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北方前線  作者: 水戸 連
0章 始まり
5/36

1-2

 幾度目かの深い冬を迎えた。

 ジーナの体となって、三年目。


 以前に増して、本をめくる速度は増した。

 図書館に返す本よりも、借りる本の方が増えていく。

 本だけでは分からないだけかもしれないと、帝国に散在する研究所も尋ねた。


 けれど。


 生身の人間の肉体に乗り移る方法は魂の交換しかなく。

 死んでしまった肉体に宿っていた魂を呼び戻す方法なんてものはなかった。

 めくって、訪れて、探して、研究して、そして、空振り。


 手に持っていた最後の資料をぱたんと閉じる。

 ここにも、希望はなかった。

 今までも、これからも。たぶん、そう。


 この先、どれだけ『魂』の研究を重ねたところで、ジーナの魂を取り戻す道にはたどり着けないだろう。


 それを、何となく理解してしまった。

 細くて、未来につながりうる縄はすべてを手繰り寄せてしまった。

 その先には輝かしい未来なんてものはなく、ちぎれた切れ目があるだけ。


 ――なんだか、ひどく疲れた。


 ふらふらと、階段を降りる。

 いつまでたっても慣れない新しい家の階段が、今日はいつもよりも高く感じた。


『ジーナ、飯にするか』


 父の声が、ひどく遠くに聞こえた。


「いや、いい。今日はいらない。――だから、そう。ごめんなさい、いってきます」


 自分でもなんだかわからないままに謝りながら、外に出た。

 呼び止めるような声も聞こえたような気がしたけど、それを聞く余裕はなかった。






 風が吹く小高い丘の上。

 灰色の空にさらされながら、木々を抜けて、開けた空間に体をさらしていた。

村のすべてを眼下に収めたうえで、地平線さえ見通せる、この村で一番天に近い場所だ。


 子供のころは、ここが自分の秘密の隠れ家だった。

 母が亡くなったときとか、友達と喧嘩した時とか、ひどく泣きたくなったときはここで泣くのが通例だった。


 今も、たぶんそういう気持ちだと思うけれど。

 涙は出やしなかった。


 そんなことを、この体を使ってしてもいいのか、という抑えが、心のどこかで効いていたんだと思う。

 借りた体で、勝手に泣くなんて、そんな真似はできなかった。

 だから、ただ、うずくまっていた。

 そのくせ、穏やかだった。

 許されないけれど、全てを投げ捨ててしまえば、きっと、楽になれる。


「――おい、君。こんなところで何してるんだ」


 背中から聞こえてきたのは、張りのある、綺麗な声。

 振り向いた先には、銀色の長髪を揺らす蒼い眼の少女が立っていた。

 品のあるコートに身を包み、妙に威厳ある立ち姿。

 どこかのご令嬢だろうか。


「何、と言われると困りますが。何もしていませんよ」

「休んでいる、とか景色を眺めている、とかいうもんだろう」

「さあ。どちらもそんな気はしません。本当に、何もしていなくて、何もする気が起きないんですよ」


 事実だった。

 何も見えない暗闇みたいな道しか見えなくて。

 たどった先に、希望なし。

 それがあまりに、つらい。

 もう一つ、見えない何かが、そのさらに下へ引きずりおろすように、重い。


「ふうん、こんだけいい景色を楽しめもしないとはずいぶんふさぎ込んでると見える」


 少女は隣に来て辺りを見渡しながら、その笑みを絶やさない。

 背の丈は『ジーナ』より少し小さいくらい。

 そんななのに、一歩一歩すら自信に満ち溢れていた。

 ――うらやましくて、眩しくて。

 見ていられない。


「お邪魔のようですから、帰ります」


立ち上がり一歩目を踏み出したところで、がしり、と腕を掴まれた。


「待て待て、君に二つほど要件があったんだ――いや、たった今三つに増えたけど」

