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彼女が好きなのは、俺か、俺の筋肉か(別章追加)  作者: 日室千種
彼女が好きなのは、俺か、俺の筋肉か
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俺の筋肉は、敵ではなかった



 寮の自室は、荒れていた。

 多少気にはなるが、もう少しもう少しと後回しにした、収納されず放りっぱなしの衣服や食器。汚れた靴で出入りした足跡。借り出してきた資料の山の間にも、辛うじて洗っただけのシワだらけのシャツや、買ってきた食事の残骸などが取り残されている。

 資料、ネフィリアという女性の素性を知るための資料だ。


 彼女が、俺に会いに来なくなって、そうして初めて、俺は彼女を知ろうとし始めた。

 もう遅いかもしれないことはわかっている。

 けれど、これはやめられない。手を尽くしてからでなくては、諦められない。

 




 調べ始めて、まずわかったこと。

 「ネフィリア」は偽名らしい。

 貴族年鑑をくまなく見ても、ネフィリアという名は無いのだ。

 彼女の服装、立ち居振る舞い、言葉遣い、髪や肌や指の状態からすると、上流階級に所属することは間違いない。

 偽名か、あるいはこの公の資料には記されない隠された子であれば、たどり着くのは容易ではない。


 俺は、そこで決断をしなければならなかった。

 物事をきっちりしたいために、これまで規則を破ることなく生きて来たが、それでは決して彼女に辿り着けない。

 お前は堅すぎると師や上司に言われながらも、なかなか崩せなかった自分の枠を、うち破るのかどうか。

 ――特段、決断に悩む必要はなかった。


 王宮への入場記録は、持ち出し厳禁の資料だ。

 従者時代の知り合いを通じて、門番詰所で見せてもらって驚いた。記録は、代表者の分しか詳細がない。同行者の記録は人数のみ。

 確かな家の令嬢であれば、お付きのものが必ずいて、こうした手続きを本人が行うことはない。当然というべきか、ネフィリアという名はなかった。


 騎士団の訓練場で彼女を見たことはなかったが、騎士団が保管する過去の見学申込書にも当たってみた。だが、記憶にある彼女と会えた日付で探しても、これはという申込書はない。

 そもそも、申込書の数自体、訓練日誌に誰かが戯れで書き始めた見学者の人数とも一致しない。


 どちらも、形骸化した惰性だけで行われる手続きと成り果てている。

 内宮に入るには、もっと厳しい身元改めがあるのだが、王宮の外庭では日々この程度でよいということか。

 この作業で過ぎた半月を思うと、ため息が出る。


 他にも、彼女を思い出しては糸口を探って、調べて、空振りに終わるを繰り返した。

 贈ってもらった石鹸もサシェも、おそらく手作りか少量生産で、出所を知ることができない。貴婦人の噂話ならもしかしてと、あまり帰っていなかった実家に赴いて母親に探りを入れても、手掛かりはなし。


 寝台の枕元に彼女からの贈り物を並べて、眺めながらいつもの自主鍛錬をしても集中できない。

 体を追い込んでも眠れず、酒で無理に眠るようになり。

 自分でもどうかと思うほど情けない無能ぶりに、歯噛みするうちに、無為に日々が過ぎていき。


 たまたま後輩騎士からそれを聞き知ったのは、もう希望を失いつつあったころだ。

 騎士団の訓練を見学するのに、身内に騎士がいれば申請は不要になるのだという。

 騎士には身元証明のために騎士の名を刻んだメダルが与えられる。実際にそれを常備している騎士はいない。皆、どこかに保管しているものだ。それを持参して名乗りさえすれば、招き入れることになっているという。


