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北方前線  作者: 水戸 連
0章 始まり
2/36

0-1

 目覚めた時には、毛布を蹴り飛ばしていた。

 鳥のさざめく声とともに、朝日が窓からしみる。

 けれど、収まらない悪寒に押されるようにしてベッドから飛び出す。


 二階から落ちるようにして階段を降りて、一階の鏡台の前に立つ。

 鏡の奥には、息を切らした、紅い髪に紅い眼の男が居る。

いつも通りの自分だ。

 ああ、とため息をつく。


 さっきのは、ただの夢だった。


「どうしたザルツ、珍しく早く起きたかと思えば鏡に飛びついて。色気づく年になったか」


 後ろから聞こえてきたのは、笑いを含んだ声。

 振り返ると、台所で鍋をかき回しながら、顔だけこちらを見ている父の姿。

 自分と同じ紅い髪と眼に対して似合わない白いエプロンも、いつも通り。

 匂いからしてコーンのスープだろう。


「そんなんじゃないよ。変な夢を見てさ」


 ぽいぽい、と寝間着を投げ捨てながら、普段着に着替える。


「どんな夢を見れば鏡を見たくなるんだ?」


 からかい交じりに言われた言葉に、こちらも首をかしげる。


「なんて言ったらいいものかな」


 うーん、と唸りながら夢の内容を思い出す。

 簡単に言ってしまえば、自分が遺体で棺桶に入っているのを見た、と言う話だけど。


 なんて突拍子もない話だ。

 かといって、どう話したものかな、と整理をつけようとして。

 ぎぃ、と扉が開く音で思考が途切れる。


「あら、兄さん。自分で起きてくるなんて珍しい」


 入ってきたのは、小さく欠伸をしている妹だった。

 金色の長い髪を揺らしながら、ぽとん、と自分の定位置に腰を下ろす。


「なんだよ、ジーナ、僕が早起きしちゃ変か」


 僕の文句に、細めた碧い瞳の視線が返ってきた。


「この一年、兄さんを起こす日の方が多かったと思うし、兄さんより遅く起きたことなんてなかったもの」


 そんなことあるか、と言い返そうとして思い返すが、反論できる日は見つからなかった。


「……なぜだろう」

「いつも夜遅くまで変なものを読みふけってるからでしょう」

「変な物じゃないよ」

「夜更かししているのが問題と言ってるんです」


 まっすぐな指摘に、つい目をそらした。


「いやあ、ほら。気になったら手が止まらなくて」

「気になったら手が止まらないのは知っていますが、ほどほどにしないと体を壊しますよ」


 いつもならそんなことない、とでもとりあえず口にするのだけれど。

「かもなあ。変な夢を見るくらいには疲れがたまってるのかも」

 僕の口から出たのはぼんやりした同意だった。


 ぱちくり、とジーナの目が開かれた。

 普段は目を細めているせいか険しい印象が強いけど、いつもこうならかわいらしいのに、なんて感想がよぎった。


「兄さんを納得させるなんて、よほどその夢はひどかったんですね。普段は夢占いなんて信じもしないくせに」

「なにせ――」


 夢の中身を口走ろうとしたタイミングで、ごと、とテーブルの上に鍋が置かれた。


「できたぞ」


 父がパンをより分けるのをよそに、二人して鍋をのぞきこむ。

 たっぷりのコーンの入ったスープを目と鼻で味わってから、小さくうなずく。


「――いや、飯時に話すことじゃあないな」

「そうですね、ご飯が優先です」


 ジーナは興味なさげに小さく相槌を返した。

 人の夢の話なんて、その程度の興味しか持たれないものだろう。


「ようし、朝飯にするか」


 父の声に、僕とジーナは大きくうなずいた。






 玄関の軽い扉を開きながら、隣にいるジーナと共に後ろの父へ振り向く。


「行ってきます」


 僕たち兄妹の声に、父は手を振って返す。


「気を付けてな」


 家を背に、すたすた、と兄妹二人で歩き出す。

 都会のスクールとは比べ物にならない程度の、小さな学び舎への通学路。

 さんさんと太陽が照らしつける中、肌寒い風が耳元を抜けていく。