「私に?」

「ああそうだ、ジーナ=シェルドリッヒ。君に用があったからここまで探しに来たんだよ」


 少女は青の瞳を、揺らすことなく、じっとこちらを覗き込んでくる。


「そういわれても、私は――」


 あなたのことを知らない、と言いかけて言いよどんだ。

『ジーナ』はこの少女のことを知っていたかもしれない。


「――まあ、覚えがなくても当然か。最近はこっちの方まで来ることはなかったし」


 少女はしゅん、と眉をひそめた。

 なんだか傷つけてしまったようだけれど、ある意味好都合でもある。

 この口ぶりだと、それなりの有名人らしいが、個人的な知己ではないはずだ。

 初対面としても問題なさそう、というのはだいぶ話しやすい。


「お名前をお聞きしてもいいですか」

「そうだな、正式に名乗っておこう。フィルン=ロード=フォルステルという。よろしく」


 ロード=フォルステル、という姓には覚えがある。

 僕らが住むこの村を含む近隣一帯のロード帝国を支配する皇帝と、全く同じだ。


「あなたは帝国縁の方なのですか」


 僕の問いに少女は片目を閉じて、じっとこちらを細い眼で見つめてきた。

 数秒ほど見つめあって、少女は「そうだな」とつぶやきながらため息をついた。

 それは、僕の問いにうなずくというよりは、自分自身を納得させるようなものに思えた。


「帝国の第四皇女さ。とはいえ直系ではあるけど、末端でね。皇位の継承権は十位にも入らん。大した身分とは言い難いな」


 自虐的に言うが、皇位がどうの、と言う話は庶民にとってあまりに遠い話だ。


「皇女殿下がなぜ私などを尋ねに来たのですか」

「スカウトさ。君――ジーナが類まれなる才を持っている、と聞きつけて飛んできたんだ」

「そんなもの、ありません」


 少なくとも、皇女殿下に見込まれるような卓越した才能なんてものは持ち合わせてはいない。そんなものがあるのなら、こんなところでうずくまる必要なんてないのだから。


「いやあ、君と会った学者どもは大体いうんだ。『そこそこ話せるやつ』だとね」


『魂』の秘術を学ぶ過程で、いくつかの寺院や学府を訪ねた。

 その彼らに顔を覚えてもらっていた、と言うのはありがたいけれど。


「そこそこ、というのは微妙な評価のような気がしますが」

「まさか。君はほぼ独学だろう。それであの偏屈な老人どもから対等程度の扱いをされてるなんて、随分才能がある、と見込んだぞ」


 偏屈な老人ども、と言われて思い浮かべたのは帝都に行ったときに出会った学者の方々。

 そこまで大層な扱いをされたか、と言うとそんなことはなかった。

 ただ、そんな中で自分の才能に見込みがある、と言われるのは喜ばしくはある。


「君の学問に関する知識の幅を見込んで頼む。その知識をさらに磨くための書庫だって用意できる。ぜひ、私の元に来ないか」


 がし、と両手を掴まれた。

 寒空の下のせいか、その手はひんやりとしていた。 

 爛々ときらめく瞳に、惹かれるものがないかと言えばうそになる。

 けれど、この魂そのものが、もっとウソだ。


「――すみません」

「いいさ、保留ってことでも」


 フィルンはそれまで掴んでいた手をパッと離す。

 その残念そうな顔に、少しくらいは報いたかった。


「あの、もう二つの用とはなんでしょうか」


 だから、ぼろを出す前に逃げ出すべき、と言う思考をおいやって、フィルン殿下の話を促すことにした。

 容易な質問なら、答えられる内容なら、力になりたい、と思ったから。


「一つは後々にでも回すさ――でも、もう一つはここで解決しようか。きっと、君にとってもその方が都合いいだろうし」

「どういう意味ですか、それは」

「『際』の質問をするからだよ。構わないかな」


 どうあれ、多少の質問位なら答えるつもりではいた。

