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北方前線  作者: 水戸 連
0章 始まり
3/36

0-2

 見学していった客を見送った後、ジーナと共に食卓に戻る。


「なんだか、不思議な人でしたね」


 ジーナのつぶやきに、僕は曖昧に返事した。


「まあ、よくわからない人だな、とは思ったけれど」

「義手を求めてきたにしては義足にも興味があるようでしたし、店のあちこちを見て回るのもお客、ってよりただの見学者、って感じでした」

「まあ、自分が一生付き合うかもしれないんだ、目聡くなるのは当然じゃないか」


 義肢は高い買い物でもあり、また生活でいつも使うことになる物でもある。

 少しでも自分に合うもの、少しでも品質のいいものを求める気持ちは理解できる。


「予約はどうか、と言えば『人を縛るのは好きじゃないから気が向いたときに来る』、と言われましたよ。変じゃありませんか」


 普通とは言い難いけれど、そういう人なのだ、と言われたら納得する範疇の個性でしかないようにも思う。


「気がかりなのはわかるけどさ、明日になれば父さんが帰ってくるんだ、それで終わりだろう」


 僕ら兄妹が店の手伝いをすることはあるけど、最終的には義手や義足の交換は父さんの仕事の範疇である。


「そうなんですけど」


 納得できないのか、ううん、と唸るジーナ。

 よほど心の内の疑問点が残っているらしい。

 まあ、僕としても気になることはいくつかあった気はするけど。


「いいじゃないか。どうせ明日になればお客さんとして出向いきて、それで終わりなんだし」


 細かいことを気にしてもしょうがない。


「……そうなんですけど」


 ジーナは考え込むように顔を抱える。

 心配性なのは悪いことじゃあないけど、考え過ぎってのは良くない。


「ところで、今日の晩ご飯担当は僕だろう。父さんもいないしさ、ジーナ好みのとびっきりのを作ってやるよ」

「――本当?」


 ぱちくり、と目を瞬かせるジーナ。


「ああ、もちろん」

「じゃあ、何か手伝います」


 それじゃあ当番の意味がないんじゃないか、とは思ったけれど。


「じゃあ、野菜の皮むきだけでも頼もうかな」


 ジーナはにっこりと笑うと、ぱたぱたとキッチンへ向かっていく。

 手を動かしてれば余計な考え事も少しは減るだろう。

 僕の得意料理のレパートリーは限られてるが、せめて妹の好きなイモを多めにしてやろう。






 夜も深まって、ランタンで手元を照らす自室。


「兄さん、相変わらず夜更かしですか」


 かりかりとペンを走らせていたところ、ジーナが後ろから声をかけてきた。


「何をなされていたんですか」

「古典秘術書の要点を書きだしていたんだ」

「兄さんは新しい物好きだと思ってましたけど、そんなカビの生えたモノも読むんですね」


 そんな大げさな比喩表現するなよ、と言おうとして本を持ち上げて気づく。本当にカビが生えてる。気づかないもんだ。

 今度、図書館の方に防腐処理を丁寧にしてもらうように進言しようかな。


「古いものを使わないと新しいものは作れないのさ。都の方じゃ秘術を人間から独立させて、機械に取り付けようとする研究も進んでいるらしい。それがうまくいけば、列車を線路の上なんかじゃなくどこでも走らせられるようになる、って話だ」

