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北方前線  作者: 水戸 連
0章 始まり
8/36

3-1 彩り華やかなる日々

 帝都にたどり着いて、一晩明けた。

 夜の暗い中、村とは比べ物にならないフカフカなベッドを堪能した後、僕は一人、街に放り出された。

 フィルン曰く。


『突然だったのでね、君を紹介する場もなかった。昼食後にちょうどいいのがあるから、午前中は休みついでに都の観光でもするといい』


 ということだった。

 その後、フィルンはおつきの人たちと共にどこかへ消えてしまった。

 皇族はあいさつ回りだけでも忙しかったりするのかもしれない。


 あるいは、僕に合うためにスケジュール調整した分が今日に回ってきている……なんてのは考えすぎだろうか。

 突然の休暇ではあるのだけど、僕としてはちょうどよかった。


 下に履くものがないのである。

 いや、スカートはあるけど。

 昨日フィルンに着せられたまま汽車に飛び乗ったものだから、着るものがそれしかないのだ。


 落ち着かないから困る、と言う意味もあるけど、さすがに一着じゃあ着回しすらできない。

 幸い、父さんの仕事の手伝いや学校で下級生相手に授業をして稼いだ金がある。

 額にして2000デナル。

 服の上下まで買いこんでも4セット位なら余裕があるだろう、と言う金額だ。

 いくらかは生活必需品に回すとしても、十二分に余裕があるだろう――。






 ――などというのは、実に甘い考えだった。

 バカみたいに高い服しか売ってないのである。

 たまたま入った店が高級志向なのかな、と思ったがそんなことない。

 七件ほど巡って、そのすべてが同じような値段。

 ハンカチ二枚買ったら財布が割れてしまう。


 都心の物価が高いせいか、あるいはこのあたり一帯がセレブ御用達なのか。

 どちらであれ、とてもじゃないが、スラックスなど手を出せる気配もない。

 古着屋でもあれば安く済むとは思うのだけど、なんだかそんなアンティークな店は辺りに見当たらない。

 ううむ、どうしたものか。


「そこのお嬢さん、お困りじゃないかね?」


 男の声に振り向くと、シルクハットをかぶった、ジャケットを羽織る初老の男性と目が合った。


「私はリチア商会のエルベイト。以後お見知りおきを」

「どうも、私は――サーレです。どうぞよろしく」


 慣れてないせいか、ぎこちない挨拶になってしまった。

 偽名のつもりはないが、現状は似たような物だ。

良い慣れないうちは相手にも不審がられそうだし、早いところ慣れないといけない。


「君、このあたりをうろうろしているようだけれど迷子、と言うわけではないよね」


 自分の迷いに頭が占められている間に、目の前の男――エルベイトさんが一歩にじり寄ってきていた。

 道端で見知らぬ男性に話しかけられる、と言うのは大変妙な状況なのだけど、どうにも目の前の顔の穏やかさと、声音ににじみ出る優しさに警戒心を抱く気にもなれなかった。


「道は憶えてますよ」

「なら、お客さんか。君、何が欲しいのか言ってみたまえ。私が融通できないものはないよ」

「じゃあ世界すべてが欲しいですね」

「本気で言ってる?」


 渾身の冗談はあんまり受けなかった。

 彼を信用してもいいのか分からないけれど、ともあれ今の悩みを聞いてもらうだけならタダだろう。


「スラックス……いや、服が欲しいんです」

「ふうむ、専門じゃないが……その辺にあるだろう、服屋なら。それとも何か、センスに合わないとか?」

「いや、単純に値段が高くて」

「ちなみにご予算は?」

