第九十九話 独裁者の愛娘
ハイドリヒ天城華の子持つ精神の規範、行動原理的なものはなにか。それはいつ醸成されたか?
ハイドリヒ華子には、現在の世界に来る前から持っていた才能のようなものがある。それは“他人には見えない人間から発せられる色や光、気を視認することができる”ことだった。それこそが過去から今日の華子の思想の根底を担っている。
彼女は元の世界では大国と云われる大陸型国家に生を受けた。他人を認識するようになってから母しか見たことが無かったが、母の働いている様子は無く、よく白い靴を磨いていた。
だが時折、夕食を事前に作ってくれた後に、夕方からどこかへ向かうことがあった。その日は帰らず、早朝に帰ってくる。
ある日の昼下がり、相変わらず白い靴を磨いている母に聞きたいことができた。幼稚園で父と母の話になってので、今まで一度も見たことは無い父親という人を知りたくなった。
華子は自分と似た金の延棒を鋳て溶かしたような金髪をもつ母に話しかける。
「私にもお父様っているのですか?」
この時の華子には子が生まれるには男女が一人ずつ必要であることを理解しきれてはいない。
白い靴、後に華子はそれがバレエシューズと呼ばれる特別なものだと知るが、母それを磨く手を止めた。
華子はここで自分は聞いてはならないことを悟った。母はいまどうにかして話を逸らすつもりではなかろうか。
「サーシャ、テレビをつけてちょうだい。今の時間ちょうど映ってるはずだから」
サーシャ、それが数年後に魁世から華子と呼ばれる女性の、極寒の某国にいた幼少時の名前である。
サーシャこと華子はテレビをつける。
その時間は国営放送が流れている。画面のむこうで落ち着きを払い、それでいて瞳の奥に底知れぬ何かを感じさせる壮年の男がいる。いや、華子には感じられる強烈な覇気、それは飛竜の翼のようだった。
これが誰なのか、華子は知っている。
テレビの字幕には「我らが大統領閣下」と書いてあった。
華子は記憶では一度だけ父親を名乗る男に会っている。
その男は黒いスーツに身を包んだ屈強な者達を従え、華子の目の前に歩み寄ったところで膝を曲げて視線を合わせた。
男が、父親が語った言葉を華子はそこまで覚えていない。体調を気遣う、きわめて無難な内容だったとしか記憶に残らなかった。
華子は回想する。男はボディーガードを配置して周囲を守られている筈なのに、そこから軟弱さは一切感じさせず、背も思い出せばそこまで高いことは無かったのに、会った時も去る時も巨塔のようだった。テレビの画面から感じられたあの覇気は何故か鳴りを潜め、実子である華子に気を配っているのかと思わせた。
この時に華子は大国を統べる独裁者が持つ雰囲気、彼女が後に知る言葉で的確に表すならば覇気、それがどんなものであるのか初めて生で感じ取った。
母が夜中に外出する頻度は華子が成長するにつれて少なくなり、朝ではなくその日の夜の内に帰ってくるようになった。
英雄、色を好む。それをあの独裁者も踏襲しているようで、母は決してあの男、大統領ただひとりの愛人では無い。
華子も心身が成長して分かったことは、母がかつては国で一世を風靡したバレリーナであり、ほどなく世間でいうところの絶対的権力者の愛人となり、今現在はその地位も変容していることだった。
その日の母はテレビで演説する大統領を見ながら云っていた。
「ヴォーヴァったら、虚勢張っちゃって、大統領といっても大したこと無いじゃない」
ヴォーヴァとは件の大統領の名前にある愛称であり、声音には明らかな嘲笑、そして哀惜が混じっていた。
華子はその言葉を聞いた時、敬愛していた母親に初めて懐疑と侮蔑の念が芽生えた。
あの人が、あの方こそが万民を統率するに足る英傑、英雄よ。今だって画面越しからでも伝わる、あふれ出るエネルギーが色が見えないの?分からないの?
華子は人の色や光を認識できる才覚で、実父である独裁者からしか発せられないオーラを感じたことで、その光や色こそが人間の本質や価値を表す指標なのだと分かってきていた。
母のオーラはどうだろう。その辺の通行人と大して変わらない。しいていえば色があのバレエシューズのように白いことくらいか。
結局のところ、母親には分からないのだ。あの男の真の凄みが、あの輝きが、白いバレエシューズを永遠と磨き続ける様は、かつての栄光に縋っている姿そのものではないか。そうして今も無様に確証も無く男の帰りを待つことしかできない哀れな女に成り下がった。この女は独裁者の単なる付属品ていどにしか成れなかったのだ。と
ワタシはそうはならない。なりたくない
ある世界のなにもかもを使役できる唯一絶対の人物、母のように独裁者を待つことしかできない存在ではなく、華子が、ワタシが、愛せる、永劫と愛し合える究極の専制者をつくりあげる
唯一絶対の、唯一絶対の存在に私はなる
華子は魁世に出会ったその瞬間から、あの禍々しくも神々しいオーラを放つ姿を眼に焼いてから、心に決めていた。別にこの国でも何でもいい、どこかしかの唯一絶対の存在に魁世を押し上げる。
子は母の老廃物のような姿を見たその時から、この女から離れてしまおうと考えた。別の世界へ行きたくなっていた。魁世たちの高校に行く際に、母には偽名と称して名を変えた。
華子にとっては異国での生活は異界探訪であった。魁世たちにとって現在の状況は一度目だが、華子にとっては二度目のつもりだった。
このことを群蒼会のメンバーで知っているのは、ただ一人。新納魁世。
魁世にしか話していないのは、華子が魁世と秘密を共有することで関係を深めようとしたわけでは無い、なんとなく話してしまっていた。
かつて小さな漁村であったコンリトは、華子の商務部と魁世の工業部によって巨大な港湾都市として完成されつつあった。
華子と魁世は名物となっている灯台に登り、並んでそこから見える海と港を眺める。
「僕ら群蒼会は成長し続けないといけない。それこそ」
「それこそ宇宙船をつくるまで、デスカ?」
魁世は困ったような顔で笑った。
「冗談じみているけどその通り。なんせ僕らを付け狙うのは亜空間からやってくる超勢力だ。宇宙船一隻と謂わず、ブラックホールがつくれる位の力がないと」
「これからも同志としてよろしくお願いします。カイセ」
ハイドリヒ天城華子、(プラチナブロンド)白色金髪は夕日によって黄金色に輝いた。
後日、第一行政局商務部は分立し南奧州第四行政局、下には従来の商務部に加えて、局内を統括する中央部、コンリトの港および商業活動の行われる周辺海域を管轄する港湾部、陸上の輸送面を管轄する運輸部、“帝国の道”など幹線道路等を管轄する交通部、宣伝を行う宣伝部、局長はハイドリヒ天城華子として新設されることが群蒼会で決められ、南奧州部長会議に通達された。
通常の行政の構造としては色々と歪であったが、ハイドリヒ華子が完全に制御し発展させてみせると宣言したため、群蒼会、三頭体制の承認を得ることとなった。
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