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北方前線  作者: 水戸 連
0章 始まり
9/36

3-2

 中庭から差す陽光に照らされた調度品が美しく輝く中、フィルンに連れられてとことこ歩いている。

 窓ガラスの一枚からして、僕の住んでいた村とは大違い。表面が水面のようにきれいなガラスなんてうちの村ではもったいなくて窓には付けられなかっただろう。

 城の中に入るなんて経験はこれまでの人生で一度もなかったから、何を見たって新鮮だ。


「サーレ様。あまりきょろきょろされると悪目立ちしますのでお控えください」


 後ろから、ジェディートさんの囁くような声が聞こえてきた。


「すみません。つい気になっちゃって」


 田舎者、と思われるのは事実なのでいいのだけど、それをフィルンの汚点にしたくない。


「いいじゃないか、好奇心旺盛な証だろう。私だって初めてこの城に来たときはひどいものだった」

「五歳の子供と、十五を超えて一人前になった人間を同じ秤で見るものではありませんよ」


 はっはっは、と快活に笑うフィルンと、眉を顰めるジェディートさん。

 なんというか、迷惑ばかりかけそうで本当に申し訳ない。

 後方から目を背けつつ、今気になった話題に切り変えてみる。


「フィルンは生まれた時からこの城に住んでいたわけじゃないの?」

「ちょっと複雑な事情があるのさ」


 皇族の言う複雑な事情、と言うのはちょっとどころではないんじゃないか。

 余計なことを聞いてしまった。


「……申し訳ない」

「なに、大したことじゃないよ。まあ、長い話だからな、時間のある時にでも話すさ」


 フィルンは気にした様子もなくにこやかな表情を崩さない。

 本人がそういうならこちらがこれ以上謝ったり、と言うのも良くないか。


「おや、フィルン殿下。こんなところで出会うとは珍しいですなあ」


 元気な声が正面から聞こえてきたので、それに合わせて顔を上げる。

 カシャンカシャン、と鎧を鳴らしながら陽気な足取りで近づいてきたのは、顔に傷の入った若い男だった。


「アンフィボール、城の中で出会っても何も珍しいことじゃあないだろうに」


 はあ、とあきれたようにため息をつくフィルン。

 アンフィボールと呼ばれた男は意にも解してないようにさらに朗らかに笑う。


「はっはっは、お美しいレディに出会うのは俺にとっていつ何時も奇跡のようなものなんですよ――そして、そちらのかわいらしいレディは殿下のご親戚でしょうか」


 鎧をがしゃがしゃ言わせながら、アンフィボールさんはゆらり、と回り込んで、フィルンの後ろに隠れる僕を覗き込んできた。

 じろじろと見まわす視線は、こちらの体を嘗め回すように上下に動く。

 フィルンはこちらに視線を戻しながら、アンフィボールさんと僕の間に体を割りこむように一歩前進した。


「そうだな、紹介しておこう。コレがアンフィボールだ。まあ、見ての通りの性格でな、少々女遊びが過ぎる。気を付けておけ。決して二人きりで会うな」


 フィルンの言葉の釘打ちがとんでもない。

 檻からこの猛獣を出すなよ、くらいの勢いすら感じる。

 多少ノリは軽いが、いい友人になれそうな気もするのだけど。


「アンフィボールにも紹介しておくか。この子はサーレ。私の友人でね、教師枠でここに連れてきた。決して変な真似をするなよ」


 フィルンが振り向きながら言うのだけど、その先にはすでに鎧の影もなかった。


「ご紹介に預かったアンフィボール=カクセントです。どうぞよろしく」


 声が聞こえてきたのは、僕のすぐ横。

 フィルンが振り向く一瞬で、僕までの距離を詰めてきたのだ。

 小手を外しながら差し出された手に、こちらもおずおずと手を差し出し返す。


「サーレ=シェルドリッヒです。よろしくお願いします」


 がっちりと握手を酌み交わす。

 握られた手と言い、見上げるほど大きな身長と言い、大人の男との体格差を感じる。

 腕相撲とかやったら勝てないんだろうなあ。

 そんなことをぼうっと考えていると、握られた手をぐい、と引き込まれた。


「どうだいお嬢さん、俺と今夜食事でも」


 耳元でぼそり、と囁かれた声。

 なるほど、初対面なのにこれ、というのは確かに女遊びが過ぎる。


「結構です」

「そういわずに。一回だけでもさあ」


 突き放そうとするが、思った以上に腕の力の差がある。


「サーレ、せっかくだ、コレをみせてやれ」


 フィルンに投げ渡されたのは、一本の義手。

 何をすればいいのかは一瞬で察しがついた。

 受け取ると同時に、その義手に魔力を通す。

 がちんがちん、と握る動作も問題なく行える。


「では少々乱暴にしますね」


 そのまま義手でアンフィボールさんの首根っこを掴んで、そおれ、と担いだ荷物のように投げ飛ばしてやった。

 ぐるん、と大の男の体が弧を描いて地面にたたきつけられる。


「……何が起きた?」


 尻もちをついたアンフィボールさんが不思議そうにこちらを見つめていた。


「『魂』の秘術で義手を操って、貴方を投げ飛ばしました」


 魂の秘術による義手の操作は、自分の筋力以上に力を込めることができる。

 まして掴む場所も自由自在、相手の重心をずらすくらいならそう難しくない。