 夏はまだ遠いな、と思いながら首をすくめる。

 それにしても、今日見た夢は何だったんだろう。

 ひどく、ひどく不気味な、自分の死体を見る夢。


「――兄さん、聞いてます?」


 虚ろな思考にふける僕を、ジーナの声が呼び戻した。


「ああ、全然聞いてなかった」

「いいでしょう、これどうぞ」


 ぽん、と渡されたのは小さな箱。

 手のひらに収まる程度で、何の変哲もない、ただの木箱だ。


「なにこれ」

「開けてみてください、わかりますから」


 言われた通りにその蓋を開く。

 同時に、ぱぁん、と炸裂音が響いた。

 箱から飛び出した爆音に、思わず箱を投げ飛ばしながら飛びずさった。

 尻もちをつきながら、ジーナに振り向く。


「――なんだ今の!」


 ジーナはくすくす、とこらえきれないように笑う。


「おもちゃですよ。箱を開くと大きな音がする秘術を込めてみました」


 ジーナは指をピンと伸ばして見せつける。

 周囲の秘力が指先に集まって、ぽん、と炸裂する音が響いた。


「なるほど、よくできてる」


 秘術とは、この世界とは異なる世界の法則を持ち込んで顕現させる技術で、火をおこし水を生み出し風を吹かし土を耕すまで様々だ。

 人によって秘術を起こすまでに至るプロセスは様々だが、一様に――僕も含めて――秘術を起こす際に『世界の裏側とつながる』感覚がすると語る。


 秘匿された世界の裏側へ触れる術、それが秘術だ。

 中でも、今のジーナは秘術の『爆散』をごく小規模で行ったのだろう。

 それを箱の中に閉じ込め、蓋を開ける、という行動をトリガーにした仕掛けがあったと推測する。

 そんな芸当を片手間にやってのける人間は秘術使いの中でも百人担いで一人いるくらいだろう。


「あれ、驚いてくれませんね。結構高等技術ですよ、これ」


 秘術を扱えるかどうかは個人差がとても大きい。

 多くの人間には実用的な精度では秘術を扱えない。

 火を起こす、水を作る、なんて技術も手のひらの上で起こすだけでも人類の一割に満たない才能となるだろう。


 ジーナは生まれついて、ほとんどの秘術をこともなげにやってみせる。

 僕はその手の才能はずいぶん偏っていて、たった一つ、『魂』の秘術の身に適性があっただけ。


「驚いてるし、すごいとは思ってるよ。あふれる才能、うらやましいくらいだ」


 空中に義手を固定し、それを支えに立ち上がる。

 腕と足に『魂』を込めて操る。たったそれだけしかない、秘術にしてはずいぶん幅の狭いものだけが僕の秘術における取り柄だ。


「そっちはそっちで羨ましいですけどね。母さんと同じですもの」


 ただ、僕の操作技術は妹に比べれば数段上だ。指先にいたるまで精密な動作をできるくらい、僕の秘術は別の肉体を操ることだけは自信がある。

 僕らの亡くなった母も『魂』の秘術に長けていたらしい。

 遠い国では、秘術の才を生かして戦場で活躍していたとか。

 戦場では腕を失ってしまうほど苛烈な経験を経て、父の義肢技術で補ってもらうためこの村に来た、と言う話を聞いた。


 ジーナとしてはそんな勇猛な母の秘術の方が羨ましいらしい。

 全部使える方が絶対効率良いだろうに。

 僕ら兄妹、ないものねだりである。


「けどね、秘術どうこうじゃなくって、普通にびっくりした。心臓に悪いよ」

「悪い、と言うと兄さんが悪いんですよ」

「話を聞いてなかったこと?」


 それに関しては僕が全面的に悪い。

 心の中で謝罪の文面をねりねりと作り上げる。


「それもそうですけど、最近構ってくれませんし」


 むす、と頬を膨らませるジーナには苦笑いでしか返せなかった。


「悪い、色々読みたいものが多くてさ」


 帝都から来た図書の中に、興味深いものが多かったのだ。

 鉄道の開通事情、秘術の工学利用、なんて辺りが特に。

 僕らにどれだけ関係するかはしらないけど、知らない世界を覗き見るのは楽しい。


「――まあ、私に構ってくれないのは良しとしましょう。ただ、自分の体をないがしろにするような真似はだめですよ」