『ザルツ』についての質問であっても、話せることがあれば話したって良い、とは思っていた。


「ええ、構いませんよ」


 フィルン殿下は小さくうなずいた後、そっと目元に手をかざす。

 手で半分ほど覆い隠された蒼い瞳の奥。

 淡く、けれど確かに、輝きが増した。


「宝眼、というやつさ。見るのは初めてかな?」


 宝眼。秘術の宿った眼のことで、その効力を発揮する際宝石のように輝くことから宝石眼、あるいは宝眼と呼ばれるようになった。

 希少な能力で、ロード=フォルステルの血を継ぐものくらいしか帝国では確認されていないらしい。


「その宝眼で何を見ているんですか」

「君の魂の色と形だ」


 ぞくり、と。

 自分の内側まで覗かれるような感覚。

 思わず、心臓を守るように両手で胸を抱えてしまった。

 そんなものに意味はない、と言わんばかりにフィルン殿下の瞳は輝きを増す。


「ずいぶんとよどんで、歪んでいるのはまあ、不摂生か、精神の調子がよくないせいか、と言うところだろうけど、どうしてもぬぐえないものがあってね」


 蒼く輝く眼が、わずかに見開かれる。

 すべてを見通すように。


「――君、どうして男の魂の色をしている?」


「それ、は」


 息が、止まるようだった。


「やはりね」


 声はひときわ鋭くなった。

切り裂くようなほどで、その鋭さが自分に向けられたものだ、と自覚した瞬間に痛みさえ走るようだった。


「君にとってずいぶんな隠し事だろう。ただ男の形をしているならともかく、肉体と魂の結びつきがどうも不自然だ。まるで後から入って来たかのように」


 どく、どく、と心臓はうるさいほどに高鳴っている。

 なのに、声を上げるべき喉はかすれた呼吸音だけ。

 自分の罪が、くりぬかれるように暴かれていく恐怖が肺を締め上げていく。


「責める気はない。ただ、君が『ジーナ』に好意的な人物なら聞かせてくれないか。何があったのか」


 声は穏やかで、怒りの一つもにじんではいなかった。

 けれど、僕に向けられたものではない。

 慈愛が漏れるような声は、間違いなく『ジーナ』に向けられたもの。

 この体に向けられたものだ。


「その前に一つ聞かせてください。あなたは、『ジーナ』にとって何者なんですか」


 この体を間借りしている僕にそんなことを聞く権利はないと重々承知しつつ、それでもフィルン殿下のやさしさの理由を知りたかった。


「友達さ。十年前に会ったっきりだが、文通は続けていてね。名前までは忘れられていない自信があった」


 思わずへたり込んだ。

 初めから、こんなウソはばれる運命だった。


「聞かせてくれ。君は、何者なんだ」


 ――なら、せめて。

 最後に明かすのは、自分から。


「私は――僕は、ザルツ=シェルドリッヒ。ジーナの兄です」


 うつむいた顔を上げる気にはならなかった。

 彼女の顔を見ようとも思えなかった。

 それでも、返事はない以上、僕はそのまま話し続けた。


「半年前、この村を襲った事件はご存じですか」

「ああ。強盗が襲撃した事件だろう」

「その時にザルツの肉体は命を落とした。同時に、魂の交換という秘術を無意識に使って、意識のないジーナの体を乗っ取って、生き延びてしまったんです」

「――そうか、逆だったのか」


 フィルンのこぼした声は、風に乗ってよく聞こえた。

 何が、と問う気力もない。

 そして、話も終わった。


「それが、それだけが真実です」

「君が『魂』の秘術書を集めていたのも反魂の秘術でも探し求めていた、と言うことだろうか」


 そうだ、と言おうとして。

 違うな、と脳と、心が強く否定した。

 僕は妹を助けるためだけに魂の秘術を研究したわけではなかった。


「一つはそうです。もう一つは、自分が起こしたこの現象を否定する材料がないか探していた。けど、そんなものは帝国中を探したって手がかりすら、なかった」


