第百五話 愚鈍
「今後もよしなにお願いいたします。我ら属領南奥州軍は常に帝国と皇帝陛下、高貴なる方々の為にあり、軍務尚書である子爵いえ伯爵様は特に別格でありますれば」
現在の帝国宮廷内で最大派閥なのは、帝都唯一の公爵の一派である。栄達を極めたい子爵改め伯爵だが、子爵とは公爵とは二階級も下であり、自前の派閥は無いに等しい。だから今はとにかく仲間という名の手駒を欲している。南奥州はそれに選ばれたということになる。
子爵改め伯爵は普及しつつある牛蒡茶を飲み、まるで独り言のような、それでいて目線は魁世に向けたまま言葉を吐いた。
「公爵、コムノウス公爵殿に対してどう思う?」
慎重に答えねばならない。魁世は一拍子おいてから答えた。
「コムノウス公爵様は家が旧皇族、現在は帝都唯一の公爵として、また皇室の藩屏として帝国と千年の伝統を守っておられます。
ですが、じっさいに外敵から国を守っているのは軍務尚書閣下といった軍人貴族であり、公爵様は文化や伝統といった目に見えないものを守るには、伯爵様のような物質的な武力を持ったお方が必要であると、公爵様はご存じでいるのか、はてさて小官にはわかりませぬ」
さすがに直接的かと思ったが、子爵改め伯爵の顔の変化は非常に分かりやすかった。
前半は微妙な表情をしていたが、後半になると口角を吊り上げることに忍耐が追い付かなくなってきている。
「少将もそう思うか」
「ええ、はい」
子爵改め伯爵、タンクール伯爵が目指す地位がどこなのか、思惑は何なのか、魁世は貴種が持つごくありふれた欲求がこの伯爵の原理だと勝手解釈した。
「機敏であることは属領軍の得手とするところだろう。もしものことがあれば頼んだぞ」
「御随意に」
魁世は持ってきたナンオウ印の焙煎牛蒡茶を手渡し、軍務尚書邸を去った。
……
…
惟義は公爵邸を訪れた。
現在の南奧州は名目上は皇帝直轄領で、その軍は皇帝の私兵。実際は唐突に出現し帝都を異種族連合の包囲から解放させ帝国領を増大させた惟義を長とする二十三名が支配する領地である。
普通ならば帝国宮廷から危険視されて立場を追われて然るべきだが、今はそうなってはいない。
それは廷臣たちが“属領”南奧州とコレヨシ達を“便利な存在”と認識していること。男爵コレヨシ・シマヅには危険な野心は無いと判断していることにあった。
「余は初めから男爵を見込んでいたのだ。だから他の貴族たちは君たちを訝しんでいたが、余はそれを説き伏せてきたのだぞ」
言ってきた公爵に対し惟義は頭を下げ、顔を上げたところで口を開く。
「我らは帝国に忠誠を誓っています。これからもよしなに願います」
「うんうん。頑張ってくれたまえ」
公爵は切り出した。
「そういえば男爵は皇帝陛下直属でありながら軍務尚書から命令を受けているのだったな」
「?…そうですが、なにかあったのでしょう」
「知らんのか。最近の軍務尚書タンクール子爵の専横を」
「センオウですか」
「戦場で戦果を上げているのは男爵とその配下たちだ。であるのにあの子爵は軍の役職にあることを利用して手柄を自らに転嫁し爵位を上げるに至った。これを専横でなくて何という。男爵としても憤慨する話だろうに」
なるほどそういう話か。惟義は理解したが正直憤慨する気にはなれなかった。
惟義からすれば自分の現在の結果と地位は、魁世が始め、宗方透が作戦を考え、明可や直たちが戦い、指揮して得たものであり、自分も透たちの手柄を横取りしているようなものだとずっと感じていた。
特に透は宮廷には功績的な意味で全く感知されていない。惟義はそれの方が憤慨ものだった。
「大変な話です」
公爵は男爵コレヨシの反応が薄いことに内心不満だった。
「…いやな、男爵がこういう事情には疎いことを余は知っているが、もう少し宮廷事情に通ずるべきであるぞ。男爵は保身のみ考えればいい立場に無いのだからな」
保身のみ考えればいい立場にない。その言葉は妙に惟義の心に沁み込んだ。
「わかりました。今後は今以上に色々考えていきます」
惟義と公爵の会話はその後は続いた。後日惟義は魁世に内容を聞かれたが、子爵がどうこうという話以外は殆ど思い出せなかった。
……
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