「そんなつもりはないんだけど」

「ずいぶん眠そうですよ、今も」


 否定の言葉の代わりに、欠伸が漏れてしまった。


「ほら。そんなぼけっとしてるんなら、またいたずらしちゃいますよ」


 覗き込んでくるジーナの眉は少し心配そうにしかめられていた。

 どうやら、さっきの爆発物も元気づけようとでもしていたのかもしれない。

 変な夢も見るくらいだ、ちゃんと寝つけてないのもあるだろうか。


「わかったよ、しばらくはちゃんとするようにする」

「むう、しばらくと言わず今後ずっと心掛けてほしいものです」

「ジーナこそ授業中寝居眠りするんじゃあないぞ」


 あはは、とジーナの笑い声が空に響く。


「兄さんじゃないんですから。するわけありませんよ」

「そんなこと――ないよ?」

「あるでしょうに。ペンを片手に上の空なのは想像できますよ」


 そんなことはない、と二度同じことを言う気にはなれなかった。

 昨日も居眠りしかけていたな、と思い出してしまったからである。

 ジーナは数歩跳ぶようにかけてから、くるりとこちらを振り返った。


「とにっかく、あんまり無理しちゃだめですからね!」


そう言い残して、学校の方に走っていった妹が友人たちと一緒に校門をくぐる様子を眺めながら、ほう、とため息をつく。

 妹に心配かけるような兄じゃいけない。

 もう少ししっかりしないと。


 そう思って気を引き締めると同時。

 たったった、と後ろから走ってくる足音が聞こえてきた。


「ようザルツ、朝から妹さんと仲良さそうじゃねーの!」


 後ろから聞こえてきた声に対して振り向く前に。

義手を振り上げて、後ろから接近する腕を受け止める。

鈍い接触音が、後方からの攻撃を義手でカバーできたと確信させてくれた。


「おお、さすが。見えなくても受け止められるか」


 振り向くと、茶髪の男子が手を振りながら困ったように笑っていた。

 同級生で古い付き合いのレックス。

農家の息子で、一日中植物と戦ってるせいか体つきは僕なんかと比べ物にならない。

 そんな奴の一押しを受ければ、ひとたまりもないので警戒心も強くなる。


「レックス、なんでまた人を突き飛ばそうとしたんだ」


 朝っぱらから転んで砂まみれなんてことになってたら最悪の一日だ。つまらん用ならただじゃ置かない。


「そこのベーカリーで焼き立てパン貰ってきてさ、一つわけてやろうと思ったのだ」

「なら許す」

「計らっていただきサンクス」


 もらったパンをそのままもしゃもしゃ食べる。

 相変わらず焼き立てパンと言うモノはうまい。朝ご飯を食べたばかりの腹にもすっぽりはまる。


「あらゆるものは作り立てがうまいんじゃあないか、という仮説はこの焼き立てパンから始まったのかもしれない、と思わせる力があるね」

「ザルツは感極まると変な表現するよな」

「そういう時に用意周到な表現する人間の方が信用できない気もしない?」

「まあ、そうかもしれんが」


 ごくり。

 よい食事は、のど越しさえ味わい深い。


「うむ、最高の一日のスタートになった」

「思うんだけどさ、ザルツのその呑気さと妹ちゃんの心配性加減、兄妹とは思えないほど似てないよな」

「そうかな?」


 自分はそれなりに心配性な方とは思う。

 少なくとも、夢ごときを引きずってるくらいには。


「そんなことより少し急ごう。一限目が始まるよ」


 いっけねー、とつぶやくレックスを後ろに、小走りで教室へ駆け込んだ。






 放課後。

 授業終わりの鐘の音を聞いて、黒板を走らせていたチョークを箱に落とす。


「じゃあこれで今日の授業は終わり、おつかれさま」

「やったー!」


 僕が声をかけると、席についていた子供たちが一斉に歓声を上げる。

 教え甲斐のない子供たちである。


 補足しておけば、僕は別に教師でも何でもないただの一生徒だ。

 ただし、この学校には教師の数が足りていない。

 そこで、僕のような上級生を教師として授業させることがままある。

 

