第八十二話 誤算Ⅱ
城の端に立つ塔の最上階、鍵もしていない机の引き出しの中にそれはあった。
「お父様はこの手記を優しい人にこれを渡すようにっておっしゃっていました」
昌斗はそう言われてニーナから手のひら大の書物を渡される。
「それがあなた達の求めるものでしょう。よろしいですか」
昌斗は中身を確認しなかった。
「感謝します」
その短い謝意を正面から聞くこともなく、公妃は娘ニーナを連れて塔を離れた。
塔で二つの足音が消えたと同時に昌斗は帰還の準備を始める。
その様子を横目に武瑠はもう一人の男に聞こえるように呟いた。
「あの二人は自害したのかなー」
多くの群蒼会メンバーから無責任に優秀な人物と評される他称、無味無臭無色の男。南奧州領内の人々からは冷血監察官と噂される男は右頬を刹那に歪ませる。
幾億分の一秒で年頃に不安そうな貌をした男に武瑠は脳の溶液の淵で笑った。
「気になるなら見に行こーよ。昌斗」
昌斗は何も発しなかった。
ドラクル公の執務室だった場所の隣、ニーナが現れた扉のむこうにも部屋がある。
その部屋は寝室の機能があって、身分階級に見合った寝具が置かれていた。
武瑠はベッド端を両手で触れ押し込む。家電量販店のショールームで寝具の弾みを確認する雰囲気だった。
「生きてリョシューの辱めを受けず、かあ」
広大な純白を切り裂くように赤黒が躍動している。
シーツの乱れが少ないこと、ベッドの上に並んで横たわる公妃と公女ニーナが表情筋から腹部に至るまで体が彫刻のように動かないこと。それが何を意味するかは明白のはずだった。
昌斗は死因を探す。探しても出てこないこと、それがまだ生きている証左であると哀願するように。
そうして公妃の手に血で濡れてもなお細工の美しさを失わないナイフを昌斗は見つけてしまった。ナイフは血が凝固したことで握られた手と結合していたものの、昌斗が微動する手で無理やり引き剥がした。
昌斗は何も発せなかった。
ドラクル公は戦いによって我々の力を量り、娘をつかって我々の心根を量った。そして我々はドラクル公の量りに適ったことで、ドラクル公の遺した書物を入手することができた。何故ドラクル公はそんなことをしようと思ったのか、例えばそれがドラクル公にとってこの世界を任せるに足る存在であるか試すためであるとすれば、ドラクル公を戦いに引きずり出したところから現在に至るまで本当に踊っていたのは我々ということになる
果たして我々は勝ったと言えるのだろうか。むしろドラクル公に勝手に試され勝手に資格有りと判断され、この世界の行く末を押し付けられたのではないのか
おそらく今は亡きドラクル公は異世界委員会では軽んじられていた、もしくは遠ざけられていた。またドラクル公自身も異世界委員会を好いていなかった
だがドラクル公は自分の手で仲間のいた場所と組織(異世界委員会)を壊す気にはなれなかった
「……。だから何だと云うのだ」
群蒼会の面々から能面と謂われる昌斗だが、能面の由来である芸能はこの世界には無い。故に昌斗は南奧州の人々からは“冷血監察官”と呼ばれていた。
「冷血か、私ほど感情的な人間もいないが……」
昌斗は右頬を僅かに引きつらせた。
……
…
ドラクル公国には宗主国が存在した。国名を聖櫃帝国と謂う。もっとも名目上従属しているだけであり、主従状態でありながら剣を交えて戦争したこともあり、帝国と戦うその時まで対立関係にあった。こうした歪な事態が発生するのはドラクル公が宗主国を単なる政治の道具としか見ていないから、また聖櫃帝国の独自な統治体制によるものであった。
聖櫃帝国は従属国ドラクル公国を救援する軍を派遣することはなかった。帝国との開戦時にドラクル公は援軍要請をせず一度の戦いでドラクル公は斃れ、後継者もいなかったことで敗戦後の救援要請も出せずに戦いの数日後にトゥーゴシュタットの虐殺が発生したことで公国は滅亡。帝国はドラクル公国の吸収を宣言した。