 なんという杜撰。

 俺は呆れ、だが縋る思いで、仕事上やり取りの多い騎士団の事務員に無理を言って、騎士たちの身上書を借り出してきた。

 今部屋を占有しているのが、その身上書の山だ。上級騎士として信用を取り付けておいてよかった。


 創立以来、ただ手前に手前にと新たな身上書が詰め込まれていた倉庫を見た時は、眩暈と吐き気を覚えたものだ。

 新規入団者は当然として、現役の騎士たちも数年に一度新たに身上書の提出を求められるのは、このせいかと合点がいった。過去の身上書を見つけ出せないから、書き換えるという手段を取れないのだ。


 いくら国家間の争いがほとんどない平和な世だとしても、身元管理としてダメすぎないか、という問題には潔く目を瞑ることにする。

 本来、俺が見るはずのない資料だ。

 ただ、確認の漏れを防ぐためにあれこれ整理しているうちに、すでに在籍しない者や鬼籍の者の書類は抜き出し、各団名前順に並び替え、といった作業はできてしまった。まあ、誰も気が付かないだろう。


 最後の希望だとばかり舐めるように確認したが、結局、目当ての情報は得られなかった。ネフィリアという名の女性を家族に持つ者は一人しかおらず、年齢が明らかに違った。


 すべてに目を通し終わった昨夜は、あまりの徒労感に打ちのめされ、埃の溜まった部屋の隅に丸くなって意識を失っていた。


 明日から遠征だ。

 見るたびに虚しいため息が洩れるこの書類を、今日中に返却しなければならない。

 遠征は、三ヶ月。

 帰ってくる頃は冬。ネフィリアと初めて会った季節だ。


 そのころには、この思いに区切りが付いているだろうか。

 俺はそう願って、せっせと書類を運び出し、空っぽの部屋に場違いに彩りと香りをくれる彼女からの贈り物を、戸棚へと仕舞い込んだ。





 ところが、失う覚悟を決めた途端に、探し物は目の前に現れる。

 呼び出しだ、と夕刻に寮長から直に伝言されては断れず、俺はその夜、ランドリックに会いに寮を出た。


 上級騎士は私用でも王宮の厩から馬を借りることができるが、馬を可愛がる厩番たちは、俺のように重たい男が馬に乗るのにいい顔をしない。

 なにより、明日から地削獣部隊として遠征だ。やつらは巨大で肉厚な圧迫感のある見た目のわりに意外と繊細で、馬の匂いすら嫌う。人にはわからない残り香すら感じとるので、馬は使えない。


 幸い指定された場所は王宮から遠くない。貴族出身の騎士たちが味が良いと評していた小洒落た食事処だと記憶している。歩ける距離だ。

 徒歩で向かうと間に合わないと走り始めたのだが、この頃の鍛錬不足を痛感した。以前の自分より、体が重い。

 騎士団での最低限の訓練ではこうなるのか。遠征では苦労するかも知れない。

 またため息をついて、約束の場所に静かに近づくと。

 引き寄せられるように、目がその姿をみつけた。


「ネフィリ、ア」


 久しぶりに見る彼女が、微笑んでいる。

 元気そうだ。

 俺はほっとして、それから、ああ、と呻いた。


 ネフィリアは、ランドリックと共にいた。

 背の高い彼を見上げて、くす、と小さく笑みをこぼす。

 少し強気の見える、俺の知らない表情で、ランドリックが細い手を掴んで自分の胸元を触らせるのを受け入れていた。


 ああ、本当に俺は愚鈍で傲慢だった。大馬鹿だ。

 俺か、俺の筋肉か、だって? どちらも俺だ。どちらであっても、よかったじゃないか。

 流行? 流行結構、それで俺のところへ来てくれたことが僥倖だったはずだ。


 なぜ、捕まえておかなかったのか。愚かにも勘違いして余裕をかまして、わずかにあったかもしれない勝機を逃した。

 俺の筋肉は敵ではない。彼女が俺以外の男か、俺以外の筋肉に惹かれることこそ、恐れるべきだった。


 本当に、もう全てが遅いのだ。

 俺は踵を返して、そのまま遠征へと突入した。


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