 アピールも兼ねて、かしゃんかしゃん、と宙に浮かんだ義手をこれ見よがしに閉じたり開いたりしてみた。


「――ほう、君はコンフィードだったか。そりゃ失礼した」


 アンフィボールは立ち上がりながら、じぃ、とこちらを見ていた。

 その視線は先ほどまでと違って、真っすぐにこちらの顔を見据えている。


「覚えておくよ。教師にコンフィード、その手広さはなんとなく親近感を感じる」

「なんでもいいがアンフィボール、午後の訓練はほっぽっていいのか」


 時計を見るともう午後二時。


「確かに油売ってる場合じゃありませんな。それでは失礼します。サーレ嬢、今度お食事の機会がありましたらご一緒しましょう」


 そんなことを言い残して、アンフィボールは早足で立ち去って行った。






「コンフィード相手と知ってなお誘い続けるとはな、そこまで来るとさすがと言うほかないな」


 フィルンは、はあ、と大きくため息をついた。


「そんなにコンフィードって言うのは恐れられる存在なの?」

「一人のコンフィードで数百人の兵士と並ぶ力がある、と言われるからな。少なくともちょっかい出そう、なんて気概は失せるもんだと思ったんだが」


 さすがに僕の秘術はそんな力はないけれど、そこまでの伝説を作り上げる人間がいる、ということに驚き半分、そんな英雄が居るなら会ってみたいかもという期待が半分くらい流れ込んできた。


「アンフィボールさんは驚いてなかったようだけど、そういう噂は気にしない人なの?」

「アレでも歴戦の戦士だからな。あまたの戦場を生き残ってる凄腕だ、その度胸をいらない方向に発揮しているんだろうよ」


 ずいぶん大きな鎧を着こんでいるのにすいすい動く辺り体力あるのだろうな、と思っていたけれど、フィルンの絶賛は見た目以上の信頼を彼に寄せているようだった。


「そのくせ、存外器用な男でもある。戦働きだけでなく、算術でも交渉事でもあらかたこなせるオールラウンダーだから私が直々に南の果てまで行ってスカウトしたんだ」


 アンフィボールさんは僕と似たような経歴で雇われた人だった。

 親近感を覚える、とアンフィボールさんは言っていたけれど、その辺りも含めてと言うことなのかもしれない。


「人は見かけによらないなあ」

「女癖の悪さを除けば奴より器用な人材はいない。――まあ、そんな何でも屋みたいな奴でもコンフィードと聞けば眼の色くらいは変えただろう、そのくらい力を自在に操れるコンフィードってのは希少なんだ」

「僕のは大した力なんてものじゃあないけど」


 僕が同時に操れる義肢はせいぜい四本。

 全部に剣を持たせてみても、せいぜい数人力位だと思う。


「いいんだ、脅し文句に使う分には多少大きすぎる看板でもどんどん使え。特に悪い虫を追い払う分にはな」


 フィルンはふん、と鼻息荒く視線をアンフィボールさんが立ち去った方へ向ける。

 ううん、強引な人だとは思うのだけど、そこまで邪険にしなくても、と言う気持ちが強い。

 多少強引なのは問題にしろ、女の子とお近づきになりたい、と言う気持ちまでは分からないでもない。対象が自分と言うのは変な気分ではあるけど。


「サーレ様。フィルン様と少々認識違いがあるようなのでここでひとつ訂正させていただきます」


 先ほどまで黙っていたジェディートさんが、僕の耳によってこっそりと囁いてきた。

 こそばゆいな、と思いながらこちらもつられて小声で返す。


「なんですか?」

「アンフィボール様は帝都に奥方もおられますし、息子が一人と娘が二人おられます。それであの態度です」

「――なるほど」


 深くうなずいた。

 妻も子供もいてあの節操のなさはどうかしている。


「あれさえなければなあ」


 そりゃあフィルンも物憂げにため息をつくと言うものだ。






 フィルンに連れられてやってきたのは、目に移る限り、視界いっぱいの人だかり。

 百人はくだらないだろうな、と言う人の群れが、大部屋に集まっていた。

 彼らはそのすべてが、フィルンが雇用、あるいは懇意にしている人たち。

 いわば、フィルンの勢力とも呼べる人たちらしい。


 軍人らしき人や学者らしき人、画家や商人、なんてところまで。

 ずいぶんと幅も個性も強そうな人々がわんさかいる。

 それを僕は壇上から見下ろしていた。


「どうやらみんなも私の挨拶なんぞより新人の方が気になってるようだな、それじゃあさっそく挨拶してもらおう」


 壇上で視線を集めていたフィルンが、こちらに向かってつかつかと歩いて来た。

 それと同時に、観客の意識がこちらに向く。

 どこに目をやっても、その誰とも目が合ってしまう。

 つまりは主役で、注目の的になっている。


「じゃあサーレ、一言だけでも挨拶してくれ」


 フィルンに優しく背中を叩かれて、壇上の真ん中に躍り出す。

 これだけの人の視線を受けては、肺も喉も凍りそう。

 熱を通すためにも、大きく深呼吸。

 緊張してるのもあるけど、それよりも、声が小さいと遠くまで聞こえない。


「サーレ=シェルドリッヒです! 秘術についてたくさん学びに来ました! 及ばないところもたくさんあるかと思いますが、ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いします!」