小遣い稼ぎになるので個人的には構わないけれど、それだけ村を離れる大人たちが多い、と言うことでもある。

僕だって、学び舎を卒業する年になれば一度は村を離れて帝都へと赴くつもりだし、彼ら大人を非難する気にはならないけれど。


「ばいばい、ザルツー!」

「はいはいさよなら、気をつけて帰りなよ」


 目上の相手に敬意の欠片もない子供たちを適当にあしらいながら帰路に就く。






「よう、お勤めご苦労さん」


 校門の前でレックスと合流した。


「ホントに苦労するよ、子供相手ってのは」

「オレ達も成人したばっかだけどな、まだ来年の行き先すら選んじゃいない」


 僕らは今年で16を迎え、成人の儀を執り行った。

 庇護の枷を外され、自分で好きなように生きることを許される年になった。

 来年には、学び舎も卒業して仕事を選ぶか、更なる学業に励むかを選択することになるだろう。


 その先の選択肢に、教鞭を振るうということも全くないわけではないけれど。


「少なくともこの学校で教師をする職業にはつかないだろうね」

「ガキども相手にちゃんと授業やってるだけ十分だと思うけどな」

「子供にどうも舐められるんだよ」

「好かれてる証しだろ」


 ハハハ、と笑うレックスにこれ見よがしに肩をすくめて見せる。

 子供が嫌いなわけでもないけれど、教室に詰め込まれた子供たちの相手を朝から晩まで毎日やれ、と言われるとさすがにつらい。

 さらに、元気が有り余ってるのか大変騒がしい。落ち着けるだけでも一つ二つは悶着がある。

 穏やかな日々を将来に望む僕としては、そんな闘いの日々を生活の中枢には置きたくないのである。


「僕としては農家の跡取り息子の方が気楽だったね、何よりくいっぱぐれがない」

「こっちはこっちで悩みの種は多いもんだぜ――うん?」


 レックスの声とともに、その足もピタリと止まる。

 その視線の先を追うと、一人の腰を丸めた男がこちらによたよたと歩きよってきた。


 口元は笑みを浮かべているけれど、目元は深くかぶったフードでよく見えない。

 上半身を覆うローブで体形もはっきりしないが、身なりからしてこのあたりの人間ではないだろうなあ、とは一発でわかる。

 手元や足の裾に見える布の質感はどうも小奇麗な感じがするのだ。

都の人間だろうか。


「やあ、やあ。お兄さんがた。ちょいと道を教えてもらえないかな」


 笑みから聞こえてきた声は、まるで酒で焼けたようにがらがらと濁っていた。


 レックスは顔をしかめたのち、

「言っておくけど、おれは道案内なんてしてるほど暇じゃあねーぜ」

 と突き放すように言うと、ひょいっと、身をひるがえす。


「お前、困ってる人を見捨てていくのか」

「悪いな、今日は畑仕事手伝えっておふくろから頼まれてんのよ」


 種まきや収穫には僕の『魂』の秘術による複数本の腕は便利らしく、いろいろ理由をつけては手伝わされることが多い。

 それが縁でレックスのおふくろさんもよく知ってるけど、あの人がおこるとレックスにだけはとても暴力的なのだ。

 拳一個分にも膨れ上がるたんこぶの情景を思い浮かべると、引き止める気にはなれなかった。


「今度おすそ分けすっからそれで頼まれたことにしてくれや」

「行ってきなよ」


 レックスは「次の収穫には手伝ってくれなー」と言い残して、風のように去っていった。

 まったく、と思わずため息をつく。


「ひ、ひ、ひ。元気な友人だねえ」


 フードの男は愉快そうに含み笑いをこぼす。

 それを見て思わずこちらも笑ってしまう。


「普段は優しい奴なんですけどね、それよりも母の雷が怖いんでしょう」

「なあに、家族の縁が深いってこった。そういうのはできる限り、深い方がいいに決まってる」


 感慨深く語る様子はどこか、寂しげでもあった。

 このあたりではみない服装だし、どこか遠くから来た人なのだろうか。


「まあ、そうとも言えるかもしれませんが。それより、道を知りたいって話でしたが、どちらに?」

「ああ、確か名前まではどうにか調べたんだよ――そう、シェルドリッヒ義肢専門店、ってとこでさあ。このあたりじゃあ有名らしいんだが、ご存じで?」

