第百二十話 中学生Ⅲ
「下らんことの処理を任せた。すまんな、息子」
確かに魁世の実父の魁一郎は謝意を表したが、その言葉に謝罪の色は極めて薄い。
対する魁世は微笑を浮かべて応じる。
「これも自分の為さ、親父」
魁一郎も口角を上げるが鈍い光を放つ眼はいささかも笑っていない。
「ほほぉ、自分が次の当主になるための準備運動のつもりか、息子」
「ちょっと違う。親父がつくったこの国の現体制を破壊するための前準備だよ」
魁世からこれまで何度か宣言されているとはいえ、魁一郎はドラ息子の悪戯にほとほと困っているような顔をした。
「以前もこんな話をしたが、背後で糸を引く存在であることの何が不満だ?」
新納の一族は、分家の者や息のかかった者を政界や中央官衙に進出させて、本家は実利を得るというやり方で富と名声を蓄積してきた。当主は安全圏から金は出すが命令もする。
現在、新納の名跡はこの国の中枢の者で知らない者はいない。魁一郎の英気に惹き付けられると証言する者もいる。
「あいにく僕は親父が政治家たちに一体どんな命令を下したのか知らないな。僕は親父みたいなフィクサー気取りじゃなくて実体が欲しい。僕にはこの世界をもっと良い世界にできる自信があるんでね」
そのための道具として父親の座が欲しい。魁世は身体の内側から嫌な熱を感じながら、更に続ける。
「結局は先祖代々が増やしてきた富で縁をつくっているだけだ。言いたくなかったけど、親父は単なる調整役で相談役だよ……目指していたんだろ。何かを、けど勇気が無かった。違うか親父」
対して魁一郎は嬉しそうに目を細めた。
「言うようになったな。私もお前と同じ年くらいはそのくらい溌剌としていたさ。あぁ、今も元気溌剌としているがね」
「元気って、今度はどんな女が出来たんだよ」
「そう嫌悪の眼差しを向けるな、これは我が一族男子の産まれ持った宿命、特殊な引力によるものだ」
「今更どうこう言うつもりは無いけどさ、僕の母親がいなくなった原因がだって分かっても変わる気は無いんだな」
「少し違う。変わる気の以前に変えられん。息子よ、私は絡んできた腕を振りほどくほど、無粋な男ではないのだよ。いつかお前もそうなる。絶対にそうなる」
断言してくる父親に、魁世は拒絶を示すように子供らしく顔を背けた。一息ついて魁一郎はソファーから立ち上がった。
待たせていた従者からコートを受け取る。すると思い出したように魁世の方に振り向いて言った。
「例の少年兵は飼い犬にしたのか、息子よ」
「親父と一緒にしないでくれ。仲間にしたんだ」
「そうかそうか。とはいえ、お前はすべきは、まずは私からこの家を私が死んでから受け継ぐか、はたまた簒奪か、ちなみに私は長生きするつもりだからな。気張って励め」
親子の会話はそこで終了した。
……
…
朝、魁世は久しぶりに早めに来ようと始業時間一時間以上も前に中等部の教室に入ったが、既にひとり生徒がいた。静かに席についていて、黒漆の長髪が背中から下がっていて、まるで夜中から座っていたような雰囲気を醸し出している。
魁世は後ろから声をかける。
「おはよう!いつも早いな」
話しかけられた方は振り向きつつもぞんざいな風に返した。
「あなたが遅いだけじゃないの、魁世」
伊集院雨雪。黒曜石の輝きをもつ瞳が、この学園の幼稚舎にいた頃から教室を同じくしてきた少年をみつめる。
「なにかあった顔しているけど」
「そ、そんな夜中にどうこうとかは無いよ!」
「……大丈夫ならいいの。ところで今日出す課題は終わったの?」
「あ、あったね。そんなの。じゃあ——」
魁世の課題閲覧の求めに雨雪はピシャリと返した。
「見せる訳ないでしょ。まだ始業前一時間だから、今やって済ませなさい」
「っ御意!」
そう敬礼して魁世は雨雪の隣にある自分の席につく。魁世は課題をはじめるが、鉛筆の動きが止まりだした。雨雪は溜息を一つして机を寄せる。
「答え教えてくれるのか!」
「答えは教えない。けど手助けはしてあげる」
雨雪や魁世の通っている学園は“私立では無い”。一世紀以上も前の近代化の中で、当時の地域住民、正確には旧市街住民が国に要望した形で開校された。旧市街の人間の息がかかっているのは当然として、時代によっては学区内の入学する小学生が地縁血縁や親の職業によって“選別”されていた学校だった。
数年前、地域の教育長だった男は、自分の思想を完遂するために、幼稚園から大学まで一貫という理想的な教育環境を手に入れるために学園の経営権簒奪闘争を始め、苛烈な闘争の末に成し遂げた。
現在は学園の理事長となっているその男は、伊集院雨雪の父親である。
……
…
魁世は足に自転車を使う。
自転車を使う理由は二つ。一つは家が旧市街でも奥まった場所にあって、通学といった移動に使うから。もう一つは、遠くにある二つの家を見に行くのに必要だから。
一軒は旧市街では有名な料亭の隣家、もう一軒は新市街の歓楽街エリアにある雑居ビル。そこに住む人と魁世は知り合いでも顔見知りでも無いため、見に行くといっても遠目に窓から漏れた明かりを眺める程度だった。
その家に住むのは魁世からみて母の違う姉と妹。父親が外でつくった娘である。
今日も魁世は帰りがけ、家には直帰せずに二つの家に向かう。
姉の方は、同じ中学生とは思えないくらい大人びた美人になっている。妹はまだまだ幼いようにも見えるが、綺麗であることに変わりは無い。魁世は腹違いの姉妹を垣間見したとき、そんな感想を抱いた。
魁世は誰もいない帰り道、少し大きめな声でぼやく。
「ただの下半身最低野郎じゃねーか。あいつに遺伝でなんでも同じになってたまるか」
大きく叫べばいいだろ。あんな人物の機嫌を気にする必要がどこにある。仮に魁一郎の耳に届いたところで何かあるわけでも無いのに、自分は無意識のうちに父親を畏れている。目の前で啖呵を切るのは虚勢だってことか。
僕はどうしてこんなにも小心者なんだ
そうか、僕自身が、誰もが畏れる大人物になれば——
突然に全面液晶の携帯から着信振動が来た。無視しようかと一応は着信画面を見て、そのまま即座に耳へ液晶端末を押し当てた。
「はい魁世です」
「魁世、明日の日直は私たちだから、あなたも早く学校に来ること」
「日直?そうだったけ」
「……覚えていないことは今更いいわ。で、返事は?」
「御意!」「よろしい。早く来るのよ」
さて、明日も学校だ
………
……
…