「2000デナル」

「本気で言ってる?」


 エルベイトさんの表情は僕が冗談を言ってる時と全く同じ表情だった。

 僕の所持金はそんなに少ないのか。


「マジも大マジです」

「そんな金額だとここらの喫茶店で二杯もコーヒー飲んだら叩きだされるだろうね」


 ……そんなに。

 僕の財布はこの都心では二杯のカップにしかならないのか。


「よほどの田舎から来たのかね、お嬢ちゃん。よければ稼げる仕事を斡旋するよ」


 いかにもいい人、と言う笑顔で言ってきた言葉だが、その裏は見え透いてる。


「顔しか見てない人間が斡旋する仕事なんてロクでもないでしょう」

「なんだ、その辺りの警戒感はあるのね、そりゃ失敬」


 エルベイトさんは特に悪いとも思ってないような顔で、口だけ謝るようなそぶりを見せる。

 この人、思った以上に信用できないかもしれない。


「そもそも仕事はあります。なので帰ります。それでは」


 ペッ、と心の中でつばを吐きかけて帰ろう――としたところ、だかだか、と走ってきたエルベイトさんに回り込まれた。


「まったまった、ちょいと悪いひっかけかたをしようとしたのは謝ろう。だがおじさんも商人だ、何にも紹介できずに立ち去られる、ってのはちょっと耐えかねる。なんで、こいつを渡しておこう」


 差し出されたのは、一枚の名刺。

『リチア商会 エルベイト』

 と書かれた下に、小さく住所が書いてある。


「君、しばらくここに住むんだろう。その稼いだ金でおめかしでもしたくなったら連絡したまえ。特に宝石の類なら悪くないものを紹介してあげようじゃないの」

「はあ、ありがたくもらっておきますが、よろしいのですか」

「君くらいの子を見てるとね、遠くに行った娘を思い出すのさ」


 エルベイトさんは少し寂しそうに眼を伏せる。

 それは一瞬で、すぐに笑みを取り戻した。


「もちろん、融資の類だってお伺いしよう、王宮仕えなら返済の見込みもありそうだしね」

「宮仕え、と言った記憶はありませんが」

「ハハハ、おじさんは割と目聡いのさ」


 じゃあね、と言っておじさん――エルベイトさんは一瞬で人ごみに消えていった。

 もしかして、ああいう感じで客を探す商人はたくさんいるんだろうか。

 不愉快なような気もしたけど、結局騙されたわけでもない。

 こういった縁がそのうちに役に立つかもしれない、と考えてとりあえず名刺は財布に放り込んでおいた。


 その後も服屋を探して都会を歩き回って。

 結果として、まともな値段の服屋には巡り合えなかった。






 昼食時。

 フィルンとテーブルをはさんで向かいに座っている。

 辺りを見回すと、空間の圧に押し負けそうだ。


 テーブルから絨毯から天井まですべてが豪奢。

 一部の隙も無い絢爛さに目がくらみそう。

 目の前のフィルンも昨日までと違って、しっかりとドレスを着こんでいる。

 きれいだね、とか、かわいいね、とかそんな感想より、庶民が近寄るべきじゃないオーラを感じてのけぞりそうだ。


 僕の方は家からさらってきた無地のブラウスとスカート。

 こんな簡素な服で一緒にいてもいいのだろうか。

 そして常に近くに侍っているメイドさんもなんか怖い。

 ただいるだけなのかもしれないが、どことなく睨まれているような錯覚すらある。


「なんだ、緊張しなくてもいいのに」


 フィルンの堂々とした態度に尊敬すら覚える。


「雇われなのに対等に座っていいのか、って不安があるんです」

「そうか、そういうところも気になるか。君はここでは客将――というとちょっとむさくるしいか。まあ、客人には違いない。公的な場でもなし、対等にふるまっても許されるよ」