「夢物語みたいですけど――でも、楽しそうですね」

「分かってくれるか、このロマンを」

「その話自体じゃなくて、話をする兄さんが、ですよ」


 くすくす、と笑うジーナ。

 そんなに熱が入っていただろうか。


「でも、暮らしが便利になって、それがどんどん発展していく世界を見られたらいいなあ、って思うんだ」

「そのために、都に行って勉強してきたい、と言う話でしたよね」

「ああ。自分に何ができるかを、それを確かめて、その技術を、知識を高めてみたいと思ってる」

「ふふ、兄さんがどんなものを生み出すか分からないですけど、それに乗れる日を楽しみにしてます」

「乗るモノかもわからないけどさ」


 ジーナはもう一度微笑むと、扉に手をかけた。


「でも、早く寝てくださいね。いくら未来のためだと言って、今の体を壊してはいけないんですから」

「ああ、肝に銘じとく」

「おやすみなさい」

「おやすみ」


 きぃ、と甲高い音を立てて扉は閉じた。

 時計を見れば、もう22時。

 夜更けはまだ遠いけど、キリのいいところまで読み終えたら今日はおしまいにしよう。






 道具も本もしまって、顔も洗って歯も磨いて。

 一日を終える儀式をすべて終えてから、ベッドに入る。

 ちく、たく、と時計の針を聞きながら。

 夜の闇の中。

 窓から差し込む月明りをぼう、と眺めながら。

 瞼を閉じて、眠りにつく。

 いつもと変わらない一日が、今日も終わる。

 そのことに、わずかな充実感を得ながら意識が遠ざかっていく。






 ――暗い、暗い、闇の中。

 月明りも陰った、夜の中の闇。


 きい、と軋む音が聞こえた気がした。


 何の音だろうか。

普段なら気にも留めないけれど。

 なんだか、つい、体を起こしてしまった。


 時計を見れば、夜の2時。

 まさか動物でも入り込んでないよなあ、と思いながら扉を開く。


 ぎぃ、と蝶番をきしませ。

 同時に。

 闇の中に浮かぶ、二対の眼と視線が合った。


 月明りに照らされるわずかな影が、自分よりも大きな人間だ、と理解させた。


「――な」


 声を上げそうになった瞬間、心臓を直接叩かれるような衝撃を受けた。

 バタン、と背中から胸まで貫くような衝撃とともに床に転がされる。


 ――何が、起こっているのか。


 困惑した頭をよそに、とにかく体を起こそうとして。

逃がさない、と言わんばかりに影が覆いかぶさってきて、体が縫い留められたように動かなくなった。

そして、腹に、冷たい、金属の感触がした。

わずかに見える持ち手から、ナイフの類だろうか。


「声を上げるなよ。腹をかっ切られたくないならな」


 底冷えするような、抑揚のない声。

 声の温度は、腹に感じる切っ先より、なおも冷たく感じる。

 自分の命が、目の前の男の意思一つで殺せるところにある。

 そこまで来て、ようやく、自分が強盗の類に襲われているのだ、と理解した。


「――――」


 やめろ、とか、でていけ、とかそんな声を上げる勇気はなかった。

 自分の命も、そうだけれど。


「――それでいい。無用な命まで散らすつもりはなかったからな」


 妹が、眠っているのだ。

 気づかずにいてくれるならいい。

 彼らの目的なんて分からないが、盗みに入るとしたら一階の父の店の売上だろう。

 わざわざ僕ら兄妹がいる二階に来て目撃者を増やそうとはしないはず。


 ――そう考えて、おかしなことに気づいた。


 どうして、僕の上に居る男は、待ち伏せるように僕の部屋の前に居たのか。


「相棒、ブツはみつけたぜ」


 どこかで聞いたような、しかし、夜の闇に紛れるような静かな声が、扉の方から聞こえてきた。

 よく見えないが、何かガチャガチャと金具が揺れる音が耳にこだまする。

 彼が獲物を見せつけるように手にしていたのは、真っ黒いスーツケース。

 あんなものが、この家にあっただろうか。


「よし。なら第二目標を達成しろ」

「あいさー」


 陽気な声の返事が聞こえてきて、そして扉の方に居た影の姿が消える。

 ――どこへ行く気なんだ。

 二階には、家族の寝室しかない。

 ――ひどく、ひどく、嫌な予感がした。

 さっきの男が向かう先は――妹がいる部屋じゃないのか。


「おっと、余計な真似はするなよ」


 より強く、腹に冷たい金属が押し当てられる。

 冷たさが、じっとりと、痛みを連想させる。

 連想した痛みが、死の恐怖をじんわりと浮かばせる。

 どくどくと、心臓が恐怖で高鳴る。


「な、なんですか、あなた――」


 聞きなれたはずの妹の声は、聴きなれないつんざくほどの悲鳴となって僕の耳まで響いた。

 もしも、なんてことはない。

