止まった森林の中に武瑠のあどけない少年の笑みだけがあった。
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ドラクル公を斃した魁世たちであったが、それは異世界合同委員会との対等な交渉、約定を結ぶためである。つまり群蒼会にとって戦争はあくまで手段にすぎない。
そうはいっても、そもそも異世界委員会との連絡等のパイプさえ構築されていない。群蒼会内では戦争前にドラクル公に取次をお願いして異世界委員会と交渉を行うのはどうか?という案もあった。だが普段は穏健な文官が“やられる前にやる”というある種の強迫観念に囚われたこと、“お願いする”という下手に出る行為が群蒼会の風土にそぐわなかったこと、自分たちより先にこの世界に現れ裏で大勢力を築いている異世界委員会と対等な交渉などできる筈がないという意見が男子、武官連から出たこと。そうした群蒼会各々の思惑がなんとなく纏まったことで戦争という選択をとった。
つまるところ行き当たりばったりである。戦って打ちのめした後に話し合いのテーブルにつく、あるいは無理矢理つかせる。それは野蛮であり傲慢だったが、歴史の中では理性で決せられたことよりも暴力や野性によって物事は動いてきた。
「あー異世界委員会の方から話し合いに来てくれると楽なんだけどなー」
魁世は執権執務室で間延びした声を漏らす。
黒檀の机の方からも嘆息が聞こえてくる。
「まるで餌を待っている雛鳥。けれど強国五つの内の一国を下したのだし、向こうから挨拶くらいはあるでしょうね」
もしくは非合法活動、スパイ行為による群蒼会への接触だろうか
合法といえば
「そういえば伊集院法典が完成間近だって聞いたぞ」
「その呼び方やめてちょうだい。仮だけれど南奧州諸法度っていう名前があるんだから」
南奧州における基本理念から刑法、民法、その他さまざまな法律の集合体が通称、伊集院法典の内容である。
具合的な内容は元の世界の法律をこの世界にいくつか調整して練り上げられている。適正な税制や綱紀粛正を図るための法規はもちろん、領民の識字率の上昇のための教育実施や、移民に職業訓練を行わせるといった現在急速な量的成長をつづける南奧州を特徴づける部分が充実していた。特に南奧州を軍事における後方地として十分な機能を持たせるための法律、強権発動といったものから戦時の住民暴行を厳しく罰するものもあった。
伊集院法典は軍規の範囲まで網羅されている。むろん惟義から認証されたものだった。
「草案を見たけど法律に詳しくない僕でも見事だってわかるよ。これで南奧州は僕らにとっても、領民にとってもより良い領国になる」
「貴方が褒めるなんて珍しいわね。少しきもちわるいわよ」
はい⁈なんでさ
「何が気持ち悪いんだよ、改めてやる」
「ふふっ、怒らないで。冗談よ、冗談」
冗談なのか…
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ドラクル公の手記、昌斗と武瑠が持ってきた書物は群蒼会でそう呼ばれることになる。
——この世界に来たのは25年前、聖暦1428年。その時の儂ら、当時の自称は俺だったが、年齢は22歳。新京大学文学部国文学科の若人が40名、大学の講義中から突然に荒野へ放り出された——
群蒼会の会議室には為信を除く殆どのメンバーが集まっていた。
「…40名の内、戦死したのは2名、外部勢力に暗殺されたのは1名、離反や裏切りの疑惑の末に粛清されたのが11名、離反の果ての討伐されたのが6名、自殺したのが2名、封印されたのが1名。この手記を記している現在の委員会委員は17名。……酷い組織ね」
この世界の文字を群蒼会で最も理解している雨雪が手記を読んだ。
「半分以上が組織を抜けるか死ぬのは確かにとんでもない組織だ。にしてもこの世界に来た方法は僕らと違うんだな」
他人事のような魁世だった。惟義は自分の脳内にあるふさわしい言葉を探す。
「うむ、神隠しというものに遭ったということか」
役職名が隊長から司令と呼ばれるようになった明可と直も唸った。
「だが来た方法が分かったところで俺たちには正直関係ない」
「重要なのはその委員会の奴らが一体どんな能力を得たのか。なんと書いてあるのですか?執権閣下」