「存じるも何も、僕の家ですよ」


 僕の答えに、男は嬉しそうに笑い声を漏らす。


「そりゃあいい。ちょいと買い物に来たんでね、着いていっても構わんかね」

「もちろん。こちらですよ」


 男の前を横切り、先陣を切って歩きながら振り返る。


「どうも、恩に着る」


 にやり、と。

 男のゆがんだ口元が目に入った。

 妙に、その笑顔には違和感があった。

 見慣れない、うまくは言えないけれど、いつも見る他の誰とも違う、奇妙な笑み。

 都会出身と田舎出身だと、笑顔一つとっても違うものなのだろうか。






 歩く最中、雑談程度に質問をぶつけてみる。


「今日お見えになったのは右の義手をお求めに?」

「ああ。そんなところでね」


 男は片腕――左腕を伸ばすと、右肩をさするように撫でる。

 本来あるべき右の腕は空を切るように空っぽで、ローブを大きくゆがめて影を作る。


「隠していたつもりなんだが、分かってしまうものかな」

「義手や義足の類を求める人ばかりですからね、見慣れています」


 いくらローブで見えなくても、風の揺れ方や歩き方で察することはできる。

 何度も店に来る腕のない人を見てきたのもあって、感覚的に分かるようになっていた。


「戦争で亡くしちまったものなんだがね、せっかくならよりいいものにしたかった。それなら、人よりも人らしい義肢を作れる、っていう評判を当てにしたんだ」

「精巧ですけど、そこまでの物じゃあありませんよ。ただの機械仕掛けに過ぎません」


 うちの造る義肢の見た目は鉄でしかない。

 本物と見違えるほど精巧な義手、なんてものは少なくとも見たことがない。


「ふうん、そうか。それならそれでいいんだ、価値が落ちない、ってことだからな」


 男は納得したように小さくうなずく。

 何が理由かは分からないけど、それを問う時間もなくなった。


「つきましたよ、あそこがシェルドリッヒ義肢専門店です」


 男は店を見るなり、

「案内してくれてありがとう。――しかし、どうやら運は良くない方に傾いちまったな」

「はあ、どういう意味ですか」


 男が無言で店を指さす。

 正確には、その入り口に張られた一枚の紙。


『臨時休業』


「なんでまた」


 あまりに珍しい張り紙なもんで、ついそんな言葉が漏れてしまった。

 父の店が定休日以外に休みになっているなんて珍しい。

 まして、朝出かけるときは何も言ってなかったくせに。


「兄さんお帰りなさい」


 その張り紙の扉から覗くように、妹の顔がひょっこりとのぞいた。


「――と、そちらの人は?」


 妹の視線が僕の隣にずれると同時、フードの男は小さく会釈をした。


「あっしはただの客でね。もっとも、休業じゃあ何もあったもんじゃあないが」

「あら、ごめんなさい。ちょうど父さん――店主が道具を切らしてしまったらしくて。隣町まで買い物に行く必要があるからたぶん、明日の朝まで戻ってこれないって」

「そうかい、そうかい――そりゃあ、残念だ」


 男はフードを深くかぶりなおす。

 表情は伺いきれないが、その口ぶりから大層残念そうな調子は深く伝わってくる。


「せめて、中の見学だけでもできれば、と思ったんだが」


 ぼそり、とつぶやく声。 

 思わず、顔を見上げて妹の方を見る。

 妹は眉を顰めた。

 何を言いたいのかは言葉にせずとも分かってくれたらしい。


「ダメかな」


 用件を伝えずに了承を得ようとしてみる。


「私たちだけじゃ何もできないでしょうに」

「でもほら、お客さんのおもてなしにはなる――だろ?」


 最近は客も少ない。

 少しでもその足しになってくれればありがたい、と言う目論見もあった。

 妹は小さくため息をつくと、扉を開いてくれた。


「どうぞ。お見せすることしかできませんが、ご自由にご観覧ください」


 男はにたり、と笑みをこぼすと。

「いやあ、ありがたい。下見に来たかいがあったってもんだ」

 心底嬉しそうに言いながら、すたすたと店の中へ歩んでいった。

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