第七十六話 カノバルトの戦いⅠ
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深夜、ドラクル公国軍本陣に先程までの星空が欺瞞であったかのような、地面やそこにいる人の背中を叩きつけ雨が降り始めた。
ドラクル公国軍一万の野営の地名はカノバルト。野営地は帝国、帝都へ続く道に沿って長方形に造成され、各隊の野営位置がそのまま行軍の配列になっている。そこの南側から、ドラクル公には聞き捨てならない、だんだん増してくる喚声と武具の重なる音が雨音と混じって響いてきた。
猛然と襲いかかってきたのは『義』の旗印と真っ赤な百足の意匠が描かれた戦旗がはためく軍、惟義の率いる紫電隊、明可が率いる百足隊の二つ。
この二つの部隊には大きな特徴として指揮官が比喩なしに陣頭に立って戦闘に赴くという点があった。個人としても指揮統制の観点からも非常に危険なことではあるが戦う兵士からすれば立場の上の人物が共に戦地を共にしてくれるというのは兵の士気が否応無しに高まる。
そしてなにより兵達は、他者に分け隔てなく接し、年に違わず豪胆で、未だ成長過程の指揮官二人に、戦場で斃れるその時までついて征こうと決めているのだ。
「紫電隊推参っ!敵本陣まで突っ切るぞ!」
「我ら百足隊も遅れをとるわけにはいかん。捕食者の名に恥じぬ武名を世に轟かせるぞ!」
魁世のつくり出した時間、その中で二つの部隊は合流し、当初の作戦で必要だった突破力を得た指揮官二人はこの夜での夜襲を決めた。
今が、今こそが時であると。
夜襲という攻め側が優位な状況とは云えども激烈であり、明可は後に“赤の驍将”と呼ばれる程の鬼神のような奮迅を見せる。
幾つもの屍を積み重ねて公国軍の前衛はこじ開けられた。
ドラクル公は夜襲の急報を受けてすぐさま天幕から出て馬に飛び乗る。
まるで予期していたかのような身のこなしで状況の確認を行い、ドラクル公は命を発する。
「よし鉄筒の部隊を投入する」
「⁈ついに、ですね殿下」
厳重な警戒をされていた天幕から釘で封をされた長めの木箱がいくつも運び出される。木箱の中から現れたのは火縄銃、黒色火薬、そして弾丸。
「銃は素人が剣と勇気を兼ね備えた歴戦兵士を手早く殺すことのできる恐ろしい代物だ。若き英雄たちの死因には少々あっさりしているがな」
先端に煙草のように火がついた縄が銃に取り付けられる。およそ二百丁の銃が兵士と共に横一列に三段に並ぶ。
ある国には戦国の世と呼ばれる時代に風雲児と呼ばれ、一つの歴史をつくった男がいる。その人物は外国から得た兵器を量産し相手を不利な状況に追い込んで因縁の相手に勝利した。
前衛を突破した惟義と明可たちは敵野営地を駆け抜ける。
「よし!あと少しで敵本陣だ。用意はいいか明可!」
「応!!」
二千の兵は一万の兵の渦を一気に進む。だが軍の中腹、本陣前に今までこの世界には無かった光景があった。
「あれは——」
「三段撃ちか」
だが二人は進撃をやめない。当然部下たちはそれに付いていく。
「何故だ、なぜ進むのを止めない。コレが何か知っているだろう」
ドラクル公は自然と言葉が漏れた。
「まあいい…総員構え」
整然と並んだ兵士たちは鉄砲を前に向けて構える。前方で斬り倒されていく味方を眺めながら。
ここで助けに行けば前衛の兵士は助かるのではないか?そう思った兵の思考は主君の号令によって掻き消される。
「撃て!!!」
この世界で初めて戦場で銃が使われた瞬間だった。
明可は暢気にも前の世界で聴いた花火大会での破裂音を思い出した。その轟音は間違いなく前方から聞こえてきていており、やけに刺激的な臭いと濃霧のような煙が立ち込める。
そして気付く。さっきまで隣にいた惟義がいない。周囲の味方の騎兵もいなかった。
撃たれたのか?
そんなバカみたいなことを最初に思い当たる俺は本当に大馬鹿なんだ。敵が銃を持っていることを織り込み済みで夜襲を仕掛けた筈なのに、それでも突撃すればいいと話したのは俺なのに
高校で三馬鹿なんて言われていた時と何も変わっちゃいない
「惟よ——」
「明可!止まるな!振り向くな!それが指揮官だっ!!」
⁈
そうか、そうだった。惟義の心配するなら自分の心配だ
今俺が進むのを止めたら後ろの味方も進むのを止めてしまう。それは駄目だ、師匠に笑われてしまう。あんな啖呵切っておいて負けるなんてあり得ん!
明可は動揺が広がりつつあった自部隊に大声量で伝えた。
「見ろ!敵はもうすぐだ!俺たちの部隊名の由来を忘れたのか!俺も惟義も銃弾程度では死なん!全軍突撃ぃぃぃ!!!」
二千の兵は再び統制と士気を取り戻した。彼らは修羅となる。
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