第七十二話 破竜作戦Ⅰ
ドラクル公国軍は黒衣の軍団とも呼ばれ、騎士から従卒に至るまで黒を基調とした鎧を着用している。新興であり強国であるドラクル公の象徴的な部分であり、諸侯たちの間ではドラクル公が率いる黒衣の軍団に負けは無いと謂われていた。
それ故に帝国と公国が戦争状態に入ったことが人間諸国家を駆け巡ったとき、どの国の国王もどの領地の領主も公国の勝利を想定して疑わなかった。百戦錬磨のドラクル公の相手がつい最近まで滅亡寸前だった歴史の長さしか取り柄の無い国なのだから——
今回ドラクル公は鉄筒から火薬の爆発力を用いて弾丸を高速で発し対象に当てることで攻撃する兵器、火縄銃を始めて戦場に持ってくることにした。ドラクル公が所属する異世界合同委員会では鉄砲の使用はおろか製造さえも禁じていた。その規定は委員会委員同士の疑心暗鬼の産物だったが、各国に散らばる委員会メンバーが各々の方法で他委員を出し抜こうとしているのは殆どの委員の共通の認識でありドラクル公は自衛と“万が一”を目的として製造していた。
「まさか弱兵である帝国との戦で“あの兵器”使うことになろうとは思いませんでした。我が主」
公国の鉄砲の存在を知っているのはごく少数の人々で、ドラクル公の最側近、四騎士のアントニア・ラコベスタはそのうちの一人である。
「アントニア、相手は十万を越える異種族連合から国を守った英雄だ。儂だっていつ負けるかも分からん」
「それでも私は我が主の勝利を確信しております」
こうしていつもアントニアが背中を押してくれた。有力諸侯から正妻を娶った時も国を打ち建てる決心をした時も彼女は常にドラクル公の傍らにいた。
「未熟者と先達者の違いを教えてやろう」
二人の前には整然と進む公国の戦旗がはためく。魁世たちより先にこの世界に来た、来てしまったドラクル公はこれまでの出来事を夢想する。だが彼の脳裏には共に来た仲間たちの離反、裏切り、粛清の思い出しか残っていなかった。
……
…
今回の戦いでは第一行政局からも何人かの職員が同行している。司令部を兼ねる紫電隊には魔法通信の全ての担当として群蒼会一の魔法使い高坂寧乃がその代表格であった。
そして魁世の保安隊からも一人の文官が同行していた。
「カイセー、敵は同じ速度で進軍中、このまま行けば明日の朝にはトオル達の包囲する城に到着するデース」
ハイドリヒ天城華子。南奧州第一行政局商務部部長にしてナンオウ商会会長。公式文書には残らない従軍であり、華子が世界を越えるなかで得た力“生物の目や耳を借りることのできる能力”を魁世が欲したからである。
ハイドリヒや能代榛名といった群蒼会での用語だと能力者にあたる者たちは、彼ら彼女らの存在を許容しない勢力、コンソーシアム世界政府では覚醒者と呼ばれる存在である。
榛名が“他人の思考や記憶を弄る、また覗き見ることのできる能力”を発現し、使用した後に体調不良を起こしていた。このことから能力には何かしらの代償があり、今後は本当にどうしても必要な場合のみ使用する、または使用させることが群蒼会では緩やかに決まっていた。
群蒼会は覚醒に至る方法からその代償の有無も何もかも分から無いのが現状だった。
だがハイドリヒは代償があろうとも魁世に自身の能力が必要なら自分も一緒に従軍すると提案し、魁世は悩んだものの承諾したのだった。
魁世はふと頭上を滑空するカラスを見上げる。
「華子さんにはいつも助けられてばかりだ」
「それはどういたしましてデース。今後も期待していて下サーイ」
ハイドリヒの白色金髪は木漏れ日に照らされて星のような光を放つ。
『うむうむ、魁世きこえるか?』
魁世の頭に惟義発信で寧乃経由の魔法通信が入る。
「……もしもし惟義、いや中将閣下」
『おれの紫電隊に従軍してる技術部のことなのだが、部と通信の機能ごと魁世の保安隊に移したい。できるか?』
寧乃が所属しているのは正式には技術部と呼ばれている。
「通信中枢が紫電隊にあるのは紫電隊が僕ら南奧州軍の司令部を兼ねているからぞ」
『うむ、それも分かるのだが魁世がこういう部署を使える方が有用ではないかと今思ったのだ』
きっと惟義はこれから自分が部隊ごと危険な状況になることが分かって言っているんだろう。もしかすると非戦闘員を守れなくなるかもしれない、そのことを考慮したんだ
『それでは頼んだぞ』
「わかった」
魁世は第三行政局と軍務局では補佐官、保安隊では参事官の任に着く人物、フィーリアに次の命令を出した。
「例のものを準備して欲しい」
「御意」
空は曇天の模様になっている。
ドラクル公は街道を進んでいる時ふと空を眺める。すると向かいの空に妙な“しみ”がついていることに気付く。
それを凝視して、はじめて正体を推測できた。
「気球か⁈」
「⁈どうなさいました我が主」
アントニアは唐突に主君が叫んだことで条件反射で反応する。
だが彼女が顔を向けた時にはドラクル公は落ち着きを払っていた。
「アントニア」
「はっ、我が主」
ドラクル公は“ききゅう”の見えた方向を指して言った。
「急ぐぞ。我が軍の動きが魁世共の…帝国に筒抜けの可能性が高い、しかし、ともすれば全てが早期に決着するかもしれない」
黒衣の軍団は通常では考えられない速さ、行軍速度でルチェスクの籠る城の救援に向かう。
こちらの動きが把握されているのなら、把握してもなお対応の出来ない行軍を行って、更には敵の戦時情報収集の方法であり技術そのものである気球を奪ってしまう。
ドラクル公は後発の者共のきっと最大限だろう努力に感嘆しながらも、さてどう鏖殺してやろうかと思考を巡らす。そして異世界人らしい方法をとることに決めた。
たった一年ほどでよくここまで戦力を整えた。余すことなく此度の戦に全力を投入する貴様らの心意気に、儂も全力で応えるとも。さあ足掻いてみろ、魁世
能力解錠・自己外覚醒能力無効
特等魔法・自己外魔法全停止
…
……
南奧州では天然の温泉が見つかった。それが群蒼会の滋養となったことは言うまでもなく、それにつられて領内の人々に入浴が流行りだして南奧州の温泉街となったのは当然の帰結だった。
技術部の但木翠はその硫黄の温泉から硫黄の水、すなわち硫酸を見つける。翠はこれまで雨雪から記憶している限りの知識や技術を書いて文書部に送るという仕事をやらされていた。それは彼女の本意では無い、科学を愛する乙女としてはやはり何かやってみたかった。そうして鉄に硫酸などを組み合わせて空気の10倍以上も軽い気体を生成することになる。