「それは一安心ですけど」

「つまり、私的な場だ。君が敬語である限り私は話をしてやらん」


 わがままなお姫様のつんけんした口ぶりは態度だけだ、と言うのは分かるからいいとしても、周りにたくさんいるメイドさんの視線は気になって仕方ない。


「従者なんて気にするな」


 私だけを見ろ、とは目の前の視線からありありと伝わってきた。


「――うん。わかったよ。慣れるように努力するよ」

「それでいい。君の素直なところは大変な美徳だ」


 フィルンは満足したのかうんうんとうなずいて、紅茶を香りから堪能するようにゆっくりと口に含む。

 細かな所作一つ一つに品があって、どこか見惚れてしまう。


「それで、だ。サーレ」

「なにかな」


 フィルンは一瞬言いよどんだ。


「はっきり言ってくれた方が助かるよ」

「そうだな、余計な気づかいはかえってやりづらいものな」


ため息をついて、少し目を背けながらも、口を開いてくれた。


「観光にでも行って来い、と放り出してしまったわけだが、もしかして楽しめたものじゃあなかったか」


 このお城にはあまり楽しくない顔で帰ってきたかもしれない。

 その要因は変なおじさんに出会ったから、と言うのもあったけれど、目的を果たせなかった、と言うのが一番大きい。


「観光ついでに服を探してたんだけど、あんまりにも値段が高くて手を出せなかったんだ」

「――ああ、そうか。そうだったな」


 できるかぎり笑い話になりそうな調子で言ってみたのだけど、フィルンは、息をつきながら、頭を抱えてしまった。


「失念していた。服に関しては帝都と君の故郷じゃ10倍くらい物価が違うからな」


 冗談抜きにそのくらいの差はあったかもしれない。

 品質の差も間違いなくあったけれど、この帝都は僕の住んでいた田舎の村と比較してもあらゆるものが高い。

 村ではただ同然でもらっていたイモが自分の買い込んでいた秘術書と釣り合う程度の値段なのには驚かざるを得なかった。


「給料の前払い――いや、私のポケットマネーでいくらか出せばよかったな」

「ううん、ありがたくはある、のだけど」


 僕の歯切れの悪い返答に、フィルンは目をぱちくりと開く。


「なんだ、問題があるのか」

「そういうのはちょっと。その、友達としては気が引ける」

「――そうか。そう言ってくれるのか」


 フィルンは小さくうなずいた。

 友達、と言ってくれた人に対して金をせびる行為をする気にはなれなかった。

 つまらない一線と思うかもしれないが、譲れないところでもあった。


「好意を無下にしてごめん」

「いや、いや。まったく構わないとも」


 フィルンは気づかいを無下にされたにもかかわらず、特に気にした様子もない。

 心の広い人でよかった、と内心で安堵していた。


「でもまあ、服がない、と言うのは困るだろうな。君をここに呼んだ名目は教師としてなんだ」

「教師?」

「普段は自分の勉強が本分で構わない。そうしてほしい、と思って招待したしな。ただ、週に一度程度は授業を受け持ってもらうのと、あとはまあ、言われなくても出てくれそうだが、学者連中と意見交換をしてやってほしい」