 口にしてみて、ようやく理解した。

 ずっと、ずっと、心の中にあった重荷の正体。

 たとえ、どんな過程であれ、妹の体を奪ってしまったのは自分なのに。


 僕が探していたのは、妹をよみがえらせる方法よりも、妹の魂を自分が殺してはいないのではないか、と言うあさましい希望だったのだ。


 死の責任から、逃れる術を探し求めていた。

 救われるために、ずっと逃げ出し続けていた。

 でも、今それをつまびらかにして、気づいてしまった今。

終わりにする時が来た。


「僕は、妹を殺してしまった。だから、この責任は果たさないと」

「責任?」

「ええ。せめてもの、償いをします」


 自分の事実から逃げて、背を向け続けた愚かさには、向き合わないといけない。

 僕は、この体を使っていい人間などではない。

 妹から自由を奪った罪を――。


「――死を持って償う、などと言い出したらこの場で張り倒すぞ、ザルツ=シェルドリッヒ」


 冷めた声だった。

 抑揚の消えた声。

 そこには疑いようもなく、怒りが満ちていた。


「君がどんな悔恨を抱えようと、私は構わない。だが、死者の意思を理由になどするな。それを決めるのは君自身だ。もしもその命を捨てるなら、君自身の意思で果てろ」


 強い、なじるような言葉だった。

 反論すらできなくて、うつむくことしかできない。

 ジーナの魂に依存して、復活が見込めないことに絶望していた。

 でも、ここで死を選ぶなら、そのすべては僕のせいだ。


 ――それでもいい。ジーナを殺した僕に、生きて良い理由がそもそもないんだから。


「ジーナを理由にするんじゃない」


 心を見透かされたような言葉に、思わず顔を上げた。

 青い瞳は真っすぐにこちらを見据えている。

 逃げるな、と言っていた。


「――」


 僕の口からは何も言えなくて。

目の前の少女の白い肌を、一滴の水がこぼれる。


「……雨が降ってきたな。帰る」

 フィルンが荒い足取りで立ち去ってすぐ。

 空から、小ぶりな雨がぽつぽつとおちてきた。






 木陰にもたれかかって、空を見上げる。

 枝葉の屋根の外は、どんよりと薄暗い空だった。

 この調子だと、しばらくは晴れないだろう。

 そういえば、雨の中外出するのは久しぶりかもしれない。


 買出しは天気のいい日にまとめてしてしまうし、図書館もそのついでに行く。

 こうやって、ぼうっと雨空を眺めるなんてのは本当に久しい。


 空を眺めるのは嫌いではなかった。

 ほんのわずかな変化を続ける雲を目で追いながら、自分の考えを整理する時間。

 でも、そんなゆとりを失ったのはいつごろからだっただろうか。


 しと、しと、しと。


雨音が刻むリズムが心を落ち着かせる。

 そして、先ほどの真っすぐな言葉を己の内で反芻する。


「君がどんな悔恨を抱えようと、私は構わない。だが、死者の意思を理由になどするな。それを決めるのは君自身だ。もしもその命を捨てるなら、君自身の意思で果てろ」


 責任は、ある。

 この体を奪ったのは僕だ。

 それは間違いない。


 けれど。この体を明け渡してくれたのはジーナでもある。

 僕が奪ったのは間違いないけれど。

 妹からもらったものでもある。


 ジーナの真意を、知ることは叶わない。

けれど、曖昧なところを――死者の意思を勝手に理由付けして、あきらめるために使うべきじゃあない。

 僕は、生かしてもらった。

 この魂は、救ってもらった命だ。


 それを、自分が救われるためなんかには、捨てられない。

 ジーナの死だけでなく、生も背負っているんだから。


 それを、ようやく、思い出せた。

 濡れた草を踏みしめる。

 頬を濡らす雨を受けながら、前に進む。


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