 なんとか、声を限りに張り上げてみたところ。

 盛大な拍手で出迎えてもらえた。

 拍手がまばらになってきたころ、肩をポン、とたたかれる。


「お疲れさま。もう下がっても大丈夫だ」


 フィルンはそう囁くと、自然と観客の視線を集めるように前に踏み出す。


「さて、今日もこうやって新人を連れてきたのはいつも通りの我々を見学してもらうためだ。さて、今日の議題は――」






 フィルンの演説もそこそこに、僕は壇上からはけて隅へ移動する。

 ほとんど何もしてないっていうのに、あれだけの視線を浴びるだけでどっと疲れが出た。

 その中でフィルンはあれだけ話しつつ、さらには客席からの提案や質問に答えつつ、論をまとめ上げている。

 会議と言うには楽しげだが、歓談と言うには真剣だった。


「サーレ様、壇上では不調のようでしたが、今は体調に問題はありませんでしょうか」


 突然声をかけられて肩をビクリと振るわせる。

 振り向くと、いつの間にかジェディートさんが現れていた。


「すみません、驚かせましたね」


 ぺこり、と小さくお辞儀をされたので慌てて手を振る。


「いえいえ、心配させるようなふるまいでむしろ申し訳ないというか」

「緊張の類は普通でしょう。百人超の衆目を集めれば多少手が震える程度当然です。それに加え、彼らの鋭い指摘の中で、ものおじもしないフィルン様が手慣れすぎているのです」


 壇上にいるフィルンは緊張どころか、会話の応酬を楽しんでもいるような雰囲気もある。


「あの、ジェディートさん」

「何でしょうか」

「この場は、一体何の目的で行われているのでしょうか」


 僕は言われるがままに来てしまったので、この階にはフィルンの関係者がたくさん集まる、と言うことくらいしかよく知らない。


「正式には帝国第十九師団討論議場。フィルン様が司令官を務める第十九師団をどう向上させるか、あるいはどういう不満があるか、技術や資金、政策や方向性まで含めて、あらゆる物事を議論する場です」

「帝国ってのはすごいですね、ここまでの人数を集めて議論するんですか」

「いえ。ここまで積極的に進言を聞くのはおそらくフィルン様位でしょう」

「そうなんですか?」

「トップダウン――つまり、上官が命令をして、それを実現可能な形で下におろしていく方が上の人間としては楽ですから、ほとんどの師団はそういう形式をとっています。無論、下からの進言をないがしろにはしないでしょうが、一兵卒まで参加しうる会合の場を開く、と言うのは他には聞きません」


 改めて部屋を見回せば、兵士と思しき軍服を身にまとった自分と同年代位の少年もいる。

 彼らも発言の機会が回ってくれば積極的に話すようで、それらをまとめて答えていくのははた目にも体力を使いそうだ、とは思った。


「フィルンはどうしてこの会合を?」

「フィルン様は上昇志向なんです。自分の意見が反映されるだけでなく、下からの不満点を対処したり、改善点を反映して、より良い組織にしていきたい。そうお考えです」

「性格から、ってだけじゃあないですよね」

「より良い組織になって、より力を発揮できる環境になっていけば、人々に手を差し伸べる力も出てくるはず。そうして、より多くの人々を守れるようになれればいい。そうおっしゃっていました」


 ジェディートさんの声は、まるで自分の夢を語るように、楽しげで、穏やかで、悦びに満ちていた。


「この師団は誰かから受け継いだんですか?」

「いいえ。フィルン様が五つの時から一人、また一人と集めてきたものです」


 思わず、辺りをもう一度見渡してしまった。

 百人以上いるこの数を、一人で、一から?


「今ここにおられない方もいますし、あてがわれた兵の中にもフィルン様個人を慕う方は大勢おられます。目に見えるよりも、フィルン様の力はずっと大きいのですよ」

「――すごいですね。本当に」

「この光景に改めて圧倒されましたか?」

「それ以上に、それを集めてきた努力に驚いてます。本当にすごい人ですね」


 ジェディートさんは一瞬目を見開いた後、笑みを浮かべながら、その眼を細めた。


「ええ。彼女の努力の成果が実って、今のような会が開けているのです」


 言葉は誇りに満ちていた。

 聞いている方もうれしくなってしまうくらい、悦びを感じるし。

 それまでたどってきた過去の重さをこの風景から受ける。

 恩に報いたい、と言う気持ちでここに来たけれど。

 それに加えて、彼女の向かう未来の助けになりたい、とも思わされた。

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