同志のような
ヒロイン編2話目です。
年頃の義娘への対応としていろいろ間違っていると思ったが、母の薬草師業を手伝っていて、診療所や警備隊などに薬を届けることも、使うこともある。今更ただの裸に動揺することもない。
細身だけど必要なところには筋肉がついているのね、とちらり観察だけして、あとは針を運んでいた。その時の会話だ。
「俺は君のお母さん一筋で来たからね」
「既婚者だったのに? おかしくないですか? あ、いえ、親の恋愛は聞きたくありません」
「お父さんのことも知りたくないのは、それで?」
「……父は、もういませんから」
本当は、騎士に嫌悪感を持った最初のきっかけは、父だった。
騎士は弱いものや女性を守るという。どんな子供向けの物語でもそう語られている。なのに、なぜ父は母やローゼを守らず、他人を守って、そして帰ってきてくれなかったのか。そう思ってから、騎士に不信感をもつようになった。
今、不信感には呆れと不快と苛立ちと腹立ちが混じり、嫌悪感として立派に育っている。
ローゼは手早く袖を繕い終わるとシャツを手渡したが、今度はギムレイの足元を見て悲鳴を上げた。
「髪の毛はよく拭いてください! 床がびちゃびちゃ! あ、まさか水場から……あああああ」
雑巾を持ってきて床の水気をとっては水場で絞る。髪を振り乱して働くローザに、ギムレイは手伝いを申し出てきたが、以前箒を折られたことがあったので信用できない。断って、結局は部屋の床全体を拭き上げた。
もうへとへとだし、胃まで痛くなってきた。
なのに、シャツを着たギムレイはまだそこにいて、呑気に声をかけてくる。
「ローゼ嬢の真面目なところ、似てるなあ」
「誰にです?」
「俺の弟子、今は騎士団で頑張ってる」
なんだ騎士か、と興味をなくしたのが丸わかりのローザに、ギムレイは、ははと笑った。
初めて会ってから、ローザはギムレイの笑顔しか見ていない気がする。一緒に暮らしていてそうだということは、いつも笑っているということだ。
そんな人いるだろうか。胡散臭い。
「体格がよくて、性格も真っ直ぐで、努力ができる。見つけた時は、この子を育ててみたいな、と思ったんだよ。でも従者にしてみた結果、なんか俺の方が育ててもらった感じがしたな」
「従者って十歳くらいでなるんでしょう? それでいいんですか?」
「いやあ、よくないよ。でも俺よりずっとしっかりしてたから。あんまりきっちり面倒見てくれるんで、息苦しくなって、十六でさっさと独立を認めたんだけど、いなくなると途端に生活が荒れて、有り難みが身に染みたよ」
ローザは、顔も名も知らないその従者の少年に、激しい共感を感じた。
「一緒に暮らしてる間、いつも家は綺麗だし、毎日清潔な服を用意してくれるし。なにより騎士の資本だから体を大事にしないと、って体にいい料理を作ってくれるんだけど、実際鍛錬してみると体が軽いことに驚いたんだよ。俺、肌まで綺麗だったな、あの時期は」
どうやら共感など烏滸がましかったようと、ローザは反省した。ローザの少し詰めの甘い家事よりよほど徹底していた。
しかもこの打っても打っても響かないギムレイに、そんな整った生活が良いものだ、という認識を植え付けているのだ。尊敬に値する。
「アルバインっていうんだ」
「アルバイン……」
「昔そいつを弟子にした時には、ランドリックが拗ねたなあ」
「まさか、ゼンゲン侯爵家のランドリック、ですか?」
突然の話題の変化に、ローゼは瞬いた。
年に一度、王都のお屋敷に挨拶に赴くゼンゲン侯爵家には、嫡男が一人いる。ローゼより五つほど年長の従兄弟だが、社交の笑顔で当たり障りない会話しかしたことはない。
南の街でいても、ランドリックの噂だけは入ってくる。空翔馬部隊の若き貴公子とか持て囃されてやたらにモテるのだと、なぜか皆が誇らしげに語る。なにしろここはゼンゲン侯爵の領地なのだ。
だが、ギムレイがランドリックと知り合いであることは、初めて聞いた。
「むかーし、侯爵家に剣技指南に行ってたことがあってね。ランドリック……あー、今は子爵かな? 子爵には懐かれてたからな。なぜ僕を弟子にしないで、よその木偶の坊を弟子に取るんだと、散々文句を言われた」
「でくのぼうって」
「当時アルバインはすらっと背が高くてな。比べて、ランドリックは小さくて肉も薄くて幼く見えた」
懐かしいな、とギムレイはのほほんと思い出に浸っているが、ローゼは全く笑えない。
最後にランドリックに会った、正確には見かけた、のは二年ほど前。
侯爵家に挨拶をしたあと街で見かけた、両側から令嬢にしがみつかれて、ヘラヘラ笑いながら歩いていた姿だ。
その直前に侯爵家で顔を合わせた時には「年頃になって綺麗になった、そろそろ恋人でもできたんじゃないか、結婚してもいいと思えるいい男にしておきなよ」などと、酒場の酔っ払いのようにズケズケと言ってきた男が、ローゼと同じ年頃の綺麗な恋人を二人も引き連れていたのだ。
ローゼの中のランドリックの評価は下りに下がって地にめり込み、騎士という存在への不信感が嫌悪感へと昇格したのもその時だ。
「自分が弟子にしてもらえなかったからって、よく知らない人の悪口を言うなんて」
アルバインに同志のような気持ちを抱いていたために、ランドリックが下がった分、アルバインへの評価がぐっと上がった。
それからは。
庭に鍛錬に使った剣が起きっぱなしになっていて躓いて転んでも、休日に親二人がいつまでも起きて来なくても、厨房が使えない日、屋台に夕食を買いに行くというので任せたら目が合ったからと子豚を買ってきた時も、薬草の畑にだんだん雑草が目立つようになって一人では手入れできなくなってきても。
この空の下には、私と同じ苦労をしていたアルバインがいる。
そう思うと、励まされた。
さらに二ヶ月ほどして、母に、少し侯爵様のお屋敷でゆっくりして来なさい、と言われた時も。
追い出されるんだと、口煩い娘が邪魔になったんだと、悟った時も。
ふたりがその後で目を見交わしあって、まるでそこがローゼがいない世界であるかのように、ふたりだけで微笑み合ったのを見た時も。
侯爵家は、ローゼにとても優しかった。
客室ではない良い部屋を夫人の部屋の並びに与えられ、必要な物は十分以上に与えられたし、興味があればと強制ではなく学ぶ機会をくれた。
侯爵とは時々挨拶を交わすくらいでほとんど交流がないが、ローゼとしてはそのほうが気楽だ。
なにしろ、侯爵家当主でありながら、ゼンゲン侯爵は騎士総長という、この国の騎士の最高位にいる人だ。
騎士がろくでもないとしたら、騎士総長こそ、ろくでもないの最たる物だろう。
事実、侯爵一家のこんな会話を聞いたことがある。