 部屋の向こうで、妹は間違いなく傷つけられる。


 ――だめだ。それは、だめなんだ。


 唇を強く噛んで、恐怖を塗り替える。

 ここで躊躇して、取り返しのつかない事態になる方が、よほど、恐ろしい。

 脅された恐怖よりも。家族の安否の方が、数倍重かった。

 力を込める。


「どけぇぇええ!」

 声を張り上げて男の股間を蹴り上げた。

「ぐ――」


 うめくような声とともに、全身の圧力が弱まる。

 ぐるん、と力任せにその体を投げ出すのは思っていたよりも容易だった。

 妙なくらい力がみなぎるのは、生存本能って奴だろうか。

 そんな余計な思考を捨てながら、武器代わりに父の造ってくれた義手を掴んで、廊下へ飛び出す。


 不自然に開いた、妹の寝室が目に入った。


 一瞬すら思考もせず、全力で踏み込んだ。

 眼に入ったのは、見知らぬ黒装束の男と。

 そいつに首を締め上げられている、妹の姿。


決断に、一秒もいらなかった。


義手を投げ飛ばし、男の胸ぐらをつかみ上げる。

男が妹から手を放して義手をつかみ取ろうとする。

その無防備になった腹にケリをぶち込んだ。


「――カ」

 風が漏れるような声。

 そのまま体ごと乗り上げて押し倒す。

「――やっぱり。運は良くない方に傾いたらしい」


 追い込んだにもかかわらず、男はいやみったらしい顔で笑みをとめなかった。

 声に、覚えがあった。

 焼けたような、ガラガラとした声は今日聞いたばかりだ。

 口元にも覚えがあった。

 にやりと笑うところがどうにも、印象に残っていたから。

 なにより、あるべき腕を失った袖。

 戦場でなくした腕を求めてきた話をしたのをよく覚えている。

 こいつは、昼にこの家を案内した男だ。


「アンタ、どうして」

「昼に下見を済ませて、こっそり窓の鍵を開けておいた。そして今盗みに来たんだ。話は簡単だろう」


 頭に血が上る感覚がはっきりわかった。

 自分の油断とか、愚かさとか、そういったものに付け込まれたのだという後悔と。

 目の前の相手にぶつけてやらねばならない、と言う怒り。

 それを抑え込んで、口を開く。


「何が目的だ、泥棒」


 返事は、歯を見せる笑みだった。


「――いけないなあ。戦場では常に背中を取られることくらい警戒しないと」


 急に。腹が、燃えるように熱くて、痛くなった。


 視線を下に向けると、ぼた、ぼた、と。

 炎のように、真っ赤な血が、腹に突き出した銀色の切っ先から垂れていた。


「おいおい、殺しちまうのか」

「無駄口を叩くな、作戦を遂行させるのが我々の最優先事項だ」


 背後から聞こえてきたのは、先ほど来たばかりの冷たい男の声だった。

 それに対して、声も、力も、出せなかった。

 はらわたから、全てが、抜けていく。


 銀の切っ先が引き抜かれると同時、世界がぐるりと回った。

 いや。全身に力が入らなくなったところを、押しのけられたんだろう。

 意識すら遠ざかる中、自分を俯瞰的に見るような感覚。


「女の体はどうだ」

「悪い、さっきので義手を壊されちまった」

「なら欲をかく必要はない。帰投するぞ」


 声と足音が、遠ざかる。


「しかし相棒、残りはどうする」

「引き抜いた後は消し炭にでも――」


 ――ああ、と心の中でため息をついた。

 死ぬ瞬間になって。

 死にたくないと、消えゆく意識で、そう願ってしまい。

 目の前に倒れているジーナが無事であってほしいと祈り。

 その二つだけを抱えて、あるいは、それ以外から、すべて、目を遠ざけるように。

 重くて、暗くて、何もないところに引きずり込まれるようにして。

意識を閉じた。






 ぱちぱち、と薪の音が聞こえる。

 今はもう春だ、料理以外でそんなに使うこともないっていうのに。

 そんな、呑気な発想と共に、重い体を持ち上げながら目を開いた。


 ――燃えている。


 視界が煙だらけで、燃える炎が木々に燃え移る音が周囲から響く。

 全身がゆだったように熱くて、息苦しい。

 まずい、いけない、逃げろ、と自分の中の警告が無数に響く。

 腕をつく。

 それすら、あまりに重い。

 悲鳴を上げそうなほど全身が、何より腹が痛い。


 ――腹に刺さっていたナイフの感触はない。というより、全身の感触があいまいだ。


 ほぼ視界のない状況でもわかることはあった。

 開きっぱなしの窓だけは風が抜けていくせいか、よく見える。

 ここは、ジーナの部屋のまま。

 二人して倒れた後、火がついたんだ。

 どうしてとか、何でとかはどうでもいい。

 逃げないと。


 煙の下敷きになった、妹の体を探す。

 ――見えないけれど、捕まえた。

 そこまで這って行くだけでも一苦労。