 意見交換、と言うのなら多分今までも数度はこなしてきた。

 相手の役に立てる自信はないが、帝都の勉強はたっぷりさせてもらおう。

 問題は授業の方。


「教師としてはあんまり自信ないよ」

「なに? 君の父君からザルツもジーナも学校で教師をやっていたから問題ない、と聞いていたんだが」


 思わず頭を抱えた。

 父もフィルンもとんでもない勘違いをしている。


「授業なんて小さい子相手しかやったことない。学問を体系的に教える、なんてモノじゃないんだ」


 小さな学び舎で簡単な読み書きや算術を教える程度。

 しかも一番の難関は元気に飛び回る子供たちを席に着かせることで、授業なんてそぞろにやっていた。


「だがまあ、子供相手にやったことあるなら教えること自体はできないこともないだろう」

「そう言えなくもないだろうけど」

「専門家が大勢並ぶわけでもない、初歩的な内容をやってくれれば十分だ」


 部不相応です、と言って断ろうとも思ったけれど、やってもいないことを蹴るのもどうか。

 それに、せっかく帝都に来たんだ、新しいことには挑戦してみたい。


「精いっぱい頑張るよ」

「気負わなくてもいい、私もフォローはする」


 そうは言われても帝都に来てから初めての仕事になる。

 手抜かりのないようにしないと。

 僕が決意を固めつつある中、フィルンの眉が困ったようにしかめられた。


「ただ、その恰好は良く思われないかもな。端的に言って舐められる。服を出す金すらないのか、と言われかねん」


 田舎から出てきたばかりのこの格好は、やっぱり人前では少々見劣りするらしい。

 自分のことだけなら気にしない、と言いたいのだけど。

 その教壇にはフィルンの紹介で立つ、と言うことになるだろう。

 迷惑をかけるわけにはいかない。


 ポケットの紙を握りしめる。先ほどであったおじさんはお金の融資もやってるとか。前借すれば何とか一枚くらいなら一張羅を買えるだろう。


「そんな鬼みたいな顔しなくてもいい。過去にも君みたいな例はいくらもあったから、それなりの服はこちらで用意してる。心配しなくてもいいよ」


 ほぅ、と肩をなでおろした。

 火の車みたいな経済状況にはならずに済みそうだ。


「でも、サイズが合わないんじゃあ困るし、この後の紹介でも着てもらいたいし、ご飯を食べ終わったら試着しようか」






 軽々しく、はい、とうなずいたのだけど。

 鏡に映っているのは、ずいぶんと『女らしい』服に身を包んだ僕だった。


「いかがですか、サーレ様」


 隣から声をかけてきたのは、メイドのジェディートさん。

 フィルンの専属メイドだそうだ。

 スラっとした立ち姿だけでも実に様になっていて、少し仕事の様子を覗いただけでも、あまりの手際の良さに感嘆してしまった。


 そんな彼女が、今回は僕が着る服の調整をしてくれている。

 それはありがたい、のだけど。


 肩は大きく膨らみ、腰は絞られ、スカートはさらに大きく広がる。

 胸元は覆い隠されているけど、形状は覆い隠しもしない。

 今まではだましだましやっていたのだけど、これだけ『女性』を前面の意押し出した服を着るのはまったくもって慣れていない。


「いかが、と言われてもなんだかわかりません」

「サーレ様、それは服がお気に召さない、と言う意味でしょうか」

「いや、そうではなく。その、あんまりにも慣れていないので感情がよく分からないんです」


 ジェディートさんはふむ、と小さくつぶやく。


「では肉体的にはまだ余裕はありますね」


 そのまま、ぎゅ、っと僕の腰を締め上げた。

 かひゅぅ、と肺から空気が抜ける音がした。


「――どうして締め上げるんです」


 僕の喉から出た声もカエルのひしゃげたような声だった。


「くびれをうまく見せればより美しく見せられる、と言うモノです。どうです、先ほどよりは良くなっているはずです」


 間違いなく、体のシルエットは一割増で美しくなっただろう。

 代わりに、僕の肺も一割くらい小さくなった気がするけど。


「サーレ、結構着やせする方だったんだな」


 フィルンは僕が着替えさせられるところをまじまじと見つめながら、呑気な感想をこぼしていた。

 というか、ジェディートさんの手伝いをもらっているとはいえ着替えの最中である。


「人の着替えの間って外に出る物じゃない?」

「雇用主権限だ」

「できれば見ないでほしいよ?」

「そういうならもう少し恥ずかしがって見せろ」


 横暴だよこの姫様。

 僕がこの体を見せたくない理由はそういうのでもない。


「みだりにこの体を見せたくない、って気持ちはわかってもらえると思うんだけど」


 妹の体だからだ。

 ジェデイートさんには少し不思議そうな顔をされたけど、フィルンは「そうだったな」と言いながらうなずいてくれた。

 分かってくれた――ように見えたけど、フィルンの脚は一歩も動かない。


「理解は示そう。だが君が体を動かして君の表情を作る限りそれは君の体だ」

「なんだか誤魔化そうとしてない?」

「してない。君が恥じらう顔をする理由はあるんだと言ってるだけだ」

「無茶を言うよ」


 鏡を見たって妹の着替え姿である。

 整った顔をしてはいるが、それを見て恥じらう気にならない。


「そういうものか、それはそれで面白いな」

「結局出ていかないんだね」


 なんだか楽しそうにこちらを見ているフィルンを追い払う手段は口先だけだと見つからないのであきらめた。


「もう少し締めますね、サーレ様」

「――ぐ」


 というか、無制限に締め上げられるせいで呼吸すら苦しくなってくる。


「ジェディ、いじめるのはその辺にしておいてやってくれ」


 フィルンの言葉にジェディートさんは眉をひそめた。


「……そんなつもりはなかったのですが」

「分かってるよ、少しでも美しく仕上げてあげたい、と言う君なりの優しさなのは」


 そういうものなの?

 このコルセットの締め上げがおしゃれの範疇と言うなら、戦いといえるねこれは。


「ただサーレは都会で暮らした経験がないんだ、この手の服にも慣れてない。それ以上締めあげると倒れてしまうよ」

「それは大変失礼をしました。お詫びと言ってはなんですが、わたくしがこのまま化粧の方までお世話してもよろしいでしょうか」

「そうだな、まだクマがひどいし整えてやってくれ。――ついでだ、簡単な礼儀作法と歩き方くらいは練習しておこうか。付け焼刃でも十分品があるように見せれるだろう」


 話を上の空で聞きながら思う。

 貴族って言うのも大変だ。

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