第百五十五話 ティーベルアの戦いⅡ
この世界にはかつて攻城兵器として金属の筒から火薬を用いて決まった大きさの石を発射する大砲というものがあった。
数十年前、例の異世界合同委員会によって使用を制限、急速に技術は失われていった。
「この世界に砲兵を、ゆくゆくは戦車をつくるぞ!最後は列車砲だ!」
そう意気込んだ魁世は反射炉の建設からはじめて、いま砲兵部隊をつくれるまでに事を進めていた。
カモノハシ作戦に参加する保安軍の中には士官学校の第三席アンズ・ニイミも従軍し、保安軍大尉エーリッヒ・シンジョーが魁世から指揮を任されている“砲兵”の実験部隊に配属されていた。
エーリッヒ・シンジョー、旧姓オイゲン。元は数学教師で彼自身も数学を研究する学者だったが、人事部長の斎藤操に見いだされ現在は魁世の下で新設の砲兵の運用を任され、士官学校の数学科目の教官も担当している。
アンズはシンジョー大尉から砲兵としての指導という体の課外授業受けていた。
「小官、シンジョー、大尉はニイノ学園長には感謝しかございません。数学に爆発を与え、しかも私に砲兵の指揮を任せて下さった」
新納魁世から下賜されたシンジョーの姓を強調するエーリッヒ・シンジョー大尉はそこで弁を止めた。
シンジョー大尉と第三席アンズ・ニイミと砲兵は直たち青菱旅団の後方、小高い丘、高地に配置されている。
黒羊人が隊列を組んで攻め込んできている。先鋒は土煙を荒々しく立てて進撃してくる騎馬部隊、歩兵も銃の存在が流布されたのか重そうな木板を前にして前進してくる。
「射撃よ——い」
シンジョー大尉は片手を上げる。配置された僅か十門の名称は加農砲の野戦砲は最終確認を済ませた状態で、大尉の合図を待つ。
静寂が周囲を包んだが、それを唐突に切り裂くのはシンジョー大尉の
「撃てえ——!!」
瞬間加農砲から非自然的な炎が放出し、ティーベルアに特大の轟音が響き渡った。
顔を覆いたくなる強烈な硝煙の臭いと、火薬由来の煙が周囲に満ちる。
シンジョーは既に観測員と共に高価な第三局工業部謹製の片側眼鏡で敵軍の状態を確認中だった。
「火力はさも偉大なり。配置はそのまま仰角同じ、次弾装填」
シンジョーの片眼鏡に写っているのは十か所の円周が赤く染まって抉られた地面と、二足歩行だったなにかが悶える様、戦列が乱れに乱れ混乱する黒羊人の軍だった。
「射撃よーい……………撃てえ——!」
二発目の後、三発目の装填を待つ中でシンジョーはアンズに話を再開する。
「砲兵はこれまで戦場の決定打となってきた騎馬を止めうる。頭でっかちと謂われてきましたが、数学の計算され撃ち放たれた砲弾で学問を馬鹿にしてきた連中を吹き飛ばせるのは気分が良く……というのは冗談ですが、数学がこうした形で役立って感慨深いものがあります」
シンジョー大尉は片手にナンオウ州第三局工業部製の分度器とコンパスを持ちながら、近くの第三局工業部製の砲、名称だけは「加農砲」を撫でる。
「まさに、砲とは学問と戦争の融合物。眼下の光景はこの砲と砲弾、そして分度器でつくられたのです」
高地に配置した砲兵たちの視界にあるのは荒野に散らばる肉片の数々。シンジョー大尉の話にアンズは手にした手帳のページは白いまま頷いた。
「そうなのでありますかー」
アンズはなんとはなしに同じ士官候補生の友人が、数学科目の教師、エーリッヒ・シンジョーの授業はまさしく睡魔と戦い続けねばならいと言っていたことを思いだした。
アンズとシンジョー大尉の反対側で、魁世ことニイノ少将はシンジョー大尉とは別のもう一つの砲兵部隊を指揮しながら別の部隊に魔法通信を行う。
『グデッリアン麾下の諸大隊は敵正面への攻撃を開始せよ。現場指揮は任せる。敵陣は砲撃で乱れている。砲撃中であるが、誤射等は気にする必要は無い』
保安軍は方陣の両側面で白羊人、黒羊人の軍を砲火で粉砕しながら、同時に騎馬部隊、機動戦力で攻めてかかるのである。
「全身全霊で前進‼圧倒的勝利は圧倒的死地を戦い抜いた先にあるのだぁ——!」
加農砲からの大轟音に負けぬ、さてはそれ以上の音量で檄を飛ばすのは自称、騎行戦の名手リュウス・デュ・グデッリアン大尉。
味方からの火砲の誤射の心配はいらないと、後ろの部下たちに背中で語る。いの一番に敵陣に突入していった。
今から半年前。白百合王国の没落貴族だったグデッリアンは南奧州の、魁世の噂を聞いて一家総出で故国を離れ、南奧州属領軍保安軍の門を叩く。
魁世の中に「白百合王国からのスパイでは?」という疑念が無いわけでもなかったが、まずは信用してみることから始めた。
グデッリアンが保安軍に少尉で入隊した直後に始まった帝都旧領回復運動、保安軍とスルガ王国の戦いで戦闘駆動イワンフ少佐の下で騎馬の小部隊の隊長としてよく戦い、勝利する。彼の“騎行戦の名手”という自称が少なくとも数百から一千の部隊指揮では本当だと魁世は判断して中尉に昇進させ、先日のアルベーニュの会戦の戦功で大尉に昇進。現在はグデッリアンが魁世の許可を受けて独自に編制、錬成した騎馬大隊の指揮官を任されている。
グデッリアンの騎行の妙は突破ではなく敵を追い立てるところにあった。グデッリアンの巧みな騎行戦術で、敵の白羊人の歩兵を味方の保安軍砲兵の砲弾着弾地点に追い詰めていく。
魁世は高地からその様をみて敵を打ち負かす最後の一手を命ずる。
「最大火力だ。むこうのシンジョー大尉にも砲弾の備蓄は気にしなくていいから散々に撃ちまくれと伝えてくれ」
砲兵は砲撃間隔を狭め、火砲を集中させる。
戦場には砲撃音と悲鳴が満ち、白羊人と反対側の黒羊人は烽火と砲火に晒されつづけ、白銀耳長人が未だ戦っているにも関わらず、ついに撤退を始めた。
ニイノ・カイセの部下には自称元は名門の月餅翁ウイルモスや、元は白百合王国貴族のグデッリアンのように現状の秩序で立場を追われた、没落した上流階級の者も一定数存在する。彼らは今の自分らの地位を上げるため、名誉を回復するため戦う。
そして若き主君ニイノに対して、自分たちを追い落とした現体制を破壊する新秩序を求めていた——