揶揄おうとする直を無視しつつ、雨雪は答えを探すために手記を捲る。
「ドラクル公の能力は“一定範囲内の覚醒能力を一時使用不能にする能力”、代償として使用後に使った時間分だけの能力が使用できない時間が発生する。と、あるわ」
調査部の吉川ナルは足を組んで屈託ない微笑を混じりに呟く。
「僥倖、というものなのか。懇切丁寧に説明してくれるとは」
他の面々も頷いた。だが雨雪は次のページを開いたところで、その元から鋭利のある眼光を更に尖らせる。
「……ページが破られている。新田昌斗さん、これは把握していたの?」
雨雪の問いに昌斗は平時の無表情で応じた。
「私と乃神は手記を持ち帰るまでそれを開いてはいない。また、それを証明するものは無い」
各々の視線が昌斗と武瑠に集まる。武瑠はわざとらしく口角を上げる。まるで疑ってくれと言わんばかりに。
沈黙が流れそうになったが、魁世はそれを許さなかった。
「これはドラクル公の罠じゃないかな、自身の手記が対立する者に見られてもいいように破った。それももし対立者が集団だった場合に第一発見者が疑われ、集団内に不和を生み出させる腹積もりだった。という考察はどうだろう」
青菱戦闘団の指揮官である直も疑惑と揶揄の織り交ざった視線を向けてくる。
「ほう、流石は陰謀屋であるから気づける事、といったところか。いやもしかすると昌斗貴様らは何か謀りごとを始めるつもりか?」
昌斗は変わらぬ無表情、対する武瑠はニタニタと意味ありげな表情を続ける。
明可が話題の収集をはかる。
「お前たち余計な勘繰りも挑発も程々にしろ。特に直、煽るんじゃない」
隣の明可から正面から咎められた直は余裕げに瞑目した。
上座の惟義は頭を振り子のように振る。
「うむ、この話はここで終いだ。おれはこういった話を深く考えるのは苦手でな」
すると直たち武官連は姿勢を正した。
雨雪は次の話に移る。
「この手記は冒頭の部分以外はこの世界の文字ではなく未知の文字で書いてあるわ。おそらくだけれどドラクル公たちのいた世界の文字でしょうね。けれどそうね…」
同じページを何度も往復する雨雪は絶対零度の眼光はなりを潜め、好奇心の灯った目をした。あれで案外表情豊かな人なのだと一人の友人として早紀は知っている。
「ラテン系に似ているかしら。もっと読み込んでみれば解読できるかも」
すると普段は会議で意見はおろか発言もしない技術部の但木翠が顔を向けてくる。
「それ、私も協力する」
群蒼会の理系科目を苦手とする面々は翠のことを“大理科博士”と本人の意思に関係なく、だが敬意を込めて呼ばれていた。それは彼女がクラスの中で群を抜いて数学や物理、化学。選択科目ではない生物まで精通しているからであり、不愛想ながらも科目について質問されれば分かりやすく教授してくれる存在だったからであった。
現在は第一行政局技術部で長の立場にあり、主な活動として非魔法の分野で自身の持つ知識の記録保存をおこない、定期的に魁世の工業部の監修を務めていた。
文字の解読って文系っぽいけどミドリちゃんやるの?興壱は心の中でそう思った。
こうして現在わかるだけの情報が群蒼会で共有される。
二十数年のときの中で半分の構成員が消えた組織、メンバーそれぞれは自分なりにその顛末を思う。
殆どは、自分たちはああはなりなくない。そう思わされた。
「過去、か。師匠にもそういったものがあるのだろうが……」
そこで明可はかぶりを振る。これは粗野な好奇心であり、他者の敬意ある行為ではないと分かったからである。
白鯨隊副隊長の興壱はトゥアンの元へ帰る道すがら、トゥアンたちの過去を想像する。
長命であるならば、その過去も長大なものとなるだろう。自分もいつかその膨大な過去の一ページになる日がくるのか。
「——たまに思い出すくらいでいいよ」
「?突然どうした。コウイチ」
不意に大神官トゥアンから顔を覗き込まれる。
「別になんでも、俺は命尽きれば宇宙の一等星、コウイチ星にいつかなるって事さっ」
決して悲観ではない。興壱なりに考えた死生観でもない。そうふと云いたくなっただけであった。
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