 見えない中で背負うだけで、意識を失いそうだ。


 それでも、見捨てるわけにはいくもんか。


 すべての筋と言う筋が切れるような痛みのまま、窓へ、窓へ。

 這い出して、眼下を見下ろす。

 ――誰もいない。情報はそれだけあれば十分だった。


 躊躇なく足をかけて、飛び降りる。

 着地した時、ひび割れるような激痛が足を襲う。

 痛みなんて大した問題ではない。

 それより、ジーナを病院へ連れて行かないと。


 土の上を立ち上がろうとして、絶句した。


 ――燃えている。


 街のあちこちから、火の手がわんさか湧き上がっているのだ。

 まさか。盗賊たちは、この村ごと襲いに来たのか。

 炎を背に、知らない男たちが何人も、暴力を振るっていた。


 下卑た笑みで、ナイフや銃を隠そうともしない。

 家財道具を持ち出しながら、血をまき散らしながら、奴らは笑う。

 力を見せつけて、その力ですべてを奪う。


 ああ、許せないと思うのに。

 それを力にするほどの体力なんて、かすかにも残っていない。


「――なあ、あそこに女がいるぜ」


 男たちがこちらに近づいてくる。


「ガキかよ、俺の趣味じゃねえな」

「いいさ、適当にうっぱらっちまえば」


 妹に向けるその視線をやめろ、と言いたかった。

 目障りだから失せろとも。


「ああ、なんだあ? 声も上げられないくせに、随分な目つきじゃねえか」

「はん、ここまで禁欲生活みたいなもんだった、ちったあ憂さ晴らししても神様は許してくれんじゃねえの?」


 ギャハハハ、と訳の分からない理屈を並び立てる奴ら。

 それに、逃げることすら叶わないなんて。


「それじゃあ、邪魔な荷物引っぺがしてから――」


 男の手がこちらに伸びようとする刹那。


 ――風が、横切った。


 わずかに遅れて、男の顔は見えなくなった。


 代わりに、僕の前には大きな影ができていた。

 見上げるほど大きな、数メートルほどはありそうな、巨大な人の影だった。


「そこの君、安心したまえ。この私が来たからにはあらゆる敵から君を守ってあげよう」


 炎に満ちた、地獄のような光景で。

 耳に届く声は、青空のように晴れやかな声だった。


「では、賊ども。瞬殺させてもらおう」


 巨人はぐるん、と剣を振り上げ、その巨躯を賊どもへ乗り出す。


「――なんだあれは」


 鮮やかな演武のように剣を振う。

それだけで、賊どもの体はちぎれとんでいく。

十数人はいたであろう賊たちの影は炎と煙の中へと消えていた。


「ぐあ、あ――!」


 最後に残った一人が、後ずさりながら、頭を下げる。

 恐怖をどうにか抑えて、情けない笑みを顔に張り付けているざまは無様なものだった。


「――ひい、どうか、命だけは!」

「お前たちもその言葉を何度聞き逃してきたことだろうな?」


 ひゅん、と風をきる音。

 遅れて、ぼたりと賊の首が地面に落ちた。

 僕の眼には、燃え盛る炎と、その前にひれ伏す賊たちの死体。

 そして、そんな地獄のような光景から僕たちを守るように立ちふさがる、巨人の背中が映っていた。


 まるで、おとぎ話の勇者のようだった。


 巨人の背中がきぃ、と開き、中からは普通の人が現れた。

 ようやく気付いた。あの巨人は、鉄の体でできた乗り物だったのだ。

 とん、と地面に降り立つと、淡い緑の長い髪が空に舞う。

 炎に照らされるその姿は、逆光で顔すら見えないのに、ひどく格好よく見えた。


「無事だったか、君!」


 彼はこちらに駆け寄るなり、僕を抱き留めてくれた。

 でも、もう大した返事もできない。


「――お願いします。どうか、どうか、この子だけは助けてください」


 どれだけ自分の口から言葉になったか。

 かすれる声で、それでも必死に伝えて。


「ああ。君はゆっくり休め」


 包むような、優しい声に、ひどく安心した。

 もう、今度こそ。大丈夫。

 





 眠る少女の眼を確認して、青年はつぶやく。


「――すまない。君の願いは果たせない。それでも、せめて、君の命だけは救おう。彼の亡骸と共にね」


 青年は眠る少女と、冷たくなった少年の体を巨人の中に入れながら周囲を見る。

 燃え盛る炎を、降り注ぐ雨が鎮火し始めていた。

 援軍は十二分。賊たちを掃討するには多すぎるほど居る。


 青年は自分の力をこれ以上振るう必要はない、と判断した。

 巨人に乗り込んで、陣地へ帰投する。


「――しかし、嫌になるな。私一人で救える命はこんなにも少ないとは」


 つぶやく声は、誰にも聞こえず。

 それでも、青年は言わずにはいられなかった。

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